第三十五話 忘れ得ぬもの
力弥は講義が終わるや否や、教室を出た。今日こそは暁人を問い詰めようと考えたからだ。今日は新歓コンパがある。流石に部室に来ていると考え、講義のあった演習室から駆け足で部室棟に向かった。階段を駆け上り、部室のドアを乱暴に開けた。
「暁人はいるか」
力弥が中を見回すと、朱音しかいなかった。朱音は突然入ってきた力弥に驚いているようだった。
「ど、どうしたの? 力弥」
「暁人は?」
力弥は息を切らせながら朱音に同じことを尋ねた。声に怒気も含まれていた。
「暁人君ならH駅で友達と会うからって言って、さっき出て行ったけど。新歓には間に合わせるって」
朱音は力弥の雰囲気に押されながらも、暁人の言ったことをかいつまんで説明した。
「そうか」
そう言って、力弥は振り返って部屋から出ようとした。すると朱音は立ち上がり、彼の服の裾を掴んだ。
「待って」
力弥は立ち止まり、振り返ることなく「悪いけど、離してくれないか」と言った。
「どうしたの、最近の力弥はほんとおかしいよ。暁人君と何かあったの?」
「朱音には関係ないことだ」
力弥は突き放すように朱音に言うも、朱音は怯むことなく反論した。
「関係ないって何? 暁人君も力弥も同じ部員でしょ。関係ないってことはないでしょ」
「悪いが、急いでいるんだ」
力弥はそう言って部室を出ようとするが、朱音は引き下がらない。
「ねぇ、力弥がずっと私に秘密にしていることがあるのに気付いているよ。それでも、それは何か理由があるからだって思ってた」
朱音は手に力を込め、さらに言葉を続けた。
「でも、今の力弥は、怖いよ」
力弥は何も言えなかった。この二年間、彼女を巻き込まないために黙っていた。ここでその決意を覆すわけにはいかない。
「ねぇ、何をしようとしているの、教えてよ」
その時の力弥には様々な記憶が一度に押し寄せ、それらが混然一体となって彼の頭の中をかき乱していた。そうした記憶の濁流の中で悲しい思い出だけが次々と力弥の網膜に映し出され、悲しみと絶望に力弥は押しつぶされそうになっていた。
一刀のもとに倒れ、血だまりの中で横たわる同級生。
自分の腕の中で光りと共に消えていく相棒。
どうしようもなかったと言い訳はできる。それでもきっと自分に全てを変える力があれば、きっとこんな結果にならなかったという自責が常に力弥の中にはあった。そうした彼の口から出てきた言葉は、優しくも悲しげだった。
「ごめん。それしか言えないんだ。もし、俺のことを信じてくれるなら、この手を離してくれ、頼む」
その消え入りそうな力弥の言葉と、ちらりと朱音を見る儚げな瞳に、かつての力弥の片鱗を朱音は感じ取ると、思わず手の力が緩んでしまった。
「いつか、全部話すから」
そう言うと、力弥は部屋を出て行った。朱音は走り去る彼の背中を見送ると、力なく部室の長椅子に腰を下ろした。すると、手洗いに行っていた姫乃が戻ってきた。
「・・・何かあったんですか」
姫乃は力弥が部室から出ていくのを見ていたが、そのことには触れずに元気のない朱音に声をかけた。
「ううん、何でもないよ。さっきの話の続きをしよう」
朱音は無理やり笑顔を作りながら、姫乃に返事をした。姫乃はそんな朱音を見て、いたたまれない気持ちになりつつも、朱音同様に平静を保つようにした。
力弥は後悔していた。どうして朱音にあんな言い方をしてしまったのか。もっと上手く誤魔化せたのではないか。どうして、今の自分は感情を上手くコントロールできないのか。自分のふがいなさに落胆し、電車のドアにもたれかかった。
勇輝が消えた直後は、自分の弱さに嘆き、こうして落ち込むことがあったが、そういったことも徐々になくなっていたはずだった。違和感があった。あの時とは違う。今は悲しさや嘆きよりも、怒りや憎しみが強い気がする。どうして、こんなことになっているのか。
やがて車内に目的の駅に到着するアナウンスが流れると、力弥は足に力を入れた。そして、ドアが開くと同時に電車から降り、改札を出た。暁斗がどこにいるのかは流石に分からない。しかし、怪物が現れればすぐに分かる。力弥はすぐに変身して駆けつけられるように比較的人通りの少ない南口の方に移動した。
