第四十四話 江の島の影
夕食と風呂を済ませた後、男子の部屋で酒盛りをすることになり、力弥たちは買ってきた酒とつまみを座卓の上に並べて朱音たちが来るのを待っていた。
あらかた準備が終わり、まったりしていると部屋の外が何やら騒がしいことに気が付いた。
「なんだろ」
利一がそう言うと、「見てきますよ」と言って暁斗と伊織が部屋の外に出た。
引き戸を開けた瞬間、妙な生臭い匂いが部屋の外から漂ってきた。思わず、暁斗と伊織は手で鼻を覆った。そして、目の前に旅館内で見かけない人たちが何人もいた。
いや、それは人だろうか。
それは人型で、服を着ている。しかし、その頭は明らかに人のそれとは違っていた。両目が異様に離れ、鼻がなく、口が尖って前に出ている、暁斗が夢に見たあの魚顔人間だった。
「なんだ」
伊織が思わず声を発すると、後ろから利一も顔を出した。暁斗は夢の中で見たあの魚顔人間が目の間にいることに驚きつつも、彼らが向かう先を見て心臓が止まりそうになった。
魚顔人間たちは朱音たちの部屋に向かっていた。更に、既に数人の魚顔人間が朱音たちの部屋を開けようと群がっていた。
朱音先輩たちが危ない。
暁斗はこのことを力弥に伝えようと部屋の中に戻り、声をかけようとしたが、力弥の姿はなかった。よく見ると、部屋の奥の窓が全開に開けられていた。暁斗はもしやと思い、再び部屋の外に出ると、何人かの魚顔人間たちが体の向きを百八十度変えているのが見えた。
そして、階下から来る何かの脅威に備えているように見えた。暁斗は力弥が下から魚顔人間たちを追い払おうとしていると察した。一方で、伊織は朱音たちの部屋に入ろうとしている魚顔人間を追い払おうとしていた。
「おい、離れろ」
離れている分にはそこまで恐怖を感じなかったが、改めて近くで見るとそのグロテスクな顔に恐いもの耐性ゼロの伊織は一瞬怯んでしまった。伊織がビビッて後ずさっている間に、部屋が開けられ、彼らが中に侵入していった。
「おお、おい、やめろ」
伊織が目の端に涙を浮かべながら、魚顔人間を制しようとすると、魚顔人間は鋭い爪を見せたかと思うと、それを振りかぶった。伊織は咄嗟にそれを避けるも、更に魚顔人間は伊織に攻撃を仕掛けてきた。
「伊織君、これを」
暁斗はそう言って、伊織の竹刀を彼に向かって放り投げた。伊織は剣道部の練習から直接ここに来たので、竹刀や甲冑も持ってきていたのだ。
伊織はそれを受け取ると、魚顔人間の振りかぶった右手に竹刀を打ちつけた。それで怯んだところをすかさず、胴に竹刀を叩きこむと、魚顔人間はその場にうずくまった。竹刀を持つと気持ちが引き締まって、グロテスクな顔を見ても怖れなくなっていた。
しかし、そうして伊織が善戦している目の前で、姫乃が連れ去られそうになっていた。
「ちょっと、やめなさいよ」
姫乃は抵抗していたが、魚顔人間は半開きの口に、視点の定まらない目で、姫乃を担いでいた。まるで操り人形のように、淡々と作業をこなしているように見えた。
「おい、待て」
伊織が竹刀を構えて、姫乃を捕まえている魚顔人間に立ち向かおうとしたが、他の魚顔人間がそれを遮り、近付けなかった。
「姫乃先輩が」
暁斗も駆け寄ろうとするが、伊織同様に他の魚顔人間に阻まれてしまった。このままでは姫乃がどこかに連れていかれてしまうと思ったその時、下の階から赤い体に黒い甲殻をまとった男が現れた。
戦士に変身した力弥だ。
力弥が次々と魚顔人間たちを倒していき、姫乃を救い出すことに成功した。そして、姫乃を暁斗と伊織に託し、魚顔人間に向かって力弥は構えた。
魚顔人間は聞き覚えのない言語で会話をしたかと思うと、一斉に階下へ向かった。どうやら、姫乃を捕らえるのを諦めたように見えた。
