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第三十四話 罠

木曜日。


 午前の授業を終え、伊織と暁人は昼食を買いに売店に向かった。その途中、伊織は昨日と比べてさらに暁斗が元気を取り戻していることに安堵するも、むしろ元気が空回りしているようにも感じた。それをどう伝えたものかと思案しつつ、弁当とパンを選んでいた。


「伊織君、それ全部食べるの?」


 暁人に指摘されて、伊織は手元を確認した。弁当を三つ、パンを五個取っていた。伊織は恥ずかしさを押し殺しつつ、黙って弁当を二つ、パンを三個戻した。そして、会計を済ませて部室に向かおうとする暁斗を呼び止めた。


「暁人」


「何?」


「今日は天気がいい」


 伊織にそう言われて暁人は空を見上げた。確かに今日は白い雲は所々に見られるものの、太陽を遮るものはなく天気は良い。寒くもなく暑くもない温度も湿度もちょうどよく過ごしやすい気候だ。


「そうだね」


「外で喰おう」


 そこまで言われて暁人は伊織の意図が理解できた。


「そうだね。教室棟の奥側に芝生が敷き詰められた場所があったよね。あそこに行ってみようか」


 暁斗の提案に伊織は頷くと、二人は部室棟に行くのをやめて、教室等に囲まれた広場を横切り、芝生に覆われた丘のような場所に来た。既に何人かの学生らの姿が見え、暁人らのように食事をしている者や、走り回っている者、中には寝転がっている学生までいた。


 伊織と暁人も彼らに倣って、適当な場所に座り込んだ。レジャーシートなど持ち歩いているわけもなく、そのまま直に座った。相変わらず伊織は黙々と食事をしているが、暁人は授業のことや最近見たインターネットに配信されている動画の話などをした。


 食事を済ませ、紙パックのイチゴミルクを飲みながら暁人はトーンを落として伊織に声をかけた。


「一昨日のことで、気を使ってくれたんだよね」


「ダメだったか」


 伊織が心配そうに暁人を見ながら聞いた。


「ううん。そんなことないよ。それに二人の方が話しやすいこともあるしね」


 そう言うと暁人は芝生の上で走り回る学生らの方を見ながら話し始めた。


「月曜日に怪我をしていた人、あれ、ぼくの知っている人なんだ」


 伊織は暁人の話すことを黙って聞いていた。とはいえ、寡黙な伊織にとってはいつもと何ら変わりないが、内心では真剣であった。


「実は、ぼくは高校でクラスからいじめられていて、彼はその中心グループの一人なんだ」


すると暁人は作り笑いをしながら伊織の方を見た。


「いじめってことばが良くないよね。実際にぼくがやられたことって犯罪だからね。体育倉庫に閉じ込められたり、人気のない場所で殴られたり、蹴られたり、お金も取られたし、ノートや教科書を破られたし」


 暁人の声は徐々に力を失っていくのが分かった。伊織はこのまま話をさせて良いか迷った。


「ほとんどのクラスメイトが参加して、それ以外は関わること自体を避けていた。先生も見て見ぬふりをしてた。味方はいなかったよ。ぼくもさ、よく自殺したりしなかったなって思うし、今、こうして大学に進学できてよかったって思ってるよ」


「そうか」


 伊織はどうにかそれだけ言うことができた。暁人は淡々と話しているが、きっと辛い日々であったと予想できるが、彼が受けた体や心に受けた傷がどれほどのものかは分からなかった。いや、分かろうとすると心が壊れそうな感覚がした。


「ぼくはさ、そんな地元を離れてこっちに来て、一からやり直そうって思ったんだ。そしたら、いじめてた人が目の前に現れたんだ」


 暁人は再び視線を遠くに移し、ため息をつくように息を吐いた。


「もうさ、目の前が真っ暗になった気がしたよ。でも、伊織君や先輩たちと会えて、大丈夫なんじゃないかと思ったんだ。そうして安心した時に、呼び出されたんだ、あの人たちの一人に。それがこの間、怪我をした人だった」


 伊織は暁斗を見つめた。あの怪我は暁人がやったのかと疑う気持ちが僅かに湧いた。


「怪我をさせたのはぼくじゃないよ。それは信じて」


 暁人は伊織の方を見ながら弁解した。そして言葉を続けた。


「でさ、彼が怪我をして倒れた時、自分がやられたことを思い出したんだ。ぼくを転ばせて、何度もお腹に蹴りを入れて、やめてって言ってもやめてくれなくて。彼らはぼくをへらへらしながら見下ろしていたんだ」


