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第十話 相棒

 力弥は退院した次の日には学校に登校した。親からはもう少し休んではどうかと言われたが、勇輝のことが気になっていた。はっきり言って会うのは怖い。しかし、それでも彼のことを気にかけずにはいられなかった。


 教室の引き戸の前で力弥は開けるのを躊躇していると後ろから声がした。


「リッキー、もう大丈夫なのか」


 祐介だ。いつもニコニコしている彼が腫れ物を触るような目でこちらを見ている。


「ああ、見た目よりは大したことないよ」


 力弥は頭の包帯を触りながら作り笑いをした。


「そうじゃなくて、その、あの女子と仲良かったんだろ」


「・・・まぁな」


 その時、引き戸が唐突に開いた。クラスメイトの何人かが廊下に出ようとしたのだ。彼らは力弥に気付くと彼の体調を気遣った。力弥は力なく笑いながら、自分は大丈夫だと言って、教室に入った。勇輝はいない。彼の席には誰もいなかった。力弥はそれだけ確認すると、自席についた。


 その日、勇輝は学校に登校してこなかった。下校時間になり、教室に誰もいなくなると、力弥は勇輝の席に近付いて彼の席を軽く撫でた。そんな彼に高瀬が近付いてきた。


「燕谷、藤鳥結衣さんの通夜があるんだが、行けるか?」


 力弥はごくりと生唾を飲み込むと、頷いて見せた。


「はい。行きます」


「そうか、ちゃんとお別れしてこい。あとな、明星には俺の方から連絡しておいた」


 力弥は胸が痛くなる衝動をおさえて、もう一度頷いた。


「そっすか」


「ちゃんと本人に話した。あと、明日は学校にも登校すると言っていたからな」


「はい」


 そう返事をして力弥はスクールバッグを担ぐと高瀬の横を通り過ぎて、教室から出て行こうとした。


「通夜は明日の夜だからな。希望者は一緒に行くからな」


 高瀬の呼びかけに力弥は軽く頷いた。それを見た高瀬は頭を掻きながら難しい顔をした。高校生には同級生の死はヘビーすぎたかなとぼやくと、勇輝の座席を見た。そしてあの二人になんて言ってあげたら良いのかを考えた。


 次の日、力弥は登校するかを悩んでいた。勇輝が来ると分かると、どういうわけか足が動かない。しかし、通夜にも参加する以上、行かないわけにはいかない。力弥は意を決して学校に向かった。


 学校に辿り着くも、やはり教室の引き戸を開けようとして立ち止まってしまった。その時、後ろから声がした。


「入らないなら、どいてくれない」


 勇輝だった。力弥は反射的に引き戸から離れると、勇輝は気にする様子もなく教室に入っていった。力弥はそれを茫然と眺めていたが、声をかけなければと心に決めると、勇輝の肩に手を置いて「なぁ、勇輝」と言った。


「離せよ」


 勇輝は力弥と視線を合わせようとせず、冷たい口調で言い返した。


「でも」


「だから、触んじゃねぇよ」


 普段の勇輝からは想像もしないような大声が発せられて、教室内の全員が二人を見つめた。力弥は力なく手を離すと、勇輝は自席に向かった。もう、ダメなのかと力弥は力なく項垂れると、彼も自分の席に足を向けた。


 その日、力弥は勇輝とそれ以降一言も言葉を交わさなかった。やがて、藤鳥と同じクラスの生徒らに混じって力弥と勇輝は通夜に参加した。通夜は学校から比較的近い葬儀場で行われ、建物の入り口には大きく彼女の名前が書かれた看板があった。


 焼香に並ぶ生徒たちは沈鬱で涙を流すものもいた。力弥はすぐ前を歩く勇輝を見ていた。彼は無表情のまま列に並んでいた。まるで仮面でも被っているようで、それが勇輝ではないような気がした。


 焼香を済ませた勇輝は引率に来ていた藤鳥のクラス担任に話しかけていた。力弥もまた焼香を済ませると、そんな彼を少し離れた場所から眺めた。どうやら、藤鳥の母親に用があるようだった。力弥は勇輝の方に足を向けると、少し離れたところから勇輝と藤鳥の母親のやり取りを見守った。


「あの、俺、明星勇輝と言います。その、娘さんとはその」


 そう勇輝が口ごもっていると、藤鳥の母親は優しそうな表情を浮かべて答えた。


「あなたが明星君ね。娘から話は聞いていたわ。今日はあの子に会いに来てくれてありがとう」


 勇輝は「ありがとう」と言われて、俯いて、手を強く握った。


「それで、どうかしたの?」


「あの、結衣さんから本を借りていて、その、返しに来ました」


 勇輝は震える手で本を出すと、藤鳥の母親に差し出した。


「ありがとう。でも、いらないわ」


 それを聞いて勇輝は顔を上げて、相手の顔を見た。しかし、すぐに視線を逸らした。


「あなたの気遣いはとても嬉しいわ。でもね、あの子のことを思ってくれるなら、どうかその本はあなたが持っていてくれないかしら」


 そう言って藤鳥の母親は差し出された本を優しく彼の胸まで戻した。


「そして、時々あの子のことを思い出してくれたら、あの子もきっと喜ぶわ」


 そう言って、彼女は力なく微笑んだ。


「だって、忘れられてしまうことが、一番寂しいのだから」


 それを聞いて勇輝は肩を震わせていた。


「はい。俺、彼女のことは絶対に忘れません」


「ありがとうね」


 勇輝はそれだけ聞き届けると、走り去ってしまった。だが、藤鳥の母親はまだ何か勇輝に言いたいことがあったようで、彼を呼び止めようとした。しかし、その声は勇輝の耳には届いていなかった。


