第七話 文化祭準備【戦闘編】
九月二十三日と二十四日の土日は文化祭である。そのため、この週の水曜日から授業が休みになり、文化祭の準備期間となる。この期間中は学校中が騒がしく、生徒らは忙しなく動き回っている。祭りは準備の方が楽しいとはよく言ったもので、生徒らの表情は大変に生き生きとしている。
力弥らの三年F組は話し合いの結果「コスプレカフェ」となった。コスプレ衣装については紆余曲折の結果、統一感があった方が良いだろうという結論になって、人気のアニメキャラの衣装を作ることとなった。流石に全員分は作れないのでフロアに出る数名分だけ作ってあとは着回すことにした。
こうなると体格が問題になる。明星はクラスの中では真ん中より少し小さいくらいなので、着ることができるということでフロア担当になった。不愛想で人見知りの彼にそんな仕事ができるのか力弥は訝しみつつも、当日が楽しみだなぁとにやけていた。
一方で、人当たりが良く会話も上手い力弥だが、体格の良さがたたって、衣装を着ることができない。そのため当日の彼の役回りはバックヤードで飲み物や食事の準備だ。少々残念だが、仕方がないとあきらめた。
衣装は着られなくてもクラスメイト全員におそろいのTシャツは配られたので、力弥としては満足だった。シャツには『三年F組 剣士の団子カフェ』という出店名のロゴが大きく描かれている。シャツの下地は緑、文字は黒色でモチーフにしたアニメの主人公のメインカラーを意識している。
「今年は楽しみだな」
力弥は配られたシャツを眺めながら、誰に言うでもなく呟いた。すると明星が力弥に近付いてきた。力弥は彼が言わんとしていることが予想できたので、ニヤニヤと笑いながら明星の方を向いた。
「あのさ、担当を交換してよ」
予想通りに明星は自分の担当を嫌がっていた。
「えー、何のことですかー」
「だから、俺はバックヤードがいい。フロアは無理」
「そういうのはうちの出し物を仕切っている鹿森に言えよ」
そう言って、クラスメイトにTシャツを配っている女子生徒の方に視線を送った。鹿森朱音はクラスの文化祭担当係でF組の出し物の一切を仕切っている。明星は彼女の方を見ると苦虫を嚙み潰したような表情をした。
そもそも明星はクラス内では力弥以外に会話をすること自体が慣れていない。しかもクラス全員で決めたことを後になって覆すというのは会話内容自体の難易度が高い。更に明星は鹿森が苦手である。
「鹿森さんに言わないと、ダメか?」
「鹿森のことは苦手だったりする?」
力弥がそう聞くと、明星は黙った。実際苦手だが、それを肯定するのは申し訳ない気がしてただ黙るしかなかった。彼女は言いたいことをはっきり言うので、口下手な明星では会話をしても結局は押し切られるのが目に見えていた。
鹿森は生真面目で物怖じしない雰囲気があり、明星のような小動物では対面しただけで縮こまってしまう。ただ、遠目から見る分にはロングヘアが良く似合う綺麗な顔立ちをしているので、「性格がもう少し丸ければ」と男子生徒の中には残念がる者も多い。
「まぁ、でもコスプレだからさ、多少はメイクもするだろうし、自分じゃないと思えば何とかなるよ」
力弥は明星と文化祭での思い出を作りたいと思って、彼にやる気を出してもらおうとフォローした。実際には、明星がコスプレしてフロアで慌てているのをバックヤードの陰から覗くのを今から楽しみにしているだけでもある。
「うーん、でも、やっぱり恥ずかしいような」
「じゃあさ、あの猪の被り物をしているキャラにしてもらえばいいじゃん。あれなら顔が隠れるだろ」
「その代わり、上半身を脱ぐんだぞ。そっちの方が嫌だろ」
「ははぁ、筋肉に自信がないんだ」
「そんなこと言ってないだろ」
力弥は一日に一度はこうして明星をからかわないと気がすまないようになっていた。普段クールというか、半分くらいは人見知りによるものだが、物静かな明星から会話を引き出すのはシンプルに楽しいのだ。