 伊織は聞くに堪えず、顔をしかめた。


「立場が逆転してた。彼は倒れて、ぼくは見下ろしていた。その時、一瞬だけ、いい気味だって思ったんだ」


 伊織は暁人の方をじっと見つめた。暁人は感情を込めず、淡々と話していた。


「だけど、次の瞬間、このままでいいはずがないって思ってた。例え、彼が許せない人だとしても、怪我をして苦しんでいる人を見捨てるなんてできない。ぼくにしたことと、彼が怪我をしていることは別問題だから」


 そう言うと暁人は真剣な目で伊織を見つめた。


「だからさ、助けたいって思ったんだよ。それと同時に、ぼくは彼らに復讐したいとは思えなかった。彼らを許したつもりはないけど、でもさ、だからって暴力や脅しで仕返しをしようとしちゃいけないんだ」


 伊織は暁人の決意にも似たその言葉にどこか感動していた。自分と比べたら小さな彼からどうしてそんな強い決意が出てくるのか。暁斗が受けた心の傷はきっと大きい。それでも、傷ついた相手を助けたいと願うその気持ち、彼のそんな『善性』を尊く思えた。


「すごいな、暁人は」


 伊織の言葉は爽やかな風のように暁人の胸に届いた。それがあまりの不意打ちだったのか、暁人は思わず赤面してしまった。


「そこまでのことじゃないよ」


 そう言って暁人はまた少し遠くを見ながら「へへ」と言って笑った。


「でも、力弥先輩は違うみたいんだ。何かに怒ったり、恨んだりしている。その矛先がぼくに向かっている」


 伊織は緊張した。一昨日の力弥の異常な表情、圧倒される雰囲気を思い出すと、今でも寒気がする。


「きっと、何かに心を侵されて、先輩が持っている太陽のような心が変わってしまったと思うんだ」


 伊織には暁斗の言っている全てを理解できなかった。だけど、彼は何か重大なことを知っている、それだけは伝わった。


「だからさ、力弥先輩とまた話ができたらなって思っているんだ」


「そうか」


 伊織の内面は暁斗を支持したい気持ちと、力弥に何かされないかという心配が混在し、とっさにそれしか言えなかった。言葉にはできないが、彼の傍にいて、力弥が何かしようとしても自分が助ければ良いと思った。


「部室に行くか」


 伊織がそう聞くと暁人は頷いた。


「うん。授業が終わったら行くつもりだよ」


「分かった」


 伊織は口にはしないが、伊織が自分を気遣っていることに暁人は何となく感じていた。頼まなくても彼は一緒に来てくれるような、そんな気がしていて、心強さで思わず笑顔になっていた。



 暁人は講義中、ヒバリから託された印を見ながら、これをどうやって使おうかと考えていた。今朝から、気付かれないように色んな人にこれを向けているが、怪物の姿は見えない。怪物の姿が見えたら、それはそれで怖いが、このスマホが本当に特別な力があるかは確認できていない。


 これで力弥に対して使って意味がなかったら、どうしようと悩んでいた。教壇で教授が話しているのを聞いてはいるが、頭には残らず、右から左に聞き流していた。ともあれ、この講義で今日は最後だ。終わり次第、部室に向かい、力弥に対して使ってみようと思った。


 講義が終わり、暁人と伊織は教室を出て、校舎を出ると部室棟に向かおうとそちらに足を向けた。すると、校舎の端の喫煙スペースに力弥がいるのが見えた。暁人は伊織に少し待つよう伝えると、印を取り出した。


 まずはこれで力弥の姿を見てみることにした。力弥に怪物が憑りついているなら、この画面に映ると考えたからだ。暁人は力弥に気付かれないように離れた場所から、印を通して彼の姿を確認した。


「あれ、別に何もいないな」


 画面には力弥と、その周囲にいる他の喫煙者が写っているだけだった。人とは異なる異形の形を成したものは見えない。これに本当に怪物を見つける力があるのか、暁人は訝しがるように印を見つめた。


「おい」


 暁斗がスマホを見つめていると、伊織が声をかけてきた。そして顔を上げると、力弥がこちらに近付いてきているのが見えた。一昨日ほどではないが、力弥は凄みのある表情でこちらを見ていた。