 力弥はそんな勇輝を見届けた後、藤鳥の母親の方を見た。彼女は走り去る彼を惜しむように見ていた。そこで、力弥は藤鳥の母親に声をかけた。


「あの、どうかしたんすか」


「ああ、明星君のお友達かしら?」


 力弥は一瞬閉口したが、すぐにきっぱりと返事をした。


「はい。そうです」


「それじゃあ、彼にこれを渡しておいてくれない?」


 そういうと藤鳥の母親は座っていた椅子の横に置いてあった紙袋を持ち上げると、力弥に手渡した。


「あの子が明星君に渡そうとしていたみたいなの、お願いできますか」


「分かりました。きっと、あいつに渡します」


「ありがとう。あと、彼に元気を出してと言っておいてくれますか」


 藤鳥の母親はそう言って、もう一度、優しく微笑みかけた。


 しかし、次の日、勇輝は学校に来なかった。昼休みになると力弥は一人で中庭に赴いた。ついこの間まではこの場所に三人でいたのに、それが遠い昔のように感じられた。その時のことを考えながら、空を眺めていた。


「燕谷力弥、少しいいか」


 すぐ隣にヒバリがいた。力弥は「うわ」と声を出して驚いた。そして、周囲を見渡した。生徒が何人かいる。こんなところを見られたマズいのではないかと心配した。


「心配には及ばない。私の姿は君と明星勇輝にしか見えていない」


「あぁ、そうなんすか」


 やっぱりこの人は普通の人じゃないんだなと力弥は思い直した。


「で、話ってなんすか」


「明星勇輝の様子がおかしい。というよりも、かなりまずい」


 それを聞いて力弥はヒバリの方を見つめた。


「このところ、食事をとっていないようだ。しかも精神状態も悪い」


「そっすか」


 力弥は視線を正面に戻すと、それはそうだろうと思った。


「それだけか。君らの関係は良好に思えたが」


「心配ですけど、あいつが俺のことを拒否ってるんで、どうしようもないんですよ」


 それは半分本当だが、半分嘘だった。力弥自身が彼を怖れていることも理由に含まれている。


「そうか。すまない、こういう時に君にかける言葉が見当たらない」


 少しの間の沈黙の後、ヒバリは話し始めた。


「私にできることは、君と明星勇輝を引き合わせることだけかもしれない」


 力弥はヒバリの方を見た。


「いつかは分からないが、また異形のものは出てくるだろう。その場所にきっと明星勇輝は来る。だから、私が君にその場所を教える」


「そして、怪物を倒した後にあいつと話をしろってことですか」


「そうだ。私にできるのはこのくらいだ」


 力弥は覚悟を決めるように口だけ笑うと、ヒバリの方を見た。


「ありがとうございます、ヒバリさん。それで十分です」


 そう言うと、力弥は立ち上がった、凹んでいてもしょうがないよなと自分に言い聞かせながら。


「そうか」


 そう言ってヒバリも立ち上がると、「では、その時が来たら君に声をかける」と言って中庭をあとにした。力弥はなんとかしたいと思ったものの、不安を完全に払拭できたわけではない。はっきり言って、まだ怖いのだ。


 そんな不安な気持ちを抱えながら、中庭から校舎に戻ろうとしたところを誰かに呼び止められた。声の方を見ると、そこには高瀬がいた。


「燕谷、暇か」


「ええ、まぁ」


「よし、ちょっと付き合え」


 そう言って高瀬は力弥を物理教官室に連れて行った。


 部屋の中は壁に向かって数脚のデスクが並び、中央にローテーブルとソファがある。高瀬は力弥をソファに座るように促すと部屋の奥のスチールラックに近寄り「コーヒーでいいか」と聞いた。力弥は軽く頷くと、所在なさげにソファに腰掛けた。


「お前、明星と連絡とっているか」


 マグカップにインスタントコーヒーの粉を入れながら高瀬は聞いた。


「いえ、今、拒否られているんで」


「そうか」


 そう言いながら高瀬はポットのお湯をマグカップに注ぐと、それを力弥に手渡した。


「頂きます」


 力弥がコーヒーに口をつけるのを見届けると高瀬も自分の分のコーヒーをすすった。安っぽいインスタントコーヒーの香りを感じながら二人はしばらく言葉を交わさずにいた。


「新学期に入ってな、お前らのことがちょっと気になっていたんだ」


 沈黙を破ったのは高瀬だった。


「二人とも、なんか急に表情が変わった気がしてな。それで思ったんだよ。ずっとお前らは自分をどこかに隠していたけど、こいつならって思って顔を出そうとしたんじゃないかってな」


