第十一話 責任
三年F組の教室には既に半数以上の生徒が登校しており、談笑をしたり、受験に向けて勉強をしたりと各自がいつも通りの朝を過ごしている。教室の引き戸が開かれ、また一人クラスメイトが登校してきた。勇輝だった。何人かの生徒が彼に気付いた。
「お、おはよう」
いつも無言で気配が薄く、気が付いたら自席に座っている彼が声は小さかったが、挨拶をして入って来たことに、クラスメイトの何名かは少し驚いていた。そんなクラスメイトの中で、勇輝のその変化を喜び駆けつける人物がいた。
「おう、おはよう」
そう言って力弥は彼に駆け寄ると腕を肩に回した。
「朝から暑苦しいんだよ、お前は」
そんな二人のやり取りを見て、クラスメイトの中には勇輝に挨拶を返していく者もいた。それに合わせて勇輝の表情も柔らかくなっていた。少し開いた窓から教室に吹き抜ける風は夏の暑さは既になく、秋の匂いを感じさせていた。
*
十月に入ると朝夕は涼しくなってきていた。生徒らの多くも半袖シャツから長袖に衣替えをすませると夏の気配はすっかり鳴りを潜めていた。かつては昼休みを一人で過ごすことが多かった勇輝だが、今は力弥と祐介と談笑しながら過ごしている。
祐介もはじめは先日の事件のことで彼を気遣うような素振りも見られたが、今では自然に接することができている。これは祐介自身の人柄によるところも大きいが、勇輝が人を寄せ付けまいとする刺々しい態度を無くしたことも大きい。
相変わらず人見知りなので最初は勇輝自身が緊張しているが、それを乗り越えれば彼らの間に障害と言えるものはなかった。ただそれでも祐介には気になることがあった。それは力弥と勇輝にはあって、自分にはないものだった。
「そういえばリッキーっていつから明星のことを勇輝って呼んでるの」
祐介が気にしているのは勇輝の呼び方だった。若者ほど形を気にするものだ。
「そういえば、いつだっけ」
力弥は弁当に夢中であまり考えていない。
「あれだよ。二人で文化祭の買い出しに行った時だよ」
勇輝が「お前が言い出したんだぞ」と付け加えながら、呆れた目つきで力弥を見た。
「おお! 結局、二件目まで歩いたあの時か」
そう言いながらカラカラ笑っている力弥を「適当なやつだな」と笑いながら窘める勇輝を見て、祐介はどうにか入り込む隙はないかと考えた。
「じゃあさ、俺はユッキーって呼ぶね」
祐介は妙案だと言わんばかりに二人に提案した。
「「ユッキー」」
力弥と勇輝は声を合わせてその呼び名を声に出した。
「売れないお笑い芸人みたいだなぁ」
力弥がニヤニヤ笑いながら勇輝の方を見ると、勇輝は力弥の方を睨みつけた。
「あーダメかな」
そう言いながら祐介は菓子パンをかじる。
「成宮が呼びたいように呼んでいいよ」
勇輝がそう言うと、祐介は完全に気を遣わせたなぁと思ったものの、そうやって仲を深めるものだよなと前向きに考えて「よろしくユッキー」と明るく返した。
「そういえば、模試が近いよね」
勇輝が最後まで取っておいたおかずのミートボールを口に放り込むと周囲が凍り付くような話題を投下した。祐介のひきつった表情を見た勇輝はなんかマズいこと言ったかなと思った。
「うわー考えないようにしていたのにー」
そう言って祐介はその場に突っ伏した。
「あ、なんかごめん」
勇輝はそう言うが、全く悪びれた様子はない。もはや祐介の扱いには勇輝も少しずつ慣れてきたようだ。
「リッキーは勉強どうなん?」
祐介は顔だけ力弥の方に向けると同胞を求めるように呻いた。
「英語は、まぁいいんだけど、数学がなぁ」
そう言って椅子の背もたれに体重をかけた。「一応、英検二級取ってるから」とピースサインをしながら祐介に笑顔で返した。
「そうなんだ、凄い!」
勇輝は素直に力弥の英語の実力に感嘆した。
「そうだった」
力弥は英語が得意なことを祐介は思い出して、同胞を捉えられず落胆した。
「ユッキーは?」
祐介はすがるように勇輝の方を見た。
「うーん、俺は逆かな。数学と物理は何とかなりそうだけど、英語が苦手なんだよね」
「そういえば、前に一緒に勉強したときも数学教えてくれたもんな」
そんな二人の会話を聞いて突っ伏していた祐介が何かを閃いたように体を起こした。
