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第十五話 暁人

 何かが始まるとき、心が躍る。 


 入学式までは日数的に余裕はあるが、一日でも早く地元を離れたかった彼は下宿先の部屋にて荷解きを始めていた。この部屋にはベッドや勉強机などの最低限度の家具は揃っており、彼が実家から持ってきたのは衣服や生活必需品に限られていた。


 斗星(とぼし)暁人(あきと)は今年から蒼海学院大学の経済学部に入学する新一年生である。実家は周囲を山々に囲まれた中部地方のとある県で、関東地方に上京した暁人は四月からの新生活に胸を躍らせていた。


 とはいえ、一、二年生の間は都内ではなく隣県のSキャンパスに通学することになる。この下宿先では都内のA山キャンパスまでは遠いが、Sキャンパスであれば最寄り駅から三駅目であり通学に問題はない。また、A山キャンパスも同じ駅から別路線で行くことは可能だ。


 当面の通学先から近く、都内へのアクセスも良く、家賃も比較的お手頃ということでこの下宿先に決めた。もちろん、両親の支援あってのことだが。それでも色々あった高校生活を鑑みれば、こうして大学に進学し、一人暮らしを開始できたのは僥倖だと暁人は考えている。


 備え付けのクローゼットに持ってきた衣服をしまい、荷物を入れていた段ボールをたたむとこれからの生活の基盤となる自らの城を見渡した。備え付けの家具以外にものはないが、それはこれからの生活への伸びしろを感じさせた。


「ちょっと、出掛けちゃおう」


 誰に言うでもなく暁人は呟くと、ミニショルダーバッグに部屋の鍵、財布とスマホを入れると下宿先の建物を出た。近所には幼稚園や小学校があるため、平日の午後ともなれば子供たちの楽しげな声が響き、周囲は何とも穏やかである。


 駅から下宿先に向かう際に駅の周辺に商業施設が集中していることを思い出し、暁人は駅の方角に足を向けた。幼児らの笑い声が聞こえる幼稚園を右手に住宅地の中の小道を歩いていく。大通りから外れた小道に人の気配はなく、誰ともすれ違うことはない。道の先には駅ビルが見えており、暁人はそこを目指した。


 春の空は爽やかな色に染まり、いつまでも見つめていたい衝動に駆られる。時折、見える雲を目にしては、何かに似ているなぁと考えながら暁人は歩いていた。こうも天気が良いと花や緑を見たいとも思うが、この道にはそういったものは見当たらない。


 穏やかな春の午後は何事もなく過ぎるかと思えたが、異変は暁人の目の前で起きようとしていた。


 砂利が敷かれただけの駐車場の前を歩いていると、一人の青年があたりを窺うように周囲を見渡し、脇道の方に向かって歩いているのが見えた。明らかに隠れて何かをしようとしていると直感した暁人は思わずその青年が入った小道に向かった。


「何しているんだろう」


 そこは小奇麗なマンションと小さな飲食店に挟まれた道で、暁人はマンションに身を隠しながら小道の先を窺った。建物に挟まれた暗くて寂しげな小道にその青年は佇んでいる。遠目には顔立ちは分からないが、すらっとして背が高く、やや長い髪を後ろで束ねているのは分かった。あと、眼鏡をかけているようだ。


 そして青年は右手を顔の前に掲げたかと思うと彼の体は光に包まれていた。暁人はその光景から目が離せなくなり、紫色の光の中から何が出るのかを凝視していた。光が弱まるとそこには先ほどの青年よりも一回り体格の大きな人が立っていた。


 暁人はそれを怖ろしいと感じてしまった。全身が黒に覆われ、他の色が見当たらない。前腕からは刃のようなものが生え、黒い体と相まって禍々しく思える。更に頭部からは黒くて長い頭髪が顔を隠し、その髪の隙間から目のようなものがギラギラと光っているように見えた。黒い体において眼だけが赤く光っている。


 その黒い男は顔を上げると、次の瞬間には高く飛び上がり、道には誰もいなくなっていた。暁人がその光景に呆気に取られていると、彼が向かおうとしていた駅の方から悲鳴のようなものが聞こえた。


 暁人が身を隠していたマンションからは駅ビルは目と鼻の先だ。彼の視界には立体駐車場の出入り口しかないが、その反対側は駅前広場になっている。悲鳴はそこから聞こえてくるようだ。先ほどの黒い男もこの悲鳴に関係しているのではないかと考え、暁人は駅前広場に向けて駆けだした。


 突き当りの二車線道路に車が来ないことを確認すると、道路を横断し、立体駐車場のわきの歩道に入った。あたりを見渡し、階段を見つけるとそこへ向かって走った。駅前広場は駅の二階と繋がっている。階段を駆けあがっていると、恐怖におびえた人たちとすれ違った。


