第二十六話 協力者
力弥は駅から大学までの道のりを歩きながら、温度測定器の今後の課題についてまとめていた。
まずは温度分布をどうやって測るか。サーモグラフィーカメラというものも考えたが、腕に付けて計測することはできなさそうだった。他にアイデアはないので、一旦ペンディングすることにした。
次に小型化だ。今のマイコンは使い勝手は良いが、腕に嵌めるには大きすぎる。手首に巻いて不自然じゃないものにしたい。データを保存するだけならディスプレイはいらないはずだ。これについてはマイコンの選定で解決しそうだと考えた。
そうこうしている間に大学に着いた。今日の講義は学科の専門科目だ。一年次は数学や語学などの学部共通科目や教養科目が主流なので、学科の専門科目はこの講義だけだ。
そのため、力弥にとってはこの講義は楽しみな講義の一つであった。決して、教養科目や語学が退屈というわけではないが、やはり自分が選んだ学科の専門科目の方が胸が躍る。
専門科目と言っても、二年生以降で受ける講義をダイジェストに紹介しているだけだ。言うなれば予告編だ。あとは研究室の紹介なんかもしてくれる。踏み込んだ話まではしないが、手を動かすときもあるので毎週楽しめている。
教室に入り、友人らにあいさつをしながら、適当に空いている席についた。
今日の講義は教授の先生が出られないということで、助教の先生が話をしている。今日はひたすら座学ということで、教壇に立っている先生の話を聞くだけのようだ。その先生は黒ぶち眼鏡にワイシャツにグレーのスラックスで、全体的に清潔感のある雰囲気だった。
前の講義で来ていた助教の先生は何故かサッカーのユニフォームを着ていたが、その先生とは何というか真逆な雰囲気を受けた。大学というのは色々な先生がいるものだ。黒ぶち眼鏡の先生の苗字は猪川というそうでで、人当たりの良い話し方をしていた。
「今日はウェアラブルデバイスの話をします。基本、座学ですが、実際のデバイスを回覧しますので、自分の手に取って見てみてください。あと、テストはないので気楽に聞いてもらっていいです」
ウェアラブルとは『着られる』という意味で、体に身に着ける装置のことを言うらしい。力弥が取り組んでいる腕の温度を測る装置もウェアラブルデバイスということになるのだろう。正面のスクリーンにはスマートウォッチの写真が出ている。
「皆さんにとって一番身近なものは、スマートウォッチですね。私も付けていますが、皆さんの中にも付けている人はいるんじゃないですか」
力弥はすぐ隣に座っている友人のスマートウォッチを見せてもらった。
リンゴがロゴになっている会社の製品を彼はつけていた。スマートウォッチは家電量販店で見たことがあるが、身近にスマートウォッチを付けている人がいなかったので、使っているところを見るのは初めてかもしれない。
この腕時計のような装置に様々なセンサが入っていて、温度の計測もできるらしい。力弥はそれを聞いて、これを買えば良かったかなと思いつつも、値段を聞いて、すぐには手が出ないなぁと思った。
その後も猪川は様々なウェアラブルデバイスを紹介した。その中には彼が研究室で開発している物も含まれ、そういったものは回覧されていた。その中でも力弥の目を引くものがあった。
「これは温度分布が計測できるセンサです。体に貼って、体温の分布を計測できるように作ったものです」
猪川は直線が交差しているような模様が入った布を取り出した。そして、ドライヤーの熱風をその布に吹きかけた。すると、スクリーンに映されたウィンドウ内の青い四角が赤や黄色に変化している。どうやら温度が高い部分が赤くなるようだ。
その時、力弥はこのセンサを腕に巻けばブレスレットの温度変化勾配を計測できるのではないかと閃いた。そして何とか使わせてもらえないだろうかと力弥は考えた。しばらくして力弥の手元にそのセンサが回覧されてくると、自分の腕に巻いたりして、使えそうか試してみた。
これを使わせてもらえるなら行ける気がする。でも、研究中のものをもらえるのだろうか。
力弥は回覧されてきたサンプルを隣の学生に渡すと、頬杖をつきながらどう説明したら貸してもらえるかを考えた。ブレスレットのことを言っても分かってはもらえないだろうが、完全に嘘を言うのも礼を失すると思った。作りたいもののことは正直に言って、どうしてそれを作ろうと思ったのか、その理由を考えることにした。
授業が終わり、学生たちが教室から出ていく中、力弥は猪川に話しかけるタイミングを図っていた。友人らに食事に行こうと誘われたが、それを断わり、猪川が片付け終わるのを待った。
「あれ? 何か質問ですか?」
猪川は珍しいものを見るような目で聞いてきた。確かに授業終わりに教員に質問に行く学生は日本にはあまりいない。
「えっと、その、先生の温度分布センサに興味があって、もう少しお話を聞きたくて」
結局、センサを貸してもらう言い訳を思い浮かばず、なるようになれの精神で力弥は話を切り出した。すると、猪川は目を見開いて、その瞳を輝かせながら力弥に話しかけた。
「え、本当に? 良いですよ。何が聞きたいんですか?」
食い気味の猪川に力弥は気圧された。身長では力弥の方が二回りのほど高いが、そんな対格差をものともしない勢いが猪川にはあった。
