第八話 文化祭準備【青春編】
既に太陽は西の空に沈みかけ、空には夜の帳が落ちかけていた。文化祭の準備中ということもあり、この時間でも生徒たちの数は少なくない。力弥と勇輝は飾り付けが進みつつある校舎内を抜け、昇降口に辿り着いた。
この近辺で本屋と言えば、高校の前の道路を突き当たった先にあるショッピングモール内にある書店となる。ここは書籍以外にも音楽CDやレンタルDVDなども置いている大手複合店舗で、話題の本であれば一通り置いている。
力弥と勇輝はアニメ化もされた話題の漫画について、どのキャラクターが好きだとかあのシーンは良かっただのという話をしているうちに目的地の本屋に到着した。夕方の本屋には二人と同じ高校生だけでなく、お勤め帰りの会社員の姿も見られる。
力弥がコミックスの新刊売り場に向かっていくと、勇輝はライトノベルのコーナーに向かった。オーソドックスな推理小説を好む一方で、いわゆるライトミステリーにも手を出している。勇輝が棚の中から目当ての作家の名前を探していると、唐突に肩を叩かれた。力弥が買い物を終えたのかと思いながらそちらに顔を向けると、そこには意外な人物が立っていた。
「あ、藤鳥さん」
「こんにちは、明星君」
藤鳥の声を聞いて、勇輝は少し安心したような表情になった。
「何探しているの?」
藤鳥がそう聞くと、勇輝は「うん、古本屋の主人が事件を解くミステリーにはまっててさ」と言いながら、棚に目を移すと一冊の本を取り出した。
「これもミステリーなの?」
「うん。だけど殺人事件とかは起きないんだ。この物語では古書にまつわる事件が起きて、この表紙の女主人が事件を解決するんだけど、この人の古書の知識が凄いんだよ」
そう言って、勇輝は藤鳥にいかにこの本が面白いかを力説する。もちろん、ミステリーである以上ネタバレはご法度だ。勇輝はネタバレを踏まないようにこの本の面白さを熱弁している。
「確かドラマ化もされたんだよ。俺は、見てないけど」
「へぇー面白そうだね。どうしよう、今日はもう本を買っちゃったんだよね」
そう言って藤鳥はビニール袋の中の本に目を落とす。
「それじゃあ、俺のを貸してあげるよ」
「ありがとう。そういえば、最近はあんまり会ってなかったね」
「学祭の準備が始まって、中庭も騒がしいしね」
すると、勇輝の後ろからぬっと顔が出てきて、勇輝の肩に左手を回し彼の体に寄り掛かる人物がいた。力弥だ。
「二人とも、連絡先交換してないの?」
「びっくりした」
勇輝が驚いていると、彼が近付いていることに藤鳥は気付いていたのだろう、何食わぬ顔で「燕谷君、こんにちは」と力弥に挨拶をした。すると力弥も「おっす」と言って右手を振った。
「で、二人とも、メッセージのIDは交換してないの?」
力弥はさっきとほぼ同じことを改めて二人に聞くと、二人は揃って首を横に振った。
「メッセージ送れば待ち合わせとかできんじゃん」
「「確かに」」
力弥の提案に対して勇輝と藤鳥は声を合わせて同意した。
「本は貸し借りしているのに、連作先は交換してないんだな」
力弥はそんな二人を面白そうに眺めた。一方、力弥の話を頭の中で整理していた勇輝は、唐突に女子と連絡先を交換するという行為に対して言い知れぬ恥ずかしさと後ろめたさを感じてすぐ横の力弥に小声で聞いていた。
「あのさ、藤鳥さんと連絡先交換していいのかな?」
「は? いいに決まってんじゃん」
「いや、キモいとか思われないかな」
「キモいと思ってるやつから本借りないだろ」
「いやまぁ、そうかもしれないけどぉ」
「連絡先を交換したくないのかよ」
「・・・したい」
