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第二十八話 一年

 後期の終わりは期末テストもあると考え、十二月あたりに完成させればいいだろうという考えは甘かった。年末に向けて学位論文も追い込みに入りつつあり、研究室の忙しさは加速度的に増していった。とても猪川や先輩らに手伝ってもらえる雰囲気ではなかった。


 むしろ、力弥は彼らの実験の被験者になったり、作業を手伝ったりしていた。そのせいで力弥の温度計測装置の開発は進まなかったものの、大学の研究室がどういったものなのかというのは身をもって理解できた。


「ごめんね。燕谷君。二月の頭には卒論も修論も一段落するから」


 力弥は今日も四年生の開発したウェアラブルロボットの実験を手伝っていて、作業ができなかった。しかし、ここ最近は自分のことよりも先輩らの実験を手伝っている方が楽しいと感じていた。


「いえ、大丈夫っす。むしろ、実験を手伝うのも楽しいんで」


 既に夜の九時を回っているが、研究室内は大勢の学生がエナジードリンクを片手に論文執筆と、実験データの解析と、デバイスのデバッグに追われていた。


「そう言ってもらえると助かるよ」


 そんな猪川もここ最近は忙しいようで、顔に疲れの色を見せていた。力弥は内心、先生も大変だなと思った。


「それじゃ、失礼します。先輩らに実験の手伝い頼まれているんで、また来ます」


 力弥がそう言って、研究室から出ていくと、雑用も実験被験者も何でもやってくれる頼もしい後輩に学生らも声をかけ、手を振った。


 大学を出て、駅へ向かう途中、駅前商店街はすっかりクリスマスムード一色だった。今年はクリスマス会などはないが、クラブで忘年会は予定されている。研究室の忘年会にも呼ばれていて、出ても良いものか悩んでいた。あとは、学科の仲の良いメンバーとも計画を考えている。


 大学生の年末というのは色々と忙しいんだなと赤と緑に彩られた街を歩きながら力弥は少し笑った。一年前は、友人らとクリスマスパーティをやったことを思い出し、「あの日は大変だったなぁ」と誰に言うでもなく呟いた。


 今も戦いは続いている。


 負傷者が出ることはあるが、春にあった大きな事故は今のところない。少しずつ上手くやれている自分に力弥は自信をつけつつあった。それでも、相棒ならもっと上手くやっただろうと思い、慢心せずにいようと自分に言い聞かせていた。


 駅の改札を抜け、ホームで電車を待った。この時間に電車を待つ人は少ない。特に、学生の姿はほとんどない。息を吐くと白いものが舞っては、すぐに消えた。


「いつか、終わるのかな」


 この戦いに終わりはあるのか。自分の後に続く誰かが終わらせるのか。そんなことを考えていると、力弥は徹がいつか言っていた『首謀者』なる人物ははたしているのか。それをどうにかできれば、戦いは終わるのか。力弥がその考えに至る頃には、H子行きの電車がホームに入って来た。


 力弥は電車に乗り、反対側のドアの傍に寄り掛かり、外の景色を眺めた。夜に沈む街の所々に明かりが見える。今は暗くて何も見えないが、敵の手がかりを見つけて、自分がこの戦いを終わらせられれば、あるいは。その時、彼女の顔が頭にちらついた。


「終わらせられれば、あるいは」


 力弥は車窓の外の夜の街を見ながら、そうなったらいいなと他人事のように笑った。



 年明けは学期末のレポート、試験、研究室の手伝いと力弥は忙しさを極めた。二月に入ると、一つ、また一つとそれらが片付いていくと徐々にゆとりができて、温度分布計測器の製作も順調に進んだ。猪川や先輩らも手伝ってもらえるようになり、二月の下旬には完成した。


 それは帯状の分布型温度センサを輪にして手首に嵌めることで、手首一回りの温度分布を計測することができる。そして、いくつかの回路基板が機能ごとに分割してその上に載っている。多数のデータをまとめるマルチプレクサ回路、マイコン、データを保存するマイクロSDを差し込める回路、そしてバッテリーだ。それらの一つ一つは三センチ四方に収まっている。


 温度センサは黒い布で覆われ、回路も黒いケースに入れられて、遠目には黒いリストバンドにしか見えない。力弥はそれを腕につけてまじまじと見つめた。そして、顔がにやけるのを我慢できなかった。構想してからおおよそ十か月かけて完成した。


 このクオリティのものができたのも猪川らのおかげだと考え、足を向けて寝れないなと彼らへの感謝を強く感じた。今日は既に夜も遅いので、明日からこれを付けて過ごしてみようと力弥は考えた。不謹慎ではあるが、力弥はこれの性能を確かめるために怪物が出て欲しいと思ってしまった。