教室の窓際で談笑している二人のもとに鹿森が近付いてきた。力弥と明星が喋っている間にすでに他のクラスメイトは鹿森の指示のもとにめいめいに行動を開始していた。そのため二人だけがサボっているように見えるのだ。
「ちょっと、二人とも、話聞いていたの」
鹿森が声をかけると、力弥と明星はそっちを振り向いた。
「あれ、もしかして何やるか説明してた?」
「ちゃんと聞いといてよ、リッキー。それに明星君も」
「ご、ごめん」
鹿森が呆れていると、明星が申し訳なさそうに小さくなった。
「じゃあ、二人は買い出しをお願いできる?」
「オッケー、それで何を買いに行けばいいんだ」
「ちょっと待って」
そう言って鹿森は手に持ったクリアファイルからびっしりと何かが書かれた紙を取り出した。
「これ、買い出しリストね。誰も行きたがらないから、色々と足りてないの」
「おい、これ全部かよ」
A4の紙に上から下まで必要なものが隙間なく書かれている。ペンキ缶のような重いものから、小さな文房具まで多種多様だ。力弥と明星はリストを一通り見た後、思わず顔を見合わせた。
「みんなには他の作業をしてもらっているし、クラブの出し物を手伝う人はそっちに出払っているし、買い出しに行けるのは二人だけなの」
「仕方ねぇな」
そう言って力弥は渋々リストを受け取った。
「ありがとう。領収書はもらっておいてね。あと、お金はこの封筒に入っているから、ここから使って。お釣りもそのままこの袋に入れておいてね」
「だけど、この量を二人で持てるかな」
明星が改めてリストを眺めながらぼやいた。細かいものが多いが、流石にペンキ缶や工具類も含まれていて、持ち切れるか微妙なラインではある。
「じゃ、じゃあ、私も手伝おうか」
鹿森がそう提案しようとしたが、それを聞く前に力弥が明星に向かって「なんだよ、筋肉ないから自信ないんだろ」と挑発するような口調で話しかけた。すると明星はムッとしたような顔をすると「だから、そんなことねぇよ」と反論した。
「ん? 何か言った?」
力弥は鹿森の方を見ながら言った。鹿森の声は力弥には届いていなかったようだ。聞こえてないならいいかと思って鹿森は首を横に振った。
「何も言ってないよ。じゃあ、二人でお願い」
そう言って鹿森は踵を返すと、出し物の準備をしている中心メンバーのもとに向かった。そうして鹿森は次の作業の段取りを確認しつつ、買い出しのために教室を出ていく力弥を目で追いかけていた。
*
「とりあえず、リストのコピーを取ろうぜ」
「そうだな」
燕谷の提案に勇輝は賛成した。スマホのカメラで撮影することも考えたが、紙で持っていた方が楽だろうということで校内にある生徒用の複合機でコピーを印刷した。こうしてリストが二枚あれば分担して買い出しができるというわけだ。
九月も半ばになり暑さはやや引いてきたとはいえ、昼間の直射日光はまだまだ強い。燕谷は首にかけたタオルで額の汗を拭いている。勇輝はそんな燕谷を日よけにして歩いている。
背が低いことを自認しているような気がするが、暑さをしのぐために考えないようにしようと勇輝は自分に言い聞かせた。このまま燕谷が気付かずに、ホームセンターまでたどり着ければと考えていた。
「それにしても、まだ暑いな」
「・・・そうだな」
声はすれども勇輝の姿が見えないことに燕谷は気が付き、勇輝を探した。すると、自分の影に勇輝が入って直射日光を防いでいることが分かると「あ、お前、ずるいぞ」と勇輝に抗議した。
「別にずるくない。たまたまお前が太陽の方にいただけだろ」
「俺もお前の影に入れろ」
「お前の身長じゃ意味ないだろ」
そうした互いの影を奪い合う一進一退の攻防をしながらホームセンターに向かった。普通に歩けばいいものを動き回ったせいで着いた頃には二人とも汗だくになっていた。距離にして数百メートル程度だが、倍以上の距離を走り続けた後のようだ。
