第十三話 ヒーロー
一月ともなると自分たちが受験生であることを強く実感させられる。その最たるものが一月中旬に行われる『大学入学共通テスト』だ。力弥と勇輝は私立大学を志望しているが試験に慣れるためとか実力を知るためなどの理由から受験することにしている。
ただ基本的には多くの受験生が受験するものであり、流れで受験したという側面が大きいことは否めない。なお、祐介は公立大学を志望しているので共通テストは外せないのである。今更になって科目の多さに周囲に泣きついてきた。
「リッキー、ユッキー、共通テストの勉強の仕方を教えてー」
「いや、俺と勇輝は理数と英語しか受けねぇよ」
力弥にそう言われて祐介は絶望するも「国語と社会は成宮が自分で頑張るとして、理数と英語は教えるよ」と勇輝が優しくフォローすると「ユッキー愛してるよ」と祐介が泣いて喜んだ。すると力弥は勇輝を軽く窘めた。
「勇輝は祐介に甘いよな」
「まぁ、勉強を教えると教えた方も勉強になるって高瀬先生も言ってたし」
そう言われると力弥も素直に祐介に英語を教えることにした。勇輝を窘めておいて力弥も大概お人よしである。この頃は北条も朱音と一緒に彼らの勉強場所に来ることがあった。半分くらいは力弥と勇輝の様子を眺めるためなのだが。
*
共通テストが終わると一般入試に向けてラストスパートをかける頃合いである。皆、赤本を片手に第一志望校の出題傾向を分析し、出題形式に合わせた勉強の仕方を模索していく。次第に私立大学の一般入試も始まり、緊張感も高まってくる。力弥と勇輝は試験への緊張はもちろんだが、試験中に怪物が出てくるという最悪のケースに戦々恐々としていた。
二月の半ばとなり、第一志望の蒼海学院大学の試験日となった。当初は周囲の勧めで選んだ大学だったが、自分たちの興味と学力から自らの意思でこの大学を受験することにした。蒼海学院大学こと蒼学の理工学部は県内にキャンパスを構えているが、本部は都内にある。
そのため、試験も都内のキャンパスで実施されるため二人は朝の満員電車にもまれながら、蒼学の渋谷キャンパスを目指した。普段は都心に行く機会がないため、渋谷駅に降りると林立する高層ビルと人の多さに 面食らった。そしてお上りさん丸出しのまま、蒼学の渋谷キャンパスに向かった。
試験に関しては互いに手応えがあったようだ。ただ絶対に大丈夫とも言えず「受かってるといいなー」と二人で試験問題について語り合いながら帰路についた。帰宅ラッシュ前に電車に乗ったので車内は空いており、二人は並んでシートに座ることができた。勇輝は力弥が静かになったなと思って隣を見ると、力弥はシートにもたれて寝ていた。
いつもの駅まであと数駅というところでブレスレットが熱くなった。敵の位置は離れているが、大まかな位置は把握できた。しかし、このまま電車に乗っていくのでは時間がかかってしまうような気がした。そこで勇輝は途中駅で降りて、そこから変身後の高い身体能力に賭けて、自分の足で怪物のもとに向かうことにした。
敵の反応の近い駅より一つ前の駅で電車は止まった。力弥は寝ている。起こしている時間はない。勇輝は力弥を置いて電車を降りるとスマホで彼にメッセージを残すと人目につかない場所を探した。
*
電車が再び動き出し、電車の加速に伴う揺れで力弥は目を覚ました。軽く伸びをしてあたりを見ると、勇輝の姿がないことに気付いた。慌ててあたりを見回すも彼の姿は見当たらない。連絡がないかと思い、スマホを見ると怪物が出たので先に電車を降りたとあった。メッセージの終わりに「荷物をお願い」と書いてあり、力弥は自分と彼のバッグを持つと次の駅で降りた。
力弥らが普段利用している駅は三つの路線が走っている。今日は都心に向かう路線の電車に乗っており、予備校に向かうのとは別の路線だ。そして力弥が降りたのはその駅の一つ隣の駅だ。そこは駅ビルなどの商業施設はなく、改札を出ると売店があるだけだった。駅を出ると慣れない周囲の雰囲気に戸惑った。
勇輝にとってもこの近辺の土地勘はないので、場所の説明が曖昧で、路線上に敵がいるとだけ書いてある。しかし、電車は止まることなく動いているだけに線路の上に出たわけではなさそうだ。
「そういえば、途中にトンネルがあったな」
力弥はそう呟くと、敵はトンネルの上にいたのではないかと考えた。実際、電車は彼の目の前にある小高い丘の下を通っている。その丘は幹線道路の向こう側にあり、木々が生い茂る緑豊かな場所だった。力弥はその丘を目的地に定めた。
すると、丘の斜面の木々が何本か倒れていくのが見えた。それに伴い、周囲の人々が丘の斜面を指さしながら騒いでいる様子が見えた。おそらくはあそこに怪物が出たのだろうと考え、力弥は駆け足で向かった。
*
勇輝はブラックドッグの姿で林の中を駆け回った。蛇の姿をしている怪物は器用に木々の間をすり抜けながら、こちらに付かず離れずの距離を保っている。しかし、その距離を保っているのは怪物の頭部に相当する部分だ。それは正確には頭部ではなく人の姿をしている。以前の蛇女のようであるが、今回は男の体である。
蛇男は勇輝と一定の距離を維持しつつも、尻尾の先端を勇輝の死角から出現させては攻撃を繰り出す。細長い尻尾は鞭のようにしなり、刃のように鋭い一撃を繰り出す。勇輝は既に数か所傷を負っていた。
不規則に並ぶ木々と下草によって尻尾は隠され、その位置を正確に把握することは困難であった。胴体に狙いを定めれば尻尾への注意が疎かになり、尻尾を探そうとすると本体から槍の一撃が飛んでくる。敵の攻撃は致命傷には至らないが、じわじわと攻撃を受け続ければ危険である。勇輝は手を握りしめ力を込めるとそれを見つめた。
「このままじゃ勝てない。力を解放すべきか」
そう呟いたとき、念のため耳に入れて置いたワイヤレスイヤホンから着信があり、力弥の声が聞こえた。
『勇輝、大丈夫か』
「力弥はどこにいるの」