「ちょっといいか」


 力弥が暁人に声をかけてきた。すると伊織が暁人と力弥の間に割って入り、力弥に牽制した。


「お前じゃない。そこをどけ」


 力弥が伊織にそう言うが、伊織は黙ったまま、動こうとしない。暁人は伊織に守られてばかりではいけないと思い、イチかバチかでスマホを力弥に見せてみることにした。これを見せなければどちらにせよ解決しないのだから。


「あの、力弥先輩、これを見てもらえますか」


 暁斗がそう言って、印の画面を力弥に見せた。しかし、力弥は怪訝な顔をするだけで、何の変化もなかった。


「これがどうした?」


 力弥がそう言うと、伊織も画面を見た。彼も特に何も変なことはないといった風だ。暁人はどうして効果がないんだと混乱した。そして、一歩下がり、一度仕切り直そうと考えた。


「あの、すみません。何でもないです」


 そう言って、暁人はその場を離れた。伊織はそんな彼の後をついて行きつつ、力弥についてくるなと言わんばかりに睨んだ。周囲の目もあり、力弥もそれ以上は暁人に話しかけようとはせず、そのままどこかへ歩いていった。


 暁人は混乱していた。冷静に考えることができず、ただ闇雲に歩いていた。そうして歩いている間、これで効果がなかったらどうしたらいいのか、やり方を間違えたのか、もうダメなのかと、段々と悪いことばかりが頭の中を渦巻いていた。


 その時、何かにグッと肩を掴まれ、歩みを止めた。暁人は力弥に追いつかれたのかと思って怯えたが、それは伊織だった。伊織は心配そうな眼差しで暁人を見ると、やさしく「落ち着け」と言ってくれた。


「うん、ありがとう」


 暁斗がそう答えると、たまたま傍にあったベンチに座るよう、伊織は言ってくれた。そして、深呼吸をすると、暁人は冷静に考えるように自分に言い聞かせた。何も映っていないということは怪物は今はいない。しかし、月曜日や火曜日には確実にいた。つまり、相手が仕掛けてきたタイミングに狙うしかない。


「大丈夫か」


「うん。落ち着いたよ」


「そのスマホがなんかあるのか」


 伊織は暁斗が持っている印を見て、聞いてきた。暁人は彼に全てを語るわけにはいかないと思い、誤魔化すことにした。


「あー、おまじないというか、そんな感じのアプリを使ってみたんだよ。ダメだったけどね」


「そうか」


 伊織は腑に落ちないといった顔をしていたが、それ以上は聞いてくることはなかった。伊織は寡黙だが、必要なことは言ってくる。きっと、暁人自身が言い出すまで、聞いてこないつもりなのだろう。暁人は彼の気遣いに報いるためにも、どうにかして自身の力で力弥をを救おうと考えた。


「今日は帰るね」


 そう言って暁人は立ち上がると、伊織も頷いて、彼に続いた。そして、暁人は歩きながら伊織に声をかけた。


「明日の新歓コンパ、行くでしょ」


「あ、ああ」


 伊織は歯切れ悪く答えたが、参加を表明しているのは事実だった。


「ぼくも行くよ。だからさ、その前には力弥先輩と仲直りしないとね」


 暁人は無理やり笑顔を作りながらそう言った。そして前を向いて歩いた。敵は火曜日以来、手を出してきていない。多分、力弥自身が動くのを待っていたが、力弥が積極的に動かなかった。多分、そろそろしびれを切らして何かアクションを起こすだろう。今日来なければ、明日何かしら動くはずだと暁人は予想した。


敵が動き出したときがチャンスだと暁人は考え、敵に襲われることを怖れる気持ちがある一方で、力弥を救える可能性を糧に自分を鼓舞しようと決意した。




金曜日。


 昨日は特に動きはなかった。来るなら、今日だろう。暁人はそう思い、スマホを常に見える位置に置いて一日を過ごした。敵の動きが読めないが、力弥がすぐに行動を行さないと踏んでいた暁人は、今日は昼休みも部室で過ごした。しかし、力弥は授業が終わった今に至るまで姿を見せなかった。


 暁人は今日の講義を終え、伊織と共に部室に来ると、朱音と姫乃がいた。そして、それとなく力弥の所在を聞いた。


「確か、金曜日は午前も午後も演習って言ってたね」


 朱音がそう答えると、暁人は「そうですか」と答えた。正直、演習というものがどういうものかイメージできていないが、時間がかかるということは予想できた。


「でも、新歓コンパには間に合うと思うよ。力弥がどうかしたの?」


「あ、いえ、どこにいるのかなって思っただけです」


 暁人の受け答えに少し違和感を感じたのか、朱音は怪訝な表情を浮かべ、力弥とまた関係が悪化したのかと思い、それを口にした。


「どうかしたの? 力弥の奴がまた暁人君に変なこと言ったの?」


「いえ、そういうわけではないんですけど・・・」


 暁人は誤魔化そうとしたが、的確に的を得た聞き方をする朱音に対しうまく誤魔化せないでいた。その時、暁人のスマホが震えた。誰からかのメッセージの受信を告げるものだった。