「あーあ、無駄に体力使った」
手で額の汗を拭いながら勇輝はぼやいた。
「まぁ、予定より早めに着いたからいいじゃん」
燕谷としては楽しかったと言おうかと思ったが、ひとまずは効率の良さをアピールした。そして暑さから逃れるように二人は店内に飛び込んだ。平日の昼間だが、同校の生徒がチラホラ散見される。同じ目的で来ているのだろう。
「とりあえず、手分けして探そうぜ」
「うん」
二人はそれぞれリストを見た。文房具のような小物は明らかに店内だが、レンガなどは一部店外に出ている。
「レンガなんて何に使うんだよ」
燕谷が文句を垂れたが、リストを受け取った際に言うべきだよなと勇輝は呟いた。
「文句を言っても仕方ない。俺がこっちのペンキとか文房具とかを探すから、燕谷はこっちのレンガとか角材とかを探してきて」
「ずりーよ、俺も文房具がいい」
「やだよ、外暑いだろ」
「俺もやだよ、公平にじゃんけんで決めよう」
そう言って燕谷がグーに握った右手を掲げると、勇輝も右手をグーの形に握ると、二人は息を合わせて「最初はグー、じゃんけんぽん」と叫んだ。
*
自動ドアが開くと外の熱気が力弥を襲った。太陽が今日の最高位に達し、併せて暑さも最高潮に達しようとしていた。真夏に比べればマシとはいえ、暑いものは暑い。力弥は右手のチョキを睨みながら、屋外売り場に向かった。
レンガと言っても種類も様々だが、力弥には色以外の違いなど分かりようもない。レンガと言えば赤いし、この赤いのを買えばいいのだろうと思い、レンガを一つ手に取った。
「やっぱ重いな。これを十個とか正気か」
さすがに十個は無理だろうと力弥は判断し、二個だけ買うことにした。それでも四、五キログラムはある。力弥は店外にある台車にそれを載せるとリストを眺めた。他に店外にあるものはあるかと周囲を探索した。
「外にある角材はデカすぎるな。もっと小さいのがいいんだけど」
外の売り場に立てかけてある木材を眺めながら呟いた。中に売り場にあるか確認しようと思ったが、出たり入ったりするのが面倒だなぁと思い、明星に電話をかけることにした。明星はすぐには出なくて、数コールしてようやく電話に出た。
「あ、もしもし、明星クンですかー」
『なんだよ。レンガは見つかったか』
スマホのスピーカーから明星のダルそうな声が聞こえてきた。
「レンガはあったんだけどさ、角材が長いのしかないんだ。短いのって店の中にないかな」
『ちょっと待って』
「早くねー」
電話の向こうではガサガサという音や店内を歩く足音が聞こえる。それとは別に力弥の頭上で何かが落ちてきたような大きな音と振動がした。続けて何かを引きずるような音が聞こえる。
力弥は頭上から聞こえる音に言い知れぬ不気味さを感じつつも確かめたいという興味がわき、スマホを耳にあてたまま屋外売り場のひさしの上が見える位置まで移動した。すると電話の向こうから明星が大声で叫んでいる。
『燕谷、近くにいるぞ』
「あー、うん。怪物を肉眼で確認した」
ホームセンターの屋外売り場のひさしの上から巨大な怪物が顔を覗かせている。それは黒いトカゲのような顔をしている。二つの目がぎょろりと動いてあたりを見回し、大きな口はだらしなく開かれ、目の上には角か触覚のようなものが生えている。
『どこにいる?』
「ホームセンターの屋根に乗っている。デカいトカゲみたいなやつだ」
『分かった。通話を切らないで、何かあったら教えてくれ。すぐにそっちに行く』
「ああ、頼む」
力弥は通話をしながら、少しずつ屋根にいる巨大な怪物との距離を取る。建物から離れるにつれて力弥は怪物の全体像が見えるようになった。一見して、それは巨大な竜のように見えた。黒くて長い体に一対の巨大な翼が印象的だ。そして長い鉤爪が生えた前足が体を支えているようだ。
「ド、ドラゴン?」
力弥が怪物の全身を確認していると、力弥のいる位置から離れた場所の出入り口から何かが飛び出してきた。ブラックドッグに変身した明星だ。明星は力弥の姿を見つけると、彼の視線の先を確認した。