 力弥はマグカップから口を離すと、俯いたまま高瀬の話を黙って聞いた。


「そうして安心しきっているところで、唐突に誰かに思いっきり斬られた。そいつは痛いよな。本当の自分ってのは守るものがない生身の体だ。それは弱いところが丸出しだからな、その痛みはとんでもなかったと思う」


 高瀬はコーヒーをすすると、ふうと息を吐いた。


「それでお前たちは思ったんだろうな。やっぱりやめよう。自分を隠そう。自分を隠していれば傷つくことはないってな。それでお前らの関係は振り出しに戻っちまった」


 そう言うと高瀬は力弥の対面に腰掛けマグカップをテーブルに置くと、力弥を見つめた。


「お前はどうしたいんだ」


「俺は・・・」


 力弥は言いよどんだが、どうにか言葉を続けた。


「俺は、また、あいつの本当に会いたい、です」


 力弥は絞り出すように言ったが、言ったそばから怖さが勝って、後悔していた。


「なら、本当のお前をぶつけるしかない。隠れたままじゃ相手は見えないし、自分の体でぶつからないと痛みも分からない」


 力弥は恐る恐る高瀬を見た。


「お前の隠しているものを全部出して、思いっきりぶつかってこい。そしたら、明星も本当の自分をお前にぶつけてくるはずだから」


 すると高瀬はガラにもなく真剣な目をすると、力弥の両肩を掴んだ。


「そして、それができるのは、世界中でお前だけだから」


 その言葉を聞いた瞬間、力弥は目が覚める思いがした。そして、どうしてそんな大事なことを忘れていたのかと思い直した。これまで力弥は霧の中を彷徨い歩き、大事な相棒が見えていなかった。高瀬の言葉はそんな霧を晴らし、見つめるべき相手との距離が見えるようにしてくれた。


「先生は、どうしてそう思うんですか」


 力弥が絞り出すように声を出すと、高瀬は力弥の肩から手を離し、ソファにもたれかかった。そして笑いながら答えた。


「ただの勘だ。俺の教師としての第六感がそう囁いているんだよ」


 高瀬の返事に、力弥もつられて笑っていた。


「その、こんなこと言ったらあれっすけど。やっぱ、先生は先生なんですね」


「お前、それ、どういう意味だよ」


「いやだって、先生っていつもぼーっとしているイメージあるし」


 そうやって二人は笑い合った。気が付くと、力弥の心にわだかまっていた怖さは消えていた。


「でも、ありがとうございます。なんか、モヤモヤがなくなった気がします」


「そうか」


「あと、コーヒーごちそうさまでした」


 そう言って力弥は立ち上がった。マグカップにはまだコーヒーは残っていて、僅かに湯気が立ち上っている。


「おう、しっかりな」


「はい!」


 力弥は力いっぱい返事をして、物理教官室を出て行った。燕谷は元気なのが一番だなと高瀬は思いながら、一口コーヒーをすすると「マズいなぁ」と苦笑いした。




 力弥は物理教官室を出て、教室に戻ると、数人の生徒が勇輝の机の傍にいるのが見えた。その中には鹿森や祐介の姿もある。力弥は彼女らに近付くと声をかけた。


「どうかした?」


「うん、何かあったってわけじゃないけど、明星君、今日は来てないねって」


 鹿森がいつになく弱々しい声音で言った。


「明星さ、あのA組の子と仲良かったみたいだからさ、その大丈夫かなって」


 祐介の声からはいつもの明るさがない。


「彼、いつも一人だったけど、文化祭の準備でさ、彼とも話すことがけっこうあったじゃない。それで、クラスのみんなとも打ち解けていて、文化祭も楽しんでいたのに」


 鹿森は俯いて悔しそうな声を上げた。


「こんなのって、ないよね」


 すると鹿森は顔を覆ってしまった。普段は気の強い彼女だが、それは自分の脆い部分を隠そうとするが故なのではないかと力弥は彼女を見ながら思った。それと同時に、勇輝がここにいる皆にとって大事な存在になっていることを痛感した。


「みんな、あいつのことを心配してくれているんだよな」


 力弥が口を開くと、その場のみんなが彼を見つめた。


「なんか、自分のことみたいに嬉しいよ」


 そう言って皆に笑顔で返す力弥だが、その目じりは僅かに濡れていた。


「俺があいつと話してくるよ。それで、あいつが立ち直れるように何とかするからさ、皆は待っていて欲しいんだ」


 そう言って鹿森の肩に軽く触れると、鹿森も祐介も、その場の誰もが力弥を見つめながら頷いた。やがて、予鈴がなるとめいめいに自分たちの席についた。ただ、勇輝の席だけは空のままだった。




 何とかすると大見得を切ったが、実際はヒバリからの連絡を待つしかない力弥はもどかしい気持ちでいた。とりあえず、学校を出て近くの公園のベンチに腰掛けている。空は青から茜色に変わり、東の方から闇が迫っていた。


「今日は帰るか」


 そう言って立ち上がると、自転車を手で押しながら自宅に向かって歩き始めた。勇輝は何をしているのか、怪物が出た時に本当にあいつは来るのか、そんなことが頭の中をぐるぐるとかき回す。