力弥が南口の階段を降りきったところで、ブレスレットをしている腕が熱くなるのを感じた。それはH本オリオンの方角だった。H本オリオンは目と鼻の先だ。変身するまでもなく、力弥はそこへ向かって駆けだした。それほど人が多いわけでもないため、周囲に気兼ねすることなく力弥は全力疾走をした。
そして、大型ショッピングモールであるH本オリオンの入り口前に立つと、ブレスレットを握り、怪物の正確な位置を探ろうとした。どうやら立体駐車場の屋上から反応がある。そこで、商業エリアから階段を登って屋上を目指すことにした。力弥はオリオンには何度も来たことがあり、迷うことなく階段を見つけると駆けあがっていった。
力弥は自動ドアを抜けて、屋上駐車場に出ると、怪物たちの気配で溢れていることに気が付いた。辺りは暗く、明らかに怪物たちの手によって周囲に細工が施された形跡があった。そして、トカゲ男に囲まれていることに気が付いた。
力弥はブレスレットを眼前に掲げ、「変身」と唱えた。黒い光に力弥は包まれ、黒い肌に黒い甲殻に覆われた戦士に変身した。そして、襲い来るトカゲ男たちを次々に殴り飛ばしていった。
正面から剣を振りかぶってくるトカゲ男には前に踏み込んで、剣を下す前に正拳突きをくらわせた。右から襲い来るトカゲ男には正拳突きをした右腕から肘うちを喰らわせ、吹き飛ばした。更に左斜め前から来る敵には左手でアッパーカットを入れた。
三方向から同時に襲い掛かっても、今の力弥であれば難なくいなすことができてしまう。トカゲ男たちは剣を構えると、それならばと同じ方向から同時に剣を振り下ろした。もはや、破れかぶれといった雰囲気だった。
「馬鹿か」
そう言って力弥は右前腕から刃を出現させると、トカゲ男をたちを一閃のもとに叩き切った。トカゲ男たちは黒い塵となり、消えていった。周囲に怪物は見えないが、腕は熱く、怪物の気配はまだあった。力弥は怪物がいるであろう、屋上駐車場のさらに奥へ向かった。
暁人は力弥の姿をした怪物を前にして、緊張し、ごくりとつばを飲み込んだ。それでも、かつて自分に恐怖を植え付けた同級生たちでないなら、さして怖くもないなと思った。
「だが、頭は悪いようだ。人間でないと分かっていて、この場に来たのだからな」
偽力弥は声だけでなく表情まで変化し、人を馬鹿にしたような卑しい目つきで暁斗を笑った。しかし、相手が低俗な挑発をするほどに暁人の頭は冴えていった。
「はぁ、挑発しなくていいですよ。あなたは自分の手でぼくを攻撃する気はないですよね」
偽力弥の表情が一瞬強張るも、すぐに卑しい目つきで暁人を見た。
「どうしてそう思う?」
「あなたの目的は、力弥先輩に僕を殺させることです。つまり、力弥先輩がここに来るまで、あなたは僕に手を出すことはない。何なら痛めつけることすらしない。もし、ぼくが攻撃されて血を流すようなことがあれば、ぼくがシロだと力弥先輩が考えてしまうから」
暁斗が淡々と説明すると、偽力弥は面白くないと言わんばかりに顔をしかめた。そして、どう反論したものかと思案しているように見えた。
「図星をつかれて、反論に迷っているようですね。はっきり言って、あなたなんか怖くないですよ」
暁人は胸の奥にいた小さな勇気を振り絞って相手を挑発しようと考えた。ここで敵の攻撃を受け、自分がシロだと証明できれば力弥が目を覚ますかもしれない。自分は無事ではすまないだろうが、それで人を救えるなら安いものだと思った。
「どうせ、あなたたちは正攻法では力弥先輩に勝てないんですよね。だから、悪夢を見せて精神を犯そうとしたけど、それも効果がなかった。だから、姑息な手段を使って力弥先輩を貶めようとしている。そんなやつらなんか怖くもなんともないんですよ」
暁人の言葉に、力弥の姿をした怪物は怒髪天を衝くとばかりに、わなわなと震え、怖ろしい形相を暁人に向けた。そして次の瞬間、黒い顔のない怪物が暁人の目の前にそそり立った。