『燕谷は下がって』
スマホから明星の声が聞こえる。どうやって通話しているのかという疑問はあったが「分かった」と言って、力弥は建物から離れた。外にいた他の客も同様に建物から離れていく。そして店の出入り口では店員が外に出ないように店内の客に呼び掛けている。
力弥と怪物の間に明星は割り込むように入ると、その場で飛び上がった。
「ギイイイイイイイィィ」
屋根にいる黒い怪物が唐突に叫び声をあげた。しかし、明星は意に介する様子もなく巨大な怪物に向かっていく。すると怪物は前足を振り上げると明星に向かって振り下ろした。しかし、怪物の動きは明星の動きに比べれば鈍重で、明星は難なく躱していく。
「のろまが」
そう言って明星は攻撃をよけるのと同時にホームセンターの屋根を蹴って飛び上がると、怪物の顔面に蹴りを入れた。「キャイイイイイイ」と怪物は悲鳴をあげると、後ろ脚にも力をいれ、四つ足で立ち上がった。
頭の反対側の体は尻尾のように見えたが、途中が膨らんでいて、昆虫の腹のようにも見える。よく見ると体は三節に分かれているように見え、竜というよりは巨大な虫のようだ。
そして怪物は巨大な翼を広げ、それを羽ばたかせるとふわりと体が浮いた。そして、屋根の上で構えている明星に向かって、雄叫びをあげている。追いかけるように明星も飛び上がると怪物は口から何かを吐き出した。
『うわっ』
吐き出した何かは明星の顔面に直撃すると、そのまま明星は地面に降り立った。
「大丈夫か」
燕谷がスマホから声をかけると『あんまり大丈夫じゃないなぁ』と明星は答えた。
『何も見えない。口から出た何かで視界を奪われた』
離れた位置からでも分かる程度に明星の頭部は緑色のべたべたした何かに覆われている。これが彼の視界を奪っているようだ。
「取れないのか」
力弥の問いに対して、明星は顔に付着しているものを剝がそうとするが、そう簡単にはいかないようだ。そうやって明星が藻掻いている隙をつくように、上空から怪物が明星の上に降りたとうとしている。
「危ない。奴が上にいるぞ」
力弥がスマホに向けて叫ぶと、明星は後方に飛びのき、怪物の攻撃から逃れた。そして、顔に付着したものを剥がすのを止めると、力弥に声をかけた。
『このべたべたしたものはすぐには剝がれそうにない。お前が声で俺に指示をしてくれないか』
それを聞いた力弥は思わず右の口角を引き上げた。
「オーケー。二人羽織みたいなもんだな」
『おふざけなしで頼むぞ』
力弥は緊張していた。巨大な怪物がいるだけではない、明星の視界は奪われ、彼本来の力が出しきれない。死ぬかもしれない。しかし、それ以上に明星に頼られることに言葉にできない高揚感があった。
その時、明星の前に降り立った怪物が前足を上げている。そのまま明星に振り下ろそうとしている。
「お前の正面に奴がいる。前足でお前を潰す気だ」
明星が後方に飛び去ると、彼のいた場所に怪物の前足が振り下ろされる。地面が僅かに揺れる。明星はその振動を頼りに、怪物の前足に向かっていく。そして前足を踏み台にして、怪物の体に向かっていった。そして、体の中心に正拳突きを入れた。
「ギャイイイイイイイイ」
先ほど以上の怪物の悲痛な叫びがあたりにこだまする。『当たった、当たった』という明星の声がスピーカーから聞こえてくる。『この調子で頼むよ』と続けて明星はそう言うと連続してパンチを怪物に叩きこんでいく。
怪物はたまらず明星から離れようと羽を広げると再び体を空中に浮かび上がらせた。明星の拳が空を切る。
「奴は真上に飛んだぞ」
すると、明星は両腕を軽く開いて両手を強く握ると、弾丸のように怪物めがけて突進をした。目が見えない分、今日の明星は体全体で敵にぶつかっていくような戦い方をしている。僅かに角度をつけて飛び上がったことで、明星の体は怪物の胸にクリーンヒットした。
