第四十一話 深淵から呼ぶ声
「もしかして、Aさんはあの、魚みたいな人間になってしまったのか・・・」
長机の端、窓をバックにした暁斗がそう語り終えると、部室内はシンと静まり返った。
ブラインドを下し、電気を消し、部屋の中を薄暗くした状態で、暁人はネット掲示板で見つけた怪談話を部員たちに語って聞かせていた。各人の反応は怖いもの耐性によって様々だった。
怖いもの耐性の高い姫乃は興味深そうに聞いていた。
怖いもの耐性が高いというより、普段から戦っている怪物より怖いものなどないと思っている力弥はふーんといった表情だった。
ニュートラルな耐性の利一は寒気を感じつつも、最後まで聞くことができていた。
部長としての威厳を保ちたいが、怖いものが苦手な朱音は、途中から他のことを考えて怖さを中和しようとしていた。
怖いもの耐性ゼロの伊織は中盤あたりで耳をふさいで聞くことを拒んでいた。
「どうでした?」
もちろん、暁斗も怖いもの耐性は高い。大人しくて、どちらかというと可愛らしい外見に反して、暁人はホラーや怪談が好きで、週にニ、三度はサブスクリプションの動画配信サービスでB級ホラー映画を漁っている。
「その話は、私も聞いたことなかったよ」
姫乃がそう言うと、「ぼくも昨日見つけたんですよ」と暁斗が返すと、どのスレッドに書き込まれていたのかと二人で盛り上がっていた。
暁人は動画だけでなく、ネットの怪談系のスレッドのチェックも欠かさない。ただ、知らない人に気軽話しかけたりできないので、書き込みはしない、基本ROM専だ。
「伊織君、もう終わったよ」
視覚と聴覚をシャットアウトしている伊織の肩を朱音は優しく叩いてあげた。
「え、あ、うっす」
そう言って伊織は耳をふさいでいた手を下すと、その正面で力弥が伊織のことをニヤニヤとしたいやらしい目つきで見ていた。その顔からは、ふーん、こんなのが怖いのかよとどこか馬鹿にした雰囲気が漂っていた。
伊織は恥ずかしいのを誤魔化すように、力弥を睨み返した。
「で、今の話と今度の旅行先になんか関係があるのかい?」
利一がそう言うと、全員の視線が利一に向かった。そう、そもそもこの話は発端は今度行く江の島と関係のある話ということで、暁人が話し始めたのだ。
「ええ。投稿主の人は場所を明かしてはいないんですけど、その後のやり取りとかから、スレッド内で投稿主のバイト先を特定しちゃったんです」
暁斗がそう言うと、「それが江の島の方にあるの?」と朱音が聞き返した。
「はい。正確には藤沢の方みたいですね」
暁斗が淡々と話している横で、伊織の顔がどんどん青ざめていった。
伊織の頭の中には、耳をふさぐ前に頭に入っていた奇妙なお経や生臭いアパートの光景が連想され、そこにどんなお化けがいるのか、夜に出たりしないのかと勝手に想像して、勝手に怖がっていた。
「まぁ、ネットの掲示板に書かれているのはただの噂だったり、作り話だったりするから」
伊織のことが気の毒に思えた朱音がフォローを入れた。暁人は何か言いたげだったが、彼もまた伊織のことが可哀想に思えて口をつぐんだ。
「いやぁ、場所を特定できたってことは、あながち嘘とも言いきれないんじゃないか?」
力弥が更に厭らしい顔つきで言うと、戻りかけていた伊織の顔色が再び青く変色していった。
「力弥、そういうこと言わないの」
朱音が力弥を叱っている間、暁斗が伊織に声をかけた。
「まぁ、別にそのコンビニに行くわけじゃないから、大丈夫だよ」
暁人はフォローしているが、他にも情報を持っていた。
どうやらこの近辺では地元住民の行方不明事件が立て続けに起きているらしい。この怪談話が真実なのか、行方不明事件にかこつけて作られた空想なのかは分からないが、どちらにしても伊織を怖がらせる材料になるので、黙っておいた。
その後は、当日の集合場所と時間、持ち物や必要な旅費などの確認を行った。現地までの移動には利一の車で行くことになった。但し、力弥だけは自分のバイクで移動する。
なお、伊織は剣道部の練習があるため、初日の夕方に現地で集合することになった。初日は廃墟を見に行くことになっていたので、伊織的にはその方が都合が良かった。それ以外のメンバーは早朝、大学近くに集合する。
