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第四十話 怪談

 実際にあった話だけど、信じられない奴は信じなくていい。


 俺のバイト先の先輩のことなんだ。ちなみに、俺のバイト先はコンビニで、上の階がアパートになっている。コンビニは一階な。


 俺は入ってまだ一年くらいなんだけど、そこには俺より一年くらい前から入っている先輩が一人いる。他にも店長より歴が長い人とか、おばちゃんとかおじさんとかもいるけど、今日の話はその一年先輩の人の話だ。


 とりあえず、その人のことはAさんと呼んでおく。


 Aさんは別に何か特徴があるわけじゃない。ちなみに、男な。女だと期待した奴、すまん。


 Aさんとは割と仲良くて、お互いに夕方くらいに上がりになったときは、そのままAさんの家で飲むことがあった。Aさんの家はこのコンビニ上のアパートの一室だ。


 お疲れ様って言って、そのまま店で酒とつまみを買い込んだら、外の階段で上の階に行く。建物は四階建てで、Aさんの部屋は三階だ。


 Aさんは一人暮らしだけど、部屋の中は片付いていた。あんまりモノがないってのもあるけど、彼女さんがいて、時々来るからだ。この時の俺は羨ましいとか言って、彼女さんに女の子を紹介してほしいとか言っていた。


 次の日の大学が休みとかだと、俺はそのままAさんの家に泊めてもらうこともあった。そうそう、俺もAさんも大学生な。その日も土曜日だったから、Aさんの部屋に泊めてもらうつもりだった。


「今日も泊っていっていいですよね?」


 俺がそう聞くと、Aさんは言いにくそうに「まぁ、いいけど」って言った。俺は気になって、「彼女さん来るんですか?」って聞き返した。


「いや、そういうわけじゃないけどさ」


 Aさんはそう言うと、「実はさ」って言って、この部屋で最近あった出来事を話しはじめた。


「最近さ、夜に上の階から声がするんだよ、たまにだけど」


「え、夜ってことは、そういうことですか?」


「それならまだ良かったよ」


「なんなんすか?」


「引くなよ」


「もったいぶらないでくださいよ」


「深夜になると、上からお経みたいのが聞こえてくるんだよ」


「え、マジすか」


 Aさんは小さく頷いた。


「上は宗教系の何かがいるんですか?」


「多分。よくは分からないけどな」


「へー、今日の夜もそのお経? 呪文?みたいのは聞こえてくるんですか?」


 俺がお気楽モード全開で、天井を見ながらそう言った。酒が入っていて、あまりよく考えていなかったのもあった。


「いや、怖くないのかよ」


「え、あー、不気味そうですけどね」


 その時の俺は聞いたことがないので、その不気味さを実感できていなかった。


「それだけじゃないんだ」


 更にAさんは最近あったこのアパートでの出来事を語った。


「上のお経が五月蠅いってわけじゃないんだけど、気味が悪いからさ、苦情を言おうと上の階に行ってみたんだ。するとさ、なんか、こう、生臭いんだ」


「え」


「しかも、廊下が所々濡れていてさ。雨なんて降ってないのに。そん時は怖くて部屋に戻っちまった」


 流石にそれには俺もビビった。


「え、その、宗教と関係あるんですか?」


「分かんないけど、部屋からは不気味なお経みたいのが聞こえていた。だけど、それが俺の知っているお経とは違うんだ」


「俺も良く知らないですけど、ナムアミダブツとかいうのじゃないんすか?」


「いや違う。聞いたことないやつでさ。ここにいるとぶつぶつと声がする程度なんだけど、上に行くとはっきり聞こえるんだ」


「どんな感じなんですか?」


「なんか、いあいあ、とか、ふんぐるいとか言っていた気がする」


 どこかで聞いたか、文字で見たことがある気がするが思い出せない、とその時は思った。


「今日もいるんすかね?」


「分からない」


 俺とAさんは無意識に天井を見つめた。


 数秒間、天井を見た後、互いに顔を見合わせた。


「上に住んでる人、見たことないんですか?」


「ない。まぁ、その変なお経が聞こえるようになったのはつい最近だし、もしかしたらそのうちすれ違うかもしれないな」


「ここの下、うちのバイト先だし、バイト帰りに上の人とばったり会ったりして」


 俺は冗談半分に言ってみたが、Aさんは笑っていなかった。


「あー、寝ますか」


「本当に泊っていくのか?」


「まぁ、平気っすよ。それにAさんだって、俺がいた方がいいんじゃないですか?」


「それはそうだけど・・・」


 Aさんは歯切れ悪そうだが、俺を追い出したりしなかった。


 結局、その日はAさんの家に泊まったが、例の妙なお経は聞こえてこなかった。俺は明かりを消した後もお経が聞こえてこないか起きて待っていたが、最後には寝てしまい、気が付いたら朝だった。