 それでも信じて待つと決めた。ヒバリを信じ、勇輝を信じる。それしかできないと思う一方で、自分だからできると力弥は前向きに考えることにした。そう思うともたげた頭を持ち上げて、上を向くことができた。すると、自分の横から誰かが抜き去る影が見えた。ロングコートにショートヘアの女性、ヒバリだ。


「燕谷力弥、異形のものの気配が出たぞ」


 抜き去り際にヒバリが力弥の耳元でささやいた。力弥は立ち止まり、意を決したようにヒバリを見つめた。ヒバリは力弥の前で立ち止まり振り返った。そして、立体になっている国道の方を見た。


「以前、君と明星勇輝が出会った場所だ。神社というところだ」


 空は闇に覆われ、あたりは暗い。ヒバリの見ている先の神社はただ黒い木々の集まりにしか見えない。ただ、そこに不気味な何かが蠢いていることは確かなのだ。力弥は自転車に跨ると「分かりました。行ってみます」とヒバリに伝えた。ヒバリが小さく頷くのを確認すると力弥は神社に向かって自転車をこいだ。


 今はただ勇輝に会いたいという気持ちが、彼への後ろめたさや怖れに勝っていた。そしてその気持ちがペダルを踏む力を益々強くしていくような気がした。勇輝に何て言うか、はっきりとした考えがあるわけではなかった。


「それでも」


 力弥は真っ直ぐ走ることしかできない。だから、彼がいると信じて、勇輝と出会ったあの場所へ向かった。


 神社には人の気配は全くなかった。ここの境内は広い。明るい時間なら小学生が遊んでいる姿をよく見るが、夜ともなれば人の気配は減る。しかし、それでも妙だった。通行人の姿すらないというのはおかしい。


 力弥は国道側の境内の入り口に自転車を立てかけると、敷地に入ることを躊躇していた。境内は暗闇に包まれ、静まり返っていた。その真ん中に人影が見える。暗いせいで誰かを判別することは難しいが、巨大な怪物ということはなかった。


「少し待て」


 ヒバリがいつの間にか力弥の横にいた。この人はほんと神出鬼没だなと力弥はぼやきそうになった。力弥はヒバリに言われるまでもなく入るつもりはなかった。どうにも様子がおかしい。


「あそこにいるのは、勇輝ですか」


「そうだ。ただ、敵の姿がない。慎重に近付くぞ」


 力弥は頷いて見せると、ヒバリと力弥はゆっくりと境内の広場の中央に向かった。近付くにつれ、人影が勇輝であることが分かるようになったが、どういうわけか彼は変身をしていない。そこには本来の明星勇輝が茫然と佇んでいるのだ。


「勇輝!」


 力弥が駆け寄ろうとすると「待て」とヒバリが力弥を制する。力弥は立ち止まるとヒバリの方を振り返った。いつも無表情の彼女の顔が何かを怖れるように歪んでいた。そしてゆっくりと口を開いた。


「明星勇輝の精神が取り込まれそうになっている」


「どういうことですか」


「夢を見せられている。そして、何者かがその夢を通じて彼を攻撃し、やがて彼の精神を食おうとしているようだ」


 ヒバリの目は赤く光り、何かを走査するように勇輝の体を見つめている。


「食われたら、どうなるんですか」


「廃人になる。そうなっては戦うことはできない」


「でも、そんなやつどこにも」


「影だ。明星勇輝の周囲には闇と同化した影の形をとった異形のものがいる。彼に近付けば、お前も取り込まれる」


「そんな」


 目の前にあいつがいるのに、触れられる位置にいるのに、言いたいことがあるのに、何もできないなんて。力弥は手を強く握りこむと「くそっ」と大声で叫んだ。


「普段の明星勇輝であればこの程度の精神攻撃でやられることはないのだが、ここ最近の不調のせいだろう。敵に先手を取られたか」


 更にヒバリは周囲を見渡した。


「しかもここは他の人間が近寄らないような細工が仕掛けられている。明らかに明星勇輝を誘い込み確実に倒すための罠だ」


 力弥は強い眼差しで佇む勇輝を見た後、ヒバリの方に向き直った。


「そんなことはどうでもいい。どうしたらあいつを助けられる?」


 力弥に詰め寄られ、ヒバリは視線を逸らす。


「何かあるんだな。教えてください。このままあいつに言いたいことも言えないまま別れるなんて、俺は死んでも嫌だ」


ヒバリは視線を落とし、少し考えた後、力弥の目を見つめた。


「星の戦士ではない君がそれをやれば、君も廃人になってしまう可能性がある。それでもいいのか」


「構いません。俺は、俺はあいつの相棒なんだ」


 力弥の目には迷いも怖れもない強い意志が宿っていた。


「相棒のピンチには駆けつけるもんです」


 力弥はヒバリに強がるように笑ってみせた。そこには何の算段もない。ただ心を許した相棒を助けたいという純粋な気持ちだけだった。それで奴らを倒せるのかとヒバリは考えたが、力弥は考えを改めないと判断するとため息交じりの返事をした。