「じゃあさ、受験に向けて三人で勉強しようよ」
その提案はどう考えても祐介が勉強を教えてもらいたいという魂胆が見え見えであった。そして、教えられる人が近くにいても本人がやらないと意味ないよなとも力弥と勇輝は気付いていたが、二人とも勉強会自体は楽しそうだとも思った。
「別にいいよ」
二人が快諾するのを聞くと、祐介は両手を上げて喜んだ。そんな祐介をよそに、力弥は椅子にもたれながら、考え事をするように天井を見つめた。
「力弥、どうかした?」
勇輝が弁当箱を風呂敷に包みながら、力弥に声をかけた。
「うん、模試って言ったらさ、志望校も書くじゃん。そろそろちゃんと決めないとなぁって思ったんだ」
「そうだね」
勇輝もそのことに気が付くと考え込むような表情になった。祐介は模試自体の勉強とは別に志望校をどうするかという別次元のことで悩んでいる二人を見て、自分の置かれた立場の危うさを再認識していた。
*
その日の放課後から勉強会をしようという話になったが、力弥と勇輝はその前に進路指導室に向かった。そこには様々な大学の学校案内や過去問が掲載された赤い表紙の、通称赤本が所狭しと置かれている。
二人は理工系の学科案内のページを見比べていた。特に、それらの学科の研究室がどんなことをしているのかに興味があった。その日の進路指導室は二人以外に人の姿はなく、力弥は次々と学校案内を棚から引っ張り出した。
「おい、あんまり散らかすなよ」
「いいじゃん、俺らしかいないんだし」
そんな勇輝の小言を聞き流して、力弥はとあるページに目を止めた。そこには体の各部に機械を付けた人が重いものを持ち上げている写真だった。それはパワーアシストロボットと呼ばれ、人と機械が協調して動くことで、人が出せる以上の力を引き出せるということが書かれている。
この技術はリハビリテーションという身体に障害を持つ人の訓練にも応用されているとも書かれていたが、力弥の頭の中には人間が巨大な瓦礫を持ち上げたり、何人もの人を抱え上げたりする状況を妄想していた。
「これ面白そう」
力弥がそれだけ言うと、こいつにしては言葉が少ないなと思いながら勇輝が横からそのページを覗き込んだ。
「パワーアシストロボットか、確かに面白そう」
すると力弥は部屋の中をぐるっと歩いたかと思うと、勇輝の前で興奮した面持ちで語り始めた。
「もっとすごいパワーアシストロボットを作れればさ、俺でも怪物たちと戦えるんじゃないか。いや、お前みたいには無理だけどさ、他の人たちを守るとか、お前の戦いを直接助けられると思うんだ。もちろん、今みたいに周りの状況を伝えるのも大事だけど、物理的にも何かできたら良いと思うんだ」
力弥の言葉は勇輝にとって率直に嬉しかった。勇輝は彼ならきっとできてしまうんじゃないかと思いながら聞いていると、自分が抱えている様々な不安は意味のないことのように思えてきた。そして、この彼の前向きな眼差しを眩しく感じた。
「そうだな。そんなことができたら凄いよ」
勇輝の言葉に力弥は満面の笑みで答えた。勇輝はこうして二人で未来を語ることが何よりも尊いこのように思え、それが叶うことのないものだとしても、いつまでも語り合いたい衝動に駆られた。
「ロボットも面白そうだけど、俺はこっちの人工知能ってのが気になるな」
「どれどれ、あ、確かに!」
それは同じ学科の別の研究室を紹介している記事だった。その研究室では様々なセンサを搭載したロボットがそれらの情報を統合し、自らの判断で動くということが書かれている。
「テレビとかでも色んな人工知能が紹介されているけど、人っぽくない気がするんだ。俺はさ、単に人を助けてくれるAIじゃなくて、好奇心とか興味とかをもって自分で動き回れるAIがあったら凄いと思うんだ」
勇輝はそこまで語ると「まぁ、本にそんなのがいたんだけどね」と付け加えた。そして少し照れくさそうにしながらも、生き生きとした目で力弥に語った。二人はそのページをしばらく眺めては、互いに叶えたい未来を語りあい、それを自らの手で切り拓きたいという夢を交わした。