怪物はたまらず、空中でよろけた。そして、口から体液をぼたぼたと垂らした。
「いいぞ!奴の胸に綺麗に入ったぞ」
『奴はどうなった?』
体当たりした後、ゆっくりと地面に着地した明星が聞いてきた。
「そのまま滞空している」
力弥は滞空したままの怪物を凝視した。膨らんだ腹が少ししぼんだように見える。そのふくらみの一部が胸を伝っていく。そして口から出るのではないかと予感させた。
「何か吐き出そうとしているぞ」
『これ以上、痰を吐かれるのは勘弁だな』
怪物は口を大きく開くと強力な水流は吐き出された。
「横に避けろ」
力弥の指示を聞くのと同時に明星は横に飛びのき水流から逃れた。水流が地面を穿つとアスファルトの表面が削れ、飛び散った水からは強い刺激臭がした。どうやら強力な酸が含まれているようだ。
『この臭いは酸か』
「まともに喰らったら、溶けちまうんじゃないか」
力弥が緊張しながら明星に声をかける。すると怪物は再び明星の方に視線を向けた。
「やつがお前の方を見ている。第二派が来るぞ」
『どうにか視界が戻ればなぁ』
明星は顔に付いた痰を触りながら忌々しげにぼやくと、力弥は何かを閃いた。イチかバチかだが試してみる価値はあるのではないかと考えた。
「お前の頭が溶けちまうかもしれないけどさ、あの酸でお前の頭についたベトベトを解かせないかな」
力弥はそう言って明星に作戦を伝えた。
『目が見えない人間に向かってよくそんなことが言えるな』
「やつは正確にお前の立っている位置に水流をぶつけてくる。それが分かっていればなんとかなんだろ」
『やるだけやってみるか』
明星がそう言って構えると、怪物の口が大きく開かれた。
「来るぞ」
力弥がそう言った刹那、怪物の口から水流が放たれた。明星は体を硬直させ、音や匂いを頼りに水流が直撃するタイミングを図った。そして、ぎりぎりまで引き寄せてから体を反って水流を躱した。その際、あえてテンポを遅らせることで酸の水流が明星の顔にかかるようにした。
「大丈夫か」
力弥が声をかける。明星は体を側方に転げさせ、受け身を取った。明星はうずくまったまま動かなかったが、少しして体を引き起こした。その時、彼の顔の前面を覆っていた緑色の痰は怪物の酸で半分近く溶けていた。
酸は痰だけでなく、ブラックドッグの髪や皮膚も所々溶かしていたが、それらは軽傷に過ぎず、視界が戻ることに比べたら大したことではなかった。明星は残った痰を手で引きはがし、地面に叩きつけた。
「作戦成功だな」
『ああ、危なかったけどな』
そうは言うが、どこか明星の声は楽しげだった。そして、滞空している怪物の方を見上げると、次の瞬間には飛び上がっていた。そして、空中でブラックドッグの体が輝くと直角に向きを変え、怪物の頭部に強力な蹴りをお見舞いした。
「ギャイイイイイイイイ」
怪物は悲痛な叫びをあげた。明星はそのまま怪物の体を地面に叩きつけた。そして怪物が次の行動を起こす前に明星は両手から長い鉤爪を生やすと、怪物の体を駆け上り、巨大な羽を切り裂いた。
『これでもう飛べねぇだろ』
そう言い放ち、高く飛び上がると、怪物の眼前に降り立った。そして、怪物の周囲を俊足で駆け回っていく。そしてヒットアンドアウェイで巨大な怪物の体に少しずつ傷を入れていく。そう蛇女を倒したときに使った技だ。
「おお! これはあの時の必殺技だな」
『へ? 必殺技?』
力弥の歓喜の声に明星はテンポを崩され、立ち止まった。そこでいったん深呼吸をすると怪物への攻撃を再開した。
「デカい蛇を倒したあの技だろ。名前とかないのか」
『そんなもんないよ』
そう言いつつ、明星は攻撃のテンポを上げていく。段々とブラックドッグの姿は見えにくくなり、黒い風のようになっていく。黒い風が徐々に怪物の体を包んでいく。
「じゃあ、俺が付けてやるよ」
力弥の提案に思わず明星は笑ってしまった。
『カッコいいのを頼む』