「じゃあ、聞けよ」
「うーん」
煮え切らない態度でもじもじしている勇輝の肩から力弥は手を離した。あれだけ巨大な怪物に物怖じせずに対峙した男が、女の子から連絡先を聞けないのかと力弥は呆れつつも、そんな勇輝が面白くてたまらないという顔をした。
そして藤鳥の方に近付いていくと「悪いんだけど、藤鳥さんの方から言ってくんないかな」と手を合わせて彼女にお願いをした。すると藤鳥は少し照れながらもこくんと頷いた。
「明星君、スマホ出して、ID交換しよ」
藤鳥からの提案に勇輝は赤面しつつ、「うん」と頷いてポケットからスマホを取り出した。そうやってID交換をしている二人を力弥はニヤニヤしながら眺めていた。その後、勇輝が目当ての本を見つけて、それを買うと三人揃って店を後にした。
すると力弥は二人の方を向いた。
「連絡先を交換した記念に三人でプリ取りに行こうぜ」
そう言って力弥は片手を掲げた。「いいね、行こう」と藤鳥は力弥の提案に賛同するも、勇輝だけは置いて行かれたように戸惑っている。力弥は予想通りの勇輝のリアクションを楽しみつつ、彼の手を引いてショッピングモール内のゲームセンターまで引っ張っていった。
プリとはプリントシール機として知られる筐体内にあるカメラで人物のインスタント写真を撮影し、それをシールとして出力する機械を指す。主に中高生に人気のあるもので、三人が来た時には一つの筐体は女子高生のグループが使用中だった。
そこで力弥ら三人は空いている筐体を使うことにした。プリントシール機の筐体は数人が入れるほどの大きな箱で、その側面には女性の顔写真が装飾されている。力弥と藤鳥は慣れているのか迷うことなく中に入るが、勇輝は入ることをためらうように外から眺めている。
「おい、勇輝、何してんの、早く入れよ」
「う、うん」
勇輝はそう言っておずおずと筐体の中に入った。
「プリ撮るの、初めてなんだよ」
そう言う勇輝を力弥と藤鳥は驚いて見つめる。
「マジか、まぁ、そんな気はしていたけど」
「うるせぇ」
そんな力弥と勇輝のやり取りを藤鳥は楽しそうに眺めていた。その後、三人は色々なポーズをとって、彼らにとってのベストショットを試行錯誤していた。と言っても、勇輝は力弥に言われるがままという状態だった。
撮影後、写真にデコレーションするためにディスプレイに表示されたものを見て勇輝は怪訝な顔をした。
「なんか、目がデカいし、変じゃない?」
「そういうもんなんだよ」
「そうか」
すると少し勇輝は口を尖らせて納得できないような顔をした。加工がお気に召さないのかなと力弥と藤鳥は思ったが、今どきの機種は自動で加工が入ってしまう。すると、藤鳥が何かに気が付いて二人に声をかけた。
「あの端っこにあるのって、昔のプリ機じゃないかな」
大きな筐体に追いやられたように、かつてのプリントシール機の筐体がぽつんと置いてあった。ここのショッピングモールは彼ら三人が生まれる以前から営業していたため古い機種もずっと置いてあるようだ。
「マジか。そんなもんあったのかよ」
力弥がその筐体に近付いた。力弥は機械の周辺を見て回ると、他に使っている客はいないようで、二人を手招きしている。
「明星君、行こう。あれなら加工なしで撮れると思うから」
藤鳥がそう言うと、勇輝はこくんと頷いて彼女の後に続いた。古い筐体は今のように箱型で人が入るタイプではなく、大きな画面の前に暖簾のようなものが垂れさがっているだけだ。被写体はその画面と暖簾の間に入って撮影するのだ。
三人は肩を寄せ合って画面と暖簾の間の空間に収まった。最近のものと違って全身は写らない。せいぜい胸から上なので、三人はただ並んで写真を撮った。慣れている力弥や藤鳥の表情は柔らかいが、勇輝はどこかぎこちない。