「すみません。ちょっといいですか」


 暁人は朱音にそう断ってからスマホを見た。佐野や伊織の時と同じ、見知らぬアカウントからのメッセージだった。


『今から、H本オリオンの立体駐車場の屋上に来い。 力弥』


 暁人は力弥からではなく、怪物たちからのメッセージだと断定した。そして、力弥本人も来ることも確信していた。暁人はスマホをぐっと握ると、自分で何とかしようと決心し、朱音の方を見つめた。


「あの、友達から連絡が来たので先にH駅に行ってます。新歓コンパまでには用事が終わると思うので、お店で待っていてください」


 暁斗が一気に捲し立てるのをその場の人間は呆気にとられながら聞いていた。そして、暁人はバッグを担いで、部室から出ようとした。


「う、うん。行ってらっしゃい」


 朱音はそう言うのがやっとだった。そして、伊織は何か言おうと思い、咄嗟に「俺も行こうか」と言った。すると暁人は首を横に振った。


「友達と会うだけだから、平気だよ。後でねー」


 暁人は明るくそう答えたが、この数日の出来事と関係あると伊織は感じ、部室を出ていく暁人を心配そうに見つめた。


 暁人はエレベーターが降りてくるのを待ちきれず、階段で一気に一階まで駆け下り、部室棟を出て正門を抜けると、駅へ急いだ。恐らくは何らかの手段を使って力弥も誘われてくると暁人は考え、力弥を待つ必要はないと判断した。


 H子行きの電車に乗り、H駅に向かった。H本オリオンとは駅の南口にあるショッピングモールのことで、暁斗も一度だけ行ったことがある。立体駐車場に行ったことはないが、出たとこ勝負だと考え、現地に着いてから考えることにした。


 H駅に到着すると、既に太陽は西の空に傾いていた。スマホを取り出し、時間を確認すると午後四時だった。新歓コンパは午後七時、三時間以内に事態を解決しないといけないなと思うと、自然と笑っていた。


 死ぬかもしれないのに、飲み会に参加する時間を気にするなんて変だろうかと思ったからだ。


 H本オリオンに入り、立体駐車場への行き方を確認した。そして、立体駐車場側のエレベーターを見つけて、屋上階のボタンを押した。他の客は途中の階で降りていき、屋上で降りたのは暁人だけだった。降りてみると、辺りは不気味なほどにシンとしていた。


 立体駐車場への行き方を調べている間、一階を見て回っていた印象としては客はそれなりに入っていた。大きな立体駐車場とはいえ、屋上に誰もいないなんてことはあるのだろうかと暁人は疑問を感じた。平日とはいえ、百台以上停まれそうな駐車場に、見た感じでは数台しか車は駐車していない。


 暁人は車が来ないかを気にしながら、駐車場内を見回しながら歩いた。そういえば少し薄暗い気がする。夕方とはいえ、屋外ならもっと明るくても良さそうだ。暁人は周囲の違和感から、敵が既に何か手を打っていると考え、印を片手に握りながらより注意を払うようにした。


 しばらく歩いていると車のない駐車場に誰かがいるのに気が付いた。いや、目を離したすきに唐突に現れたというのが正しい。暁人は敵に関する何かと考え、足を止めると印をかざした。すると、人間がいたはずの場所には黒い顔のない怪物がいた。


「やっぱり」


 暁人は印が本当に怪物を見つける効果があることに安心するとともに、奴を追い詰めようと決意した。そして、緊張しながらその誰かの元へ足を進めた。


 近付くにつれ、その人の姿が暁人の知っている人物であることが分かった。その人物は薄ら笑いを浮かべながら暁人の方を見つめている。暁斗がその人物の正面に立つと、その男性は暁人に声をかけた。


「よう、暁人」


 それは力弥だった。いや、その姿をした何かだ。


「あなたは力弥先輩ではないですよね」


 暁人は極めて冷静だった。


「カカカカカカカ、人間にしては勘が良いようだな」


 力弥の姿をした何かの声が突然変わり、耳障りな下卑た声で暁人に話しかけた。

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