第四十三話 小さな像
車は鬱蒼とした木々に囲まれた道に入っていく。しかし、途中から道は下草や土に隠れて見えなくなっていた。
「ここから先は歩きですかね」
利一がそう言うと、皆、車から降りた。暁斗は姫乃がごつい一眼レフカメラを持っているのに気が付くと、目をキラキラさせながらそれに食いついた。
「それって姫乃先輩のカメラですか」
「そう。いいでしょ」
「前に欲しいって言ってたレンズは買ったの?」
朱音が聞くと、姫乃は声のトーンを落として答えた。
「まだ、買えてないです・・・」
「バイトの時間増やさないとね」
すると利一が意地悪そうに聞いてきた。
「いや、これ以上は、無理」
暁斗ら四人がわいわいと騒ぎながら歩いている後ろから力弥がのんびりついてきていた。力弥は顔を上げると、木漏れ日の眩しさに手をかざした。穏やかな雰囲気に思わず口元が緩んだ。
温かな陽光、優しい緑の匂い、仲間たちの楽しそうな声。
力弥はつい数時間前まで、黒くて不気味な怪物たちと対峙していたことが嘘のように心が静かだった。このまま、怪物たちが現れず、こうした時間がずっと続けばいいのにと口に出したかった。
彼に願いがないのではない。
力弥の願いは常にその一つだけだった。
その願いもつい最近、彼の中で沸き起こったものだ。そして、今はそれを叶えようとしている。誰かに叶えてもらうものではない、自分で叶えなければならないのだ。
それはそれとして、もっと小さな願いがあってもいいかもな。
力弥は旅行の打ち合わせで、何の希望も出さないことで部員たちになじられたのを思い出して、頭を掻いた。そして、今からでも遅くないから、何かこの海辺の町でやりたいことはないか、考え始めた。
何のアイデアも浮かばないまま、力弥は林を抜け、廃墟と化したかつての研究所前に辿り着いていた。
白くて全体的に四角い形の建物だった。壁の所々が汚れたり、蔦が這いまわったりしており、建物の古さを感じさせた。力弥たちのいる位置はちょうど建物の正面玄関にあたるのだろう、入り口らしいものが見えた。
当然ながら、中は薄暗く、人のいる気配はない。入り口のガラスは割れずに残っているが、曇っていて、建物内の様子ははっきりとは分からなかった。近付いてよく見ようとしたが、安全のために離れてみるようにと指示を受けていたので、誰も必要以上に近付こうとはしなかった。
姫乃はひたすらにシャッターを切っていて、他のメンバーは邪魔にならないように、彼女の後ろからスマホで写真を撮ったりしていた。
「周りを歩き回るのはいいんだよな」
力弥が朱音に聞くと、「それくらいならいいみたいよ」と彼女は返した。珍しいとはいえ,さして廃墟に興味はなく,写真も記念に取る程度の人間にとっては何か珍しいものがないかを探しがちである。
力弥は面白いものがないかと建物周辺を散策することにした。
正面玄関側は舗装されているので雑草は少なく、歩きやすいが、正面玄関から見て側面の方は雑草が鬱蒼としていて、何とも歩きにくそうだ。こういうところに、珍しいものがあったりするんだよなと適当なことを考えつつ、力弥はそちらに向かって歩き出した。
そして、建物の角から側面方向を覗こうと顔を出した直後、驚きのあまりに声が出た。
「「うわ」」
そこには制服を着た高校生がいたのだ。誰かがいるとは思わなかったので、心臓が止まる思いだった。
「あの、すみません」
相手の高校性がそう言うと、「いえ、こっちこそ」と力弥は言葉を返した。しかし、次にどう反応したらよいのか分からず、固まってしまった。
明らかに年上である自分が余裕のある対応をするべきだろうか、例えば「君、ここで何していたの?」とか、「この近くの高校生かな、何か面白いものない?」とか言えば良いのだろうかと考えているうちに時間が経過していった。
「力弥先輩、どうしたんですか?」
互いに動けない均衡状態を破ったのは暁斗だった。力弥は余裕のある所を見せることは叶わず「いや、何でもない」と言って誤魔化した。そして、目の前の高校生に軽く会釈をすると、暁斗の方に歩いていった。