「分かった。教える。さっきも言ったが奴の本体は影だ。そして、その影は相手と触れることで夢を通じて相手の精神を攻撃する」


 そこまで言うとヒバリは勇輝の方を見た。


「しかし、影に触れれば誰でもやつの精神攻撃に干渉できる。つまり、あの影は明星勇輝の夢と精神につながっている。そこにアクセスできれば、彼を救い出すことができるかもしれない」


「つまり、あの影に触れて、勇輝と同じように夢を見て、あいつの精神が取り込まれる前に連れて帰ればいいんですね」


「・・・まぁ、つまりはそういうことだ」


 ヒバリは内心、簡単に言ってくれるなとぼやいた。力弥はヒバリの返事を聞くと「よし」と手を合わせて、勇輝に近付こうとした。すると「少し待て」とヒバリが声をかけると、彼女は右手からビー玉のようなものを力弥に渡した。


「これを持っていけ。明星勇輝のブレスレットと同じ材料から作られたもので、それがあれば明星勇輝の精神を見つける助けになる」


「ありがとう。ヒバリさん」


 力弥はそう言うとその玉を左手で握りしめると、勇輝の前に立った。


「今、行くからな」


 佇んだまま動かない勇輝にそう問いかけると、彼の足元の黒い地面を右手で触った。すると、力弥の意識は急激に遠のき、その姿勢のまま彼は眠りこんでしまった。



 自分の手を見る。黒い肌に仰々しい爪が生えている。


 そうか変身していたんだっけ、やつらはどこだ。


 曖昧な記憶をたどりながら、夢うつつな頭で辺りを見渡す。そこは学校近くのショッピングモールの入り口だった。


 ここに出たのか。


 違う気もする。


 だが、今こうしている以上、ここに奴らがいるはずだ。


 そう思ってあたりを見渡す。すると、ある場所で彼は固まってしまう。視線の先は血だまりができている。


 彼の体は硬くなり動けない。それでも自分を律しようと深呼吸をするも効果はない。彼は足を前に出し、血だまりに近付く。そこには見慣れた人が倒れている。


 そうか、これは夢だ。夢を見ているだけなんだ。


 血だまりの中の人はおもむろに立ち上がる。それは操り人形が起き上がるように不自然な動きだった。そして、血だらけの彼女は徐々に彼に近付いていく。彼は一歩、また一歩と離れようとする。そこに声が響く。


「どうして、助けてくれなかったの」


 彼女の声だった。


「ご、ごめんなさい」


 動悸が激しくなる。


「どうして、できもしないのに、守ろうと思ったの」


 彼女の声はさらに重なっていく。


「だって、あの日は、どうしようもなかったから」


 彼は血まみれの彼女から逃れるように更に後ずさる。すると、何かが足に触れた。そこには彼が倒れていた。彼は頭から血を流し、ぴくりとも動かない。まるで抜け殻だった。


「あああああああああ」


「ほら、あなたが間に合わないから、彼だって死んじゃったじゃない」


 追い詰めるような声の前に彼はその場にうずくまった。もはや黒い皮膚で覆われた体ではなく、本来の彼の姿、明星勇輝になっていた。


「私たちを見捨てておいて、あなた一人がのうのうと生きているのが許されると思っているの」


「だってだって、どうしようもなかったんだから」


 するとうずくまる勇輝の後ろに何かが立ちはだかった。頭から血を流した彼だったものだ。


「俺たち、相棒だって言ったのに、どうして助けてくれないんだ」


 彼の声は恨みに満ちていた。勇輝は耳を押さえ、聞かないようにしたが、声は耳からではなく頭に響いてくる。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


 ただ謝るしか今の勇輝にはできなかった。耳を押さえ、その場にうずくまり、目をつむり、外部からの感覚をシャットアウトしたまま、勇輝の体は黒いものに包まれそうになっていた。


「許してあげるよ。このまま何もしないで、ここにいれば、私たちは許してあげるよ」


「お前は何もしなくていい。俺たちと一緒に行こう」


 彼女だったものと彼だったものは黒いどろどろとした不定形のものになり、勇輝の精神の核を包み込もうとしている。


 そうか、もう止めよう。


 辛い思いをしてまでどうして戦ってきたんだ。


 戦ったって誰も褒めくれないし、優しくもしてくれないし、報われることもない。


 無理に悲しさや悔しさや怒りを抑えこんできても、何の意味もなかったじゃないか。


 そうやって勇輝が目を閉じたまま、すべてを諦めようとしたとき、誰かが自分を呼んでいるような感覚に襲われた。


 暖かい、そして眩しい。


 俺はこの感覚を知っている。


 太陽。


 いや俺が太陽だと思ったあいつ。


 そう、あいつが。


「勇輝ーー!」


 勇輝が目を開けると、泣きそうな顔の力弥が眼前にいた。とめどなく溢れる黒いものから勇輝を引っ張り出そうとしている。見ると、彼の片手が強い光を放っていた。光は黒いものを退け、勇輝を引き寄せるのに大いに貢献した。


