第二十七話 学祭
大学の長い夏休みが終わると、このキャンパスではすぐに学祭が始まる。
怪奇現象研究部はこの学祭で出店するのが毎年の恒例となっている。但し、部員数が少ないこのクラブでは幽霊部員を引っ張り出さないと出店条件を満たせない。というのも、出店するには六名以上のメンバーが必要なのだ。
一年生は力弥と朱音がおり、二年生は結花の他に高藤愛実がいる。そして、三年は徹の他にその幽霊部員である水沼浩司がいる。これで六名の条件をクリアできる。念のため、卒業論文のためにほとんど顔を出せない四年生の一人も名前を連ねておいた。
「徹さん、ちゃんと持ってきてくれたかな」
結花が心配そうに隣にいる愛実に聞いた。今日は学祭初日である。怪奇現象研究部では伝統的にバーベキューグリルでフランクフルトを焼いて出すことになっている。バーベキューグリルや炭などは部室に置いておいても大丈夫だが、生ものであるフランクフルトはそういうわけにはいかない。
事前に購入して、大学の近くに住んでいる徹の家の冷蔵庫に入れておいてもらうことになっている。つまり、肝心の徹が来ていないと売り物がないのだ。結花は徹が肝心のものを持ってきてくれるかを心配している。
「部室の鍵は徹さんが持ち出しているのだから、部室にいるはずですよ」
愛実は冷静にそう答えた。部室の鍵は部室棟の一階の守衛室で借りることになっており、既に徹が持ち出していることが分かっている。
「そうだけど、昨日の夜に浩司さんと飲みに行くって言ってたじゃん。そのまま酔いつぶれていなければいいけど」
「大丈夫ですよ、ほら」
そう言って愛実が部室のドアを開けると、そこには徹がいた。彼はタブレットパソコンを真剣な目で見つめていたが、二人に気付くとそっちを向いて、ニヤッと笑った。
「やぁ、おはよう」
「おはようございます。あの、フランクフルトは持ってきてくれてますか?」
結花がそう聞くと、徹は部屋の隅に視線を移した。
「あるよ。そこに」
「良かった。ありがとうございますー」
そう言って結花は床に置かれたクーラーボックスにしがみついた。そして、中を開けてフランクフルトが入っていることを確認すると、今日は乗り切れそうだと安心した。その間、愛実は徹の対面の長椅子に横たわっている人を見つめた。
「あの後、何時まで飲んでたんですか?」
愛実が徹の方を見ながら聞いた。徹はタブレットパソコンを閉じると、大きく伸びをした。
「朝の五時。そんでその後、それを持って大学まで来たってわけよ」
そして徹は大きなあくびをした。
「だから、とっても眠いので、俺は寝る、後は頼んだ。あ、これは部室の鍵ね」
そう言うと徹は机に突っ伏して寝てしまった。顔を伏せて寝息を立てるまでほぼ一瞬だった。世界早寝選手権があったら、上位入賞が狙えたのではないだろうか。そんな徹を見て結花は大きくため息をついた。一方で、愛実は冷静に徹を眺めていた。
「予想通りですよね」
「そうだけどさー」
結花は呆れながら立ち上がり、寝ているだけの先輩たちを見て、もう一度ため息をついた。徹の対面で寝ているのは浩司である。この人たちはもう駄目だ捨てて行こう、と結花は心に決めた。すると、結花の後ろでドアノブを回す音がした。
愛実と結花が振り向くと、ドアの向こうに朱音と力弥がいた。結花はこの真面目な後輩たちが愚かな先輩たちよりも何倍も心強く感じた。
「おはようございます」
朱音と力弥がそう言いながら部室に入ってくると、机で寝ている二人に気付いて一瞬たじろいだ。
「うわ、徹先輩と・・・ 浩司先輩っすか」
力弥が二人を指さしながら結花と愛実の方を見た。二人は黙って頷いた。結花の呆れ顔を見て力弥は苦笑いし、朱音は少し心配そうな顔をした。
「この二人のことは忘れましょう。さぁ、荷物を運びましょう」
こうして結花を中心に学祭の模擬店の準備が始まった。事前に作った飾り、売り物のフランクフルト、それを焼くためのバーベキューグリルなどを部室から持ち出す。唯一の男子である力弥は三人の女子の二倍は荷物を持っていた。
「力弥君、ごめんね。たくさん持たせちゃって」
「全然、余裕っすよ」
力弥が多めに荷物を持ってくれても、当初六人で持ち出すことを想定していたので、部室には持ち出せずに残された荷物があった。それは後で取りにいくことにした。
部室棟を出て、正門から続くメインストリートを越えて、校舎に囲まれた四角い広場に四人は向かった。四人と同じように模擬店の準備をする学生たちが次々と広場に向かっていく。
