第六十六話 休日の追跡
ショッピングセンター、そして江の島での出来事。
どちらも暁斗は力弥と行動を共にしていた。二人はそこで何をしていたのだろうか。
この疑問は伊織だけが持つものではないことは、彼自身にも分かっていたが、話下手な伊織は朱音たちに相談できずにいた。
むしろ、暁斗本人に直接聞いてみたことはある。しかし、暁斗は「たまたま一緒になっただけ」だとか、「二人で行ってみようと思った」などと言って、はぐらかされてしまった。
彼の言うように、気にする必要はないのかもしれない。むしろ、当初険悪だった二人が、仲良く行動しているのは良いことではないかと伊織は考えるようになっていた。
しかし、それは彼の理性が出した結論である。
伊織の野生の勘とでもいうべき、深層の部分では、彼らは何か大きくて危険な何かに接触しているのではないか。そんな気がしてならないのだ。
暁斗と力弥だけが、伊織にとっての懸念事項ではなかった。
それは伊織が最も尊敬する男、兄である剣一のことだった。
剣一もまた伊織同様に大学生だが、彼は伊織よりも大学受験偏差値の高い所に通っている。それもまた、伊織にとっては尊敬すべき点ではあるが、それ以上に伊織が彼を尊敬しているのは剣道の腕前にある。
体格では伊織と大差ないが、伊織は剣一から一本を取れた回数は数えるほどである。幼少期からずっと剣道を習っているにも関わらず、彼との腕前には年齢差以上の開きがある。
剣において、彼に勝らずとも、肩を並べると誰もが評するレベルに達したいという思いが、今日も伊織に竹刀を取らせた。
朝早くから、一人でランニングをして、その後も自宅の庭で素振りをする。そうして、彼との間で開いてしまったものを縮めようと鍛錬を続けている。
だが、この朝の鍛錬は伊織一人が行うものではなかった。以前までは剣一と共に行っていたのだ。
今日もいない。
朝早く起き、時間通りに大学に向かい、夜も勉強に励んでから就寝する。
絵に描いたような規則正しい生活を送る剣一の生活パターンが乱れていた。
「大学の授業で忙しい」
家族にはそう言っている。伊織自身、大学に入って間もない上、剣一は別の大学の理学部なのでどれだけ忙しいのか見当もつかなかった。
先輩達も演習がどうのとか言っていたな。
剣一と同学年の力弥たちのことを思い返し、確かに理工学部の先輩らは授業が多く、長引くことも度々あった。しかし、それでも伊織には納得できなかった。
いくら授業が忙しいからと言って、大学三年生で終電や始発で帰ってくるだろうか。
土日も家を空けることが多く、このところは家でトレーニングをしているところを見ていない。そもそも胴着を持っているように見えないので、大学でも練習をしているのかも疑わしい。
更に、よしんば授業が忙しいということだとしても、兄であれば今までの生活を乱すことはないと伊織は信じてもいた。
伊織は、考え事をしているうちに、メニュー以上の回数をこなしていた。それでも、彼の素振りをする腕は止まることはなかった。
「伊織、ご飯よ」
庭に顔を出した母からの声で我に返った伊織は、「分かった」とだけ言うと、家に上った。
「いただきます」
食卓に、剣一の姿はなかった。ただ、彼の分の食事は置かれているので、食べた後ではない。
「兄さんは?」
「部屋で寝てるみたい」と母はデザートのリンゴを食卓に並べると、椅子に座った。
剣一の変化を気にかけているのは伊織だけではないようだが、母も父も勉強が忙しいだけだろうと、そこまで深刻に受け止めてはいなかった。
食事を済ませた伊織は自室へ向かった。そして、部屋に入ろうとしたところで、隣室の剣一の部屋が目に入った。
伊織は部屋の前に立ち、ドアにノックをしようとしたが、躊躇われ、手を下した。そして、自室に入ると、何もする気が起きず、ベッドに横になった。
することがないので、どこかに出掛けるか、スマホで動画でも見るか、あるいは筋トレでもするかと天井を見つめながら考えていると、隣の部屋のドアが開く音がした。どうやら、剣一が部屋から出たようだ。
階段を降りる音がした後、玄関のドアを開ける音がした。どうやら外出するようだ。
どこへ行くんだ。
ただの思い付きで、深い考えはなかった。伊織は財布とスマホだけ持つと、剣一に気付かれないように後をつけることにした。
剣一は駅の方へ向かって歩いており、駅に着くと案の定、電車に乗った。方角的には伊織の通う大学の方だが、大学最寄り駅で剣一は降りることはなかった。
H本駅か・・・。
剣一はH本駅で降りたので、伊織も続けて降りた。しかし、乗換駅であるH本駅は乗降客が多く、ホームから改札へ向かう途中で伊織は剣一の姿を見失ってしまった。
どこだ・・・。
改札を出たところで、周囲を見渡したが、剣一の姿はどこにもなかった。ここで降りたことは間違いない。彼を見失う直前、彼の向かう先は改札の方であり、乗り換えホームではなかった。
ひとまず、この駅で降りたと仮定して、伊織は周囲を探索することにした。そして、広場を挟んだ向かいにある駅ビルから探そうと考えた。その時、誰かが彼の横を走り抜けていった。
暁斗。
そう、それは暁斗だった。彼は伊織に気付くことなく、駅舎に入ると、そのまま南口の方へ向かって走っていった。
何かあったのかと思ったが、考えてみれば、暁斗はこの近辺に住んでいる。何か急ぎの用事があって走っているだけだと結論付けた。そして、後でスマホでメッセージを送ろうかと考えた。
気を取り直して、伊織は剣一を探すことにした。
兄がどこへ向かうか考えてみたが、そもそもこの駅周辺に疎い伊織はとにかく周囲を探索することにした。
H本駅の改札は二階で、そこから続く広場も同様だった。とりあえず、近くの階段を降りた。そして、駅に隣接する商業ビル沿いに小走りに進んでみた。
兄は自分同様に背が高く、体つきもしっかりしており、遠目にもすぐ分かる。しかし、それらしい人は見当たらず、道なりに走り続けた。やがて、T字路に着くと、左右を見渡してみた。
いない。こっちじゃないのか。
もう少し進んでから戻るか、ここで戻ろうかと伊織が考え込んでいると、左手の方で車が急ブレーキする音が聞こえた。
伊織がブレーキ音のする方を見ると、そこには異常な光景があった。