 俺は帰るときに、気になって上の階に行ってみた。Aさんは止めたが、俺はどうしても気になった。


 階段に異変なかったが、四階に着いた途端、生臭い嫌なにおいがあたりに立ちこめていた。俺は思わず鼻を手で覆った。そして、廊下を見ると所々が濡れていた。特に、奥の一室の前が酷かった。


 何となく、匂いもそこから放たれているような気がした。俺は気分が悪くなり、前日飲みすぎて二日酔い気味であることも相まって、すぐに引き返した。


 そして、一階まで降りると、大人しく家に帰った。


 それからしばらくして、Aさんがバイト先に来なくなった。


 最初は体調不良で行けないという連絡があり、それを俺を含めた他のバイトで穴埋めしていたが、やがて、音信不通になった。


「君さ、A君の部屋に行ってみてくれる?」


「いや、ここの上なんすから、店長行ってくださいよ」


「いやぁ、君は何度も行ったことあるでしょ? 頼むよ」


 仕方なく、俺はバイト終わりにAさんの部屋に向かった。すると、ドアの前に女の人がいた。前に紹介してもらった、Aさんの彼女さんだ。


「あの、Aさんの彼女さんですよね」


「ああ、『俺』君。ねぇ、A君と連絡が取れないんだけど」


「いや、俺も連絡取れないからここに来たんす」


 俺がそう言うと、二人でAさんの部屋のドアを見つめた。何だか、四階で嗅いだ、あの生臭い匂いがする気がした。


「合鍵とか持ってないんすか?」


「あるけど」


 そう言って、彼女さんは鍵を取り出したけど、それを使うか迷っているようだった。


「俺が開けましょうか?」


 俺がそう言うと、彼女さんは黙って俺に鍵を渡した。俺はつば飲み込んで、覚悟を決めると、ドアを開けた。すると、部屋の中からは生臭い匂いが充満していて、俺と彼女さんは鼻と口を手で覆った。


 俺は吐きそうになりながらも、家の中を覗くと、玄関から廊下にかけてびしょぬれになっていることに気付いた。


「入りますか?」


 俺がそう聞くと、彼女さんは頷いたので、俺は靴を脱いで、濡れたところをさけるように家の中に入った。一通り家の中を見たけど、Aさんはいなかった。


「いないっすね」


 俺が彼女さんにそう言うと、彼女さんは天井を見つめていた。


「ねぇ、何か聞こえない?」


 そう言われて俺は耳を澄ませた。


「聞こえますね」


 確かに上から声が聞こえるが、何て言っているか分からない。それは声が小さいから分からないのか、そもそも言っている言葉が理解できないのか、分からなかった。


 ただ、心なしか、上から聞こえてくる声がAさんの声に思えた。


「Aさんの声が聞こえませんか?」


「う、うん」


「上に行ってみますか?」


 彼女さんが頷いたので、俺と彼女さんは上の階に行ってみることにした。


 四階もまた生臭い匂いが漂っていた。そして、廊下も所々濡れていて、靴を履いていてもその上を歩くのが何だか気持ち悪かった。濡れたところを踏むたびに、べちゃという音がして、何だかベトベトとしていた。


 廊下の奥、Aさんの部屋の真上にあたる。その部屋の前は水浸しになっていて、匂いも強かった。


「開いてる」


 彼女さんが言うように、ドアには隙間が開いていて、完全に閉まっていなかった。そして、そこからは下の階から聞こえてきた声が漏れていた。


「これって」


「A君の声」


 何人もの声が聞こえたが、その中にAさんの声が混じっていた。彼女さんが音を立てないように、そっとドアを開けた。そして、俺と二人で、部屋の中を覗き込んだ。


 覗いた先には顔があった。


「うわあああ」


 心臓が止まったかと思った。そして、中からドアが完全に開け放たれると、中から人が出てきた。部屋の中には何人もの人がいて、それが俺たちの方をじっと見つめていた。


「逃げましょう」


 俺はそう言って、彼女さんの腕を掴むと、無我夢中で廊下を走り出し、一階まで駆け下りた。そして、息を整えていると、彼女さんの方から口を開いた。


「ねぇ、あの部屋にいた人たち」


「はい」


「顔が、変じゃなかった?」


「その何て言うか、目が離れていて、ぎょろぎょろしていて」


「鼻がなくて、口が前に出ていて、その何て言うか・・・」


「魚、みたいでしたね」


 そして、それだけじゃなかった。俺たちはそのことに気付いたが、言わないようにした。


 そう、その魚みたいな顔の人間たちの中に、Aさんの面影のある人がいたことを。


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