「これって、体につけて計測したことってあるんですか? 例えば、腕とか」
「腕はないけど、胸とか背中とかには付けてみたことがありますね」
猪川はパソコンと回覧に使ったデバイスを買い物かごのようなものに入れると、歩き出した。そして、「歩きながら話すのでもいいですか?」と力弥に聞いた。力弥は「大丈夫っす」と言って、猪川についていった。
「それで、腕に付けみたいんですか?」
「はい。どんな感じにデータが取れるのかなと思いまして」
「それならこのセンサを腕に巻いてみますか?」
そう言って猪川がかごからセンサを取り出そうとした。
「あの、一日中付けていたらどんな感じになるのかなって思いまして」
力弥が頭を掻きながら、気恥ずかしそうに聞いてみた。同時になんでそんなことをしたいのかを聞かれたどうしようとも思った。
「へぇ、面白いことを考えますね。そういうのはラボにないけど、作ってみますか?」
理由を聞かれると思っていただけに、予想だにしない提案だった。力弥は自分が作ってしまっても良いのだろうかと思った。
「え、いいんですか? 自分、まだ一年っすけど」
「別にいいんじゃないですか。まぁ、色々勉強する必要はあるけど、やる気があれば何とでもなりますよ」
猪川はそう言ってニコニコとした笑顔を力弥に返した。この先生が菩薩のごとく特別優しいのか、大学とはそもそもそんな感じの場所なのか入って二か月程度の力弥には分からなかったが、とりあえず、温度勾配が測れるウェアラブルデバイスの製作の目途がたった。
「あの、じゃあ、よろしくお願いします!」
力弥はそう言って、腰を九十度に曲げて、頭を下げた。
「そんなにかしこまらなくていいですよ。むしろ、恥ずかしいからやめてください」
「あ、すみません」
力弥は体を起こすと、今度は軽く頭を下げる程度に猪川に謝罪した。
「時間があるなら、ラボを見に行きますか?」
「はい、ぜひ!」
力弥がそう言うと、猪川は研究室の入っている建物に彼を招き寄せた。
図書室や教務課などの入っている大きな建物の裏に、研究室の入っている建物はひっそりとあった。その建物の四階に猪川の所属する研究室はある。
なお、図書室の入っている大きな建物の側面には別の研究棟が建っている。そこは力弥と猪川が入った建物よりもずっと大きい。
研究室に着くと、力弥は猪川の作っているものや研究室内を見学させてもらった。そして、今は使っていないという温度分布センサを一つもらった。さらに、ここで携帯型の前腕温度分布計測装置の製作の師事をしてもらえる約束を取り付けるに至った。
「正式な研究生ってわけではないけど、君が出入りすることは大河原先生には私の方から伝えておきますね」
大河原とはこの研究室の担当教授のことで、猪川の上司にあたる人だ。大河原は見た感じは怖そうな人なので、正直助かると力弥は思った。とはいえ、一年生にとっては大抵の教授先生は怖そうに見えるものだ。
「色々とありがとうございます」
そう言って、力弥はなんで作りたいのかという理由も聞かずに了承してくれる猪川を不思議に思った。しかし、ここでそのことを問うのは藪蛇だと思い、黙って猪川の温情に甘えることにした。
「ひとまずはその回路で値が取れるようにしてみてください。その回路を小型化するのはその後にしましょう」
「はい」
力弥は返事をすると、改めてお礼を述べて研究室を後にした。考えてみたら、力弥がこの学科を受けようと思ったのもこの研究室で取り組んでいる体に装着するロボットだということを思い出した。四年生の研究室配属まで自分の存在証明が維持できる保証はない。だったら、今からこの研究室に入ったらいいよなと自分の行動に一人で納得していた。
猪川には研究室の作業スペースを使っても良いと言われたが、先輩達が忙しそうに学位論文に取り組んでいるところで作業するだけの度胸は力弥にはなかった。最初の試作機製作のために、はんだごてなどの必要な工具は揃えてあるので、家でも作業ができると考えた。
あとになって、基板加工機や3Dプリンターなどを使わせてもらうことになり、流石にその頃には研究室に入り浸るようになるのだが、それはまた少し先の話である。
力弥は猪川から回路以外にも回路とパソコンの間の通信をするためのサンプルコードをメールでもらっていた。しかし、ここでいきなり躓いた。マイコンのプログラムはどうにか書けるようになったが、もらったサンプルコードはマイコンのプログラムと違うように見えた。
「えっと、パイソンって読むんだっけ。どうやって使うんだ」
その夜、力弥は講義のレポートを一通り終わらせた後、パイソンをどうやって使うのかを調べている間に力尽きていた。そして、薄れゆく意識の中で、「明日の講義の合間に図書室に行って、参考書を探そう」と呟いて、ベッドにダイブした。
解決できるめどがたっても、次から次へと学ぶことが出てくる。ただ、力弥はそれを楽しんでいた。学ぶことは純粋に楽しいし、ずっと一人で抱えていかないといけないと思っていたところに、手を差し伸べてくれる人がいた。こんなに心強いことがあるだろうか。少し前に駅ビルの屋上で落ち込んでいたのが嘘のようだった。
「勇輝、俺、やっていけそうだよ」
そう言って力弥は静かに目を閉じた。