力弥は暁斗の方をチラリと見た。次に朱音たちの部屋を見た。おそらくはこの場にいない朱音を心配しているのだろう。そこで、暁斗に彼女の様子を見てきてほしいと伝えたかったようだ。
暁斗はこくんと頷くと、力弥は逃げていく魚顔人間たちを追った。そして、暁斗は朱音たちの部屋に向かった。暁斗が部屋に入ろうとしたところで、朱音が部屋から出てきた。
「朱音先輩、大丈夫ですか?」
「うん。それより姫乃ちゃんは?」
「姫乃先輩なら大丈夫です」
暁斗はひとまず他に怪我をした人などはいないことを確認すると、力弥の後を追った。
「おい」
伊織が呼び止めようとするが、「伊織君はここにいて、また来るかもしれないから」と言って、階段を駆け下りていった。そう言われた伊織は竹刀を強く握り直した。
朱音は周囲を見渡し、「力弥は?」と言ったが、残った三人は「さぁ?」と首をかしげていた。
階下も生臭い匂いが漂っていた。
旅館の仲居が散乱したものを片付けたり、生臭い匂いを取ろうとスプレータイプの消臭剤を吹きかけていた。暁斗は靴を履いて、外に出て、魚顔人間たちがどこに向かったのかを探った。
通りの海側から何人もの人の声が聞こえてくる。その方角にいるのではないかと考え、駆けだした。屋外も生臭い匂いが周囲に漂っていたが、匂いが拡散しているおかげで、屋内に比べると幾分マシだった。
通りを抜け、大きな十字路に出た。この十字路は海岸線に沿った国道と駅と島を繋ぐ道路が交差する場所になる。暁斗のいる場所から国道を横切った先に海がある。魚顔人間たちはどうやら海へ向かっているようだ。
「今の何?」
「何か臭いんだけど」
夜の九時前だが十字路の周囲には人だかりができていた。暁斗はそれらの人をちらちら見ながら、地下通路から海岸へ向かった。地下通路は十字路と比べると人は少ないが、その分生臭い匂いが強くなった。
暁斗は鼻を覆いながら出口に向かって走った。すると、外から人々の悲鳴が聞こえてきた。嫌な予感がしつつも、ポケットに入れてある印を強く握りしめながら、海岸に続く地下通路の出口を出た。
人々が逃げてくる場所から、海から巨大な何かがそそり立っているのが見えた。何人もの人々が地下通路に入っていく中、暁斗は海岸へ向かって更に足を動かした。怪物が陸に向かって歩を進める先には力弥がいた。
海の方向は暗く、そこに巨大な何かがいることは分かるものの、形状をはっきりと把握することはできなかった。それでも、暴れまわることで頭と二本の腕があることは理解できた。
力弥は体に炎を纏わせているため、彼の姿ははっきりと見ることができた。砂浜へ降りる階段の上には野次馬が何人かいて、怪物と力弥の攻防を遠目に見ていた。ここなら危険はないだろうかと、暁斗は思うも、妙な胸騒ぎがした。
魚顔人間を追いかけていた力弥は、彼らが海へ入っていった後、海から巨大な怪物が現れ、これが陸へ上がるのを阻止しようとしている。
怪物の頭はぎょろりとした目と大きな口が特徴の魚顔だった。頭頂部から背中にかけて大きな背びれが特徴的だ。全身は堅い鱗で覆われ、力弥は何度か攻撃を仕掛けているが、手応えを感じられずにいた。
「野次馬が増えているな」
背後の砂浜より高くなった場所に人だかりができている。砂浜に下りてくる命知らずはいないようだが、それとなく不安を感じずにはいられない。それはここが海だからだ。今までとは違う環境での戦闘にいくらかの不安を力弥は感じていた。
怪物が近付こうとすると力弥は体全体で炎を纏って、体当たりを仕掛けた。堅い鱗に覆われていても、体全体を押し返してしまえば問題ない。それを確認できたことは良かったが、怪物を倒すには至らなかった。
