第三十話 悪夢
この日は深夜に怪物の襲来があった。
しばらく怪物が現れていなかったため、そろそろ来るかと力弥は予想していたが、深夜の襲来は想定外だった。ベッドに入り、寝入ろうとしたタイミングで腕が熱くなった。
力弥は飛び起きると、自室の窓を開け、ベランダで変身をすると、そのまま怪物のいる方へ向かった。怪物はH駅の屋根の上にいた。その姿は真っ黒で翼をもった人のように見えた。
夜に闇に溶け込みそうな深淵の黒い怪物。僅かな星の光だけが、その怪物の存在を確認する術だった。あまりに黒かったため、顔が判然としなかった。あるいはそもそものっぺらぼうだったのかもしれない。
その怪物は力弥に気付くと襲い掛かってきたが、あまりにも弱かった。手応えがないにも程がある。ほとんど一瞬で決着はついた。敵は黒い塵となって、夜の闇に溶けていった。
「なんだ、弱すぎるだろ」
力弥は駅舎の屋根に降り立ち、駅前広場を見渡した。終電も終わっており、駅の出入り口にも人の気配はなく。被害者はいないと判断すると、力弥はすぐに自宅に戻った。
そしてベランダに降り立ち、変身を解くと、外の寒さが身に染みた。今は十二月の中頃だ。寒くて当然だった。力弥は震えながら部屋の中に入り、窓とカーテンを閉めるとベッドにもぐりこんだ。
「うー、さみー」
そう言って、力弥は目を閉じると、疲れているのかすぐに意識が遠のくと、眠りに落ちていった。
気が付くと、力弥は自分が外にいることに気が付いた。今しがたベッドに入ったはずなのに、外にいる。外にいるが、寒くない。更に、視界に違和感があった。眼鏡をかけていない。力弥は目のあたり手をあて、眼鏡をかけていないことを確かめた。
そこまでして、これが夢であることに気が付いた。明晰夢だろうか。周囲を不思議に思いながら見渡した。黒くて巨大な木々に囲まれ、自分は舗装された一本の道の上に立っている。辺りは薄暗く、道の先が良く見えない。
それでも、この道の先に行かないといけない、そんな気がして力弥は歩き始めた。高い木々に囲まれたこの道が神社の参道であることに気付くのにやや時間がかかった。すると、この先には拝殿があるのだろうか。そんなことを考えながら、力弥は暗い道を歩き続けていく。
やがて、砂利が敷き詰められた広場に出た。拝殿の近くにある広場だとすぐに気付いた。力弥は拝殿に続く道を逸れ、広場の方に足を進めた。何となく、その方に行かないといけない気がしたのだ。広場の真ん中には人がいた。それは力弥が良く知る人物だった。
「勇輝」
あの頃のままの彼がそこにいた。力弥は無意識のうちに駆けだしていた。彼の手を取り、今日まであったことを語りたい。胸の中に閉じ込めていた、誰にも語れない思いを吐き出したい。力弥の切実な思いは、彼の脚を動かす原動力になった。
それは、ここが夢の世界であっても叶うことはない。
突然、勇気と力弥の頭上を夜すらも覆いつくす漆黒の闇が訪れる。その闇からは言い知れぬ恐怖を感じさせた。力弥は焦燥に駆られ、できるだけ速く足を動かした。そして、あと少しで勇輝に手が届きそうだと思った次の瞬間、勇気の体は暗闇から伸びた無数の刃によって貫かれた。
そして、勇輝の体は刃に突き刺さったまま力なく項垂れ、モズの早贄のように、そこにただ死をさらすだけとなった。
力弥はその光景を見て、恐怖が全身を走り抜け、絶望が頭の中を占めていった。そして、それらの恐怖と絶望を体から外に吐き出さんと、叫び続けた。
「うわああああああああああ」
次の瞬間、力弥は目覚めていた。そして、勢い余って体を起こすと、辺りを見渡した。そこはベッドの上だった。既に窓の外は夜が明けようとして、東の空が朝焼けで僅かに朱色に染まろうとしていた。
「夢、か」
力弥は両手で頭を抱えると、そのままうずくまってしまった。そして、相棒を失った悲しみと絶望を抑え込もうとしたが、目からは涙が零れ落ちていた。どうして今更こんな夢を見るんだ、力弥はそう思いながら、今は耐えろと自分に言い聞かせた。