「こっちに来い」


「だけど」


「うるせぇ、いいから来るんだよ」


 そういうと力弥は力任せに勇輝の体を引き寄せると、黒いどろどろとしたものがわだかまる沼のような場所から勇輝を引き上げ、そこから遠ざけた。


「はぁはぁ、帰るぞ」


 へたり込んで座っている勇輝を見下ろしながら力弥は言った。しかし勇輝はその姿勢のまま顔を伏せて、ぶっきらぼうに返事をした。


「嫌だ」


「なんだと、お前、ふざけんなよ」


 力弥が勇輝にそう叫ぶが、勇輝は下を向いたまま叫び返した。


「もう嫌なんだ。俺には戦う力があって、それしか取り柄がないのに、どうして、どうして守りたい人を守れないんだ」


 力弥は息を切らしながら、勇輝の思いを黙って聞いた。


「大切な人が傷ついて、倒れていくのを見ているしかない。もうそんなの嫌なんだよ。誰かと繋がろうとするから、失いたくないものができるから、失うのが怖くなるんだ。失ったとき、失いそうなとき、心臓が押しつぶされて息ができないんだ。こんな気持ちはもう嫌なんだよ」


 勇輝は一度も力弥に目を合わさず、ただ、言葉を吐き出し続けた。


「一人だったら、こんな気持ちにならずに済んだのに、誰かと関わらなければ、誰かのことを大切だと思わなければ。だから、だから、もう一人にしてくれよ」


 そこまで言うと勇輝は力弥の方を向いた。彼の顔は悲しみに歪み、今にも割れてしまうガラス細工のようだった。


「もし、もしもお前まで死んじゃったらって考えたら、俺、もう耐えられないんだよ」


 力弥はその言葉を聞くと、彼の中の何かが切れてしまった。それはとても抑えきれる感情ではなかった。


「勇輝、てめぇ」


 そう言うと力弥は左手で勇輝の胸倉をつかむと右手を強く握りこんだ。そして、渾身の力を込めて勇輝の左頬を殴りつけた。ここは勇輝の夢の中だが、勇輝は強い痛みと衝撃を受け、後ろに倒れこんだ。


「いってぇな、なにすんだよ」


 勇輝はとっさにそう叫んだ。すると、力弥は勇輝を睨みつけた。


「ふざけんなよ。いつ、俺がお前に守ってほしいなんて頼んだんだよ」


「だったら、お前はあいつらと戦えるのかよ」


「はんっ、今のいじけ虫の勇輝クンよりは戦えるさ」


「なんだと」


「試してみろよ、このいじけ虫の弱虫野郎が」


 力弥の挑発に見事に乗った勇輝はしゃがみこんだ姿勢から力弥に体当たりを入れた。勇輝の頭突きが力弥のみぞおちに入り、力弥はよろめいた。


「俺が、俺がどんな気持ちで戦ってきたのか、お前に分かるのかよ」


 勇輝はそう叫ぶと、右手を振りかぶり、力弥の顔面を殴った。力弥はそれを耐えつつ反論した。


「分っかんねぇよ」


 そう言って、力弥もまた右からパンチを繰り出した。


「お前は、いっつも口数が少ないし」


 すると次に左からも力弥は勇輝を殴る。


「たまにどっか消えてるし」


 勇輝は動揺しているのか、反撃をするが先ほどと比べて拳の勢いは弱く、力弥の勢いを抑えることができない。


「何考えているのか分からねぇんだよ」


 吐き出すように力弥はそう言うと、下から上に拳を突き上げた。力弥の拳を顎から受けた勇輝はバランスを崩し、再び座り込んでしまった。


「はぁはぁ、立てよ」


 勇輝は黙っている。


「立てないんなら俺の勝ちだな」


「何が勝ちだよ」


 勇輝は不貞腐れたように視線を逸らした。


「分かったか、勇輝」


「何が」


「俺はお前より強い」


 力弥は力強く言い放った。


「ふん、ウェイト差考えろよ」


「いいから聞け。俺はお前より強い。だからな、俺がお前より先に死ぬことはない」


 そっぽを向いていた勇輝の目の動きが止まる。


「だから、お前は好きに戦え。お前は、お前の気持ちのままに行けばいいんだよ」


 勇輝は力弥を見上げようとする。


「でも、でも」


「でもじゃない。そして、約束しろ」


 力弥は勇輝の胸倉をつかむと、彼の顔を引き寄せ、勇輝の目を見つめた。


「お前も、俺より先には死ぬな。俺たちは相棒だ。俺たちは、いつも一緒だ」


 勇輝は何も言わずにただ力弥を見つめ返した。その目には迷いを断ち切りたい思いが覗いている。


「約束しろ」


「・・・うん」


 力弥は勇輝を離すと一度目をつむった後、座り込む彼に笑顔で手を差し伸べた。勇輝は力弥の手を掴むと立ち上がった。


「帰ろう。みんながお前のことを心配している」


 力弥は勇輝のことを思う、クラスメイトや先生、ヒバリらの顔を思い浮かべた。そんなみんなのことを彼に語りたかったが、きっと勇輝ならこの言葉で分かってくれると感じた。


「お前は、一人じゃない」


「うん」


 勇輝の顔には恐怖や不安はもうなかった。


「お前は、お前の思ったように戦え。俺も一緒に戦うから」


「うん、ありがとう。力弥」


 勇輝は誇らしい笑顔を力弥に返すと、黒いどろどろとした沼の方に体を向けた。そして右手のブレスレットを眼前に掲げると、力強く叫んだ。


「変身!」



 暗闇に沈む境内の中心で立ち尽くす明星勇輝の体が突然光に包まれていく。そして、黒い肌に胸に白い十字の模様、赤い甲殻、白い仮面と長い黒髪の戦士が光の中から現れた。その傍らには力弥が立ち並んでいる。