『少し離れたところからお前らを見ている。探さない方がいい、敵に気付かれる』
「分かった」
力弥は冷静だ。焦っている自分よりも状況が見えている可能性が高い。そんな力弥の言葉が心強く感じられ、勇輝は気持ちにゆとりが生まれた。
『苦戦しているのか』
すると蛇男は尻尾を勇輝の右斜め後ろから出現させ、尻尾の先の刃を一直線に勇輝に向けた。下草が擦れる僅かな音に反応した勇輝は間一髪攻撃をかわすことができた。
『なるほど、そういうことか』
力弥は今の様子からおおよその状況を理解した。何度も二人で怪物に挑んできただけあって、状況判断と洞察力が鍛えられているようだ。
「見た通り、こっちからは奴の尻尾の位置が見えない。力弥の方からは見えるか」
『はっきりしたことは言えないが、俺の位置からは奴の尻尾の一部が見える。奴はもう一度、右方向から攻撃を仕掛けるんじゃないかな』
勇輝はそれを聞いて、右方向をちらりと見た。すると、下草が風もないのに僅かに動いたように見えた。そこでいつ刃が飛び出してもいいように構えていると、案の定、怪物の尻尾は勇輝の右の真横から飛び出してきた。
勇輝はそれを待っていたと言わんばかりに体を僅かに逸らすと、尻尾を両手でつかんだ。すると蛇男の顔が驚愕に歪んだ。そして勇輝は力の限り尻尾を引っ張ると、蛇男の体は周囲の木々にぶつかりながら空を待った。
地面を這う分には素早く動ける蛇男だが、空中に放り出されては為す術はない。蛇男の本体が間の抜けた姿勢で勇輝の頭上に差し掛かると、勇輝は飛び上がり、肥大化させた爪の一閃をお見舞いした。蛇女と比べて体の小さな蛇男は、勇輝の一閃だけで体は引き裂かれ、黒い塵となって消えて行った。
勇輝は地面に降り立ち、周囲に力弥以外の人がいないことを確認すると変身を解いた。彼の体から光の粒子が飛んでいく。しかし、今日はいつもよりも周囲に滞留する光の粒子が多いように見えた。それは変身を解いた後も僅かな粒子が体から発しているようにも見える。
「あと少し、あと少しだけ」
勇輝は彼に駆け寄る力弥に聞こえないような小さな声で呟いた。力弥は勇輝に近付くと彼の肩に手を乗せ「お疲れ」と労いをこめて声をかけた。勇輝は一度呼吸をして調子を整えると「アシストありがとう」と朗らかな笑顔を返した。
「おう。なんてことないけどな。ほら、お前のバッグな」
そう言って力弥は勇輝にバッグを手渡した。
「ありがとう」
勇輝はバッグを受け取るとあたりを見回した。
「えっと、ここどこ?」
勇輝は木々に囲まれ、道もない場所に佇んで呆然とした。土地勘のないまま敵の気配だけを頼りに追って来たせいで、自分がどこにいるのか見当もつかない。
「だよな。俺も初めて来たわ。大丈夫、帰り道は俺が分かるから」
そう言って力弥は歩き出すと勇輝は彼に付いていった。下草をかき分けながら木々に囲まれた道なき道を抜けると、舗装された道に出た。そこは丘の上の散歩道である。何本かの木々が倒れた個所から百メートル以上離れているのであまり人はいなかった。
「ここから道なりに歩けば、駅に続く道に出るんだよ」
力弥が道の先を指さしながら話した。すると勇輝は力弥が指をさすのと逆方向にある少し開けた広場にある休憩スペースに目を向けた。
「ちょっといいかな」
勇輝はそう言いながら、休憩スペースの方に足を向けた。力弥は勇輝が休憩したいのだと思い、「おう、今日はもう帰るだけだしな」と言って、彼に続いた。
その広場の一部は柵で覆われ、その柵の向こうには周囲の街並みが一望できた。既に太陽は西の空に傾き、眼下に広がる住宅地は夕日に彩られていた。勇輝と力弥はその柵の近くのベンチに腰掛けた。するとふいに勇輝が口を開いた。
「俺たちの戦いは俺たちしか記憶していないのに、その戦い自体に意味があるのかなって考えたことはない?」
勇輝は淡々と話すが、その言葉の意味は重たいものだった。それに対して力弥は閉口してしまった。もちろん考えたことはある。自分たちの戦いは自分たちしか記憶していない。これは二人だけの世界の二人だけの戦いで、他の人たちにとって意味はないのではないかと。
以前に、誰も覚えていないことを勇輝がどう感じているかを彼に問うたことはある。しかし、誰にも知られていない戦いそのものに意味があるかまでは怖くて聞けていない。
「まぁ、あるけど・・・」
「だよなー」
力弥が言葉を濁しながら答えるのに対して、勇輝の反応は明るかった。すると勇輝はその口調のまま話を続けた。
「話は変わるんだけど、このベンチって誰が作ったか知ってるか?」
何の脈絡もない勇輝の質問に対して力弥は戸惑った。
「え? ベンチ? どこの会社が作ったって意味か?」
「うーん、それでもいいけどさ、人の名前。田中さんとか佐藤さんとか」
「いや、知らねぇし」
至極当然の回答だ。ベンチどころか、目の前の柵やこの広場を作った人だって力弥は知りようがない。
「じゃあ、お前の来ている服を作った人は? 受験に行く途中で買った飲み物を作った人は?」
次々と勇輝は意味の分からない質問を投げかけてくる。力弥は彼の言葉の真意を測りかねていた。
「いやいやいや、何の話?」
力弥が勇輝の言葉の意味を問うと、勇輝はすっと立ち上がり、柵の方まで足を進めた。そして、柵に手をかけ目の前に広がる夕焼けに染まる街の景色を眺めた。
「この世界はさ、俺たちの知らない色んな人たちのおかげで回っているんだよ。俺たちの服や昼飯の食材、それに電車や自動車も誰かが作ってくれたんだ」
力弥はただじっと勇輝の言葉に耳を傾けた。
「あと、電気やガスや水道、それにインターネットを管理している人。そういう色んな人たちがいるけど、俺らはその人たちの顔も名前も知らない。その人たちは例え褒められることはなくても、当たり前のようにこなしてくれている」
「俺たちの戦いも同じだって言いたいのか」
「うん」
勇輝は力弥の方を振り向くと、大きく頷いた。