「お前、なんで仏頂面なんだよ、もう少し笑えよ」
「別にいいだろ、写真は苦手なんだよ」
「だったら、最新機種の方がいいのに、加工で誤魔化せるからさ」
力弥がそういうと勇輝は黙ったが、少し考えた後に言葉を発した。
「初めてだったし、三人で撮るなら、その、そのままの写真が欲しかったから」
言い方はたどたどしいが、勇輝の言葉には思いがこもっていることはその場の二人には感じることができた。誤魔化しで覆われた虚飾の写真よりも、例え、ぎこちなくてもありのままの姿が欲しい、そんなところだろう。
そんな勇輝のある意味で純粋な気持ちは清々しいと同時に、どことなく『クサイ』というか、気恥ずかしさもある。そんな力弥の思いを知ってか知らずか、やっぱり笑った方が良いよなぁと印刷された写真を眺めながら勇輝はぼやいていた。
「文化祭が終わったら、また三人で撮りに来ればいいじゃん」
「そうだね」
藤鳥が力弥の提案に賛同すると、勇輝もぎこちなく返事をした。
「う、うん」
「それまでに勇輝は笑顔で写真に写る練習をしようぜ」
「お前は一言多いんだよ」
そう言って勇輝が力弥を軽く小突いた。その後、撮った写真を三人で分け合うと、ショッピングモールの出口まで三人は並んで歩いた。そして建物から出るとめいめいに帰路についた。
*
「ただいま」
勇輝は家に着くとそれだけ言って、自室に向かった。そして、制服から部屋着に着替えるとベッドに横になった。文化祭準備初日はとんでもなく長い一日だった気がする。そんなことを思いながら、天井を見つめた。
横になったまま先ほど撮ったプリント写真を眺めた。写真に写った三人の顔を見ながら、ああして一緒に何かをしているのは楽しかったという気持ちと、このまま一緒にいても大丈夫なのかという気持ちが勇輝の中でせめぎ合っていた。
異形の怪物は自分の周りに現れるのか、現れる先に自分がいるのか、そのどちらも偶然なのかは分からないが、どちらにしても自分は奴らと切っても切れない関係にある。そこに藤鳥を巻き込むことに言い知れぬ恐怖を勇輝は感じた。
恐怖。
それもまた忘れていたはずの感情だった。勇輝の中では恐怖が薄い。特に怪物に対してのそれは極端だ。だからこそ、写真の藤鳥を見て彼女が巻き込まれたらどうしようと思うと、胸の痛みを感じた。そして眉間に皺を寄せながら起き上がると胸を押さえた。
彼女を巻き込みたくない。その気持ちが勇輝の中で大きくなり、藤鳥と関わるのを止めた方が良いのかとも考えた、その時だ。勉強机の上に置いたスマホが震え、メッセージを受信したことを告げた。勇輝はベッドから降りて勉強机に向かい、スマホの画面を見た。藤鳥からだった。
『初メッセージです。今日はありがとう』
すると続けて次のメッセージが届いた。
『さっき言ってた本だけど、今借りてる本があと少しで読み終わるから、借りるのは今の本が読み終わってからでいいかな』
それを見て勇輝は『うん、いいよ』と返事をした。すると、『thank you』という文字が入った可愛らしいイラストのスタンプが送られてきた。それを見て勇輝の表情は柔らかくなっていた。そして、プリント写真とスマホを勉強机の上に置いた。
「何かあったら、俺が守ればいいんだ」
自分に言い聞かせるように呟いた。そこへ母親から夕食を告げる声が聞こえた。勇輝は母親の声がする方を見つめつつ、彼の頭にはもう一つの懸念事項が想起された。そして、その覚悟はできているはずだと自分に言い聞かせた。
・・・本当に?