竜の頭部に虫の体を持つ巨躯の怪物は明星の作り出す黒い風の中に閉じ込められていく。黒い風は嵐となり、明星は飛び交うほどに力は増していき、それが最高潮に達すると両手の鉤爪を大きく構えた。
そんな彼の動きが見えているのか、力弥は明星の必殺技に相応しいと考える名前が、怪物に飛びかかろうとするタイミングで閃いた。
「墓守の爪撃」
巨大な怪物の体は高速のブラックドッグから放たれる爪の一撃の前に寸断されていった。怪物は悲鳴を上げることもできず、切断面から体液を噴き出しながら力なく倒れていく。それと同時に巨大な怪物の体の組織はボロボロと崩れていき、黒い塵となっていった。
明星が力弥の方を見ると、力弥は親指を立てて笑いかけた。すると、力弥のスマホから明星の声が聞こえる。それは明るい声音だった。
『だっせー名前』
そう言って苦笑すると、高く飛び上がり、力弥の視界から消えていった。
「うっせーよ」
力弥は耳からスマホを離し、彼の飛び去った方を見ながら呟いた。その時、力弥の胸には大きな達成感と明星との確かなつながりを感じた。そして、明星勇輝との関係について一つの答えが見え、力弥は晴れ晴れとした表情になっていた。
*
勇輝は店舗の陰で変身を解除すると、駐車場の端に佇んでいる燕谷の傍まで駆け寄った。燕谷は店舗の入り口の方を遠目に眺めながら、苦々しい表情を浮かべている。「お疲れ」と言って、勇輝は燕谷の後ろから声をかけた。
「おう、そっちもお疲れ」
勇輝はなんとなしに燕谷の視線の先を眺めた。あの後すぐにパトカーや救急車が駐車場内に入って来たようで、何とも物々しい雰囲気になっている。巨大な怪物が暴れていたとはいえ、平日の昼間のホームセンターは客もまばらで大きなけがをした人もいなかったように二人は記憶している。
そういう訳で二人が気にしているのはそんなことではない。ホームセンターは警察が現場検証をしているようで近付くことができない。
「買い出し、どうすんだよ」
勇輝は戦ったかいがないと言わんばかりにがっかりしたような声をだした。
「俺に言うなよー」
そう言って燕谷はホームセンターに背を向け、歩道に向かって歩き出した。
「ここ以外のホームセンターを探すか」
勇輝は燕谷に続いて歩きながら、スマホで周囲のホームセンターを検索した。すると一件だけヒットした。
「あるにはあるけど、国道沿いのホームセンターしかないな」
「え、遠くないか?」
「三キロはあるな、徒歩で四十分以上かかるってさ」
燕谷は空を見上げながら、「ええええ」と喘ぎながら、とぼとぼと歩いた。文句を言いつつもしっかり目的地に向かうあたり所がこいつの良いところだよなと思いながら勇輝は彼を眺めていると、思わず笑みがこぼれた。
「そういえばさ」
するとふいに燕谷が振り向いてきた。勇輝は燕谷に笑いかけていることが恥ずかしくなって慌てて無表情を装うと、なんでもないかのように「な、なんだよ」と彼に返事をした。
「前に言っていた、俺らの関係って何だろうって話、覚えてる?」
勇輝はそんなことも言っていたなと思い出しつつ「覚えてる」とだけ答えると、燕谷は勇輝の横に並ぶと左手を勇輝の肩に回した。
「んだよ。暑苦しいんだよ」
「まぁまぁ、俺考えたんだけどさ。俺らって、まぁ友達だけど、なんかそれだけじゃないと思うんだよ」
そう言うと、少し先の方を燕谷は見つめた。
「さっきのバトルでさ、戦っていたのはお前だけど、まぁ、二人でやっつけたようなもんじゃん。だからさ、俺らってさ」
すると燕谷は勇輝の方を向いた。勇輝の顔のすぐ前にある燕谷は屈託のない笑顔でこう言い放った。
「相棒だと思うんだよ」
勇輝はその言葉を聞いた瞬間だけあたりの音が全て消えたような気がした。車の走行音も後ろから迫る自転車のベルの音も今だけは彼の耳には入らない。燕谷の言葉は勇輝の胸にストンと落ちたような納得感があった。
「相棒か」
勇輝が噛みしめるようにそう呟いた。