暁斗は旅行自体は楽しみにしていたが、怪物がいつもの街に現れることに不安を感じていた。旅行中に現れた場合、誰がどう対処するのか、気になっていた。
あとで力弥先輩に聞いてみようかな。
H駅までは力弥と朱音と暁斗の三人は一緒だったが、朱音は南口へ、残りの二人は北口へ向かうことになり、駅前の改札でそれぞれ別れた。
「力弥先輩、その旅行中のことなんですけど」
「おう、どうかしたか?」
朱音の姿が見えなくなったところで、暁斗は力弥に疑問に感じていることを聞いてみた。
「この町で怪物が出たらどうするんですか?」
「ああ、それな。一応、怪物が出てくる周期は大体掴んでいるから、大丈夫そうな日程で参加しているよ。あとは運だな」
「運、ですか」
「都合よく、前日とかに出てくれたら、二泊三日くらいなら気兼ねなく楽しめるけど、そうじゃない場合は、早めに帰ったり、初日は不参加にしたりするよ」
暁斗はそう言うことかと軽い気持ちで聞いていた。
「ただ、直前になるから、宿泊費の払い戻しはできないな。そこはどうしようもない」
「それは、辛いですね」
「まぁな」
その後、駅前広場で別れると、暁斗は不謹慎ながらも、前日あたりに怪物が出てきてくれて、力弥とも旅行を楽しめたらと考えた。
妙な浮遊感が、これは夢だと理解させた。
周囲は真っ暗だった。しかし、闇ばかりで何もないというわけではない。周囲にごつごつした岩があるのは分かった。それ以外は砂だらけで、歩くと足を取られる感覚がした。
暁斗は自分の脚がどこかを目指していることは理解できたが、それがどこかは正確には分からないでいた。
ひたすらに暗く、淀んだ空間を歩き続けていると、唐突に目の前に巨大な建造物が現れた。建造物だと分かったのは、一定の周期性や幾何学的な形状が見えたからだ。建物自体は見たことがないものばかりで、本当に人間が作ったものだろうかと訝しんだ。
歩いていると、階段状のものが目の前に立ち塞がった。階段と言っても、人のスケールでは大きすぎる。まるで巨人のための階段のようだった。暁斗はこのまま進むべきか迷って、周囲を見渡していると、後ろから誰かが近付いていることに気付いた。
それは手を振って、こちらを呼びかけているように見えた。しかし、声がくぐもっているような感じだった。そう、まるで、水の中にいるような感じだった。暁斗はいつでも逃げられるように、警戒しつつ近付いてくる人の方を見た。
それは力弥だった。
夢の中とはいえ、暗闇の中を歩き続けて不安だっただけに、近付いてくるのが力弥だと分かると安心した。
「暁斗か、知り合いに出会えてよかったよ」
暁斗は夢にしては妙にリアルな反応に驚いた。
「ぼくも同感です。ちなみに、これって夢ですよね」
「ああ、そうだと思う」
互いの反応を受けて、しばし二人は固まった。自分の夢の中で、夢だと言って、相手もそれを認知している。どういう状況だと二人は同時に思い至って、頭を悩ませた。
「つまり、この暁斗は俺の夢の中の暁人で、本当の暁斗じゃない・・・はずだよな」
「あの、それはぼくのセリフなんですけど・・・」
再び、二人は無言になり、状況を整理し始めた。そして、まさかと思うことを口に出した。
「俺と暁人の夢が繋がってるってことか」
「そんなこと・・・ありますかね」
暁斗は疑わしい目をしていたが、力弥には心当たりがあった。かつて、勇輝が精神汚染され、怪物に彼の精神が食われそうになった時、夢を通じて彼を助けたことがあった。
「いや、あったな、そういうこと」
「ほんとですか・・・」
暁斗は何でもありだなと思いつつ、何かすべきだろうかと思っていると、力弥が「まぁ、先に進んでみるか」と何でもないように言った。そして、巨大な階段のようなものの前に歩を進めた。
「登ってみるか」
「ええ、行くんですかー」
「何か、体が少し軽いし、行けるだろ」
そう言って力弥が軽々と一段目をよじ登っていく。運動が得意な方ではない上に身長も高いとはお世辞にも言えない暁人は、四苦八苦しながら登った、時折、見かねた力弥が手を貸しながら。