藤鳥の顔を思い浮かべながら、勇輝は自問自答した。
そして、答えの出ぬまま、母親に呼ばれて勇輝はリビングへ向かった。
*
文化祭準備二日目。三年F組ではコスプレ衣装の製作と教室の飾り付けという大きく二つの作業に分かれている。主に女子生徒を中心に手先が器用なメンバーが衣装製作を担当し、それ以外のメンバーが教室の飾り付けをしている。
衣装のデザインや型紙などは事前に一部の生徒たちが情報収集していた関係であとは裁断と縫製だけとなっていた。ミシンの台数は十分にあるとはいえ、F組以外の生徒たちも使用を希望しているため、衣装製作のスケジュールはぎりぎりだった。
縫製の知識が特になく、ミシンの扱いにも慣れていない力弥と勇輝は教室の飾り付けを担当していた。というか男子生徒の大半は飾り付けである。飾り付けのデザインをもとに段ボールを切ったり、色を塗ったり、貼ったりするのが彼らの作業である。そのデザインを考えたのは女子生徒らなので男子は彼女らの指示に従うばかりである。
鹿森は縫製作業をしている家庭科室と飾り付けをしている教室を行ったり来たりしている。そんな彼女を見て力弥は「働き者だなー」と感心しつつ、手が止まっているので勇輝がすかさず「いいから手を動かせ、終わんないぞ」と指摘する。
「今日の十時から文化祭実行委員会からベニヤ板が配布されるはずだから、誰か取りに行ってくれない?」
鹿森は教室で飾り付け作業をしている男子たちを見渡しながら言った。ベニヤ板を取りに行く面倒さから積極的に手を上げる者はいない。それどころか男子は鹿森と視線を合わせまいと手元の作業に専念した、ただ一人を除いて。
「あ、リッキーは手が空いてるんだね。行ってきてくれる?」
鹿森の働きぶりを眺めていた力弥が暇そうに見えたのだろう、力弥に白羽の矢が立った。「え」と驚いた力弥は周囲を見渡すが、左隣にいる勇輝と右隣の成宮祐介はどちらも視線を合わせようとしない。
「いや、ちょっと休憩してただけで、まだ終わってないんだけど」
力弥は抗議するが、鹿森の後ろから女子生徒が彼女を呼ぶ声がしている。急いでいる彼女は力弥の抗議を聞くことはなかった。
「それじゃあ、横にいる祐介と明星君も手伝ってあげて。私はまた家庭科室に行かないといけないから、頼んだよ」
そう言って鹿森は裁縫担当の女子生徒らと教室を出て行った。
「それじゃ、リッキー行きますか」
祐介は段ボールを切るのに使ったカッターを置くと立ち上がり、続けて勇輝も何も言わずに立ち上がった。そして巻き込まれた二人は巻き込んだ張本人である力弥を上から見下ろしていた。
「はいはい、行きますかね」
そう言って力弥は「よっこらしょ」と言いながら立ち上がった。祐介を先頭にしてその後ろに力弥と勇輝が続いて歩き出した。廊下を歩きながら他クラスの飾り付けを眺めていると、どこの飾り付けも昨日と比べて進んでいることが分かる。各教室が何の出し物をしようとしているのかが段々と分かり始めている。
三人は文化祭実行委員会の本部が設置されている教室に到着すると、委員にクラス名を言って、指定された枚数のベニヤ板を受け取った。ちょうど三枚あったので一人一枚ずつ教室に運ぶことにした。
「ベニヤってそんなに重くないけど、持ちにくいよな」
そう言いながら祐介が持ち方を試行錯誤している横で、同様に持ち方を思案している力弥と勇輝がいた。ベニヤ板はほぼ幅一メートル、縦二メートルなので片手で持つのが難しく、両手で抱えるか背負うしかない。最終的に三人ともベニヤ板を背中が背負いながら教室まで運ぶことにした。
「そういえば、最近リッキーは明星君と一緒にいること多いけど、なんかあんの?」
祐介が何気なく力弥に聞いてきた。力弥はどう答えたものかと悩んでいたが、勇輝は後ろの方でベニヤ板に悪戦苦闘していて助けてもらえそうにない。隣駅での事件以来、たまに一緒に予備校に行っていることを思い出した。
「偶然予備校が一緒でさ、それでたまに一緒に勉強したりしてるだけだよ」
「ふーん、そんだけ?」
「なんで?」
「なんかリッキー楽しそうだなって思ったんだけどね」
そう言って祐介は教室に入っていった。力弥は見透かされているのか、祐介が天然なのかを判断しかねていた。「楽しそうか」と力弥は呟きながら自分の背後に視線を移した。