 溢れ出す光によって影に潜む黒くどろどろした不定形の物体がはじき出されたように現れた。そして、勇輝と距離を取るとどろどろとした体から触手のようなものを出して勇輝に襲い掛かる。


「俺は、もう迷わない」


 勇輝は両手の爪で触手を寸断していく。斬られた傍から触手は塵となって消えていく。


「例え、暗闇の中に一人取り残され、絶望の淵に立たされても」


 黒いどろどろは更に無数の触手を伸ばしては襲い掛かっていく。


「希望という名の明かりを灯して、ともに歩んでくれる相棒あいつがいるから」


 しかし、もはや触手の数で彼我の力の差が埋まるものではなく、全ての触手が一瞬で寸断されていく。


「俺は何度だって立ち上がれる」


 今度は反撃とばかりに勇輝は目にも止まらない動きによって敵を翻弄していく。やがて勇輝は黒いどろどろの周囲を取り囲むように動き回る。


「俺のことを相棒だと呼んでくれるあいつに恥じない『ヒーロー』に、俺はなりたい」


そして黒い嵐となった勇輝がどろどろの本体に最後の一撃を繰り出す。


墓守ヘルズの爪撃(ドッグクロウ)


 黒いどろどろは塵となって消えていった。人気のない境内で勇輝は変身を解くと、力弥が彼に近付いてきた。そして、右の掌を顔の前に掲げると、勇輝も右手を出し、ハイタッチを交わした。


 静かな境内に爽やかな音が響く。


 勇輝の顔は晴れやかだった。それは雲一つない青空を仰ぎ見るような清々しさだった。彼は内面にわだかまっていたものを吐き出し、憂いを捨て去ることで青空のような笑顔を手にしたのだった。そんな彼の表情につられて力弥も気持ちの良い笑顔を返した。そうして笑顔で互いの健闘を称え合っていた。


 そんな二人の間に「きゅるきゅるきゅる」と小動物の泣き声のような音が響き渡る。勇輝がハッとした顔をして赤面した。どうやら彼のお腹が鳴ったのだ。


「そういえば、腹減ったな」


「うん」


 勇輝が照れくさそうに頭を掻きながら返事をした。文化祭の出来事以来、勇輝の心は沈み切っており、同時に食事も喉を通らなかった。しかし、今の勇輝の心は晴れやかになっている。そうなると体の方まで元気になってきた。元気になれば栄養を求めるのは当然のことだった。


「俺のバイト先がこの近くだからさ、そこで飯食おうぜ」


「あ、でも俺、今は持ち合わせない」


 ポケットに手を当てながら勇輝が言った。


「今日は俺が奢ってやんよ」


 そう言って力弥は勇輝の肩に手を回した。そして、小さい声で「でも、次はお前が奢ってくれよ」と言うと、「えー」と勇輝は返し、二人は笑い合いながら力弥のバイト先の『天衣無縫』に向かった。


 力弥が店の引き戸を開けると中から威勢の良い女性の「いらっしゃい」という声が聞こえてきた。声の主である店長の伽羅は店に入ってくる客が力弥であることに気が付いた。力弥は店長にリラックスして挨拶をする一方で、勇輝は来たことがない店なので少し遠慮がちに立っていた。


「あら、力弥くん。今日はシフトじゃないけど、ご飯食べに来たの」


「そんなところです。二人で。奥の座敷空いてますか」


「空いてるよ、どうぞー」


 店に客は入っているが、満席というほどではなかった。力弥と勇輝は店の奥まったところにある座敷席に向かった。座敷席もいくつかあるが、小さな二人用のちゃぶ台のある席に力弥と勇輝は入った。


 すると伽羅がおしぼりとお冷を持ってくると、「注文は」と聞いてきた。勇輝は慌ててメニュー表を見たが、力弥がそれを制して「わがまま定食を2つね」と言った。


「大盛りでいい?」


 力弥は勇輝の方を見ると、勇輝はこくんと頷いた。


「じゃあ、両方大盛りで」


「はーい。じゃあ、少し待っていてね」


 そう言って伽羅が下がると、力弥と勇輝はおしぼりで手を拭いたり、お冷を飲んだりとくつろいでいた。すると力弥が思い出したようにスクールバッグから小さな紙袋を取り出した。藤鳥の母親から預かっていたものだ。


「これさ、藤鳥さんのお母さんから預かっていたんだ。お前に渡してほしいって」


 勇輝がそれを受け取ると、紙袋の中を見た。そこには一冊の本が入っていた。勇輝が藤鳥に貸していた本だ。よく見ると、紙が挟まっている。勇輝はそれを取り出すと折りたたまれた紙を開いた。