「どうやら死にたいようだな。ならばお望み通り殺してやろう。貴様が死んでも次の奴を用意するだけの話だ。そうだ、次はあの女を使おう」
そう言って巨大な爪を振り上げた。暁人は目をつむり、とっさに身構えたが、怪物の斬撃が暁人に振り下ろされることはなかった。
「ぎゃーーーー」
悲鳴が聞こえた。暁斗が目を開けると、見知らぬ男が血を流して倒れていた。そして、その男に誰かが駆け寄ろうとしているのが見えた。戦士の姿に変身した力弥だった。怪物を挑発するつもりだったが、タイミングよく力弥が間に合ってしまったようだった。
「た、助けて、怪物が」
男の姿になった怪物は悲鳴を上げながら、力弥にしがみつくと、暁人の方を指さした。そして暁人に向けて厭らしい笑みを浮かべていた。力弥は血を流している男を見て、わなわなと手を震わせていた。そして、暁人の方に顔を向けた。
変身し、髪から覗く顔は白い仮面のようなもので覆われており、表情は分からない。しかし、力弥から放たれる異様な雰囲気からは彼が怒りに包まれ、暁斗が倒すべき仇の一つだという威圧感を漂わせていた。そして、力弥はゆらりと立ち上がると、少しずつ暁人の方に向かって歩を進めた。
「暁人、お前がやったのか」
「違います。ぼくは何もしていません」
力弥の背後で男はもはや人とは言えないような異様な笑顔をして、暁斗をせせら笑っていた。
「だけどな。これで三度目なんだ。この人もお前を怪物だと言っている」
力弥は俯きながら一歩一歩ゆっくりと近付いてくる。その足取りは悲しみを抱く力ないもののように思えたが、やがて怒りをにじませる力強いものに変化していた。
「正直に言え、お前は、本当に人間なのか」
そう言って力弥は長い髪を振り乱しながら暁人の方を見た。両腕からは刃が現れ、彼の体からは黒い炎が湧き出し、怒りが炎の形を取ったように見えた。
「力弥先輩、信じてください」
「許さない。勇輝を殺したあいつらを俺は許さない。あいつらの仲間は俺が皆殺しにする」
力弥には確かに耳はあるが、そこには誰の声も届かない。
彼には目もあるが、その瞳は黒く淀み、あらゆるものが濁って確かな色が映らない。
力弥はのしのしと地面を踏みしめながら暁人に近付いていく。
男に変身した怪物から放たれているのか、力弥の体は黒い靄のようなものに覆われ、周囲の暗さと相まって、周囲は闇に没しているかのようだった。これにより彼の視界は益々色を失い、その目には都合よく形作られたものだけが映る。
暁人は震えていた。震えながらもヒバリから託された印を持ち、ヒバリから教えられたことを頭の中で思い出した。ヒバリから力弥のことを託されたのは間違いない。しかし、それ以上に暁斗には一つの想いがあった。
それは自身が変わりたいという想いだった。誰かに怯え、震え、愛想笑いをして誤魔化し、逃げ続ける日々から変わりたい。自分の想いを曲げず、力強く大地に立つ、そんな自分でありたいと願った。そして、黒く不気味な空気を纏った、巨躯の男を眼前に見据え、こめかみに力を入れた。
「先輩。ヒバリさんから、明星さんの、いえ、勇輝さんのことを聞きました」
力弥の足が止まる。力弥は何かをぶつぶつと呟きながら、それ以上足を進めるべきかを迷っているようだった。
「先輩は、勇輝さんの言葉を忘れているんじゃないですか」
「勇輝の言葉・・・」
力弥の声から、怒りや憎しみが抜け落ちようとしていた。そして、彼は忘れていたという事実を思い出した。
暗闇の中に輝く星。そう、星が見えていたはずなのに、今は見えない。力弥の前には漆黒の闇だけが広がり、彼はその闇の中に、自分の在り方も分からずに、ただ佇んでいる。
だけど、誰かの声が聞こえる。
闇の中に響くその声は何かを思い出させてくれる。
彼がその方に目を向けると、見たことのない新しい光が瞬いている。それはまるで北天の空に揺るがぬ思いをもって、迷えるものを導かんとする光。
その光には僅かな迷いも見えるものの、それでも心に決めた想いを貫かんと強く輝こうとする想いが込められていた。暗闇の中で方角を見失い、嘘と虚構で惑わす声から、歩むべき道を示さんとする星。