「おい、止まってないで早く入れよ」
そこには遠慮なしに力弥に言葉を投げかける勇輝がいた。
「悪い悪い、勇輝がベニヤに隠れて見えなかったからさ」
「おい、どういう意味だよ」
「いやいや、深い意味はないよ」
勇輝をからかいながら力弥は教室に入ると空いているスペースにベニヤ板を置いた。とはいえ、飾り付けが進む教室内では空いているスペースは限られている。その限られたスペースも大半は作業している生徒で占められている。そのため、ベニヤは壁に立てかけるしかなかった。
「鹿森、持ってきたよ」
祐介が教室にいる鹿森に声をかけた。さっき家庭科室に向かったはずなのに、すでにこっちに戻っているのかと力弥は「働き者だな」とさっきと同じ感想を呟いた。すると鹿森はこっちに近付いてきた。
「ありがとう。じゃあ、このイラストの通りに看板を作ってくれる?」
鹿森がクリアファイルからデザイン案の紙を力弥に渡した。そこには二種類の看板のデザインが描かれている。「これを俺たちに描けと」と言って、絵心のない三人は一瞬にして凍り付いた。そのイラストには店名のロゴとモチーフとなっているアニメの登場キャラクターのイラストが描かれている。
「え? これ、むずくない?」
力弥の疑問に対して、鹿森は不思議そうな顔をした。
「そう?」
「勇輝は絵が得意?」
力弥の問いに勇輝は全力で首を横に振った。聞かれる前に祐介も手を振って否定している。
「見本があるから、それを見て描くだけだよ」
鹿森はそう言うが、絵心がないとそれすら難しいのだ。
「この絵を描いた人に頼めない?」
「悪いけど、それを描いた子は衣装の縫製で手が離せないの。それとも代わりに三人が型紙から生地を切り出して、ミシンで衣装を縫ってくれるの?」
鹿森が詰め寄るように三人に言い放つと、三人は観念した。
「いや、看板作ります」
ミシンの方が自信はなかったので、鹿森の指示に従うより他になかった。
「あれ、二枚だけ?」
祐介がそれに気付くと、鹿森がその疑問に答えた。
「残りの一枚は壁にするから、黒一色に塗ってくれるだけでいいよ。どれを担当するかは三人で相談してくれる?」
そう言って、鹿森は他の生徒への作業指示に戻った。すると、三人は一番楽な仕事を取り合うために互いに火花を散らすことになった。そうして、誰が決めるでもなく三人は息を合わせて「最初はグー、じゃんけんぽん」と言い放った。
勝負は一瞬で決まった。祐介がチョキで残り二人が仲良くパーで祐介の一人勝ちだった。「やったー。俺は壁ね」と祐介がそう言うと、力弥と勇輝は顔を見合わせた。そして改めてデザイン案を見て項垂れると、ため息をついた。
「とりあえず、やるか」
「うん」
教室内には三枚のベニヤ板を並べて作業するだけのスペースはなかったので、三人はせっかく運んだベニヤ板を廊下に運び出した。そして廊下にペンキが付かないように新聞紙を敷いて、その上にベニヤ板を置いた。
祐介は何も考えずに黒いペンキを塗っていく一方で、力弥と勇輝はデザイン案の紙とにらめっこしながら、まずは下絵を描くことにした。絵心がないからと言って適当に済ませようという気持ちが二人にはなかった。それは凝ったデザイン案への敬意やクラスの出し物を立派にしたいとい気持ちがあるからだ。そうやって力弥と勇輝が四苦八苦している間に「終わったー」と祐介がガッツポーズをしていた。
「マジかよ」
「それでは二人とも看板作り頑張ってね」
そう言って、祐介は教室の中に戻っていった。まぁ、終わったら終わったで別の作業が待っているのだろうと二人は考え、どのみち文化祭準備からは逃れられないよなと互いに言い聞かせた。
祐介が教室に入ったことでF組前の廊下で作業をしているのは力弥と勇輝だけになった。ここはどう描いたらいいのかとか、顔がうまく描けないなどを互いに相談したりしていたが、しばらくやっているうちにようやく二人とも慣れてきた。そんなときに唐突に力弥が思い切ったことを口にした。
「そういえば、お前って藤鳥さんのことをどう思ってんの?」