「手紙だ」


 勇輝はちらりと力弥の方を見た。


「俺のことは気にしないでいいから、読んでみろよ」


 力弥にそう言われて、勇輝は頷くと手紙を読み始めた。少し怖い気もしたが、読まないままの方が落ち着かなかった。そこには借りていた本の感想から始まり、手紙を書こうと思った経緯と勇輝に対する思いが綴られていた。



『今回、手紙を書こうと思ったのは燕谷君と話したのがきっかけなんだ。明星君が一人でいようとしていることを彼は心配していて、私も同じことを感じていて。私は、それはもったいないなと思うんだ。


 明星君と一緒にいると楽しいんだよね。あなたはとても嬉しそうに好きな本の話をするよね。その時のあなたの笑顔は、きっと周りの人も笑顔にしてくれるよ。そして、一生懸命に話をしてくれるあなたを見ていると、何だが元気が出るんだよね。


 だから、一人でいようなんて寂しいことを考えないで欲しいと思っているんだ。だって、私はもっとあなたとお話がしたいし、あなたと一緒にいたいと思うから。


 恥ずかしいこと書いてるね。でも、伝えたいことだったから、口では言いにくいので手紙にしました。文化祭が終わっても引き続きよろしくお願いします。』



 勇輝は手紙を読み終わったとき、頬を何かがつたうのを感じた。涙だった。感情を置いてきた日から涙が一度も流れなかったのに、自分を押さえることを止めた今、彼の目からは堰き止めていたものが溢れてしまった。


 それは自分のことを知ってくれようとする彼女の思いが嬉しかったのか、そんな彼女が今はいないことを悲しんでいるのか、あるいはその両方なのか。勇輝には分からなかった。分からなかったが、涙は次々と溢れ出していく。


「ああ、うううう」


 勇輝は涙を止めようと手で押さえるが、押さえた手の隙間から涙はこぼれ出ていく。そして、嗚咽を漏らして、顔を伏せた。対面に座っている力弥はそんな彼の肩を触ると、子供をあやすように優しく撫でた。


「泣けよ。どんどん泣け。ずっと我慢してたんだろ」


 そう言う力弥の目にももらい泣きの涙が浮いていた。


「うん」


 力弥は泣き続ける勇輝の姿を見て、人を失うことの意味を痛感すると共に、これから先も悲しさや悔しさがきっと彼の身に降りかかるだろうと感じた。そうした時に自分が傍にいて、こうして彼の肩に手を置いてあげたいと思わずにはいられなかった。


 そんな勇輝と力弥のやり取りを柱の陰で聞いてしまった人がいる。伽羅店長だ。彼女は料理を持ってきたが勇輝の泣き声を聞いて出るに出られなくなってしまった。そこへバイト店員がもう一人分の料理をトレイに乗せて持ってこようとしている。


 伽羅は自分がやるからそこに置くようにジェスチャーで伝えると、勇輝が落ち着くのを待った。そして誰にも聞こえないような声で「青春だねぇ」と言った。


 ややあって泣き声が小さくなり、「ほれ、ティッシュ」と力弥が言っているのが聞こえると、伽羅は二人の前に姿を出した。


「はーい、『店長のわがまま定食』大盛りお待ちどう様」


 そう言って、二人の前に定食のトレイを出した。ご飯とお味噌汁と小鉢、そしてそれらに囲まれたおかずの皿には鶏の唐揚げ、コロッケ、ヒレカツなどの揚げ物が前衛芸術のように積みあがっている。それを二人分出すと勇輝の方を見た。


「何があったかは聞きません。でもね、辛いことや悲しいことがあったら、まずはお腹いっぱいご飯を食べること。お腹がいっぱいになれば、たいていのことは何とかなりますから」


 そう言うと勇輝は「はい、ありがとうございます」と言って腫れぼったい目でにっこりと笑った。それを見た伽羅店長が、『え、この子可愛い』と思っていると、伽羅の好みを熟知している力弥がニヤニヤしながら伽羅を見ていた。


「あなた、名前は」


「明星勇輝と言います」


「勇輝君ね。ゆっくりしていってね」


 そう言って伽羅は店のカウンターに戻っていった。


「今の人は店長さん? 綺麗な人だね」


「そうかぁ。そんなことより食おうぜ」


 力弥がそう言うと、二人揃って「いただきます」と言うと山盛りの揚げ物に箸をのばした。


 勇輝と力弥は食事を終え、しばらく談笑をしたのちに帰ることにした。自宅の方向が逆である二人は、店を出たところで別れた。


「明日は学校来いよ」


「うん、じゃあ、また明日」


「おう、またな」


 そう言って勇輝は自宅に向かって歩き始めた。しばらく歩いてから車通りの少ないところでふと空を見上げた。そこにはちらほらと星が瞬いていた。彼の目にはそれらの星々には赤や青、黄色などの色がついているように見えた。


「星って、こんな綺麗だったっけ」


 心に蓋をしていた時、彼の目には色々なものがモノトーンに映っていた。今は蓋を開け、自分の目で見るようになるとそれらには色があり、見る者を感動させる力があることに気が付いた。


 本や写真の知識だけではなく、心のままに自分の目で見ることが何よりも美しさを感じられるのだろうと勇輝は思った。そして足取り軽く自宅のドアを開けると、元気に「ただいま」と言った。


これで終わりじゃないです。

まだ続きます。

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