今日の授業が一通り終わると、朱音は部室に入ると、長椅子に腰掛け肩掛けバッグからノートパソコンを取り出した。学期末が近付きつつあり、講義の時間割を見つめながら、レポートとテストについてあれこれ考えていた。
「オペレーションズリーチ以外はどうにかなりそう」
そう呟くと、朱音が懸念している講義のテキストを取り出し、気になる箇所を読み直し、テストに備えようとしていた。すると、ガチャリとドアノブを回す音がして、朱音はそっちに視線を送った。力弥だ。
「おう、朱音か」
力弥はやや疲れたような顔をしていたが、朱音の顔を見るとほっとしたような表情を浮かべた。
「あ、力弥。お疲れー」
朱音が片手を上げながら力弥に声をかけると、力弥は軽く笑みを返しながら朱音の対面に腰掛けた。
「力弥、何か、疲れてる?」
「ああ、うん。あんまり夜寝れてなくて」
「不眠症か何か?」
「いや、そんなんじゃないよ。全く寝てないわけじゃないから」
力弥はそう言って笑ったが、いつもの笑顔と比べると、何だか弱々しかった。
「少し休んだら、みんなが来たら起こしてあげるから」
力弥は少し考えるそぶりを見せたが、朱音に頷いて見せた。
「ありがとう。じゃあ、少し寝るわ」
そう言って力弥は眼鏡を外して机の上に突っ伏すと、すぐに寝息を立てた。朱音はそんな力弥を優しい眼差しで見つめた。
「少し、瘦せたんじゃない」
誰に言うでもなく朱音はそう呟いた。ここ最近の力弥は少し様子がおかしかった。常に疲れているようにも見えたし、部室に彼一人でいるときは何かを思い悩むように手で頭を押さえているのを何度か見た。その度に、声をかけようとしたが、勇気が出なかった。
ただ、それ以前に力弥は大学に入ったころから、何か変わってしまったように感じている。それは高校時代と今の両方を見続けている朱音にしか気付かない微妙な変化だった。表面的には彼の明るさは変わらないように見えたが、何かを失った悲しみを庇うような、取り繕った笑顔に思えた。
彼の隣には誰か、彼にとって大切な誰かがいたようなそんな気がしてならない。互いの心を許し合った無二の友人同士が見せる屈託のない笑顔の情景が、朱音の頭には今もぼんやりと残っていた。
そう、そこにいた誰かが分からないが、笑顔で語り合う二人の姿をおぼろげだが覚えている。でも、力弥の隣にいた誰かが分からない。自分はいつもその二人を後ろから見ていたはずなのに。
その『空白』が入学以来ずっとあった。それが朱音が力弥に一歩踏み出せない理由なのだろうか。
この『空白』が力弥を変えてしまったのか、彼に何があったのか、教えて欲しいともどかしい気持ちを感じつつも、それが言えない自分に呆れていた。ただ、こうして彼が自分の前で安心して寝ているのを見ていると、このままの状態が続くのも悪くないのではないかと思わずにはいられなかった。
朱音はそんなことを考えながら、力弥の眼鏡を摘まんだ。そして、図書室で力弥を見かけた時のことを思い出した。眼鏡をかけた彼が物憂げな表情で本を眺めているのを見たら、見慣れているはずの力弥を正視できない自分に気が付いた。
「ズルいなぁ」
そう呟いて、西日に照らされている彼の寝姿をずっと見ていたい気になっていた。
この日は徹をはじめとする四年生の追い出しコンパ、通称追いコンが開かれていた。卒業式までには一週間ほど早いが、卒業式の日は徹の所属する研究室の追いコンがあるため、クラブの追いコンはそれよりも前に開催することとした。
怪奇現象研究部の追いコンはSキャンパスの最寄り駅近くの魚介料理が中心の大衆酒場で開催された。これはSキャンパスが活動の中心である部員の方が多かったための配慮である。
「かんぱーい」
徹と浩司、それと飲み会にしか顔を出さない鹿島大地の三人の卒業を祝って、追い出しコンパは開始した。座敷のテーブルの一つが怪奇現象研究部の席である。すると、徹は乾杯からの一気飲みでジョッキのビールを既に空けていた。