「俺たちの戦いをみんなは知らないけど、それのおかげで世界は回っている。それでいいんじゃないかなって思ったんだ」
力弥は勇輝の話の全てを賛同できるわけではなかった。彼が例えている世界を回している人たちは何かしらの報酬を受け取っている。一方で、自分たちにはそれはない。その点では本当の意味で同じとは言い切れない。それでも力弥は、勇輝がそう言って自分に納得させようとしているなら、それでもいいかと思った。
「そうだな」
力弥はそう言うと立ち上がり、勇輝の隣に立って、赤と黄色に彩られた街の景色を見下ろした。ここにいる多くの人たちは、俺たちの世界を回すために頑張っている。自分たちは怪物と戦える唯一無二の存在だが、彼らの一部として頑張っている。きっと誰しもが『ヒーロー』でそうやって世界は回っている。それでいいのかもしれない。
力弥はそこまで考えると、誰に言うでもなく、「うん」と頷いた。
勇輝は無理矢理に納得しようとしてくれている力弥の横顔を見て、心の底から感謝したい気持ちになった。勇輝自身も筋の通っていないことを言っているという自覚はある。それでも、この先に何があるか分からない以上、自分たちの正当性を意識しておくべきだと勇輝は伝えたかったのだ。
「とはいえ、タダ働きは嫌だよなー。一体倒したら、五千円くらいは欲しよなー」
そう言って力弥は勇輝の方を見ながら軽口を飛ばした。
「あ、分かる! でも、五千円は安いよ、一万円くらいは欲しいなー」
二人は太陽が西の空に沈み、辺りが暗くなるまで、口から放たれる言葉とは裏腹に自分たちがどこに立っているのかを考え続けた。二人はそれを言葉として直接に交わすことはなくても、見ている先は同じだと感じ合っていた。
*
その日は同じ大学を受験した者同士で合否を見守ることにした。今日は駅を挟んで反対側にあるショッピングモールの中のフードコートに集合していた。合格していればここでお祝いをする、落ちていたら残念会をするという理由によるものだ。
先日の蒼学には力弥と勇輝だけでなく朱音も受験をしていた。なお、祐介は受験していないが、一人で勉強するのは寂しいということでついてきたようだ。各自がそれぞれのスマホで合否の結果を確認する。
「おっし」
「やった」
「良かったー」
三人からは歓喜の声が漏れる。力弥と勇輝はここが第一志望だったので喜びもひとしおだ。互いの喜びを分け合うように二人はハイタッチを交わした。そんな三人の喜びを祐介は羨ましそうに眺めていた。
「リッキーとユッキーはこれで受験は終わり?」
「うん。他も受ける予定だったけど、ここが受かったなら終わりかな」
勇輝がそう答えていると、力弥は朱音に向かって話しかけた。
「そういえば、朱音も蒼学受けてたんだな」
「うん。リッキーと勇輝君とは学科が違うけどね」
「まぁ、キャンパスは一緒だし、今みたいに三人でつるめそうだな」
そう言って力弥が歯を見せて笑うと朱音は嬉しいようで、少し違うようなという面持ちで返事をした。
「そ、そうね。でも、あと一つ受ける予定だから」
「どこ?」
「慶旺・・・ まぁ、記念受験だけどね」
「でも受かったら凄いじゃん! 頑張れよ」
朱音は少し照れながら「あ、ありがとう」と言った。そんな二人のやり取りを勇輝と祐介は同じテーブルにいながらも、気持ち的に離れて聞いていた。
「三人でつるむって、俺は邪魔者じゃない?」
勇輝がカフェオレを飲みながら小声で祐介に言った。
「それをリッキーに教えてやれよ」
祐介は赤本を開いてはいるが、視線は力弥と朱音を向いている。
「力弥は気付いてないんだよね」
「気付いてないだろ、あれは」
勇輝はカフェオレと一緒に買ったドーナツに手を伸ばした。
「鹿森が蒼学を受けた理由の半分くらいは力弥だろ」
「かもな」
祐介はブラックコーヒーを飲みながら答えた。
「これはさ、鹿森から行かないとダメなやつじゃないのか」
「朱音っちの性格からして自分からは行かないだろ」
「確かに」
そう言って勇輝はチョコレートドーナツを齧りながら二人を見つめていた。その目には愛おしさに似た色が見え、それに気付いた祐介は少し不思議そうに勇輝を見ていた。すると、力弥が椅子をずらして、勇輝の方に近付いてきた。そして、興奮したように少し顔が紅潮して熱く語り始めた。
「四月から大学生か。何か、急にワクワクしてきたな。とりあえず、サークルってどんなのがあるのかな。何かみんなテニスやってるイメージあるけど、どうなんだろ。あとさ、飲み会とかってどんな感じなのかな。よく考えたらまだ未成年か。それにしてもオープンキャンパスに行けば良かったなー、イメージ湧かねぇよ」
これまでは受験という大きな壁に阻まれてそれ以上の想像ができていなかった。しかし、その壁が扉となり、次の道が開けると様々な想像と思いが力弥の中に溢れてきて、口に出さずにはいられなかった。
そうして力弥が矢継ぎ早に色々語り始めると、勇輝と朱音が揃って「落ち着け」と言って力弥をなだめた。それでも力弥の興奮は収まらず、勇輝と朱音の方を向くと気持ちを込めて言葉を続けた。
「でもさ、一番楽しみなのはさ、勇輝と朱音と新しいことができるってのが一番ワクワクするよな。あ、もちろん祐介もな。ああ、朱音は慶旺も受けるのか。あー何か、頭の中がふわふわして考えがまとまんねぇな」
そんな力弥を見て、勇輝と朱音の表情が緩み、勇輝は「そうだね」とだけ返した。力弥とは対照的に勇輝は落ち着き払っている。まるで彼には未来が見えているようだ。力弥はそんな彼の雰囲気に気付くことはなく、不意に立ち上がった。
「とりあえず、合格祝いに食いもん買ってくるか」
そう言うと「いいね」と言って勇輝も席を立った。
「私も買いに行くよ。祐介はここで勉強してて」
そう言って朱音も二人に加わった。すると力弥と勇輝はドーナツ屋に並び、朱音はアイス屋に向かった。