数度押し返した後、怪物は海に両手をつけ、四つん這いのような姿勢になった。そして、目を大きく見開き、口を開いて牙をむき出しにすると、海の水が突然引いていった。海に隠されていた怪物の両足が見えるほど水が引いていくと、先ほどまでの小さな不安が爆発しかけた。
「マズい!」
力弥の直感は当たっていた。その直後、怪物の背後で突然海水が壁のようにそそり立ち、陸に向かって押し寄せてきた。
突然の大波は力弥のいる周辺だけの局所的なものだったが、力弥の背後には大勢の野次馬がいる。力弥自身は飛び上がれば躱すこと自体は容易だが、背後の野次馬は海に飲まれてしまう可能性がある。
「どうしたらいい」
力弥は砂浜で眼前の水の壁を前に、どうしたらいいか考え、佇んでいた。
巨大な水の壁が現れると野次馬たちは蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げようとしていた。しかし、彼らの背後には国道があり、どこへ行くべきか迷う者も少なくなかった。暁斗は印をポケットから出し、これで盾を作れば多少はしのげるのではないかと考え、野次馬たちの前に出た。
しかし、改めて見ると波の高さは異常で、怪物の背丈を越え、空に輝く月や星々すら隠さんとする勢いだった。
あんなの、無理だよ。
暁斗は小刻みに震えながら、心の中で弱音を吐いた。それでも、自分よりはるか前方で怪物に向かって抵抗をしようと試みる力弥の背中を見て、暁斗は豆粒ほどでもいいから勇気を出せと、自分を奮い立たせた。
その時、逃げ惑う野次馬の中から、一人の少女が暁人の横に出てきた。それは暁斗とそう変わらない、高校生か大学生くらいの女性で、凛とした顔つきで大波を操る怪物を見据えていた。
「凪、危ないから逃げよう」
少女の背後から昼間に見た高校生がいた。手にバットを持っているのを見て、これからカチコミにでも行くのかと考えた暁斗は明らかに混乱している。
「大丈夫」
凪と呼ばれた少女は両手を胸の前で組むと、何かをぼそぼそと呟きだした。
そうしている間にも波は刻一刻と人々の方に近付いていた。怪物の体は波の中に消え、力弥は手から炎を出して波の勢いを弱めようとしているが、関係があべこべだが、焼け石に水であった。
砂浜へ降りる階段から数メートルのところまで波が来ると、暁斗は凪と男子高校生の前に立って、印による盾を出現させた。その時、暁斗の背後で光が文字通り、溢れ出た。そして、一瞬だが、周囲が昼間のような明るさになった。
暁斗はこの光に見覚えがあった。これは魚顔人間に囲まれた夢の中で見た光と同じった。
この光が巨大津波に照らされると、波は急激に力を失い、沖へ向かって引いていった。まるでビデオの巻き戻しを見ているような光景だった。そうして、津波がすっかりなくなり、怪物も姿を消していた。
「はぁ、助かった」
暁斗はその場にへたりこんでしまった。そして、後ろを振り返ると凪と呼ばれた少女が僅かに微笑んでいた。
「あちらの人のもとへ行きませんか?」
暁斗はそう言われ、下を見ると、変身を解いた力弥がこちらに向かっているのが見えた。凪は迷いなく、階段を降り、力弥の方に向かった。一方の男子高校生は周囲を見渡して、自体を飲み込めないでいた。
どうやら、周囲の人々が記憶改ざんの影響で、茫然自失としているのが気になっているようだ。暁斗は彼も星の戦士と関係があるのかと疑問に思いつつ、「大丈夫だから、行きましょう」と言って、男子高校生とともに力弥の下へ向かった。
暁斗らが階段を降りると、一名増えていることに気が付いた。季節外れの黒いコートを身に包み、黒い帽子で顔の表情が見えにくい男が力弥たちの傍に立っていた。
「ウシオさんもいたんすか」
「やぁ、龍二君。こんばんわ」
ウシオと呼ばれた黒いコートの男は暁斗ら四人を一瞥すると、力弥の方に体を向けた。
「あなたは星の戦士ですね」