「すみませーん。生一つ」
徹は乾杯から十秒と待たずにおかわりをしていた。後輩らは徹がザルであることを知っていても、流石に二杯目が早すぎて呆れており、徹の隣に座っている浩司は「ペース早えよ」と突っ込んでいた。
「これ、飲み放題コースだよね」
徹は予約を取った朱音に確認をするように聞くも、「いや、そういう問題じゃねーよ」と浩司は再び突っ込んだ。
「飲み放題なのでいくら頼んでもらってもいいですけど、つぶれたりしないでくださいね。つぶれたら、お店の前に置いていきますからー」
朱音は笑顔でサラっと怖いことを言い放った。浩司は自分に言われているような気もして顔をひきつらせた。一方の徹は笑顔を崩さずニコニコしている。
「おお、怖っ。気を付けるよ」
徹はそう言いながら、二杯目のビールに手を付けた。自分がザルだという認識があっての余裕だろう。その後、コースの料理が次々と運ばれていくとその場は賑やかながら和やかな雰囲気となり、店自慢の魚料理に舌鼓を打ちながら、部員らは飲み会を楽しんだ。
こういう飲み会の場では誰よりも場を盛り上げようとする力弥が静かにしていることに朱音は気が付くと、少し心配になった。特別体調が悪いようでもなく、普通に人と会話をしているのだから、おかしいところはないが、彼を良く知る朱音にとっては心に引っかかる光景だった。
すると、力弥が立ち上がり、席から離れていく。そしてトイレではなく外に出て行こうとするのに気が付くと、朱音は力弥に声をかけた。
「力弥、どこ行くの?」
力弥は立ち止まると、答えにくそうに朱音から視線を逸らした。
「えっと、・・・タバコ」
「あれ、タバコ吸ってたっけ」
「うん、最近」
そう言って力弥は店の外に出て行ってしまった。別に喫煙者なんて大してめずらしくもない。うちの部員の男性は力弥以外は喫煙者だ。きっと、彼も彼らの影響を受けたんだろう。朱音はそう自分に言い聞かせたが、気が付かないうちに力弥が自分の知らない人間になっているような気がした。
そんな彼女を見かねて結花が朱音の右隣に座ると、朱音にグラスを持つように言った。そして、軽く乾杯をすると結花は自分のカルピスサワーを一口だけ飲んだ。
「心配になるよね、急にタバコを吸い始めたりすると。何かあったのかなって」
朱音は結花が自分を心配してくれていることに気付き、気丈に振る舞おうと背筋を伸ばした。
「はい。でも、あいつは何も言ってくれないんで、仕方ないですよ」
朱音はそう言い捨てると、シークワーサーサワーをグイっと飲んだ。そしてこの際だから結花に何でも言ってやろうと思った。
「結花さん、あのバカの愚痴を聞いてもらっていいですか」
「うん。いいよ」
結花はその言葉を待っていたと言わんばかりに朱音を見つめた。気が付くと、朱音の左隣には愛実も座っていた。そんな女子三人のやり取りを、対面の席で一人で他のメンバーの三倍のペースで飲んでいる徹が見ていた。そして、徹はすっと立ち上がると、隣の浩司に「タバコ」と言って席を離れて行った。
三月とはいえまだ外は寒い。力弥はタバコを咥えながらポケットに手を突っ込んで、暗い空を見上げた。彼女に心配をかけたくないのに、どうしても上手くいかない。自分の愚かさにほとほと呆れてしまう。そんなことを考えていると、店の引き戸が開いて、中から徹が出てきた。
「やぁ、一緒してもいいかな」
「うっす」
そう言って力弥は横にずれると、徹はタバコに火をつけ、ふうっと紫煙を吐き出した。しばらく二人は黙って口から吐き出される煙が夜空に雲散していく様を見つめていた。
「結局、俺がいる間に、例の現象の謎は解けなかったねぇ」
徹は視線だけ力弥の方を向けると、力弥は「そうっすね」と徹に視線を合わせずに答えた。
「そういえば、力弥君はまだ朱音君に色々と秘密にしているのかな」