「受験終わったし、どっか遊び行きたいな」
「そうだね」
「あー、でも、あんまり遠くまでは行けないか」
力弥はちらりと勇輝の方を見た。いつ怪物たちがこの街に現れるか分からない。あまり遠出はできないだろうということだ。
「うん。でもさ、毎日出ることはないからさ、遊べるうちに遊ぼうよ」
「だな。ドーナツ食いながら何するか考えようぜ」
「成宮の前でそういう話をするのはちょっと可哀想かも」
そう言って二人は祐介がどんな反応するかを想像して笑い合っていた。二月も半分を過ぎるとくすんだ空にも青みが増してきたように思える。それに合わせるように二入の笑顔には春の到来が近い爽やかさが感じられた。
*
三月十一日。この日は卒業式である。受験が終わった生徒も、まだ試験を控えている生徒もこの日ばかりは制服をきちんと着て学校に登校する。高校生という青春の一ページに儀式を通して区切りをつけるために彼らは今日ここに集った。
生徒らは制服のブレザーに造花の飾りを付け、式の開始を教室で心待ちにしていた。式の開始前というのは妙なもので、皆との別れが決まっているというのに、このタイミングで感極まってしまうのはフライングと捉えられてしまう。それゆえに誰しも当たり障りのない会話をしていた。
力弥らもここで感動しないように、祐介に受験の状況を聞いていた。祐介は公立大の受験に失敗してしまったようだ。力弥と勇輝はそんな彼を励まそうとするも、当の本人はどこかあっけらかんとしていた。
「浪人するかなー」
「ちゃんと勉強できるの」
勇輝が心配そうに彼に問いかけると「大丈夫、大丈夫」と言って祐介は余裕そうなそぶりを見せた。しかし、力弥が「いや、心配だわ」と言うと、「ちゃんと勉強して来年は合格しろよ」と祐介にくぎを刺した。
その後、体育館にて卒業証書授与式に参加し、教室に戻って卒業アルバムを受け取ると、写真撮影をするなど最後の思い出作りを生徒らは楽しんだ。生徒らの中には別れを惜しみ泣く者、これからの日々に期待を膨らませ笑い合う者など様々であった。
そして、別れを惜しみつつも今日までのことを思い出しては、その時語れなかった互いの気持ちを言葉にして語り合った。勇輝もまた文化祭以降クラスメイトと打ち解け合い一緒に写真を撮っていた。
「勇輝、二人で写真撮ろうぜ」
力弥がそう言うと勇輝は「いいね」と言って、二人は男子生徒の集まりから離れた。そして、窓際に並ぶと互いのスマホで交互に二人が入った写真を撮り合った。そんな二人の姿を北条が遠くから尊そうに眺めていたことに二人は気付いていない。
何枚か写真を撮り終えると勇輝と力弥はそれらの写真を眺めた。そして勇輝は撮った写真に満足したような顔をするとスクールバッグから紙袋に入ったものを取り出した。そしてそれを力弥に差し出した。
「この本さ、面白いから読んでよ」
「唐突だな。そういえば、前に本を返してから借りてなかったな」
そう言って力弥は紙袋を受け取った。そして中を改めようとした。
「まぁ、中を見るのは帰ってからでいいんじゃない」
そう言って勇輝は力弥が中を見るのを制した。
「まぁ、それもそうか」
力弥はすぐに見たい気持ちを押し殺して、自席のスクールバッグに受け取ったものを入れた。
昼頃になると三年F組のクラスメイトのうち、希望者は学校を出てカラオケで打ち上げに興じようという話になった。祐介は辞退したが、力弥と勇輝はその集団に加わることにした。そこには朱音や北条らの姿もあった。
学校から幹線道路沿いを歩いて国道に向かう途中に商業施設が集まった場所があり、その中にカラオケボックスも軒を連ねている。クラスの四割程度が参加したが、平日の昼間ということもあり、全員が入れる部屋を確保できた。
カラオケにほとんど行ったことのない勇輝は勝手が分からず戸惑うも、力弥はハスキーボイスで最近の流行歌を渋い雰囲気で歌い上げた。勇輝はクラスメイトと打ち解けたとはいえ、こうした個室に大勢の人が集まっているところは苦手である。そのため一度部屋を出ると廊下で呼吸を整えていた。
「どうした? 疲れたか」
そこへトイレから戻ってきた力弥が勇輝に声をかけた。力弥は勇輝がこうした状況が苦手であることを知って体調を心配した。
「うん。ちょっとね」
「我慢してないか」
「ううん、楽しいよ。力弥、歌上手いんだね」
勇輝からそう言われると少し照れながら力弥は「いや、普通だって」と返した。それから力弥は勇輝と卒業式やクラスのことを語り合った。そうして話をしている内に勇輝は気持ちが落ち着いてきたので個室に戻ろうとすると、右の手首が熱を持っていることに気付いた。そうして、ドアノブから手を離し、力弥の方を申し訳なさそうに見た。
「気にすんな。行こうぜ」
「うん。サクッと済ませよう」
勇輝がそう言うと、二人は部屋から自分たちのスクールバッグをこっそり持ち出すと店を出た。勇輝は人の目のない場所で変身を済ませ、力弥は自転車に跨ると勇輝が飛び立った方角へ向かった。既に太陽は西に傾き、東の空から闇が迫ってきていた。二人はその闇が迫る東の方角へ向かった。
*
勇輝が特定した場所は以前にトカゲ男が出た小学校だった。正門から敷地内を見ると校庭の真ん中に黒いものが見える。正門からでは黒い何かでしか見えないが、それが周りにいる児童を襲っているようには見えなかった。力弥は周囲を見渡すが勇輝の姿はない。おそらく、危険を感じないため、遠くから様子をうかがっているのだろう。
学校の先生が何人かその黒いものに近付いて、子供たちに離れるように指示を促していた。力弥は敷地に入り、黒いものに近付く。小さな子供たちが大勢いる中だと力弥の長身は目立った。近付くにつれ、黒いものの形がはっきりした。それは人の背丈よりも高い大きなイソギンチャクのように見えた。