力弥の問いかけに勇輝の手元が大いに狂ってしまい、口を縫っていた筆がオーバーランして口が耳まで裂けてしまい、主人公が鬼のようになってしまった。そんな彼の動揺を予想して力弥はニヤニヤしている。
「変なこと聞くなよ。手元が狂っただろ」
「いやー仲良さそうだし、勇輝クンは彼女をどう思っているのかなと」
「べ、別に、ど、どうも思ってないけど」
勇輝はそう言いながら、裂けた口の部分を修正しようとティッシュで赤い塗料を落とそうとしている。すると力弥が自分の看板から離れて勇輝のすぐ横に腰を下ろした。
「ちょっとくらい教えてくれよ」
力弥に詰め寄られたが、勇輝は黙々と作業をしている。少し粘ったが、答える気がないのかと思い力弥は自分の看板の作業に戻った。力弥と勇輝は会話を交わすことなく作業をしていると、ふいに勇輝が沈黙を破った。
「例え好きだとしても、俺に言われても困るだろ」
勇輝の言葉を聞いて、力弥は作業の手を止めることなく言葉を返した。
「なんでそう思うんだよ」
「だって、俺って暗いし、うまく話せないし、お前みたいに顔が良いわけでもないし」
「なーに怖がってんだよ」
勇輝はその言葉を聞いて力弥の方を見た。力弥は顔を上げずに作業を続けている。勇輝は力弥の方を見たまま言葉に出せずにいる。すると代わりに言ってやるとばかりに力弥が言葉を放つ。
「お前が何に怖がっているのか、全部は分かんねぇけどさ、それはそれとして、お前自身はどうしたいんだよ」
「俺は・・・」
勇輝は作りかけの看板を見ていた。ただし、看板の絵にに焦点はなく、目のやり場に困って看板を見ているだけだった。周囲は生徒らが忙しく文化祭の準備で動き回っていたが、二人の間だけは時が凍ったように静かだった。
「うん」
力弥は顔を上げて勇輝の答えを待った。
「俺は、藤鳥さんが俺の話をいつも聞いてくれるのを嬉しいと思った。その時間がもっと続いて欲しいと、いつも思ってる」
「ふーん」
「だから、その、それだけ」
そう言って勇輝は俯いて作業を再開した。力弥も自分の看板つくりに戻った。
「それ、ちゃんと彼女に言えよ」
力弥がそう言うと、勇輝は急に恥ずかしいことを言っていることに気が付いて耳まで真っ赤になっていた。そうして、ここが廊下で色々な生徒が行き交っていることを思い出して、周囲を見渡した。
「言うの? 言わないの?」
力弥が勇輝を見つめながら問いただした。
「うーん、言えたら言います」
「まぁ、今はそれでいっか」
その後はこの話題に触れることはなく、二人は看板作りを続けた。ただ、力弥は勇輝との会話を頭の中で反芻しては、それって好きってことだろと思いつつも、勇輝には言わないでおいた。
*
文化祭準備三日目、文化祭前日。絵心のない力弥と勇輝は結局昨日のうちに看板は完成せず、三日目も看板作りの続きから始まった。とはいえ、教室内で人手の必要な作業や力仕事を頼まれることもあり、度々作業を中断させられていた。
昼過ぎには看板作りに終わりが見えてきた。元のデザイン案ほどの画力はないが、それでも描かれているのがモチーフにしているアニメの主人公であることは分かる。生乾きの看板を廊下の壁に立てかけながら、力弥と勇輝はそれらを眺めた。
「いい感じじゃね」
「うん」
すると二人の後ろから声が聞こえた。
「すごい。これ、二人が描いたの」
力弥と勇輝が振り返るとそこには藤鳥がいた。彼女は同じA組のクラスメイトらと何かを運んでいる途中のようだ。力弥は「おっす」と言って彼女に手を振った。勇輝は昨日の力弥とのやり取りを思い出して少しどぎまぎしたが、すぐに気持ちを切り替えた。
「うん、そうだよ」
勇輝はどうにかそれだけ言ってのけた。藤鳥がまじまじと看板を見つめていると一緒にいたクラスメイトは「先に戻ってるね」と藤鳥に声をかけてその場を離れた。勇輝は何か言おうともじもじしていたが、ふいに教室から出てきた鹿森に声をかけられた。
「あ、明星君いた。衣装ができたみたいだから、試着してほしいんだけど」
そう言って勇輝に詰め寄った。その際、看板が出来上がったことにも気が付いた。
「あ、看板もできたのね。ありがとう。じゃあ、暇よね」
鹿森はそう言うと、勇輝の手を掴んでどこかに連れて行こうとしている。
「え? どこに行くの?」
「家庭科室に決まっているでしょ。リッキー、明星君借りてくね」
