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第五十一話 氷の刺客

「スマホで確認したらいいよ」


 力弥の悩みは猪川によって一瞬にして溶解した。力弥がデータ取得に使かっているマイコンは十円玉より少し大きい程度のサイズだが、ブルートゥース通信機能が搭載されている。


 ただ、これまではデータを連続して取得して保存するという仕様だったので、使ってはこなかった。


「あ、そっか。そうっすね!」


 力弥はそう言って、思わず両手を合わせた。


「スマホアプリの作り方は、前に講義でやったよね」


「はい。確か開発環境はまだあるんで、行けると思います」


「あの時は作りかけのプロジェクトを配布したけど、今回は一から空のプロジェクトを生成してアプリを作る感じかな。それか、Gitにブルートゥース通信のサンプルコードがあるだろうから、それを落としてもいいかもね」


「はい。ありがとうございます!」


 力弥は元気に礼を言って、助教室を出た。猪川は何か作業中だったので、邪魔をしては悪いと思った。そして、ラボ生に軽く挨拶をすると、部室に向かった。


 そういえば、先生、何だか疲れてそうだったな。

 

 今は卒論や修論の締め切りシーズンではないので、時間的にゆとりがあると思ったが、違うのだろうか。


 猪川は声は明るかったが、どこか無理をしているように見えた。力弥はそのことを気にかけつつも、まずは教えてもらったことをちゃんとやろうと思い、気持ちを切り替えた。




 力弥は大手コーヒーチェーン店のテラス席でスマホとにらめっこしていた。


 いつもの駅前広場の一角にはムーンバックスコーヒーのテラス席が並び、力弥はその一つのテーブルに陣取って、ムンバラテエスプレッソショットバニラフレーバーシロップを飲みながら、スマホをの画面を見つめていた。


 サーモバンドのマイコンのファームウェアにブルートゥース通信機能を追加した。さらにそのデータを受信可能なスマホアプリを実装して、その結果をグラフ化できるものを完成させていた。


 デバッグをばっちりやりきり、意気揚々と装着して出掛けたが、これまでにデータの変化は確認できていない。なお、デバッグとは開発したプログラムが正常に動作しているかを確認する作業を言う。


「奴らがいないのはいいことなんだけどな」


 力弥は平和が何よりと自分に言い聞かせながらも、せっかくの改良の甲斐がないなと少々がっかりしていた。


「どうですか? 何か出ましたか?」


 そう言って力弥の対面に腰かけてきたのは暁人だった。


「いんや。なんも。それよりもバイトはいいのか?」


「今日はもう上がりです」


 暁斗は抹茶クリームフラッペチョコソーストッピングを飲みながら力弥の質問に返答した。暁斗はこのムンバでバイトを始めていた。下宿先に近いということ以外に、怪物の出現頻度の高い駅前というのも選んだ理由の一つではある。


「壊れているわけじゃないですよね」


 デバイス開発の知識ゼロの暁斗が無遠慮に聞いてきた。


「ちゃんとデバッグしたわ」


 デバッグの意味が暁人には理解できなかったが、ちゃんと確認したという意味だと考え、抹茶フラッペを飲みながら周囲を見つめた。


 この日は多少雲はあるものの、晴れていて良い天気だった。五月も終わりに近づき、少しずつ暑くなりつつあり、この日もジャケットなどは必要なかった。程よい陽の光を浴びながら、暁斗はのんびりと駅前広場を眺めていた。


「今日はここまでにしておくかなー」


 力弥がムンバラテを口に付けながら、ぼそっと言った。


「帰りますか?」


「そうだなー」


 力弥はそう言って背伸びをしたかと思うと、急に顔つきが険しくなった。


「奴らが出た」


「え? え?」


 力弥はスマホの画面を見ずにそう言ったということから、予兆ではなく、既に怪物が出たということだろう。暁斗はちらりとスマホを見ると、数値が急激に増加している様子が確認できた。


「南口だ」


「はい」


 そう言って力弥はカップを片付けずに、走り去った。暁斗はここのアルバイターとしてこのまま放置するのも居たたまれなくなり、きちんと片付けることにした。


 そうこうしている間に、力弥の姿が見えなくなり、暁斗は慌てて、彼の向かった方へ駆け出した。



 暁斗は駅を通り抜け、階段を降り、南口から駅の外に出た。そこには数件の飲食店が並び、人々が食事を楽しむ和やかな光景がいつも見られるはずだ。


 しかし、今は違った。


 南口に人の姿はなく、夏が近く暖かいはずなのに、この近辺はひんやりと寒かった。それもそのはずだ、地面が凍り付いている。地面だけではない、街路樹や路肩に寄せられた車も白くなっていた。


「こ、これは」


 暁斗が周囲を見渡していると、白くなった街路樹の影から人が現れた。暁斗は事情を知っているのではないかと思い、その人に駆け寄ろうとしたが、すぐに足を止めた。


 そう、それはただの人には見えなかった。いや、この状況を作り出した下手人のようにも見えた。


 その人物の顔は仮面で覆われ、外套を纏い、悠然とした雰囲気でこちらに近付いている。そして、あまりに異様だったのは背中に背負った巨大な何かだった。大きな楽器ケースを背負った人なら何度も見たことがあるが、それは明らかにそうしたものとは違った。


 それは、縞瑪瑙柄の巨大な剣のように見えた。街中で大剣を担いでいるのは不似合いにすぎた。


 仮面の人物はゆらりとした動きで暁人の方を見た。


 いや、それは暁斗ではなく、彼の後方だった。暁斗は仮面の人物の睨む方向へ振り向くと、そこには変身した力弥がいた。


「暁斗は離れていろ」


 いつになく緊張感のある声音に、暁斗は思わず体を硬くしつつ、「はい」と言って、後ずさりした。力弥は感じ取っていたのだ、相手から放たれる異常な気迫、力の波動のようなものを。


 力弥は両腕から刃を出すと、真っ直ぐに薄氷の中に佇む仮面の人物に迫った。仮面の人物は右手を背中の剣の握りに沿え、身構えた。そして、力弥が斬りつけるのに合わせるように、軽々と背中の大剣を振り下ろした。


ガッキーーーーーーーン。


 周囲に重々しく、鋭い音が響き渡った。仮面の人物の大剣を力弥は両腕の刃で受け止めていた。しばらくの間、両者は鍔迫り合い続けていたが、力弥が側方に移動し、相手の剣の軌道をずらした。


 ドゴン。


 剣が地面を深くえぐり、威力のすさまじさを感じさせた。


「俺の剣を受け止めるか」


 仮面から言葉が漏れた。それは低い男の声で、誰に言うでもないただ空中に放たれただけの言葉。


「お前も喋れるのかよ」


 力弥が構えつつ軽口を返すと、仮面の男はゆったりとした動きで力弥に相対した。そして、大剣を片手で持ち上げ、鍔を肩にかけた。


「俺をこれまでの眷属なんぞと一緒にするなよ」


「ケンゾク? 何のことだ」


 力弥の言葉に仮面の男は返答を返さず、剣を振り下ろしつつ、力弥に迫っていった。力弥は男の大剣を刃で受け止めた。


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