「ああ、そういうあんたは」
「君の良く知る彼女と同類さ。このあたりの人間にはウシオと呼ばれているよ」
「ここにも怪物が出るのか」
「まぁね。君のところはいいのかい?」
ウシオは試すような厭らしい顔つきで聞いた。
「まぁ、数日内は平気だ」
力弥とウシオが会話している横で、凪が一歩前に出て、ウシオをじっと見据えた。
「ウシオさん、近いんですか」
「ああ、あの様子だと、明日辺りまた仕掛けてくるね」
「そうですか」
凪はそう言った後、チラリと龍二と呼ばれた男子高校生の方を見た。
「君らはもう帰りな。ここはもう平気だから」
ウシオは凪と龍二に向かってそう言うと、「え、でも、俺にも分かるように」と龍二が言いかけたが、凪が「私が説明するから」と言って、龍二の腕を掴むと、階段を登っていった。
そうして、浜辺には力弥と暁斗とウシオだけが残った。
「おい、今の子たちが星の戦士なのか」
力弥の声には張り詰めた勢いが含まれていた。
「君のところと少々事情が違っているがね、あの男の子が一応適格者だ」
ウシオは先ほどとは違い、落ち着いた口調で返した。
「一応ってのはどういうことだ」
「ここはね、君のところと違ってコンスタントに奴らが出てくるわけじゃない。星の並びが揃った時期に来る。ここ何年も奴らは来なかったが、今年は悪い意味での当たり年でね、深淵より湧いてくるものたちが次々と出てくる」
「あの魚顔の人たちのことですか?」
暁斗がそう聞くと、ウシオは頷いてみせた。
「奴らはね、自分たちの信奉する神を復活させるためにこの地に眠る力を奪いに来るんだ。彼女はそれを代々守り続けてきたものたちの末裔でね。ぼくが力を貸してあげている」
力弥がそれを聞いてウシオの方を睨んだ。力を貸すということは、力弥同様に存在証明を消費しているのではないかと思ったからだ。
「勘違いしないで欲しいんだが、彼女には君ほどの力はないよ。それに、彼女が消費しているのは彼女自身の存在証明じゃない」
「だったらなんだ」
「この地にかつていた龍だよ」
力弥と暁人は言っている意味が分からず、同時に頭を傾げた。
「遠い昔にね、君らが知るところの神様に相当するものがいた頃にね、奴らがこの地を襲いに来たんだ。その時に戦っていた龍がいてね、無事に追い返すことはできたが、また襲いに来た時のために、自身をこの地に封じたんだ。その時に、ぼくの主とその龍が約束を交わしたんだ」
「約束、ですか」
「そう。適性を持った人物に龍の力を与えて、深淵より湧いてくるものたちを払うのに役立たせてほしいとね」
「それがさっきの高校生なんですね」
「だけど、変身してなかったぞ」
「うん、なんでだろ?」
ウシオは不思議そうに言うが、力弥と暁人はお前が言って良いことじゃないだろという顔をした。
「いや、何でだろじゃないだろ」
力弥が握りこぶしを作って殴ろうかと構えると、ウシオは力弥のその手を指さした。
「その君の手首にしているもの。それが彼の腕に出てこないんだ」
「あんたが出してやればいいだろ」
「さっきも言ったけど、この地の戦士は龍の力で戦う。だから、龍の許可がいるんだ」
「どうしたら龍からの許可が得られるんですか?」
暁斗がそう言うと、ウシオはキョトンとした顔をした後、上を見て、考え始めてしまった。そして、あーでもないこーでもないと独り言を言っていると、力弥のスマホに着信が入った。
「あ、朱音だ。ていうか、ぼちぼち戻らねぇと」
「そうですね」
ウシオは腕を組んで、うんうんとうなりながら、考え事をしていた。
「じゃあ、俺らは宿に戻るんで。なんかあったら、また教えてくださいよ」
そう言って、力弥と暁人は宿に向かって走っていくも、ウシオは生返事だけして、今度はその場に座り込んで頭をひねっていた。