許可を待っているわけではないと言わんばかりに鹿森は勇輝を家庭科室に連行していく。力弥はどうしようもないなと苦笑いした。そして、呆気に取られている藤鳥の方を見た。
「い、忙しそうだね」
「うちの文化祭担当が張り来ちゃってね」
「そうなんだ。燕谷君も楽しそうだよね」
力弥は少しバツが悪そうな表情を浮かべた。
「うーん、どうかな」
「そうなの?」
「それよりさ、ちょっと話さない? その荷物持つからさ」
そう言って力弥は藤鳥の荷物を持つと、彼女の連れが行った方に歩き始めた。
「あの、ちょっと、悪いよ」
藤鳥の話を力弥は聞かずに荷物を持ったまま歩いた。
「明日から文化祭だけどさぁ、結構忙しい感じ?」
「うーん、そうでもないよ。どうして?」
力弥は少し迷ったが、どうせ勇輝の方から藤鳥を誘えと言ってもできないだろうと思ってお節介を焼くことにした。
「それじゃあさ、俺と勇輝と三人で文化祭を回ったりしない?」
さすがに勇輝と二人というのは言いにくかったので三人ということで妥協することにした。そう言った後に、ふとどうしてここまで自分はお節介を焼くのだろうかと力弥は考えた。
力弥は突っ走ってしまう自分を押さえている。普段はそうして自分に蓋をして周りに合わせているが、あの日、勇輝の変身を解除したあの光景を見た時から、自分の中の心の蓋が開いてしまっているようだった。
だからきっとこれは自分のエゴイズムなのだろう。勇輝に対する同情や憐みではなく単に自分がそうしたいだけなのかもしれない。きっとあいつも心の中に蓋をして、一人でいようと自分を偽っている。力弥はそれが見たくない、あいつの中の本当を見たいと願ってしまったのかもしれない。
藤鳥が少し考えているようだったので力弥は「いや、無理にとは言わないけど」と弁明した。すると意を決したように藤鳥は力弥からの提案に対して答えた。
「もしかして、明星君に頼まれたの」
「違うよ、俺がそうしたいと思ったんだよ」
「その聞いてもいいかな」
「えっと、何を?」
「その、どうして三人で行きたいと思ったの?」
力弥は少し考えると、立ち止まって、廊下の窓から外を眺めた。
「勇輝ってさ、無理やり一人でいようとしている気がするんだ。本当は寂しいのは嫌いなくせに、何かにビビって一人になっていると思うんだよ。だからさ、あいつに一人よりも誰かといる方が楽しいって知って欲しいし、そうやって誰かと一緒に何かをしたら本当のあいつが見えてくるんじゃないかって思うんだよ」
力弥は自分でもらしくないことを言っている自覚があった。だから、恥ずかしさで誰とも目を合わせたくなくて、つい窓の外を見ていた。
「あいつさ、藤鳥さんと話している時、すげー楽しそうだったんだよ。だからさ、三人で遊んだら、きっと知らないあいつを見れる気がして、それで」
うまく言葉が出なくなってきて、尻切れトンボのように言いよどむも、むしろ藤鳥は安心したように力弥に声をかけた。
「そっか、燕谷君も同じこと考えてたんだね」
力弥は思わず藤鳥の方を見た。
「藤鳥さんも同じことを思ってたの?」
「うん。明星君と本の話をするようになったのは偶然なんだけどね。彼っていつも中庭で寂しそうに一人で本を読んでいるの。でもね、話しかけるとすごいたくさん喋るでしょ。だからさ、本当は自分の気持ちを知って欲しいし、相手の気持ちも知りたいと思っているんじゃないかなって」
それを聞いた力弥は安心したような気持ちになっていた。そして、何故だか目頭が熱くなった。
「ようはさ、あいつって」
力弥がそう言いかけると、藤鳥が続けた。
「不器用なんだよね」
「ていうか、めんどくせぇ」
力弥がそう言うと、二人揃って声を出して笑っていた。力弥には勇輝の孤独の理由が多少なりとも分かっている。それは『ヒーロー』に変身することと怪物たちとの戦いに関わることだろう。しかし、藤鳥はそれをきっと知らない。知らないのに勇輝のことを理解してくれている。それが本当に力弥には嬉しくて仕方がなかった。
ひとしきり笑った後、力弥は改めて藤鳥に尋ねた。「それで文化祭で一緒に遊びに行くのは大丈夫そう?」と控えめに聞いた。すると、藤鳥は頷いた。