その後、鉢合わせした高校生はそそくさとその場を立ち去っていったのを、力弥は視界の端で捉えていた。
「知っている人ですか?」
「いや、全然。普通にびっくりしただけ」
力弥はそう言って、正面側に戻ろうとした。すると、姫乃は反対側の側面に回って、飽きずにシャッターを切り続けていた。朱音はそんな彼女と一緒に興味深そうに建物を観察していた。
「あれ、利一は?」
「利一さんならあそこです」
暁斗は少し呆れたように、林の方を指さした。利一は木陰で手ごろな石材に腰かけて、煙草を吸っていた。どうやら、誰よりも早く廃墟探索に飽きてしまったようだ。
「マイペースなやつだな」
「そうですね。中には入れたら、利一さんも興味を持ちそうですけど」
「分かるけど、一応、公式な部活動だし、そこは節度を持ってやろうぜ」
力弥は先輩らしく、多少威厳を含めて言うと、暁斗は少し残念そうに「はーい」と言って引き下がった。
掲示板の怖い話のスレッドや、怖い話の動画などでは大学生が廃墟に忍び込むことで様々なオカルト現象に巻き込まれるのが定番だ。暁斗はそういった類の話を星の数ほど見てきたので、自分もそうした体験ができたりなしかと思っていた。
およそ、暁斗の心理は正常なものとは言えないだろう。
愚かな大学生が肝試しをするのは、文字通りの肝を試すだけであり、怪奇現象によって様々な恐怖体験に陥ることを目的にしているものではない。不気味な廃墟に立ち入っても、自分は何ともなかったぜと言いたいだけのものなのだ。
ところがホラーマニアの暁人はそこが他の人と違う。
廃墟で呪われることで、見るも怖ろしい幽霊や、聞こえてはいけない声や、見えない何者かに触れられるという恐怖体験が自分にも起きないだろうかと考えている。暁斗はホラーが好きだが、霊的体験がないのを常に恨めしく思っているのだ。
端的に言って変な奴だ。
とはいえ、そんな彼だから化け物相手に啖呵が切れるし、不気味な怪物が突然現れても冷静にいられるのだ。
外から眺めるだけに飽きてきた力弥と暁人は姫乃がまだ写真を撮っているのか気になって、彼女のいるであろう方へ向かった。すると、姫乃は写真を撮らずに何かを掴んで見つめていた。朱音もそれを一緒に眺めていた。
「何見てんだ?」
力弥がそう言うと、朱音が力弥の方を向いて、「何か変もの拾っちゃった」と言った。
「え、何? 見せて」
廃墟に飽きつつあった力弥は面白いものでも拾ったのかと思い、二人の下に駆け寄った。暁斗もそれに続いた。
「これです」
姫乃が見せてくれたものは、小さな像だった。始めな仏壇にある小さな仏様か何かかと思ったが、全くの別物だった。
「え、何これ」
力弥は怪訝な顔をしたが、横から顔を出した暁人は興味深そうにそれを見た。
その像は頭は坊主で、口から耳にかけて髭で覆われていた。ただ、髭というよりもイカやタコの足にも見える。そして、背中には蝙蝠のような羽が生えていた。造形もおどろおどろしく、表情も不気味で、仏様から感じる慈愛のようなものは欠片もなかった。
「何の像ですかね・・・」
暁斗がそう言うも、他の三人は頭をひねっていた。全く心当たりがない。
「どこかの外国の神様とか?」
「こんなん見たことないぞ」
「世界は広いからどこかにいるかも?」
色々議論するが、結局これが何だかは結論が出なかった。
「どうすんだ、それ?」
力弥が姫乃に聞くと、「持って帰ってもいいですかね」と姫乃は答えた。
「ちょっと怖いし、置いていったら?」
「誰かの落とし物ですかね?」
「だったら、見える場所に置いておいてあげた方が親切じゃねぇか?」
姫乃の持ち帰り案を誰も肯定せず、置いていくように勧められると、姫乃は少し惜しそうにそれを目に付く場所に置いた。
「そろそろ、出発しませんか?」
四人の後ろから煙草の匂いを漂わせた利一が声をかけた。
「そうだな」
「じゃあ、車まで戻りましょ」
利一を先頭にして車まで戻ろうとしたが、姫乃が「あともう少しだけ写真を撮ってきてもいいですか?」と聞いてきた。