それは多くを知らない高校生の浅はかな妄想かもしれない。それでも二人は夢を語り合ううちに自分たちならできると思うようになった。それは今すぐではないにせよ、若者にだけ与えられた未来の可能性という特権がいつかきっとできるという確信を二人に与えていたのだった。
その後は祐介と合流し力弥の家で勉強をしようとしたが、ゲームや漫画などの誘惑が多く、結局のところ勇輝以外は勉強に身が入らなかった。その勇輝も最終的にはゲームに参加することになったのだが。
*
勇輝は一人自室で読書に耽っていた。文化祭前に買った本で、彼にしては読み終わるのに時間がかかった。ただ、それは仕方のないことだった。準備中はへとへとになるまで学校にいたし、文化祭の後は彼自身に余裕がなかった。
ここ数日は心穏やかに過ごすことができ、勉強の後の息抜きに読書を楽しむことができていた。あとがきまで読み終わり、本を閉じて机の上に置いた。表紙の眼鏡をかけたしとやかな女性のイラストを見ながら本の内容を頭の中で反芻した。
いくつかの事件が起き、それを主人公が解決していくのも痛快であったが、それらの事件が一つの話に収斂していく様は、難しい数学の証明問題を巧みに紐解くような鮮やかさと美しさがあるように思えた。
この自身の胸の内を誰かに言いたい衝動に駆られた。これの面白さを自分だけで抱えていることが惜しく思え、この気持ちを共感できる人はいないだろうかと考えた。そして、その人にこの本を読んでもらいたいと思った。
「あ」
思わず声が漏れた。そして同時に勇輝の頬を一筋の涙が流れ落ちた。それを手で触れると勇輝は俯き、そうか、この気持ちはきっとそうだなと確信めいたものを胸の中で感じていた。
*
前日の勉強会は結局ゲーム大会で終わってしまったため、今日こそは真面目にやろうと三人は意気込んでいた。すると、祐介が駅ビルの最上階に勉強ができるスペースがあると自身の兄から聞いてきたとのことで、三人はそこに向かうことにした。
駅からバスロータリーを挟んだ向かいにある駅ビルは一階から五階までは商業スペースだが、六階は市民の交流を目的としたスペースである。その一角がいくつかのテーブルと椅子が並んだオープンスペースになっている。
勇輝ら三人が到着すると、既にいくつかのテーブルには人がいて、中には自分たちと同様に勉強をしている高校生の姿もあった。静かで落ち着きのある雰囲気で勉強するにはもってこいの場所だった。
「へぇ、良さそうじゃん」
力弥は普段よりは声のトーンを落とし、座れそうな場所を探した。すると大きなテーブルが一脚空いており、力弥はそのテーブルに近寄ると、残りの二人を手招きした。三人はそのテーブルに陣取り、勉強の準備を始めた。
勇輝は英語の問題集を開き、力弥は数学の問題集を開くとそれぞれノートに鉛筆を走らせた。それぞれがカリカリと音を立てる中、一人だけ違う音を出している人物がいることに二人は気付いた。
祐介は参考書を開き、どこから手を付けるべきかを考えるところまでは良かったが、どうしようもないと思い至り、やがて考えることを諦めると、急に眠気が襲ってきた。そしてすっかり寝息を立てて寝てしまっていた。
「結局、寝てんじゃねぇか」
力弥が祐介に呆れていると、「後で起こしてあげよう」と勇輝がフォローを入れた。そうして二人はしばらく黙って勉強していたが、英語の長文問題を解き終わった勇輝がふと口を開いた。
「勝手に喋るから聞いてて欲しいんだけどさ」
「おう」
力弥は一度だけ目だけ勇輝の方に向けるもすぐにノートを見た。
「昨日の夜にさ、本を読んでいたんだ。文化祭の準備中に本屋に行っただろ、あの時に買った本。あの後、色々あったから読んでなくて、昨日、ようやく読み終わったんだ」
勇輝はシャーペンを持つと指の上でくるくる回した。
「綺麗に話がまとまっていてさ、この話の面白さを誰かに言いたいって思ったんだ」
そこまで言うとシャーペンを回すのをやめた。
「それで、藤鳥さんの顔が頭に浮かんだんだ」
力弥はノートから頭を上げて、勇輝の方を見た。
「うん、それで」
「そしたらさ、俺、泣いてたんだ。突然涙が流れてさ。それで思ったんだ」
すると勇輝は力弥の方を見た。
「俺、彼女のことが好きだったんだって、気付いたんだ」