黒いものとの距離があと数メートルというところでこの学校の教師に気付かれ、出ていくように声をかけられた。その刹那、黒いイソギンチャクは唐突に増殖し始めた。周囲に集まっていた教師や児童たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
周囲に悲鳴がこだまする。
教師らは校舎側に駆けだしていくも、一部の児童は増殖する怪物を挟んで校舎とは反対側へ逃げていく。それは正門の右方向の遊具が集まっている場所だ。そこは校庭の隅で外へ出る出入り口もない袋小路になっている。力弥はその方向へ向かって駆けだした。
それとほぼ同時に勇輝が空中から現れ、黒いイソギンチャクに攻撃を仕掛けていく。特に児童らが逃げるのを助けるように攻撃を仕掛ける。そのかいあって、イソギンチャクに囲まれる前に児童も教師も逃げ切れた、ただの一か所を除いて。
そう、遊具の集まる場所へ逃げた児童らが取り残された。児童らは怪物らから逃れようとジャングルジムに登り、力弥はそのジャングルジムの前に立ち塞がった。イソギンチャクの怪物は徐々にジャングルジムの周囲に迫り、そこを取り囲んだ。
すっかり校庭内は黒いイソギンチャクで埋め尽くされると、急激な増殖は止まった。むしろ、逃げ遅れた児童らがいるジャングルジムの周囲において密度が増してきている。勇輝は力弥の前に立ち、イソギンチャクを斬っていくが手ごたえがまるでない。斬ったそばからすぐに増殖していく。
「ダメだ。数が減らない」
勇輝が攻撃を仕掛けながら力弥に声をかける。力弥もイソギンチャクを手で押し返してはジャングルジムに近付けないようにする。頭上からは子供たちの悲鳴と泣き声が聞こえる。その声が耳に入るたびに、力弥は焦っていく。
「どこかに本体的なのがいるんじゃないのか」
力弥はそう言ったものの、イソギンチャクたちはどれも同じに見え、例え本体と言えるものがいたとしても、本体以外との区別はつきそうにない。
「でも、どれが本体なんだ」
変身した勇輝の優れた五感をもってしても怪物の本体は分からない。その時だ、力弥の周囲にイソギンチャクたちが集結したかと思うと、そのイソギンチャクの群れに力弥は飲み込まれてしまった。
「力弥!」
勇輝はそちらに近付こうにも彼の周囲にもイソギンチャクたちは集結し、しかも児童らの方に向かっていく。力弥は声も出せず、イソギンチャクの群れの中に彼の体は消えて行った。
「力弥―」
勇輝の叫ぶ声を遠くに聞きながら、巨大イソギンチャクの群れの中に力弥の体は入り込んでいく。力弥は意識が途切れることはないが、柔らかいものに圧迫され、声を出すことができなかった。やがて、圧迫感がなくなると、視界の開けたところに自分がいることに気付いた。
そこには黒いイソギンチャクなどいない夕暮れの学校の校庭だった。黒いイソギンチャクの代わりにたくさんの子供たちがいる。しかし妙だ、その子供たちと自分の目の高さがそう変わらないのだ。
力弥は自分の手を見ると、それが十歳かそこらの小ささであることに気付いた。
「俺が、小さくなってる」
そこはまるで子供しかいないような空間だった。大人の姿もなく、学校の敷地の外も霞んで見えない。それは小学校だけがこの黄昏の空の下に唯一残された空間のように思えた。そこは子供たちが大勢いるのに、どこか寂しく、疎外感を感じ、自分だけが異物のように感じた。
力弥はその中を歩いていく。どの子供たちも自分と同じ程度の学年に思える。そう、低学年の児童はいない。そこには五年生か六年生くらいの児童しかいない。児童らは思い思いに遊んでいて、力弥はその中をただ歩いた。
その中で、一人の児童だけが俯いて、何もせずに佇んでいた。それは男児とも女児とも思えた。そしてその子供だけがどこか他と違う『色』をしているように思えた。他の児童が『黒い』印象を受ける中、俯いている子供は『白い』印象を受けた。何か他と違う、そう思って力弥が白い子供に近付く。
「あそこまで言わなくても」
「あの子が可哀そう」
「可哀そうだと思わないのかな」
「人の気持ちが分からねーんだよ」
周囲の黒い子供らは一斉に力弥の方を見たかと思うと冷ややかな視線と言葉を浴びせていく。力弥は足をとめ、周囲を見渡す。
「お前のせいだろ」
「なんでお前は学校に来てんだよ」
「帰りなよ」
言葉を浴びせられるたびに、力弥は呼吸が荒くなり、胸の鼓動が早くなっていくのを感じた。周囲の児童らが飛ばしてくる言葉は遠い昔自分が受けた記憶そのものだった。思い出さないように記憶の最奥に封じ込めたはずのもの、それが今開かれていく。
「あの、ごめんなさい」
力弥は我知らず謝っていた。そして後ずさっている。白い子供から遠ざかることで周りの子供らからの責め苦から逃れられると思ったからだ。
「ふざけんなよ」
「自分のしたこと分かっているの?」
「一人で勝手なことするなよ」
それでも子供らは執拗に力弥を責め立てる。やがて力弥は耳をふさいでその場にうずくまってしまった。目をつむり、ただひたすらに謝罪の言葉を吐いていく。そうしている間に頭上に何か黒いものが覆い隠そうする気配があったが、力弥は動けなかった。
このままクラスメイトから責められ、所在のない教室で肩身の狭い思いをするくらいなら、いっそ消えてしまった方が楽だ。自分を覆う黒いものが自分を連れ去ってくれた方が楽だ。かつての記憶がフラッシュバックした力弥はそう考えてしまった。
力弥は迫りくる黒いものに押しつぶされると思った次の瞬間、体が後方に引っ張られ、視界がもとに戻った。勇輝が黒いイソギンチャクの中から自分を救い出してくれたのだ。
「大丈夫か、力弥」
力弥は変身した勇輝の顔を見て、安堵のために息が漏れた。まるで肺の中の空気を全部出したような感覚だった。
「ああ、助かった」
力弥は周囲を見渡すと、そこはジャングルジムの前であり、黒いイソギンチャクに囲まれた状況に変わりはなかった。先ほど見た光景を思い出すと、すぐ横にいる勇輝に聞いた。
「俺を助けた時に、子供がいなかったか」