「君、この先は危ないよ」


 階段を登り切ったところで壮年の男性に戻るように呼びかけられた。暁人は彼に相槌を打つも、人々が逃げてくる場所が気になって仕方がない。一瞬足を止めたが、すぐに走り始めた。


 はっきり言って怖い。しかし、何かを変えたくて上京したという思いが、逃げるという選択肢を暁人に選ばせなかった。先ほどの黒い男が人々を襲っているのだろうか、先ほどの黒い男になった青年は何者なのだろうか。そうした疑問が頭の中を駆け巡っている間に暁人は駅前広場が見渡せる場所に辿り着いていた。


 そこには信じがたい光景が広がっていた。アニメや特撮映画の世界に入り込んでしまったように暁人は錯覚した。駅前広場には巨大な怪物が暴れまわり、それを一つの人影が応戦しているように見えた。


「さっきの黒い人」


 暁人は息を切らし汗を拭いながら、怪物と黒い男の攻防を眺めていた。黒い男が相対しているのは、その男を越える不気味でかつ常識を逸した姿をしていた。それは二つの首を持つ巨大な蛇に見えた。しかも、その蛇には人のような手足が生えて、二本の脚で立っている。その見上げるような蛇の怪物に黒い男は一人立ち向かっていた。


 黒い男は不気味な姿に見えたが、もしかして人々を救ってくれているのだろうか。暁人は黒い男が蛇の怪物と戦っている光景を見て、そんな考えが頭をよぎった。黒い男は逃げ惑う人々が怪物から逃げるのを助けているように見えた。


 駅ビルの店内に逃げようとする女性を、怪物の片方の首が大口を開けて追いかけようとする。すると、黒い男はその蛇の頭に蹴りをいれて阻んだ。もう一方の首が駅舎の方に逃げ込む男性に視線を向けていると、黒い男は蹴りを入れた方の頭を掴んで体ごと男性から怪物を引き離そうとした。


 怪物の首は男性から遠ざかるも、怪物は四つん這いになり、体を地面に固定した。すると反撃とばかりに掴まれていない方の首が黒い男に襲い掛かる。男は軽々と飛び上がり、首からの襲撃から離脱するが飛び上がった先に怪物の尻尾が待ち受けていた。


 巨大な尻尾は鞭のようにしなると男の体を地面に打ち付けた。男は地面に衝突した後、高く跳ね上がり、暁人の目の前まで吹き飛ばされた。暁人は黒い男が怖ろしくて仕方なかったが、彼が人々を守っていることは間違いない。そう思うと、彼に駆け寄り無事を確かめようとした。


「あの、大丈夫ですか」


 すると黒い男の赤い目がギラリと光り、次の瞬間には男は跳ね起きていた。


「離れろ」


 男は右手で暁人を付き飛ばした。付き飛ばされた暁人は黒い男の背後に迫る大きく口を開けた大蛇を見た。暁人は男の方しか見ていなくて気が付かなかったが、怪物はすぐそばまで来ていたのだ。


 黒い男は左手で顔を庇うような姿勢を取ると、大蛇の牙は男の左手に突き刺さった。そして、もう一つの首が男の右脇腹に食らいつく。暁人は尻もちをつきながらその光景を見ていた。そして、怪物に食らいつかれる男を見て恐怖が全身を覆いつくすのを感じた。


 次は自分もあの怪物に食われる。


 そんな思いがすると同時に、自分が不用意に近付いたりしなければあの人は食われることはなかったのにとも思った。恐怖と後悔が体表から体の奥に染み込んでいくのを暁人は感じていた。しかし、次の瞬間に眼前の恐怖はさらなる恐怖に上書きされようとしていた。


 蛇が嚙みついている男の体に異変が起きていた。噛まれた部分から噴き出す赤い血液が黒い炎に変わっていく。そう、左手と右脇腹からは黒い炎がまるで生き物のように溢れ出すと、蛇の頭は炎から逃れるように口を開け、男から遠ざかる。


 傷口から溢れる炎は気が付けば男の体のいたるところから噴き出していた。男は炎を纏っているように見えた。そして、その炎は力強くも怖ろしい。男から感じられる恐怖は暁人だけではなく、男の視線の先にいる巨大な怪物も感じているようだった。


 怪物は恐怖に慄き、男と距離を取ろうとしている。それとは反対に、黒い男はじりじりと怪物に近付いていく。怪物の方に歩を進めるたびに男の炎は大きく燃え上がり、周囲を黒い炎で覆いつくさんとしている。


 すると、男は後ろを振り向き、暁人に視線を送った。


「危ないから。離れていろ」


 黒い炎から感じるおどろおどろしい雰囲気とは裏腹に、男からは落ち着いた声が響いた。その声に暁人にはどこか悲哀のようなものを感じ、その怖ろしい姿の中にどんな心があるのかを問いたい気持ちになった。