「うん。私もそうしたら素敵だなって思っていたの」
「ありがとう」
力弥は藤鳥に面と向かってお礼を言うと、再び歩き出した。
「一日目は友達と見て回る予定だから、二日目でも大丈夫?」
「おう、全然オッケー、どうせあいつは二日間とも暇だろうから」
その後、力弥は荷物を目的地まで届けると、足取り軽くF組の教室に戻ろうとした。戻ろうとして、ふと家庭科室を覗いていこうと思い、先ほどまでの爽やかな笑顔は消え去り、勇輝を笑ってやろうといういやらしい目つきになっていた。
*
文化祭前日の夜ともなれば、夕暮れを過ぎても生徒らは作業に勤しんでいた。その中には勇輝と力弥も含まれていた。二人が二日がかりで作成した看板に、デザイン案を作ったクラスメイトからダメ出しが入ったのだ。
そのためデザイン担当と鹿森、そして勇輝と力弥の四人で最終調整をしていた。その結果、気が付くとあたりは真っ暗になっていた。すでに十九時半、最終下校時間ぎりぎりだった。どうにかデザイン担当が納得してくれて、勇輝と力弥も解放された。そして最後まで残ったF組のクラスメイトは一緒になって昇降口から外に出た。
「明日は朝七時集合だからね」
鹿森は勇輝と力弥に声をかけると正門に向かって駆け出していった。力弥は駐輪場から自転車を持ってくるとため息をついた。
「この時間まで作業させておいて、明日は朝七時かよ」
「早く帰ろう」
力弥が自転車を持ってくるのを待っていた勇輝は思い切り伸びをすると、スマホがメッセージの着信を知らせるメロディを奏でた。ポケットからスマホを取り出し、画面を確認すると藤鳥からだった。勇輝は疲れが一気に吹き飛んだ気がした。早速メッセージを開いた。
『借りていた本を読み終わったよ。燕谷君から聞いていると思うけど。明後日の三人で文化祭を回る時に返すね』
前半は分かる、後半が分からないというのが勇輝の率直な感想だった。勇輝はすぐ横にいる力弥に視線を移した。そして、スマホの画面を見せた。
「おい、これはどういう意味だ?」
「何? あ、藤鳥さんと早速連絡してんのかよ」
そう言いながら力弥は勇輝のスマホの画面を見て、「しまった」という顔をした。
「あー言ってなかったけ?」
「聞いてない」
「文化祭の二日目に俺とお前と藤鳥さんで遊ぼうぜって約束したから」
「何勝手に決めてんだよ」
勇輝はそう抗議するが、本気で怒っているわけではない。
「じゃあ、やめとくか?」
「・・・行かないとは言ってない」
すると力弥は自転車を手で押しながら先に歩き始めた。
「じゃあ、行くってことで決まりな」
勇輝はやや俯き加減に黙って力弥の横を歩く。
「何なら俺は途中でバックレようか」
「え、なんで?」
「そしたら二人きりになれるだろ」
「別にそんなことしてくれなくていい」
そう言って勇輝はずんずんと力弥の前を歩き出した。勇輝は怒っているわけではないのだ。ただ、気持ちが揺らぎそうなのが怖いのだ。だから怖いのをごまかそうとしているだけだった。
「まだビビってんのかよ」
力弥に見透かされて、立ち止まると更に下を向いてしまった。
「俺が彼女のことを好きだとしても、やっぱり俺はダメなんだ」
勇輝の声は徐々に小さくなり、肩を落として小さくなっていた。すると、力弥は勇輝の隣に立つと前を向いたまま声をかけた。
「勇輝、俺はお前の全部が分かっていないし、お前が抱えているモノの大きさも知らない」
そう言うと、今度は勇輝の方に顔を向けて、力強い声音で言った。
「だけどさ、お前がしたいと思ったことはしていいんじゃないか。お前の願いは、お前しか叶えられないんだからよ」
「だけど・・・」
すると力弥は勇輝の肩にそっと手を乗せた。
「言うかどうかはお前が決めろよ。ただ、言いたくなったら教えてくれ、俺は協力するから」
「・・・うん」
勇輝は消え入りそうな声でそう返すと、力弥に合わせて歩き始めた。力弥は優しいし良いやつだ。だけど、それでも勇輝は力弥に言えずにいることがある。力弥と一緒にいればいるほどに言いたくない気持ちが強くなる。
ふと勇輝は上を見て力弥の横顔を見た。すると力弥は勇輝が見ていることに気が付いて「どうした?」と笑顔で返してきた。その時の勇輝は「いや、何でもない」としか言えなかった。