「いや、お前の体があの黒いやつらの間に挟まれているだけだったけど。逃げ遅れた子供がいたのか」
勇輝は襲い来る怪物を薙ぎ払い、力弥も手で押し返しながら話した。そして、力弥は先ほどの状況を冷静に考えることにした。深呼吸をし、自分を客観視することでこの状況を打破する方法を探ろうとする。
「俺はあいつらに取り込まれたときに学校の校庭でたくさんの子供を見た。でも、お前には見えていなかった。おそらくはそういう幻覚を見せられていたんだ」
勇輝は力弥の説明を黙って聞いている。
「その中に雰囲気の違う子供が一人だけいた。あの子供が他の子供を使って俺に」
力弥は一度つばを飲み込み、気持ちを落ち着かせた。
「俺に攻撃をしてきた、ように見えた。おそらくはあれがやつの本体かもしれない」
勇輝は覆い被ろうとするイソギンチャクの壁を蹴散らす。
「でも、俺には何も見えなかったけど」
「多分、変身したお前には幻覚が効かない。ただ、生身の人間なら幻覚を通して奴の本体が見えてしまう。そういうことなんだ」
生身の人間は幻覚と同時に精神的に追い込まれるが、力弥はあえてそれを口にしなかった。 そして、生身の人間にだけ本体が見えるという考察に対し二人は同じ結論に至り、力弥は勇輝より一歩前に出る。
「俺が奴の本体を捕まえる。そしたら前にヒバリさんからもらった玉を光らせるから、お前はそこに向かって来てくれ」
「だけど、危ないよ」
勇輝が力弥の前に出て、イソギンチャクの群れを薙ぎ払う。
「このままではジリ貧だ。イチかバチかに賭けよう。それに」
力弥は変身して体躯の大きい勇輝を見上げた。
「俺はお前の相棒として、お前の隣に立てる俺でありたいんだ」
そしてジャングルジムの上で怯えている子供たちを振り返り見ると、前を向いた。
「そして、お前と同じで、俺も手の届く人たちを守りたいと思うんだ」
力弥は恐怖を持ちつつも、決意した顔を勇輝に向けた。勇輝もまた彼の決意を受け止めると彼の考えを支持することにした。
「分かった。お前を信じるよ」
「任せろよ」
そう言って力弥は自ら黒いイソギンチャクの群れの中に体を押し込んでいった。引き込まれたときは気付かなかったが、黒いイソギンチャクの中は気味の悪い匂いが立ちこめていた。その匂いに包まれるうちにやがて視界が変化していく。
そして再び、黄昏の中に浮かぶ学校に力弥はいた。周囲にいる黒い雰囲気の子供はきっと黒いイソギンチャクに相当するもの、そして力弥の視線の先にいる白い雰囲気の子供がこのイソギンチャクたちの本体。
「また来たぞ」
「帰って言ったのが分からないの」
「ウザいんだよ」
「あいつ、人の気持ちが分からないしな」
力弥は胸の痛みを感じ、顔を伏せる。しかし、両手で頬を叩くと、前を見つめた。
「うわああああああ」
そして、周囲の声をかき消そうと叫びながら白い子供に突進していく。
「なんか叫んでる」
「学校に来るなって言ってんだよ」
黒い子供からナイフのような鋭い言葉が投げかけられ、そのたびに彼の心臓は貫かれる。しかし、力弥は止まらなかった。これはかつての過ち、自分が仮面を被ろうと思った始まり、自分の思いだけで動けば誰かを傷つけてしまうと知ったあの思い出。
今は違う。俺の思いを受け止められる強い相棒がいる。これはかつての過ちを乗り越えて、自分が相棒と共に戦える自分になるための試練。自分のしたことをなかったことにはできない、されたことを忘れることはできない。でも、それを乗り越えれば、俺もあいつと同じ景色が見られる。相棒がいてくれれば乗り越えられる。
その気持ちだけを盾に言葉の刃を潜り抜けて、力弥は走った。そうして走り続けているうちに力弥は白い子供の眼前まで来ていた。ここにきてようやく白い子供は怯えだし、後ずさりをするが力弥はその子供の体にしがみついた。その頃には力弥の体は子供ではなく元の高校生になっていた。
「勇輝、ここだ!」
白い子供を右腕で抱えたまま、力弥は左手に握った玉に力を込めた。すると玉は黄金に輝き周囲を光で埋め尽くした。すると周囲に広がる黄昏の学校は消え、力弥の周りは黒いイソギンチャクの森になった。彼の右手には他と比べて小さな黒いイソギンチャクがいる。むかむかする匂いは明らかにこのイソギンチャクが放っている。
「本体を捕まえたぞ」
すると力弥の周りの巨大イソギンチャクが吹き飛ばされる。そして、勇輝が降り立つと力弥は脇に抱えていた猫ほどの大きさのイソギンチャクを勇輝の方に放った。勇輝が爪を肥大化させ、切り刻もうとした。
*
勇輝はこの一撃でとどめを刺そうとした瞬間、本体のイソギンチャクの体が巨大化していく。その一方で、それ以外のイソギンチャクたちは一斉に消えて行った。どうやら幻覚攻撃では勝てないと判断したのか、本体自らが物理的な攻撃で戦おうとした。
本体のイソギンチャクは先ほどとは比べ物にならないほどの大きさになった。そう、それは背後に見える三階建ての校舎に匹敵するほどに巨大化した。勇輝と力弥は超巨大イソギンチャクから距離を取った。
「力弥はさっきの子供たちを逃がして、こいつは俺がやる」
「分かった」
そう言って力弥はジャングルジムの方に体を向ける。
「あと、俺の戦いをよく見ておいてくれ」
勇輝はぼそりと力弥に言った。力弥は勇輝の方を振り返り、強く頷くと再び子供たちの方に体を向けると走っていった。勇輝は走っていく力弥の姿を一瞥すると、超巨大イソギンチャクを睨みつけた。
巨大イソギンチャクは無数の触手を伸ばすと勇輝を叩き潰そうとしかけてくるも、それらの攻撃は勇輝にはかすりもせず、逆に勇輝の爪で触手に斬撃を入れていく。その時に勇輝は先ほどとは違う、これなら倒せるという手ごたえを感じていた。
しかし、あまりに敵は巨大。今までの戦い方では倒しきれない。そう悟るや「ここで出し惜しみはないよな」と独りごちると自らに課していた『枷』を外すように勇輝の体は黄金の光に包まれた。