その星の瞬く先に誰かがいた。怒りと憎しみで心だけでなく、その身も壊れかけていた力弥の目を覚まさせようと譲れぬ意志を持って声を張り上げる青年の姿があった。
「勇輝さんは何のために戦っていいたんですか? 敵を憎み、それを殺すためですか?」
「それは・・・」
力弥は完全に立ち止まり、迷いに満ちた声を漏らした。
「確かに復讐は気持ちがいいものかもしれません。佐野君が倒れているのを見た時、スッとした気がします。でも、それは一瞬でした。それで何かが変わるわけではないんです。一瞬の快楽のために、人を傷つけるのは、何だか虚しいんです」
暁人は顔を上げ、闇を纏った力弥の顔を見つめた。
「ヒバリさんから聞きました。勇輝さんは、ただ、みんなを守りたい、手の届く人たちを救いたいと言っていたんじゃないですか?」
力弥は後ずさり、頭を押さえながら暁人の全身を見つめた。暁人の姿の先に、かつての相棒の影を見たような気がした。
「先輩は勇輝さんと約束をしたんじゃないんですか。明日を歩き続けて欲しいって、勇輝さんは先輩と一緒にいるんじゃないんですか」
その言葉を聞いて、力弥は全てを思い出そうとしていた。黒い感情が彼の忘れ得ぬものを覆い隠そうとしていた。しかし、それが暁人の言葉によって再び力弥の胸の中に取り戻しつつあった。
「先輩。自分の姿を見てください。先輩は、この姿を勇輝さんに見せられるんですか」
そう言って暁人はヒバリから託された印を力弥の前に掲げた。力弥は暁人の掲げるものを覗くと、そこには、黒い髪から不気味に目がのぞく、全身が黒い怪物だった。同時にそれが自分であることに力弥は気付いた。
「怪物は俺だったのか」
力弥はぼそりとそう言うと、力なく両手をだらりと下した。
「そうか、お前から感じていたやつらの気配の元凶は、俺か」
そう言うと力弥は項垂れた。
「気が付かないうちに、恨みや憎しみが俺を、俺を奴らとおなじにしていたのか」
力弥は右手の刃を構えた。
「違います。先輩、よく見てください。画面の奥にいる敵の姿を」
暁人の言う通り、力弥の背後には黒い顔のない怪物が画面に映っていた。
「すまない、暁人。お前を疑って。てめえの落とし前は、てめえで片付けるよ」
力弥は悲しみに満ちた声で詫びると、右手の刃を自分の顔に向けた。そして、右腕に力を込めた。
「待って、先輩!」
暁人は手を伸ばし、力弥を止めようとした。
「うおおおおおおおおおおお」
刃は貫いた。
そう、それは力弥のすぐ後方、彼の背中に憑りつき、力弥の心を絶望に陥れようとする無貌の異形を。
「可愛い後輩の前で、これ以上カッコ悪い所を見せるわけにはいかないんだよ」
急所は外れたものの、傷を負った無貌の怪物は一対の翼を広げ、力弥の体から不気味な鳴き声を伴いながら、離れていく。それと同時に力弥を覆う黒いものが消え、力弥は人の姿に戻った。そして、片膝をついて肩で息をした。
「はぁ、はぁ、随分と気味の悪い夢をずっと見せられていたみたいだな」
暁斗が駆け寄ると、力弥はそれを制するように手を出した。そして、体の苦痛を嚙み潰し、脂汗を流しながら立ち上がると暁人に笑顔を返した。それは突き抜ける青空に輝く太陽のような笑顔だった。
そして、怪物の方に視線を向けると、その無貌の異形を睨み返した。
「お前か、俺らをはめようとしていたのは」
「ふん、貴様への精神汚染が進まんのでな、お前がその小僧と会ったときに利用してやろうとおもったのよ」
「はっ、喋れる怪物がいるなんて、驚きだな。ていうか、お前の口はどこにあんだよ」
力弥は徐々に調子を取り戻し、軽口を叩いては怪物を挑発した。
「さて、暁人の分まで、しっかりお礼をさせてやるよ」
力弥はそう言うと、暁人の方を見て、優しい声音で彼に話しかけた。
「暁人、見ていてくれ。これから見せるのが、俺の本当の力だ。そんで、こいつを片付けたら、新歓コンパに行くぞ!」
力弥が拳を握って、周囲の闇を飛散させるように力強く叫んだ。
「はい!」