「何か、名前を付けようかな」


 力弥は腕に付けた装置をまじまじと見ながら呟いた。分布型温度計測装置では言いにくいので、温度計を意味するサーモメーターとリストバンドからサーモバンドと名づけることにした。


 次の日から、サーモバンドを付けて過ごすようにした。大学が休みに入り、怪奇現象研究部の活動やバイトもあるが、家にいる時間が増えた。サーモバンドの効果を検証するのに、その日は外出する必要もないが居ても立っても居られなくなり、力弥は夕方まで外出してみることにした。


 結局、この日は怪物は出ることはなかった。


 サーモバンドは一定以上の温度変化がある場合のみデータをSDカードに保存する仕様になっている。この温度についてはこれまでの試作機からおおよそ見積もっているが、これについても検討の余地はあると力弥は考えている。


 また、バッテリーも連続稼働は三時間が限界で、バッテリー残量が減ると赤いLEDが光るようにしており、LEDが光るとバッテリーを交換するようにしている。


 力弥は夕食をすませ、自室に引き上げるとサーモバンドのSDカードを引き抜き、保存されているデータを確認してみることにした。怪物が出ていないので、データは保存されていないはずだが、プログラムのバグで無駄にデータが保存される可能性もあり、一応調べることにしたのだ。


 SDカードにはCSV形式でデータが保存されており、それをパソコンに移して、データの中身を確認した。どうやら何かしらのデータが保存されている。閾値が低かったのだろうかと、保存するための条件に付いて検討する必要があるかと力弥は考えた。


 ひとまず、データをRと呼ばれるフリーの統計解析向けのソフトウェアを使ってグラフを表示してみた。まずは各温度センサの変化を折れ線グラフにしてみると、一定時間温度が増加していることが分かる。しかも、一つのセンサではなく複数のセンサが同様の変化をしており、バグやノイズであるとは考えにくいと力弥は判断した。


「怪物がいないのに、ブレスレットが何かに反応していたのか」


 それが何を意味するのか力弥には分からなかったが、これが『首謀者』に繋がるのではないかと考え、毎日データを取り続けようと考えた。


 その時、パソコンの日付が目に入ると、二月は終わり、明日から三月になることに気付いた。「もうすぐ一年経つのか」と力弥は呟きながら、本棚から一冊の本を取り出した。そして、その本に挿まれたプリント写真を見て、消えてしまった相棒のことを思った。


 写真の中には自分と藤鳥が笑っているのに、彼だけは仏頂面だった。


 そんな彼の顔を見て力弥は「笑えよな、まったく」と笑って見せたが、その声は震えていた。やがて目から一筋の涙が流れると、悲しみをこらえるようにそっと本を閉じた。



 その後、怪物の出現時のデータの検証から力弥が感じるよりも前にセンサに変化が起きていることが分かり、出現を事前に予測できると力弥は考えた。


 これは大きな進展で、大学にいる時に怪物が現れるとどうしても駆けつけるのが遅くなりがちだった。それが十分でも早く気付いて、変身すれば被害が出る前に到着できるようになるからだ。


 一方で、街を散策したり、バイトをしていると怪物がいないにも関わらずサーモバンドにデータが保存されていることがあった。この怪物がいない場合でも反応する現象についてはまだ謎があるものの、怪物出現時のデータとそうでないデータをもとに、怪物出現を知らせるアラートを新たに実装することにした。


 これについてはあらかじめ緑のLEDを実装済みで、これを光らせるつもりでいた。あとは多数ある温度センサからどのようにして判定させるかだ。


「そもそも、平常体温との温度差を使うから、バンド全体の温度勾配を変数にする。多少変数は減るけど、それでも変数が多いから、確か主成分分析ってのを使って縮退させればいいって先生が言ってたよな。これで変数を減らして、線形判別分析を使うって流れかな」


 力弥は猪川から教わったときのメモと、猪川から借りた統計解析の本を読みながらどんな計算式を使えば良いのかを調べた。こういう時は機械学習でサクッとできると思っていたが、そうもいかないらしい。


 というのも現在流行りの機械学習手法では膨大な学習データが必要であることが多く、実世界から自力でデータを取る場合にはデータを取るだけでも一苦労なのだとか。


「3Dプリンタもそうだけど、世の中でもてはやされているからと言って、何でもできるわけじゃないんだな」


 力弥は回路用カバーを作るために3Dプリンタも使わせてもらったが、安価な3Dプリンタは造形の失敗が多く小さなケース一つ作るのにも一苦労だった。どうやらステージの調整をうまくやれば成功確率は上がるらしい。


 四月になれば大学の講義が始まる。それまでにはこの怪物の出現予測アルゴリズムを完成させたいと考えた。ふと、四月になるということは自分は進級して二年生になるという意味を思い出した。


 進級に対する期待と不安を忘れるように、力弥はアルゴリズムの実装作業に専念した。

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