「そ、相棒。俺たち二人だけの秘密があって、協力して怪物を倒す。まさに相棒って感じだよな」
燕谷の嬉しそうな声音に勇輝もつられて笑みがこぼれる。
「まんざらでもない感じか」
燕谷がそう言うと、勇輝は少し顔を赤らめながらも真顔になって前を向いた。否定も肯定もしたくなくて、少しすねたような感じになってしまった。だが、燕谷は単に恥ずかしいだけなんだろうと思って、何も言わなかった。
「あとさ、相棒ならさ、苗字で呼び合うのもちょっとよそよそしいよな」
そう言って勇輝の肩に回した手を離すと、そのまま彼の右肩に左手を置いた。
「だからさ、お前のことを勇輝って呼んでいいか」
家族以外から下の名前で呼ばれるのはいつ以来だろうと考えながら、勇輝は少し狼狽したが、相手が燕谷だからか、すぐに気を落ち着かせて「うん」とだけ言った。
「サンキュ、お前も俺のことを力弥って呼べよ。リッキーでもいいぜ」
予想していたとはいえ、勇輝はクラスメイトを下の名前で呼ぶのはハードル高いなぁと心の中で呟きつつも、ここは答えておかないとカッコつかない気もして、どもりながらもどうにかして声を出した。
「うん、り、力弥君」
「あはは、なんで君付けなんだよ、力弥でいいよ」
そう言って力弥は勇輝の背中を叩きながら笑った。
「いてぇよ」
そうぼやく勇輝の顔をにやけながら力弥は除いた。
「り、力弥」
恥ずかしがりながらも勇輝がそう言い切ると、力弥は心の底から嬉しそうな満面の笑みを見せると「これからもよろしくな、相棒」と言った。そうして二人は並んで三キロ先のホームセンターまでの道のりを歩き続けた。
*
スマホで調べた国道沿いのホームセンターに二人は辿り着いた。さっきの怪物退治の折に勇輝はせっかくコピーした買い出しリストを紛失したので、分担して効率良く買い出しをしようという作戦は水泡に帰し、力弥と勇輝は二人で買い物をしている。
ホームセンターの大きめのカートを力弥が押し、勇輝は次々と買い出しリストにあるものをカートに入れていく。何を買うかは勇輝しか把握していないため、力弥は彼の指示に従ってカートを押すだけである。力弥的にとっては楽は楽だが、退屈でもある。
「文具系はこれで全部だな。次はペンキ缶を買いに行こう」
「ペンキ缶は、どっちだ。あっちのDIYコーナーの方か」
力弥が遠くの陳列棚を眺める。棚の上に吊るされている商品分類の看板を見て、あたりをつけていく。勇輝は棚が邪魔をしてよく見えないので、力弥の向いている方に従うようにしている。
「とりあえず、行ってみよう」
そう言って勇輝が先頭に立って歩き出す。すると力弥が先ほどの怪物退治での気になっていたことを口にした。
「そういえばさ、変身した後もスマホからお前の声が聞こえてきたけど、あれ、どうやったの?」
「ああ、それはな」
そう言って勇輝はズボンのポケットに手を突っ込むとワイヤレスイヤホンを取り出して見せた。
「これをつけっぱにして変身した」
「あーなるほど。お前頭いいな」
「ていうか、お前から電話かかって来たときにはもう付けていたんだよ。そうすれば電話しながらでも、リスト片手に買い物できるだろ」
「でもさ、イヤホンしながら戦うのはありだな。今回みたいに連携が必要な時に便利そうだしな」
力弥は顎に手を当てながら、楽しそうに喋っている。
「言っとくけど、遊びじゃないからな」
そう言って、勇輝は呆れたような目つきで力弥を見た。今の力弥の発言は緊張感に欠けるものだった。隣駅での戦闘では危うく食べられかけたわけで、遊び半分は確かに危険だなと反省した。
「ああ、緊張感が足りなかったかもな」
力弥が軽口で答えず真面目に返してきて、勇輝はくすりと笑った。
「うん、でも実際便利だよな。力弥も使えば、もっと色んな連携ができそうだよな」
実際、勇輝も少し楽しくなってきているのだ。これまで、どんな敵と相対しているときでも自分ただ一人だった。そうしたときは、どちらかというと機械的に黙々と敵と戦った記憶しかない。
