第二十話 黒い影
次の日、再び暁人は天衣無縫を訪れた。
その日は店長の好意で、ランチタイム後も店内に残らせてもらい、そこで力弥と話をすることができた。力弥を逃がさないための店長なりの配慮だろう。怪奇現象研究部でもそうだが、目上の人たちの優しさに暁人はただただ感謝した。
暁人と力弥は店の奥の座敷席で話をすることにした。店長が気を利かせて二人にお茶を出すと、暁人はお礼をしつつ、そのお茶をすすった。力弥はお茶に手を付けずに、無言でそれを見つめていた。
「あの、力弥先輩。聞いてもいいですか」
「君に説明することはもうないよ」
力弥は暁人と目を合わせずにそう言い放った。
「そうですか。じゃあ、ぼくの話を聞いてください」
暁人からの思いもよらない返しに力弥はふいに暁人の方に視線を移した。しかし、すぐに視線を下に戻し、湯気が上がる湯呑を見つめた。
「ああ」
力弥が小さく返事をすると、暁人は少し表情を緩めて話し始めた。
「ぼくは山梨出身なんです。高校も山梨で、そのまま地元にいようかと思ったこともあったんですけど。高校でいじめにあっていて、何だか地元が嫌になっちゃって、それで関東の大学を受けたんです」
暁人は淡々と思いつくままに言葉を吐き出した。こんなことを言ってもいいのかと迷ったが、こちらが色々話したら力弥も心を開いてくれないかと考えた。そんなことで力弥の心が動くとも思えなかったが、暁人にはそれ以外の方法が思い浮かばなかった。
「無事に大学に合格して地元を出れたんですけど、何か逃げたみたいで嫌だなとも思ったんですよね。逃げることは悪いことではないとも言われたんですけど、それでも自分の中では納得はしてないんです」
暁人はお茶を一口飲むと、さらに続けた。
「どうしたら良かったのかと思っていた時に、力弥先輩が怪物と戦っているのを見たんです」
暁人の声が少し明るくなった。
「最初見た時は怖いなとも思ったんですけど、何だか寂しそうな人だなと思ったんです。どうしてあんな悲しそうに戦っているんだろうって」
暁人がそう言うと、再び力弥は暁人の方に顔を向けた。今度は顔を伏せず、暁人を見続けた。
「その後、自分がいじめられていた時を思い出したんです。自分が弱いからいじめられていた、強かったらいじめられなかったのかなって。そうしたら、戦う力弥先輩のことを思い出したんです」
力弥は黙って暁人の顔を見つめた。
「それで力弥先輩みたいに強くなりたいなって思ったんですよね。
強いっていのは、力が強いという意味もあるんですけど、なんていうか心が強いというか。先輩の戦いは誰も覚えていない、つまりは先輩は一人で戦っているんですよね。
それって心が強くないと続けられないと思ったんです」
暁人は力弥の眼を真っ直ぐ見つめた。
「だから僕は力弥先輩みたいに心の強い人になりたい。だから、先輩の傍にいて、先輩の戦いを見続けたいって思ったんです」
するとずっと黙っていた力弥が口を開いた。
「違う」
「え?」
「俺は強くなんかない」
力弥は絞り出すようにそう言った。
「強かったのは、俺の相棒なんだ。俺はあいつみたいになりたかった」
「・・・その人は、今はどうしているんですか」
暁人は恐る恐る力弥に尋ねた。
「もう、いない」
力弥は再び下を向いた。彼の言葉に力はなく、悲しげだった。力弥の戦いは怪物との死闘。きっと悲しいことがあったのだろうと暁人は察した。
「分かりました。じゃあ、ぼくもその相棒さんを目標にします。だから、その人のことをぼくに教えてください」
暁人はできるだけ明るい口調でそう言った。もしかしたら力弥をさらに悲しませたり、怒らせるかと思った。でも純粋に暁人はそう思った、その相棒のことをただ知りたいと。
その言葉を聞いて、力弥は顔をあげた。彼の顔からは寂しさがのぞくも、笑顔だった。
「ああ、長くなるけどいいか?」
「はい!」
「あいつの名前は明星勇輝。勇輝とは、昨日、君と行ったあの神社で会ったんだ」
