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第六十二話 狂気

 この日、力弥と朱音、そして暁斗はH本駅の改札前に来ていた。日曜日ということもあり、家族連れを中心に、人の出入りは多い。改札の前には大手アパレルショップが店を構えていて、力弥らは店の前から離れた場所に立っていた。


「ここが、集団失神事件があった場所ね」


 猪川から現れた怪物が放ったガスによって多くの人が眠りに落ちてしまった。怪物を倒し、ガスの濃度が下がると、人々は目を覚ましたが、その事実が消えることはなく、集団失神事件としてテレビ等のメディアで取り上げられてしまった。


 駅構内で何者かが強い眠気に襲われるガスを放ったとされ、目的などは不明で愉快犯ではないかと、数日テレビをにぎわせた。今ではテレビ等の取材はなく、駅というインフラの性質上、日常を取り戻しつつあった。


「僕らも毎日使ってますけど、今は何ともないですね」


 暁斗が周囲を見渡しながら言った。あの時、ここで何があったかを知ってはいるが、当然ながらそれは秘密である。


「二人はあの時、ここにいたんだよね?」


「ま、まぁな。ただ、俺らが来た時には色々と終わった後だったけどな」


 特に怪しまれるような表情ではなかったが、朱音はやたらと力弥の顔を覗き込んでくる。


「ふーん、二人で一緒に行ったときに、たまたま事件に巻き込まれたってことね」


「そ、そうなるな」


 力弥は思わず視線を逸らし、何でもないふりをしたが、朱音の疑いは深まる一方であった。ここ最近は暁人と行動することが多くなったことに加えて、事件現場に居合わせたとあっては、怪しく思うのも無理からぬことだろう。


「そ、それにしても、誰が何のためにガスなんてばらまいたんですかね」


 暁斗が話題を変えようと、フォローを入れた。


「それなんだよね。ガスがばらまかれた痕跡は残っていなかったし、犯人らしい人物を見たという証言もなかったし。この時の監視カメラ映像は何故か乱れていて何も映っていなかったらしいし」


 既にこの事件については新聞、テレビ、ネットなどの各メディアでの調査を朱音は終えていた。もはや、現場での情報収集しかやることが残っていない。


 朱音は無言で交通系ICカードを取り出し、改札を抜けた。力弥たちもそれに続いた。そして、駅構内を見渡していた。


 この駅は乗換駅ということもあり、乗客の乗り入れが多い。そのため、人の流れは途切れることなく続いている。朱音は端によって、周囲を見渡した。


 やがて、一か所の壁に視線が止まり、そこへ向かって歩いていった。そこは、力弥の蹴りが決まり、怪物が吹き飛ばされた方角だった。壁の一部凹んでいて、段ボールと養生テープで応急処置がされていた。修理が間に合っていないのだろう。


「壁が凹んでるね。事件の時にできたのかな」


 力弥と暁人は怪物との戦闘を思い出し、朱音の背後で苦笑いをするしかなかった。


「ど、どうだろう。ガスが放たれたのと壁の破損は流石に関係ないんじゃないかなー」


「ちょっと駅員さんに聞いてくる。二人は他に異変がないか調べてみて」


 朱音はそう言って、駅員室に向かった。暁人は自分には到底まねできないと思いながら、駅員と話をしている朱音を見ながら、彼女の行動力に感心していた。


「他になんか壊したりとかしてないよな」


 力弥が小声で暁人に話しかけた。


「まぁ、あんまり攻撃的じゃない相手でしたから、大丈夫だと思いますけど。屋内ではもう少し気を付けないといけないですね」


 二人がこそこそと話しているところに、朱音が戻ってきた。


「やっぱり、事故の時にできたんじゃないかって。聞いた人はその時、現場にいなかったみたいだけど、駅員さんの間では事故の時にできた凹みだってことになってるみたい」


 朱音はそう言うと、指を顎に当てて考え込んだ。


「どういうことだろう」


 そう呟くと、再び交通系ICカードを出すと、改札を出た。こうして歩いていた方が朱音的には考えがまとまりやすいのだ。彼女はそのままずんずんと歩いて、北口前広場を突き進んでいく。


 力弥と暁人は、諸国を漫遊する副将軍のお供の如く、朱音の後ろをただついていった。


 やがて、朱音はムーンバックスコーヒーのテラス席の近くで足を止めると、開いている席に腰を下ろした。


「私は、ムンバホワイトモカにチョコレートソースのトッピングね」


「おい」


「私ばっかり頭使っているんだから、いいじゃない。ほら、力弥、買ってきて。暁人君は私と待ってようね」


「はーい」


 暁斗はそう言うと、朱音の隣にある椅子にちょこんと座った。そして、「僕は抹茶ラテ、トッピングなしでお願いします」と力弥に向かって言い放った。


「はいはい、部長様のお心のままにー」


 力弥はそう言うと、店の中に一人で入っていった。三人で行動する時、年下の暁人ではなく、力弥がパシリになるのが通例である。流石に、力弥と暁人のペアでは暁人が率先して動くのは言うまでもない。