そうして最上段まで登りきると、下は暗闇に没して見えなくなっていた。夢の中だからだろうか、ここまでの高さまで登っても息を切らすことはなかった。
登り切った場所は広場になっていて、その先にはさらに建物が見えた。
ただ、それ以上に暁斗と力弥の目を引いたのは、そこには無数の人影があったことだ。辺りが薄暗いせいで、ぼんやりとはしているが、間違いなく人がいる。
「この人たちも、同じように夢で繋がったんでしょうか」
「分かんねぇな」
二人は慎重に歩き始めた。周囲の人たちは正面の建物を茫然と見つめながら、じっと立ち尽くしていた。その光景はあまりに不気味で、近寄り難いものがあった。
暁斗たちはその建物の方に向かって歩いていると、一人の人が二人の前に立っていた。その人は二人に背を向け、建物を見つめているようだった。力弥がその人に話しかけようと手を伸ばした。
「あの、あそこに何があるんですか?」
すると、前にいた人がこっちを向いた。
「うわ」
「えっ」
二人が驚いたのも無理はない。それは一見して人のようだが、顔の造形が人というには歪だった。互いの目の位置が異様に離れ、鼻がなく、口が出っ張っていた。そして額が広く、その見た目は魚を連想させた。
それを見た直後、暁斗と力弥は互いの顔を見合せた。二人の顔には変化はなく、魚のようにはなっていなかった。それを確認して安心したのもつかの間、周囲の人々が一斉に暁人と力弥の方を見た。
暁斗と力弥を取り囲む全ての人々の顔が魚のようになっていた。その魚の顔にも個性はあり、目の大きさ、離れ具合、口の大きさや顔の輪郭などは、人のそれと同じく千差万別である。まるで、人間の顔が魚に変化したように思えた。
「これって、お前が話していたのと同じじゃないか」
力弥の言葉に暁人は同意した。暁斗も同じことを考えていた。
「はい。だけど、これはどういうことですか?」
昼間の話をもとに作られた夢なのか、それとも同じような人たちが実際にいるのか、この時の二人には確かめようもないことだった。
「とにかく、逃げるぞ」
「えっと、どっちへ」
「戻るぞ」
力弥がそう言って走り出すと、暁斗は「はい」と叫んで、力弥についていった。すると一斉に魚顔人間たちが二人に襲い掛かってきた。
「先輩、変身できないんですか?」
「ブレスレットがないんだ」
力弥がそう言って右手をかざした。そこにはいつもつけている武骨なブレスレットはなかった。
「あれがないと変身できないんだよ」
「そんなー」
「おまえこそ、印とかいうスマホはどうしたんだ?」
「今はないですー」
二人は怪物に対抗する手段がないため、ひたすら走るしかなかった。しかし、側面から魚顔人間たちが押し寄せてくると、とうとう二人は囲まれてしまった。魚顔人間たちは二人を取り囲んだまま、近付こうとせず、ただ様子を伺っていた。
「どうしましょう」
暁斗は力弥の服を掴んで、小さく震えていた。
「二人で同時にタックルして、道を作るぞ」
「ふええ、無理ですよ」
「無理でもやるんだよ」
力弥はどうにか突破しようと思っているが、力に全く自信のない暁人はもはやこれまでかと観念した。
その時、力弥たちが向かう先の方から強い光が放たれ、周囲を白一色に染め上げた。あまりの眩しさに二人は手で顔を覆った。すると、周囲からうめき声が聞こえ、魚顔人間たちが次々と光から逃れるように散り散りになった。
「今のうちだ」
「はい」
二人は光の指す方向へ走り出した。眩しくてよく見えないはずなのに、光の先にいる誰か人がいるのが分かった。見えたというよりも、それは分かったという感覚だった。そして、そこに一人の少女がいて、光はその少女から放たれていた。
そして、少女のすぐ近くまで来ると、その光が細長い生き物のように思えた。それも五感で得たものではなく、唐突にそう理解できたとしか言いようがなかった。細長く、所々に足があり、先端にはワニのような口が見えた。
「龍?」
暁斗がそう呟いた次の瞬間、暁斗は目覚めていた。そして、カーテンの隙間から洩れる光が顔に当たっていた。それが夢の中の光の正体なのか、それともまた別の何かなのか。
ただ、言えることは、暁斗は今見た夢をはっきりと覚えているということだった。