彼の胸の白い十字から光りが放たれると、それは星の輝きのように見えた。彼の輝きは夜の帳が落ちかけた小学校を光で満たした。そう、今の彼は夜の墓所を守るブラックドッグではなく、夜空に輝き人々を見守る星のようだった。
力弥はジャングルジムから子供たちを下し正門の方まで誘導すると、光り輝く勇輝の姿に見とれるように足を止めた。その光は怪物を倒し、人々を守る希望を感じさせたが同時に言い知れぬ不安を力弥に起こさせた。
巨大イソギンチャクはひるむことなく無数の触手を伸ばしつつ、周囲に黒い瘴気のようなものを放ちだした。しかし、黄金に輝く勇輝には何の意味もなさなかった。彼が飛び上がると瞬時に触手は寸断される。そして、勇輝の放つ光は波のように怪物に押し寄せ、瘴気は怪物の方に押し返されていく。
「たとえ、この光が瞬きの間に消えるとしても」
勇輝はイソギンチャクの本体に斬撃を入れていく。
「力弥、お前の目に、そして心に一秒でも長く焼き付けられればそれでいい」
そうした斬撃を一度ではなく、何度も繰り返す。
「俺の照らした光の先に、お前の太陽が昇るのなら」
そうした斬撃を次々と繰り出し、勇輝の光が怪物の周囲を覆いつくす。そう、光に包まれた勇輝があの技を繰り出そうとしている。今の彼は星、墓守の牙ではなく、太陽を導く星の輝き。
『日輪導く星の歩み』
*
それは流星にも見えるが、星が作り出す道のようにも思えた。勇輝が繰り出す最後の斬撃は光の道となって超巨大イソギンチャクの体を穿っていく。やがて超巨大イソギンチャクの体は塵となって崩れ落ちていく。
力弥はその美しい光を見つめたまま、動けなかった。その光の先にあいつがいるのに届かない。そう思ってしまい、崩れゆく怪物の中に佇む勇輝に向けて右手を伸ばした。しかし、同時にその光は自分のためにあるようなそんな気がしていた。それは力弥の道を照らす導きの星のように思えた。
勇輝の輝きが収まると、彼は上空に飛び上がり、いつものように人気のない方角へ向かった。力弥はそれが神社の方角だと分かると、正門の近くに放っておいた自分と勇輝のスクールバッグを拾い上げ、正門に立てかけた自転車に跨った。
力弥は神社に到着すると拝殿を目指した。そう、力弥が勇輝の変身を解除するのを目撃した場所に向かっている。あそこであれば身を隠すのに最適だからだ。境内は人の気配はなく、日も暮れてあたりは暗闇に包まれている。
拝殿の横の人目につかない物陰に着くと、果たして勇輝の姿があった。しかし妙だった。勇輝はすっかり変身を解除しているのに彼の体からは光の粒子が次々と出ている。力弥は勇輝のもとへ走っていくと、それに気付いた勇輝は力弥の方を向いた。すると、勇輝の体は力なくその場に崩れ落ちた。
「勇輝」
倒れる寸前で力弥は彼の体を支えることができた。しかし、その時の勇輝には立ち上がるだけの力はなく、彼はその場で腰を下ろした。そこで力弥も膝立ちになり、彼の頭を右手で支えた。勇輝の体からは次々と光の粒子が浮かび上がっていく。
「どうしたんだ、あいつらに何かされたのか」
力弥の顔からは今までにない焦りの表情が溢れている。すると勇輝は首を横に振ると今にも消え入りそうな小さな声で言った。
「俺はもうすぐ消える」
勇輝の表情はその言葉の意味とは裏腹に穏やかだった。
「これは全て決まっていたことなんだ。俺がこのブレスレットを受け取った日から全て決まっていたことなんだ」
「な、何を言ってるんだよ」
力弥は唐突に怖くなり、胸が締め付けられ、背中がじっとりと汗をかくのを感じた。目頭が熱くなり、勇輝を見詰めるのもやっとだった。
「すべてはFになる。そう、あの話と同じなんだ」
それは作られた時から仕掛けられたプログラムと同様に、勇輝がこのブレスレットを受け取り、力を使い始めた日から定められた瞬間。ただ一つ、あの物語と違うところはその瞬間を正確には測れないこと。
「分かんねぇよ。お前の言ってることが分かんないよ」
力弥の目が潤み、勇輝を支える手に力が入る。
「半年前に力弥とここで会ってから、お前が俺のことを毎日気にかけてくれた。眩しい笑顔、暖かい声、しばらく忘れていた他人とのぬくもりを俺は感じていた。それが本当に嬉しかった」
そこで一度、勇輝は言葉を切ると悲しげに続けた。
「だけど、この日が来るのが怖かった。力弥と過ごす時間が長くなるほどに、お前の悲しむ顔を見たくないと思った」
力弥の頭に夏の夕暮れの中で変身を解く勇輝の姿、それからの彼との日々が次々とフラッシュバックしていく。彼の不貞腐れたような仏頂面、悲しみに歪む顔、そして屈託のない笑顔その全てが一瞬にして脳裏を駆け巡る。
「そんな、そんなことを考えていたのかよ」
力弥の目から涙がこぼれる。
「こんな終わりを知っていて、あんなに辛い思いをしてきたのに、お前は俺なんかのことを心配していたのかよ」
すると勇輝は一度目をつむると、彼もまた今日までのことを思い出した。変身を解いた先にいた彼の驚いた顔、憐憫ではなく称賛する笑顔、絶望の淵で手を差し伸べてくれた温かい手、その全てがまるで昨日のことのようだった。
「良いんだ。お前と会ったあの日から俺の毎日は変わった。お前と過ごしたこの半年は、悲しいこともあったけど、本当に楽しかったんだ」
すると勇輝は目を開けて力弥をじっと見つめた。
「だから、力弥、最後に言わせてくれ。本当にありがとう」
勇輝は笑顔を浮かべてそう言っているが、彼の目から一筋の涙が頬を伝った。覚悟をしていても、別れを惜しむ悲しみは否応もなく彼の心を支配していく。
「最後なんて言うなよ。これからだろ」
そう言うと力弥は勇輝の体を引き寄せて叫んだ。
「二人で大学に行って、サークルに入って、たくさん遊んで、勉強もして、一緒に酒も飲みに行って、そして、そして、二人で語り合った夢を叶えるんだろ」
力弥の目からは次々と涙が溢れていく。