 その瞬間、暁人の心には黒い男への恐怖が雲散していた。本当の彼は今の悲しげな声なのではないか。

 

 悲嘆にくれる自己を禍々しい炎で覆いつくそうとしている。


 目の前の男の炎はさらに巨大になっていくが、暁人はその炎の揺らめきの中に悲しげな声の行方を探そうとしていた。


 そんな暁人の思いとは裏腹に、男は全身を炎に纏ったまま怪物に突進していった。暁人は男を追いかけようとしたが、彼の警告を守ろうと足を止めた。そして悲しみを覆いつくす漆黒の炎を惜しむように見つめた。


 黒い男に恐れをなした怪物に、男は容赦なく迫りゆく。そして炎に包まれた脚による蹴りが炸裂し、蛇頭の男の体が折れ曲がる。破れかぶれと言わんばかりに蛇男は黒い男に噛みつこうとするが、男の前腕から伸びる黒い刃がこれを防ぐ。そして男の体から噴き出す炎が刃を覆いつくすと、黒い刃は巨大な剣になった。


 炎の熱から逃れるように蛇男は黒い男から離れようとするが、蛇男が距離を取ったかと思った次の瞬間、黒い男は目にも止まらぬ速さで蛇男に炎の剣の一閃を繰り出した。そして、黒い男は蛇男の背後に立つと徐々に炎が収まっていった。それとは対照的に蛇男の体は炎に包まれていった。


 そして、胴が上下に分割され上半身がずるりと蛇男の後方に倒れると同時に、蛇男の体は炎と共に塵となって消えていった。黒い男が蛇男に向かってから蛇男が塵となるまで、暁人は一連の光景から目を離すことができなかた。そして、その間、呼吸を忘れていたのか、全てが終わったときに思い切り息を吐いた。


 蛇男が塵となり、それが黒い靄のようになって辺りに広がっていく。


 その向こう側に立つ男の姿に、暁人は怒りが収まった先に立ち上がる虚しさのようなものを感じた。そして、瞬きをした次の瞬間には男の姿は消えていた。暁人はとっさに空を見上げた。すると、かすかに黒い影のようなものが先ほどの駅ビルの裏手の方へ移動していくのが見えた。


 暁人は黒い男を追おうと、来た道を戻った。その時、すれ違う人々が糸の切れたマリオネットのように茫然自失としている様子が目に入った。その様子に戸惑い、何か異常なことが起きているのではないかと僅かに恐怖した。しかし、暁人自身に異常はなく、またそれらの人々が自分に襲い掛かるわけでもない。


 彼らのことは後で救急車を呼べばよいと考えた暁人は、兎にも角にも黒い男の後を追うことを優先した。そうして、階段を駆け下り、駅ビル裏手の二車線道路を渡り、先ほどのマンションの方へ向かった。すると、先ほど、黒い男を目撃した小道から急に人が飛び出してきた。


 暁人は避けることができず小道から出てきた人と正面からぶつかってしまい、ぶつかった拍子に尻もちをついた。対して、相手の人は背が高い男性で、暁人のように倒れることなくその場に立っていた。


「大丈夫ですか」


 相手の男性が暁人を心配して、手を差し伸べてくれた。暁人は尻もちをついたまま顔を上げた。はっきりしたことは言えないが、服装の感じからそれは先ほどその小道で光に包まれた男性のように思えた。その人は背が高く、切れ長の目に端正な顔立ちをしている。


 そしてシルバーのアンダーリム眼鏡が知的な印象を与え、スタイルの良い外観と相まって絵になる容姿だった。


「す、すみません。よく見ていなくて」


 暁人がそう言うと、男性が何かに気が付いたのかみるみる彼の顔が強張っていく。


「君は、さっきの」


 そう言った次の瞬間、男性は口を手で押さえると、差し伸べた手をひっこめた。そして、来た方へ足を向けると走り去ってしまった。暁人は慌てて立ち上がり、男性の後を追おうとしたが、既に男性の姿はなかった。おそらくは小道のどこかの角を曲がって行ったのだろう。


 男性の姿は見えないというのに、暁人は小道の先をじっと見つめ続けていた。先ほどの男性が黒い男に変身して、巨大な怪物と戦い人々を助けていたのだろう。暁人はその人のことを知りたい衝動に駆られるも、近いうちにその人にまた会えるという確信めいたものがあった。


 手を差し伸べてくれた時の彼の声は穏やかだった。ただ、その後の強張った顔の時はどこか寂しそうだった。それは先ほどの黒い男から感じた悲しみを覆い隠そうとするあの胸を締め付けられる佇まいと同じように思えた。彼の心の中に広がる悲しみの正体をいつか知ることができるのだろうか。暁人はそんなことを考えながら、男が走り去った小道の先を見つめ続けていた。

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