そうした記憶に何の感慨もないが、今日のように二人でやり取りをしながら戦うというのは新鮮でかつ、不謹慎だが、ワクワクしてしまったのだ。一人では見いだせなかったものが、二人でなら見つけられたことに感動している。
DIYコーナーに着いてペンキ缶を探す勇輝は気付かないうちに鼻歌を歌っていた。先ほどまで巨大な怪物と死闘を繰り広げていたとは思えないほどに彼の心にはゆとりがあった。戦いの後の寂しさはもうない。
力弥はそんな彼の姿を見てどこか安堵したような気持ちになると、彼もまた歌を口ずさみながら勇輝に続いた。勇輝は力弥が自分の鼻歌に合わせて歌っていることに気付くと「うざいからやめろ」と言ったが、それはむしろ藪蛇で、益々大きな声で力弥は歌い始めた。
「恥ずかしいからやめろよ」
そう言いながら小突く勇輝を力弥は楽しそうに受け流していた。
*
大量の買い出し品を両手に持ちながら、三キロの道のりを歩いて学校まで戻るのは怪物退治よりしんどいなぁと勇輝と力弥はぼやいていた。途中、国道が立体になっている高架道路の下を歩いているときに「バスかタクシーを使えば良かったな」と勇輝がぼやくも「もっと早く気付けよー」と力弥は嘆いた。
そう、ここまで来たら高校まではもうすぐだ。バスやタクシーを使うまでもない。仕方ないと言って力弥は歩き続けた。すでに太陽は西の空に傾きつつあり、空は茜色に変わりつつあった。
帰宅する生徒たちとすれ違いながら二人は学校の正門をくぐり、昇降口に向かった。そして、えっちらおっちらと荷物を抱えながら階段を登り、やっとの思いで三年F組の教室に到着すると荷物を床に置いた。
「疲れたー」
力弥はそのまま教室の床にへたりこんだ。勇輝は力弥の荷物の近くに自分が持っていた荷物を並べて置くと、「ふう」と一息ついて、教室の壁に寄り掛かった。教室内の人はまばらで、そんな残っているクラスメイトたちの中に鹿森はいた。
「あ、帰ってきた」
クラスメイトの誰かが言った。鹿森も二人が戻ってきていることに気が付いて、傍まで近寄った。
「二人とも大丈夫だった?」
力弥と勇輝は少し戸惑ったが、互いに視線を交わすと何もなかったように力弥は聞き返した。
「えっと、何が?」
「いや、だって近くのホームセンターでトラックが事故を起こしたって・・・」
そういうことになっているのかと力弥と勇輝は同時に納得し、それらしい返しを力弥は口にした。
「ああ、そうそう。それで店に入ろうとしたんだけど、入れなくてさ、仕方なく国道沿いのホームセンターまで行ってきたんだよ。マジで疲れたわー」
そう言って力弥はそのまま教室の床に倒れこんだ。すると勇輝はちょうど足元に力弥の腕が伸びてきてので「ばか、起きろよ」と足で小突いた。すると力弥は勇輝の足首を掴もうとした。
そうやってふざけ合っている二人を見て鹿森は安心したように「良かった」と小さく呟くと今度は少し大きめの声で「二人ともお疲れ様」と力弥と勇輝に言った。力弥は慣れた感じで寝転がったまま手を振ったが、勇輝は顔を伏せて「うん」とだけ答えた。
「今日の作業はほとんど終わったし、二人とも帰っていいよ」
「よっしゃー。一緒に帰ろうぜ、勇輝―」
「いいけど、俺、帰りに本屋寄りたい」
「それなら俺も行く。新刊まだ買ってなかったし」
二人はそれぞれの席に向かい、スクールバッグを持つと並んで教室から出て行った。
「お疲れー またね」
鹿森や他のクラスメイトがめいめいに二人に声をかけると力弥も「お疲れ」と言いながら手を振った。勇輝はその横で軽く会釈だけしていた。その後は力弥の「お前もあいさつしろよ」と勇輝をからかう声だけが教室に聞こえてきた。
「あの二人、あんなに仲良かったんだ」
鹿森は少し羨ましそうに二人の背中を見送っていた。
ようやく半分を過ぎました。
最後まで読んでいただけますと幸いです。
あと、コメントもいただけますと嬉しいです。