力弥はそう切り出すと、勇輝との思い出を語りだした。力弥は勇輝がいかに強く、勇敢であったかを語った。勇輝は暁人とそう変わらない背丈だったが、彼の背中は頼もしく、怪物に果敢に挑む姿にいつも心躍らせていたという。
勇輝のことを語る力弥の顔は生き生きとしていた。次第に力弥の口調は砕けたものとなり、暁人は力弥との間に感じていた壁が少しずつ消えていくように感じた。それが暁人にとってはとても嬉しかった。
そうした力弥の勇輝に対する思いを暁人は知るとともに、力弥が怪物たちのことを激しく憎んでいることも感じた。そして、この理不尽な戦いに憤慨し、力弥の猛々しい思いを見た。暁人はそんな力弥の怪物や世界に対する憎悪に不自然さを感じていた。
そえは、何か取って付けたような奇妙さだった。
しばらく話し込んでいると、夕方の開店が近いということで二人は店を追い出された。力弥は勇輝について語りたいことは言いつくしたようで、暁人も勇輝のことを聞けたことで満足していた。
ただ、勇輝という人が最後どうなったかまでは聞けなかった。
「じゃあ、帰りますね。あ、あと」
暁人は別れを告げようとして、朱音から頼まれたことを思い出した。
「何?」
「金曜日の新歓コンパ、絶対来てくださいね!」
それを聞いて力弥の表情は柔らかくなり「ああ、行くよ」と優しく答えた。
「ありがとうございます!」
「またな、暁人」
「お疲れ様です」
そうして力弥は背を向けて帰路についた。暁人はしばらく力弥の背中を見た後、彼自身も家路に就いた。
月曜日。
この日から大学の講義が徐々に始まる。一限が始まる午前九時前には大勢の学生が正門から学内に入っていく。初日は講義内容の説明であるオリエンテーションであることが多い。選択授業であれば、どれを選択するかの基準になるため、比較的多くの学生が出席する。
また、四月の初旬であれば新入生はやる気に満ちており、サボろうという学生はまだ少ない。一般論だが、学生の数が減ってくるのはゴールデンウイークを過ぎたあたりからである。こうして一限に間に合うように登校する学生はどれだけ残るのだろうか。
暁人もまた初日から大学に来ていた。一限に講義はないが、溢れんばかりのやる気が朝早くから彼を大学に登校させたのだった。
とはいえ、講義はないので教室に入るわけにもいかず、図書室で時間を潰すことにした。一限の時間ともなれば図書室に学生の姿はほとんどなく、誰かに気兼ねすることなく図書館内を歩き回った。
大学の図書室は高校のそれと比べて広く、蔵書の数も圧倒的に多い。特に、様々な専門書が分野別に細かく整理されていた。大学に入ったばかりで、講義もまだ受けていない暁人には分類に書かれているキーワードが自分の学部と関係あるのかすら分からなかった。
そうやって歩き回っていると、理工系の専門書が並ぶ棚に来ていることに気付いた。細かいことは分からないが、物理や数学というキーワードから理工系であることだけは暁人にも分かった。
そういえばテレビやネットでAIが話題であることを思い出して、そういう本はないだろうかと見ていると、自分以外の人がいることに気付いた。
テーブルに腰掛け、本を眺めている人がいた。力弥だった。
彼の前にはノートパソコンが開かれた状態で置かれ、その横には数冊の本が積んであった。力弥はそのうちの一冊を読みながら、何かメモを取ったり、パソコンを操作していた。
真剣な眼差しで調べ物をしている力弥に声をかけるのが憚られ、暁人は離れた場所でその光景を眺めていた。片手で眼鏡の位置を直しながら、鋭い目つきで本を読む姿は絵になった。
「普通にカッコいいなぁ」
暁人は力弥に聞かれないように小さな声でそう呟いた。すると、唐突にスマフォにメッセージの着信を告げるバイブレーションを感じた。暁人はその場を離れ、スマフォを開くとメッセージを確認した。
それは登録した覚えのないアカウントからのメッセージだった。暁人は少し怖い気もしたが、メッセージを読むだけなら問題ないだろうと考え、読んでみることにした。