今の勇輝の目も潤んでいるように見えた。すると、力弥は優しく声をかけた。
「そっか」
「もう彼女と話ができない。面白かった本の感想を伝えたり、彼女から本を借りたり、そういうことができないって思ったら、凄い寂しくなって、これってそういうことなのかなって」
そこまで言うと勇輝は少し言葉に詰まった。
「大丈夫か?」
力弥は勇輝の肩に優しく手を乗せながら声をかけた。
「うん。ありがとう。俺はもう大丈夫だよ」
そう言いながら、勇輝は目元をぬぐう。
「俺がさ、力弥に言いたいのはさ、それだけじゃないんだ」
すると力弥は勇輝の肩から手を離して、軽く頷いた。
「俺は彼女のことを忘れちゃいけないと思うんだ。彼女だけじゃない、俺が守り切れなかった名前も知らない人たちのことも覚えておくべきなんだろうって」
勇輝はそこまで言うと、改めて力弥の目を見た。
「お前が俺をヒーローと言ってくれるなら、これは俺のヒーローとしての責任だと思うんだ。」
責任という言葉に力弥の胸は少し重くなった。
「起きてしまった過去は取り戻せない。だからと言って悔しさと一緒にそうした人たちのことを忘れちゃいけないんだ。悲しさも悔しさも怒りも全部抱えていく。そう決めたんだ」
勇輝の目には覚悟を決めた勇ましさが秘められていた。
「重そうだな」
力弥は心配そうに言った。
「だね」
勇輝は困ったような表情で答えた。
「だったら、俺も一緒に背負うよ。むしろ背負わせてくれ」
「うん」
勇輝は力弥ならそう言うだろうと言いたげににこやかに答えた。
「俺も忘れないよ。藤鳥さんのこと」
そう言って、力弥は勇輝の肩を掴んだ。今までの勇輝はきっと戦いの中での辛いことや悲しいこと、そして悔しいことを全てどこかにしまいこんでいた。そうすることで自分を守っていたが、それは同時に守れなかった人を忘れることにもなる。
勇輝はそれが間違っていると思うようになったのだろう。そして、忘れずに抱えることがヒーローとしての責任と考えた。それは勇気のいる選択だが、きっとそれが自分の力になると勇輝は信じているのだろう。だったら、自分は彼を肯定し応援したいと、力弥自身も考えを新たにした。
「あとさ、俺が彼女の代わりになることはないけど。良かったらその本の感想ってのを聞かせてくれないかな」
力弥が軽い気持ちでそう言うと、勇輝が目をキラキラさせながら力弥の方を見つめていた。
「じゃあさ、とりあえず一巻を今度持ってくるね。このシリーズはね、殺人事件とかは起きないけどこれもミステリーだからネタバレはしないように話すとね。これは鎌倉を舞台にしたとある古本屋の話なんだけど」
力弥は勇輝のマシンガントークを祐介が目を覚ますまで聞かされるのだった。
*
模試だけでなく中間試験など、この時期の受験生には心休まるときはないだろう。次々と襲い来る関門を少しずつ攻略していく。そのためにも力弥と勇輝と祐介は駅ビル六階のスペースを活用し続けていた。予備校があると来られない日もあったが、ほぼ毎日誰かしらは来ていた。
その日は力弥と勇輝は駅前で買い物を済ませてから、駅前広場から駅ビルに入ろうとしていた。すると、彼らの背後から聞き覚えのある声がした。
「リッキーに明星君じゃない。何してるの?」
スクールバッグを肩から下げた制服姿の鹿森がいた。
「おう、ここの六階に勉強するのにいい場所があるんだよ」
力弥は建物の上階を指さしながら鹿森の質問に答えた。
「へぇ、そうなの。知らなかった」
「鹿森は予備校?」
力弥がそう聞くと彼女は頷いた。
「でも、その場所がちょっと気になるなぁ。付いて行ってもいい?」
「いいよ。なぁ?」
力弥がすぐ横にいる勇輝にも了解を得ようと声をかけた。
「う、うん。いいんじゃない」
勇輝は鹿森と視線を合わせようとせず、曖昧な返事をした。
「あれ、お邪魔かな?」
「大丈夫。ただの人見知りだから」
力弥がフォローをするも、「同じクラスなのに」と鹿森が少し残念そうに勇輝の方を見た。すると「ごめん」と勇輝は申し訳なさそうに謝った。相手が男子であればここまで緊張しないのだが、藤鳥以外の女子は大抵苦手なのだ。
「一緒にいれば慣れるからさ。行こうぜ」