「いいよ。私たちは車で待ってるから」
朱音がそう言うと、姫乃は廃墟を前に再びカメラを構えた。そんな彼女を力弥は少し眺めていたが、「力弥、行くよー」と朱音に声をかけられて、力弥は車に向かう三人のもとへ駆け寄った。
姫乃が戻ってくると車は動き出した。
その後、遅めの昼食をとると、一行は鎌倉の方へ向かった。そして、鎌倉における定番の観光地を巡っていると、午後の時間はあっという間に溶けていった。そうして、日が西の空へ傾きつつある頃に宿へ向かった。
宿は江の島の近くにある趣のある旅館だ。車とバイクを所定の場所に駐車し、それぞれ降りると、旅館の入り口を目指した。すると、入り口で背の高い男が暇そうにぼうっと立っていた。伊織だ。
「伊織くーん」
暁斗が手を振りながら彼に声をかけると、伊織は飼い主に気が付いた大型犬のように、暁斗の方を向いてそわそわしていた。
こうして伊織を含めて、全員が揃うことができ、朱音を先頭にして旅館の中に入った。部屋は二つ。当然男女に分かれての部屋割りだ。受付でチェックインを済ませると、階段を上がりそれぞれの部屋の場所を確認した。
「じゃあ、夕食は十八時で、一階の食堂に来てね」
朱音がそう言うと「分かりました」と暁斗が答え、男女はそれぞれの部屋に入った。
暁斗ら男性陣の部屋は旅館にありがちな和室だった。畳の敷かれた部屋の真ん中に座卓が置かれている。部屋の奥には広縁があり、フローリングの上に机と椅子が並んでいた。
「おおおー」
調子を合わせたわけでもないのに、部屋に入るなり、感嘆の声が出た。絵に描いたような旅館の内装にどこか感動しているのだ。
各自は適当に部屋の隅に荷物を置いた。そして、力弥は座卓の上に置かれた菓子器の中に入った茶菓子を摘まんだ。その横で利一がテレビのスイッチを入れて、適当にチャンネルを回している。暁斗と伊織は広縁の椅子に腰かけて、外の景色を眺めていた。
「そういえば、今日の夜は飲みますか」
利一が聞くと「ああ、そうだな。酒は買ってきてないよな」と力弥は聞き返した。
「買い出しに行きますか? 旅館で買うと高いですよ、多分」
「そうだな」
そう言って力弥は立ち上がると、「じゃんけんで決めるぞ」と言って右手を掲げた。そして、公正なじゃんけんの結果、力弥と暁人が買い出し班になった。外に出る前に、朱音の部屋に立ち寄ってから、二人は階段を降りて、建物を出た。
通りを出て、右手の方に青い看板のコンビニがあったので、二人はそこに入った。暁斗がカゴを持ち、力弥が適当につまみや酒を入れていった。
「お茶とジュースも入れますね」
暁斗がそう言って、彼本人と伊織用の飲み物を数本入れていた。しかし、力弥は返事をせずに店の外に視線を向けていた。
「どうかしましたか?」
「誰かに見られているな」
「え、何でですか」
「分かんねぇけど」
力弥はそう言って、外が気になりつつも、暁斗の方に視線を戻した。すると、飲み物だらけで重くなったカゴを必死に持っている暁人の姿が目に入った。力弥は彼の持っているカゴを片手でひょいと持ち上げると、レジに向かった。
「すみません」
「ああ、いや、一人で持たせてごめんな」
力弥たちは会計を済ませて買ったものを二人で分担して持った。コンビニから出ると、力弥は店の前で周囲を見渡した。そして、出て右側をチラリと見ると、暁斗に小声で「あそこだ」と言った。
コンビニの数件隣の店の物陰から誰かが力弥と暁斗の方を見ていた。しかし、それは一瞬のことで、こっちを見た後、隠れてしまったので、どんな人なのかは判別できなかった。
「え、誰ですか?」
「昼間に会った高校生じゃないかな」
そう言って力弥は旅館の方に体を向けた。
「何の用でしょうか」
「さあな、旅館の中までは入ってこないだろうから、放っておけよ」
力弥の言うように、二人を監視している高校生は旅館に通じる小道まではついてきたが、その後は中に入るでもなく、しばらくするといなくなった。