『図書室を出て、今すぐ食堂裏に来い。 佐野』
暁人はとっさに周囲を見回した。
必死に近くに人がいないかを探したが、力弥以外に人の気配はない。しかも送信元はあの佐野だ。佐野に見られているという恐怖から顔面蒼白になり、立っていることが難しくなった。暁人はすぐ近くの本棚に摑まり、息を整えた。
上京する時にスマホも新しくし、アカウントも作り直した。佐野が自分のスマホに連絡する手段はないはずだった。そのことが余計に暁人に恐怖を感じさせた。このままメッセージを無視することもできたが、無視すればさらに怖ろしいことが起きるのではないかと暁人は想像すると、益々呼吸が乱れた。
その時、暁人の視界の端に力弥が入った。すると暁人はたかが人間ごときに立ち向かえない自分をふがいなく感じた。力弥は勇輝という人を失った後もたった一人で戦い続けてきた。
あの人のように、怖ろしくても一人で立ち向かえる自分になりたい。
そう思った瞬間、視界が明瞭になり、全身に力が入った。暁人は胸に手を当て、息を整えると、図書室を出た。そして、指定された学食のある建物の裏に向かった。一限は既に始まっており、登校してくる学生の数は減っていた。正門から続くメインストリートも人通りはまばらで、数名の学生とすれ違う程度であった。
学食とクラブの部室棟が入っている建物の近くまで来ると、建物の横の小道から建物の裏手に出た。辺りを見回すが、人の気配はなかった。佐野のいたずらだったのだろうかと暁人が安心していると、背後に人の気配を感じた。
「おい、斗星。用事ってなんだよ」
振り返るとそこには佐野がいた。暁人は緊張したが、できるだけ気丈に振る舞い、逆に佐野に聞き返した。
「佐野君がぼくを呼び出したんでしょ」
「は? 知らねぇし。用がないなら戻るからな」
佐野は来た方に体を向け、暁人はそんな佐野を見た。次の瞬間、二人は眼前の光景に恐怖して固まってしまった。
「え」
そこには見上げるような黒い影が佇んでいた。その黒い影は人のように手足があり、背中には巨大な翼があった。そして、何よりも目を引いたのは顔だった。
顔には何もない。のっぺらぼうで、頭部にはぼさぼさの髪が乗っていた。
怪物が出たんだ。
暁人は直感的にそう思うと、「佐野君、逃げよう」と叫んだ。しかし、黒い影は音もなく佐野に近付くと、振り向いた佐野の肩から背中にかけて指から伸びる爪を振り下ろした。
「いてええええええ」
佐野はその場にうずくまり、右手で左肩を押さえた。暁人はうずくまった佐野を見た後、怪物が更に追撃するのではないかと顔を上げた。しかし、怪物は既にいなかった。見上げるような黒い影は忽然と姿を消してしまった。
「あ、あれ?」
暁人は茫然として、周囲を見回すがうずくまって息を荒くしている佐野以外誰もいない。暁人は佐野の方に視線を移した。
佐野の眼は恐怖の色に染まり、息も荒く、上手く喋れないでいた。ふと、暁人はそんな佐野を見下ろしていると、何とも言えない高揚感のようなものを感じた。
かつてと立場が入れ替わったのではないか。殴られ、蹴られ、地面に転がされた自分を彼らは見下ろしていた。そうか、彼らからは自分はこう見えていたのかと暁人は悟った。それが一瞬胸に去来した高揚感の正体だった。
しかし、暁人は違和感を覚えた。暁人は自分が佐野を屈服させたいと考えただろうか、そんなことをつゆほどにも思ったことはない。
すると、うずくまっている佐野が、先日の怪物騒動で逃げ遅れた男の子と重なった。
例え、彼に恨みがあったとしても、彼が傷ついて嬉しいなどとは思えなかった。暁人はそれを確認すると、自分がすべきことを考えた。
「佐野君、人を呼んでくるから、少しだけ待っていて」
佐野は涙目になりながら頷いた。暁人は食堂や部室棟の方に行けば誰かいると考え、まずはメインストリートの方に向かうことにした。そうして、暁人は走り出そうすると、二人の元に誰かが駆け寄って来た。
力弥だった。
「これは、どういうことだ?」