力弥がそう言うと三人はエレベーターに乗り、六階で降りた。そしていつものオープンスペースに向かった。すると、そこに見慣れた彼が一人でいた。
「今日はちゃんと勉強しているね」
勇輝はそう言うと祐介のいるテーブルに小走りに駆け寄り、祐介に話しかけていた。その光景を見ていた鹿森は「祐介に負けたか」とぼやいた。力弥はそんな鹿森を見てクスリと笑った。
「何よ、リッキー」
「いや、別に」
勇輝のことを気にかけてくれているんだなぁと心の中で呟くと、力弥も二人のもとに歩いて行った。鹿森もそれに続き、三人の会話にまざった。
「ここなら勉強に集中できそうだね。私も時々来てもいい?」
鹿森は声のトーンを落として三人に聞くと、特に反対する者はいなかった。鹿森はそれを確認すると、予備校があるからと三人と別れた。
受験とは基本的には一人で挑むものだが、こうして誰かと備えることは受験という難敵に仲間と共に挑んでいるようで心強さを感じさせてくれる。こうして三人に新たな戦友が加わった。
*
成宮祐介には解けない謎がある。
解けない謎とは目の前の数学の問題集に書かれている部分積分の問題ではない。これはこれで解けないが、もう一つ大きな謎がある。力弥と勇輝のことだ。二学期になってから二人は急に仲が良くなった。夏休みに予備校の夏期講習で意気投合したというのはありそうだが、それだけではないのだ。
祐介は二人といる時間が増えたことで新たな謎が増えた。時々、勇輝が何かに気が付いて立ち上がったかと思えば、二人で目配せをしてどこかに行ってしまうのだった。トイレにしては長い。しかも彼らの後に祐介もトイレに行ったが、二人の姿はなかった。
「あの二人、どこで何をしているんだろう」
祐介は一人で呟いた。今日も教室を出るところまでは一緒だったが、急用ができたから先に行って席を取っておいてくれと言って、どこかに行ってしまった。仕方なく一人で勉強を始めたのだが、全く集中ができない。
普段から集中できていないと言われかねないが、二人がどこに行ったか分からず、普段以上に悶々となっていた。問題も解けないし、二人がどうしていないのかの理由も分からないので、仕方なく寝ることにした。これは二人のことを考えて疲れたからであって、勉強が嫌だからではない。
祐介は机の上に両手を置いて顔をそこに埋めた。しかし、二人のことが気になって一向に睡魔は訪れない。そこへ力弥と勇輝の声が聞こえてきた。祐介は体を起こそうとしたが、このまま寝たふりをすれば二人の会話を聞けるのではないかと考え、あえて寝たふりをした。
「なんだ、また祐介の奴は寝てんのかよ」
「あはは」
二人は自分の後ろでそう話した後、対面の椅子に腰かけたようだ。気が付かれていない。このまま狸寝入りをしていよう。
「あ、勇輝。お前、顔にも傷がついてんぞ」
「え、あ、ほんとだ」
怪我をするようなことをしたのか。祐介は急に物騒なことを考え始めた。
「あいつら意外としぶとかったからな、大丈夫か」
「まぁ、このくらいなら平気だよ。確かに今日は油断したかも。次は速攻で片付けないとね」
勇輝の口から『速攻で片付ける』なんて言葉が出てくるとはどういうことだ。祐介は益々分からなくなっていった。もしかして、二人は街の不良かごろつきと喧嘩でもしているのか。しかも、速攻で片付けられるほど強いということか。勇輝って大人しそうに見えて実は腕っぷしが強いのか。
祐介はこのまま寝たふりをして更に怖い言葉が飛び出してくるのを怖れて、今まさに起きたように装って体を起こした。
「やぁ、リッキーにユッキー、おはよう」
「おはよう、成宮。勉強進んでる?」
勇輝が朗らかな笑顔をこちらに向けている。
「どうせ進んでないぞ、こいつ」
力弥が小馬鹿にするような笑顔でこちらを指さす。
「いやいや、ちょっと疲れたから休んでいただけで、これからやるよ」
勇輝や力弥が自分の知らない所で喧嘩をしているのではないかと怖い気もしていたが、二人が優しい笑顔で自分を迎えてくれるのを見ていて、不安な気持ちは吹き飛んでいた。むしろ、彼らのことを疑った自分の愚かさを恥じたいとさえ祐介は思った。
