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第三十七話 龍二

 太陽が昇り切らないうちが一番いい。


 普段は目ざわりな観光客でごった返す江の島だが、平日の早朝ともなれば地元の人間しかいない。龍二は人の少ない今のうちにお気に入りのポイントで釣り糸を垂らした。


 朝のひりついた空気を顔で受けながら、海に向かっていると気持ちが落ち着いていく。別にストレスがあるわけではない、むしろクラスメイトと馬鹿しかしてないのでストレスはないが、一日の初めにこれをやると今日を乗り切れる気がする。


 今日の海は凪いでいて、釣れそうな気配はない。とはいえ、釣れるかどうかはさほど重要ではない。釣りは海を眺めるための口実にすぎない。


 龍二は竿をたてかけて、背伸びをした。その際に上を向くと、橋の上を見慣れた顔が通り過ぎていくのが見えた。


「あれ、(なぎ)じゃん」


 それは同じクラスの女子生徒の天澤凪だった。ショートヘアでやや浅黒い肌、龍二同様に教室で座っているより、外を走り回っている方が多い同士だ。だからと言って特別仲が良いというわけでもないが。


 この時間に高校のクラスメイトを見かけたことがなかった龍二は凪に声をかけようとしたが、凪は足早に過ぎ去ってしまった。朝とは言え、太陽が地平線の彼方にあり、辺りは薄暗い。彼女が何の用事で江の島に向かおうとしているのか気になった。


 龍二は釣り道具をその場に置くと、凪の後をついていくことにした。


 シャッターが降り、ほとんど人がいない通りを抜け、坂を上り、江の島の中央へ向かって凪はずんずんと歩いていった。歩き続けるのを面倒に感じ始めた龍二は何度か彼女に声をかけようとしたが、凪がどこへ向かっているのかを突き止めるためだと思い、ぐっとこらえた。


 やがて、奥津宮(おくつみや)のあたりまで到着すると、辺りを見渡している。どうやら、ここの社殿が目的地なのだろうかと龍二が彼女の動向を探っていると、凪は奥津宮ではなく、近くの龍宮(わだつみのみや)の方へ向かった。


 社殿にお参りでもするかと思ったが、そうではなかった。凪は龍宮の前に立ち、辺りを警戒すると、その裏手に入っていった。


 ただの林しかないぞ。


 龍二は不思議に思いつつも、龍宮の社殿の前まで行き、社殿に身をひそめながら、そこから凪の向かった方を見た。


 木々で所々隠されているものの、彼女が林の中にいるのが見えた。ただ、龍二に対して背中を向けているので、何をしているのかは分からない。彼の目にはただ彼女が佇んでいるようにしか見えなかった。


 休日には観光客でにぎわうこの江の島も、奥津宮まで足を運ぶ人はそう多くはない。しかも、今は太陽がようやく顔を出し始めた早朝だ。不気味なほどに静まり返っている。しかも、朝特有の澄み切ったひんやりした空気が益々周囲の静けさを強調しているように思えた。


 龍二は凪に変化が見られないので、しびれを切らして彼女に話しかけようとした。


 その時、彼女の体が僅かに発光し始めた。


 龍二は朝日が昇り始めたのかと思ったが、明らかに光源は彼女自身だった。龍二はその幻想的な光景に見惚れ、もっとよく見たいと思い、足を踏み出してしまった。


『パキッ』


 その時、木の枝を踏むというありがちなミスをやらかしてしまった。龍二は心の中で「やべっ」と呟くも、時すでに遅し、凪がこっちを向いていた。


 龍二は笑って誤魔化そうとしたが、初め驚いていた凪の顔が真剣なものに変わり、こちらに向かって歩いてきた。


「今の、見た?」


 詰め寄る彼女の目を見ることができず、龍二は視線を逸らした。


「何が?」


「今の私」


「えっと・・・」


「どうなの?」


 これは誤魔化しきれないと観念した龍二は白状することにした。


「はい。見てました」


「どこから?」


「最初から」


 それを聞いて凪はため息をつくと、「分かった」と呆れたような声で言い放った。


「このことは誰にも言わないでよ」


「う、うん」


 龍二がそう返事をすると、凪は林から出てきて、そのまま何事もなかったように来た道を戻りだした。そんな彼女をマヌケ面をさらしながら龍二は眺めていた。


「何してんの? 帰ろうよ」


「ああ、うん」


 目を疑うような光景を目の当たりにしたはずだが、凪が普段通りにしているので龍二は面食らってしまった。そして、自分が見た光景が幻ではないかと確認するように凪に声をかけた。


「なぁ、あそこで何してたの?」


「別に」


 凪はそう言って答えようとせず、唇を尖らせていた。


「いや、何か、光ってなかった?」


 龍二がしつこく聞くも、凪は表情を一切変えなかった。


「そんなことより、龍二は何でここにいたの?」


 光っていたのをそんなことと一蹴して良いのかと龍二は思ったが、答えにくいのかと思い、仕方なく彼女の問いに答えることにした。


「いや、釣りしてたら、お前が見えたから」


「どこにいたの?」


「橋の下」


「うわ、そこからずっとついてきてたの? マジストーカーじゃん」


「うるせ」


 中学からの腐れ縁の遠慮のない会話、だけど特別に親密というわけではない二人は、坂を下り、龍二のフィッシングポイントで後腐れなく分かれた。


「じゃあ、また学校で」


「うん。じゃあねー」

連載を再開しました.



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