「約束しただろ、俺たちは相棒だって、俺たちはいつも一緒だって」
すると勇輝は申し訳なさそうな顔をして言葉を返した。
「本当にごめん」
そう言うと勇輝は左手で右手のブレスレットを外すと彼の眼前に差し出した。
「ごめんついでに、これを受け取ってくれないか」
「もちろんだ」
力弥はそう言ってブレスレットを左手でつかんだ。そこには一切の怖れも迷いもなかった。彼にはこれを受け取ることの意味も分かっていた。しかし、それ以上にこれを受け取るのは自分以外にいないという意地と、これを受け取れば勇輝が助かるのではないかという願いが彼の頭の中を占めていた。
「これは俺が引き受ける。だから、だから・・・」
そう言うと更に力弥の目からは涙が溢れ、その雫が勇輝の頬に零れ落ちていった。
「笑って、力弥」
その声は柔らかくも悲しかった。勇輝は力なく、右手で彼の頬に触れ涙を止めようとした。
「お前はいつも眩しくて暖かくて、俺にとってお前は太陽なんだ。これからはお前の太陽が、みんなを守って欲しいんだ」
力弥は顔に力を込めると、涙でぐしゃぐしゃの顔に無理やり笑顔を浮かばせた。勇輝が消えてしまうのを止められないなら、せめて彼の言うように笑おうと努めた。
「ああ、任せておけ」
その言葉を聞いて勇輝もゆっくりと笑った。力弥は次第に勇輝の体が軽くなっていることに気付き、この浮かび上がる光の粒子が勇輝なのだと感じた。
「あと一つ、頼みを聞いてくれるか」
「なんだ」
力弥の心は決まりつつあり、声が少し穏やかになった。そこには勇輝から発せられる言葉の全てをこぼさずに受け止めたいという思いがあった。
「俺を、お前の未来に連れて行ってくれないか」
そう言うと勇輝は遠くを見るように言葉を続けた。
「お前は明日も明後日も歩き続けて、色んな場所で色んなものを見続けて欲しいんだ。俺はお前の相棒だから、きっとお前の見たものを俺も見ることができる。だから、お前は前を歩き続けてくれ」
最後に言い終えると、勇輝は再び力弥の方を見た。それは力弥に生き続けて欲しいということだった。自分が消えてしまった後に、絶望に打ちひしがれたとしても自分を追い詰めず、前だけを見て進み続けて欲しいという願いだった。その気持ちが伝わったのか、力弥は決意を秘めた笑顔を勇輝に返した。
「分かった。俺がお前を未来に連れて行く。俺たちは、常に一緒だ」
力弥の笑顔と言葉を受け取ると勇輝の顔は晴れ渡った春の空のように嬉しそうだった。既に勇輝の体からは重さと言えるものがなかった。
「うん、頼んだよ、りきや・・・」
勇輝の体は光の粒子となって夜の暗闇の中に溶けるように消えていった。勇輝を支えていていた力弥の右手は彼の重さを失うと、その手を強く握りしめ、地面を穿った。
「勇輝―! うわあああああああ」
そう叫ぶと、再び彼の両目から涙が溢れてきた。その止まることを知らない涙と声もまた闇に沈む境内に溶け込んでいくのだった。
すると力弥の背後に人の気配があった。力弥はゆっくり立ち上がりその方向を見た。そこにはヒバリが立っていた。彼女は無表情だったが、顔を下に向け、力弥と視線を合わせようとせず、どこか申し訳なさそうにしている。力弥は彼女に近付いていく。
「ヒバリさん、あいつは、勇輝はどこに行ったんだ」
力弥は懇願するように、彼を助ける術を知りたいと言わんばかりにヒバリに聞いた。
「星の戦士は己の存在証明を糧に力を使う。明星勇輝はそれを使い果たした。だから、明星勇輝はこの世界から消えた。痕跡すらない。初めから彼という人間はいなかったことになった」
その冷酷なまでの言葉に力弥は言葉を失った。そして、勇輝のことを覚えているのは自分だけという辛辣な事実に行きついた。
「それよりも君だ、燕谷力弥。君はそれを知った上で、その力を使えるのか。私が言えた義理ではないが、君はこの結末を知った上で戦えるのか」
ヒバリは力弥を見つめながらそう問うた。しかし、力弥は百も承知だった。そしてブレスレットを右手にはめると決意を込めた言葉を返した。
「当然だ。これは、俺とあいつの絆なんだ」
すると唐突にブレスレットと自分の右手首が熱くなってきた。
「腕が、ブレスレットが熱い」
するとヒバリは目を細め、はるか遠くに視線を移した。
「やつらが出た。今日に限って連続で出現したか。神経を研ぎ澄ませろ。今の君ならやつらを感じ取れるはずだ」
ヒバリに言われたようにブレスレットを左手で握り、ブレスレットから伝わる熱や発せられる光に神経を集中させると敵の位置や数が理解できた。駅前広場に人型の怪物がいると分かる。
「覚悟を決めたのなら力を使って見せろ、新たな『星の戦士』燕谷力弥!」
ヒバリの言葉に力弥は力強く頷いた。
忘れない。あいつの葛藤、あいつの覚悟。
そして敵に敢然と立ち向かうあの勇ましい背中を。
その全てが、俺の右腕にある。
見守っていてくれ、勇輝。
今の俺はお前の力に及ばなくても、いつかお前の横に並びたてる俺になる。
だから、俺は。
力弥はブレスレットをはめた右手を眼前に掲げると心臓の奥から勇気の炎が沸き起こるのを感じた。その炎が全身を駆け巡ると何にも負けないという勇気が彼を包んだ。その勇気の炎を力に変えんと力弥は声高らかに叫んだ。
「変身」
そして彼はヒーローになる。
ここまでご愛読頂きまして、誠にありがとうございました。
力弥と勇輝の物語は、いったん、幕引きとさせて頂きます。
このラストについては自分自身もこれで良いのか悩んだ結果です。もし、勇輝が生きているパターンを読みたいなどありましたら、ご意見ください。
力弥の新たな戦い、その物語は書いておりますが、投稿については少しお待ちいただけますでしょうか。
投稿までの間、もし可能でしたら、本作へのご意見やご感想などいただけますと幸いです。
なお、投稿する際は別シリーズとする予定です。
今後ともよろしくお願いいたします。