そんな彼らの間を緑のTシャツの学生たちが忙しそうに駆け回っている。彼らは学祭実行委員で、今日の日のために様々な準備をしてきた、ある意味ではこの学祭の主役とも言える。
「おはようございます! 今日はよろしくお願いします」
委員の学生らは出店準備をしている学生らを見つけると、元気に挨拶していた。そんな彼らを見て、結花は盛り上がってきたなぁと胸を高鳴らせていた。学祭と言えば、学生同士が良い雰囲気になったりするのではないかと結花は思いつくと、朱音と力弥の方をちらりと見た。
二人は少し元気がなさそうだった。そんな二人の間に流れる沈黙を破るように、力弥は空を見上げて「晴れてよかったな」と朱音に声をかけていた。朱音はというと無理に笑顔を作ったような顔で「うん」と答えた。
二人の間に何かあったのだろうかと結花は心配をしていると、四人は怪奇現象研究部の出店スペースのテントに辿り着いた。そして、めいめいに荷物を下すと、力弥は「残りの荷物取ってきますね」と言って、来た道を戻っていった。
「うん。ありがとうー」
結花が力弥の背中に向かってそう叫んだ。すると力弥は片手を振りながら、部室棟に向かっていった。結花は荷物を開けながら、朱音の方を見た。やはり少し元気がなさそうだ。
「朱音ちゃん、力弥君と喧嘩でもしたの?」
「え、え? してませんよ。どうしてですか?」
朱音が驚いた口調で答えた。どうやら、力弥と喧嘩して元気がないわけではないらしい。
「何か元気ないから、どうしたのかなって思って」
朱音は作業の手を止めると、その手を見ながら低いトーンで話し始めた。
「去年、高校の文化祭で事件があって、それを思い出しちゃいまして」
その時、朱音の目が悲しそうな色に変わり、僅かに目の端に涙の雫が見えた気がした。きっとそれは彼女の心に深い傷を残すような事件だったのだと結花は察すると、悪いことを聞いてしまったと反省し、朱音にぎゅっと抱きついた。
「ごめん! 辛いことなら思い出さなくていいよ」
朱音は急に結花に抱き着かれた驚いたが、そんな結花の優しさに触れて、ゆっくりと笑顔になった。
「こっちこそ、すみません。何か暗い気持ちにさせてしまって」
「ううん。今日は休む? あのダメ先輩たちを叩き起こせば私たちだけで何とかなるよ」
結花は朱音から体を離し、彼女の顔を正面から見つめた。すると、朱音は顔を横に振って、両手を握って気合を入れた。
「大丈夫です! むしろ、今日の学祭で嫌な気持ちを上書きするつもりで来たので」
「うん! そうしよ! そんで、力弥君との思い出を作ろう」
結花がそう言うと、隣にいた愛実もうんうんと頷いた。
「え、何で、力弥が出てくるんですか」
朱音が赤面して慌てている背後から、力弥が木炭の入った箱を抱えながら戻ってきた。
「お? 俺がどうかした?」
力弥は走って来たのかうっすら汗をかいていて、木炭の入った段ボールを地面に置くと、首にかけたタオルで汗を拭いた。そして、汗を拭いてズレた眼鏡を直した。
「そういえば、力弥君、眼鏡なんかかけてたっけ?」
結花がそう聞くと、力弥は気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「何か、検査したら視力落ちてたんすよね。で、眼鏡にしたんですけど、やっぱ変ですよね」
力弥がシルバーのアンダーリム眼鏡を触ると、結花の方を見ながら答えた。すると、力弥の後ろで朱音が顔を横に振っていた。結花はそんな朱音の心情を察して、彼女の代弁をしてあげようと考えた。
「ううん、そんなことないよ。似合ってると思うよ」
「あ、ありがとうございます」
急に褒められて力弥が少し照れていると、遠くで学祭実行委員が出店者に向けて何か呼びかけている。どうやら、配布物があるようで、一名ずつ来て欲しいとのことだった。
「あ、俺、取ってきますよ」
「それなら、私が」
朱音が戻って来たばかりの力弥を気遣って、自分が行こうとするが、「いいから、俺が行くよ」と力弥が笑いながら走って行った。彼も朱音が少し元気がないのを心配しているのだろう。
力弥が再び走り去ってしまうと、結花は朱音に諭すように、しかし半分意地悪い感じで声をかけた。
「朱音ちゃん、次からは自分の口で言いなよー」
「え、なんのことですか?」
結花は意味ありげに微笑を浮かべながら、荷解き作業を再開した。そんな彼女の横で、愛実は黙って親指を立てて結花と同じ気持ちであることを見せた。
朱音は恥ずかしさのあまりに何も言わずに、結花らの作業を手伝った。ただ、先輩たちの優しさに触れて、既に今日の学祭が楽しいものになると予感して、笑顔が漏れた。