徹の見透かしたような言い回しにも力弥は慣れてきていた。力弥は動揺の色を見せることなく「なんのことっすか」と誤魔化した。徹はそんな力弥の態度を見て肩をすくめると言葉を続けた。
「秘密にするのもしないのも、君の勝手だけど、君が彼女のことを大事に思っているなら話すべきだと思うけどなぁ」
そう言って徹は短くなったタバコを灰皿に落とし、二本目に火をつけた。力弥は答えず、黙って口から紫煙を吐き出した。
「君はさ、自分一人でこの謎を解明しようと思っているのかもしれないけど、それは無理だよ」
「一年の時に俺に言ったことと違いません?」
ここでようやく力弥は徹の方に視線を送った。反撃したつもりだが、徹はだから何だと言わんばかりの表情だった。
「違わないさ。何も君一人で解明できるなんて言ってないからね。俺が言いたいのは、君はキーパーソンなんじゃないかってことさ」
徹は力弥の方に顔を向け、彼の横顔を凝視して、更に話を続けた。
「君がその胸の中に抱えているもの、それを開放すれば、自ずと君の仲間たちが君の力になって、あの街の謎は解ける。俺はそう言いたかったんだよ」
そんなことできるわけがない、力弥はそう思ってタバコを掴む手に力が入ってしまい、フィルターを握り潰してしまった。
「そんなことできるわけないと言いたげだね」
徹がニヤニヤしながらそう言うと、力弥は彼を睨むように見つめた。
「おお、怖っ。でもね、君がどうして朱音君に言わないのか、俺なりに考えてみたんだ」
そう言うと、徹は視線を正面に戻し、中空を見つめると、紫煙を吐き出した。
「それで、どういうアプローチで考えても結論は一緒だった」
すると徹の目は急に鋭くなり、真剣な表情で力弥の方に向き直った。
「君はかなり危険なことに巻き込まれているね。そして、それはこの一連の出来事に深く関わっている。だから朱音君を巻き込みたくない、そう思っている」
力弥は目を見開き、徹の顔を見つめた。力弥は彼に見透かされている以上に、朱音への想いに苦しめられた。そして、力弥は左手を胸のあたりにあてると、心臓を抉り出すようにグッと握りしめた。
「君の気持は分かる。でもね、朱音君だってバカじゃない。危険があると分かればちゃんと対策するさ。一番危ないのは、何も話さないことだ。情報がなければ対策のしようがないからね」
徹はそれだけ言って二本目のタバコも灰皿に入れると、その場を去ろうと歩き出した。その際、去り際に力弥の肩に手を乗せた。
「彼女のことが大事なら、ちゃんと話しな。卒業する俺に言えるのは、それだけだよ」
「考えておきます」
力弥は軽く俯きながら返事をした。それを聞いた徹はニヤッと笑うと、店の中に入った。力弥は手に持ったタバコをしばらく見つめた後、それを灰皿に入れると、徹に続いて店の中に戻ろうと、引き戸に手をかけた。
言えるものなら言いたいさ。でも、もしも朱音が巻き込まれたら。
朱音が自分の秘密を知ったら、手伝いたいと言ってくるかもしれない。そして、一緒に行動するうちに彼女の身に何かあったら。
力弥の頭の中では彼女の身に起こる不運な結末が展開されていた。
やっぱり、言えない。
そう心の中で決意して店の中に入り、座敷席に近付くと、朱音の姿が目に入った。ほとんど同時に朱音もまた力弥が戻ってきたことに気付いた。そして二人が何か言いかけた瞬間、結花が力弥の方を指さして声を上げた。
「あー、力弥君、戻ってきたー。ちょっと、あなた、そこに座りなさい!」
「あ、はい」
力弥はつっかけを脱いで座敷に上がると、出来上がっている結花に言われるがまま、正座した。そうやって小さくなって結花に言われるがままになっている力弥を見て、朱音はくすりと笑った。力弥も朱音の笑顔を見て、安心したように笑った。
「ちょっと聞いているの、力弥君」
「はい。聞いてまーす」
結局、力弥は飲み放題のラストオーダーまで結花の説教に付き合わされた。