「何か、これ以上は情報がなさそうだねー」


 朱音がタブレットを取り出し、さっきのことをメモしながら暁斗に言った。


「そうですね。あの時のことを覚えている人がいるといいんですけど」


「そうよね」


 朱音はタブレットを見るふりをして、暁斗の方をチラリと見た。当然ながら、暁斗のことも疑っている。何かしらの秘密を持っていても、この純朴そうな青年が悪事を働いているようには、朱音には見えなかった。


「今日の調査はここまでにして、この後はどっかに遊びに行こっかー」


「ほんとですか! どこ行きますか? カラオケ?」


「カラオケもいいけど、映画とか行かない?」


「あ、僕、見たい映画あります。『人形探し』って知ってますか?」


「え、それホラーだよね?」


 爛々とした眼差しの暁人に対して、朱音の目は明らかに怯えていた。


「はい! 凄い怖いらしいですよ!」


「あははは、どうしようかなー」


 キラキラとした目で見てくる後輩に水を差すわけにもいかず、朱音は苦笑いをするほかなかった。怖いことを喜ぶとか、どういう神経をしているんだとツッコミたい気持ちを押さえつつ。


 そんな二人の元へ誰かが近付いてくる。二人は力弥が戻って来たのかと思ったが、店とは逆方向からだったので、おやっと思った。


 そう、二人の前に立っていたのは、力弥とは別の青年が立っていた。


「え、新島さん?」


 そう、二人のテーブルに近付いてきたのは朱音の勤めているバイト先の同僚、新島真吾であった。


 朱音は動揺していた。


 目の前の男性は新島真吾であることは間違いないのだが、いつもの穏やかな彼の面影がそこにはなかった。


 息は荒く、目は大きく見開かれ、手は落ち着きなく体の一部をがりがりと掻きむしっている。およそ、いつもの新島とは思えなかった。朱音は新島の体調が悪いのかと思い、立ち上がると、彼に近付いた。


「新島さん、どうかしましたか? 具合でも悪いんですか?」


「あああ、あの、鹿森さん、な、なにか困ったことがあれば言ってください」


「え?」


「あの、あの男に脅されているんでしょう? ねぇ? そうなんでしょう?」


 新島は飛び出さんばかりに目を見開き朱音に迫り、彼女の腕をつかんだ。


「ちょっと、あなた」


 暁斗が立ち上がって、新島を制しようとしたが、「何だ、お前は」と新島が一括したことで、暁斗は怯んでしまった。


「あの、新島さん、何のことですか? 手を放してください」


「あいつですよ。あの男。あいつに弱みを握られているんでしょ。僕に任せてください。全部解決してみせますから」


 そう言って新島が朱音の腕を引っ張ろうとした。


「あの、痛いです」


「僕の言うことを聞けば、大丈夫で・・・」


 新島がそう言いかけた次の瞬間。


「おい、離せよ」


 その声は地獄から響くかの如く、その場の人間に圧倒的な威圧感を与えた。


 そして力弥が新島の細い腕を掴むと、あまりの痛みに耐えられなかったのか、新島は朱音の手を離し、力弥の腕を振り払った。そして、力弥たちから距離を取った。


「くそ」


 そして、力弥のことを睨みつけたが、新島の顔が恐怖の色に満ちると、さっさと逃げ出してしまった。朱音と暁人は力弥の背後にいたので気付かなかったが、力弥の鬼のごとき形相に新島は恐れをなしたのだ。


 力弥は新島のことを睨み続け、彼の姿が見えなくなると、大きく息を吐いた。


「大丈夫か、二人とも?」


 鬼は消え去り、いつもの力弥の笑顔がそこにあった。


「ありがとう、力弥」


 朱音は声は落ち着いていたが、明らかに顔色が悪かった。


「顔色悪いぞ、平気か?」


「心配しないで、平気だよ」


 朱音はそう言って、椅子に腰かけるも、やはり顔色は優れなかった。


「今日はもう、帰れ。途中まで送っていくからな」


 力弥が朱音の顔を覗き込みながら、優しく言うと、朱音は少し考えたのちに、「うん」と小さく頷いた。


「ごめんね、暁人君。映画はまた今度行こうね」


「そんな、僕は大丈夫ですから」


 力弥は一度、周囲を見渡すと、朱音と共に立ち上がり、その場を離れた。暁斗は力弥が持ってきた飲み物を片付けると、すぐさま、二人に続いた。


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