例え二人が何かを隠しているとしても、こうして一緒にいることが楽しいことに変わりはない。さっきの会話はゲームか何かの話で、二人はここに来る前にゲームセンターに立ち寄ったのだろうと祐介は思うことにした。
*
「ピピーッ」
甲高いホイッスルの音が体育館に響くと、勇輝や祐介と入れ違いに力弥はコートから出た。今日のF組の男子体育でMVP級の活躍をした力弥はクラスメイトに称えられながら体育館の壁にもたれると「もう、走れねぇ」と言いながら、その場に座り込んだ。
座り込んだまま、次のバスケットボールの試合が始まるのを力弥は眺めていた。彼の視線の先には赤いゼッケンを纏った勇輝がいた。九月の時と違い勇輝の動きは軽やかだった。
小柄な体型を活かして、小回りの利くドリブルで敵チームを躱していく。そしてゴール前で素早く祐介にボールを送る。祐介はそれを受け取るとその流れでシュートを決める。得点を知らせるホイッスルが鳴ると勇輝と祐介はハイタッチして喜び合った。
他のチームメイトも彼らの健闘を称える。その時の勇輝の笑顔は明るく、かつての面影はない。ボールがコートの中央に運ばれると、再び選手たちのコートを駆け回る足音とドリブルの音があたりに響き渡る。
この中の一人が、人知れず怪物たちと死闘を繰り広げているなんて誰が想像できるだろうか。そう、それは紛れもない死闘。常に死の危険が勇輝の身には付き纏う。勇輝が対峙してきたのはこの世のものとは思えない異形の怪物たちだった。
炎をまき散らす巨大な蛇、見上げるような醜悪な巨人たち、空を駆る黒い竜、人の心を蝕まんとする影。それらが勇輝に立ちふさがり、彼の命を狙う。同時に、彼以外の人々の危険が脅かされることもある。中には命を失う人もいた。
それは耐え難い事実で勇輝の心に大きな傷を与えた。それでも彼は言うのだった。そうした悲しさや悔しさ、そして怒りも人々の記憶と共に背負っていくのだと。それは決意であると同時に、彼の閉ざされた心の解放も意味していた。
負の感情だけ抑えて、楽しさや喜びだけを出せるほど勇輝は器用なやつじゃない。きっと悲しみを抱える分だけ喜びを表現できる。彼が笑顔で毎日を過ごせているのはそうした心の解放の結果なのだろう。
ゴール前で勇輝が放ったボールはリングにはじかれてしまった。敵チームがそのボールを目ざとく奪うと逆サイドのゴールに人の群れが動いていく。ボールを追いかける勇輝の表情は明るい。
それでも、このままで良いのかと力弥は疑問を感じずにはいられない。凶悪な怪物たちに敢然と立ち向かうあの勇ましい背中に何度も助けられ、力弥はそれを羨望の眼差しで見ていたことは紛れもない事実だ。また、勇輝が戦士に変身できるから、力弥は勇輝と本当の意味で出会い、新しい日々を得ることができた。
これはかけがえのないもので、手放しがたいものだ。
「それでも。そう、それでもだ」
力弥は自問自答する。もっと他の可能性もあったのではないか。彼が戦いに身を投じずとも自分と心を通わせることになる可能性が。それと同時に勇輝に問いたい気持ちもまたある。彼は何を思って戦いに身を投じているのか。勇輝は回ってきたボールをゴールリングに向けて投げる。
今の力弥にできることは、そんな彼のシュートフォームを目に焼き付けるだけだった。勇輝の放ったボールは吸い込まれるようにネットに包まれていく。それと同時にホイッスルが鳴り、試合が終わった。勇輝と祐介のチームが勝ったようだ。二人を含めた五人が喜び合っている姿を見ながら力弥は立ち上がる。すると、力弥の姿を見つけた勇輝がこちらに向かってきた。
「最後のシュート見てた? あの距離から入ったんだよ。凄くない?」
嬉々として語る彼の顔を見た力弥は、たらればを言っても仕方ないなと思い直し、頭の中のわだかまりを洗い流した。
「見てた見てた」
「ほんとかよ。何かテンション低いな」
勇輝が口を尖らせるので力弥は「ほんとに見てたって」と言って彼の肩を叩いた。そう、力弥は確かに見ていたのだ、彼の四肢から生み出された綺麗なフォームを。
今の試合が最後の試合で、終わりの挨拶のために体育教師が生徒たちを集めている。力弥と勇輝もその集まりに加わりに小走りで集合場所に向かった。




