EP91 嬉し涙
【クランベル伯爵】
私に甘えて眠るチャーリーを起さないように、起こしに来た従者のアールに室内シューズを履かせて、静かに隣室へ入って珈琲を頼んだ。
昨日、チャーリーに就けていたジーンから『チャールズさまが寂しがっています。』とのメッセージを受けて、私は取るモノも取らずにチャーリーの元へと急いだのだった。
私の胸へ身体を寄せて愛らしく甘えられた一時は、私にとって正に至福の時間であった。
端整な容貌で、煙るような細く長い金の睫毛を閉じて眠る美しいチャーリーの姿は、私だけが見る事の叶う甘美なモノだ。
愛しい私のチャーリーが自ら私を求めるように成ったのだ。
此れほどの喜びは他に存在するだろうか。
私は熱い珈琲を飲み、チャーリーを抱き竦めていて感じていた夢幻の陶酔感から感覚を覚ましアールたちに、ウエスト・カタリナ宮殿へ向かう支度をさせた。
コーデリア殿下からチャーリーに与えられた部屋は、アルバート4世陛下が愛人の為に作らせた部屋だけあって、フロラル王国のロココ調の様式が不断に取り入れられていた。
威風を好んだアルバート4世陛下の趣味とは思えぬ優雅で軽やかな部屋になっていた。
コーデリア殿下の住まわれているピアノ・ノビーレですら、重厚で金や象牙などを嵌め込んだ豪奢な作りに成って居るのだから女性的なチャーリーの部屋を見れば、コーデリア殿下も驚かれるだろう。
正かチャーリーが住むことに成ろうとは、アルバート4世陛下も思わなかっただろう。
「ローゼブル宮殿て巨人でも住まわせる心算だったのでしょうか?クランベル伯爵。」
何処を見ても巨大なローゼブル宮殿の作りに、チャーリーは瞬きをしながら私へと漏らした言葉を想い出してしまった。
あの方はあの方なりのブレイス帝国と、其れを治める己を目指されて居たのだろう。
王家の財政がトンデモナイ状態に成っていたが。
思えば、アルバート・ノーヴァ家でクランベル家の立ち位置を告げていたのは、アルバート3世陛下だけだった。
魔の悪い事に丁度クランベル家も、6代目や7代目と8代目は戦時で続けざまに若くして戦死した為、守っていた嫡男の系譜が途絶えるかも知れないとゴタついていた時期に、ノーヴァ公国とブレイス王国の同君連合を議会で決められ、アルバート1世陛下の継承が決まった頃と一致してしまったのだ。
18歳でクランベル家を継いだ父も、親族やサーバントに手助けされながら、アルバート2世陛下やアルバート3世陛下に仕えたと話していた。
アルバート2世陛下も多才な方であったらしいのだが、宮殿でも通りすがりの女官や身分の無いメイドたちとコトに及ぶ為に、その後始末に奔走していて、父は自分の事を説明する間も無かった。
アルバート4世陛下は、愛人の方に何でも話される方だったので、父も私も沈黙した侭だった。
大体、父親であるアルバート3世陛下がアルバート4世陛下に、私達クランベル家の存在理由を話されていないのだ。
私は、アルバート4世陛下が嫌いでは無かったのだがね。
でもソレはソレ、コレはコレで或る。
嫌いに成らない理由は、偏にチャーリーが居て呉れたお陰でも或る。
チャーリーを私の手元に引き寄せる為、アルバート4世陛下の力を悪く言えば利用させて貰った。
アルバート5世陛下も同様では或る。
そして、私が就く最後の国王陛下に成るだろうコーデリア殿下。
余り真っ直ぐに育って行かないようにコーデリア殿下を教育した心算だったが、チャーリーと触れ合う事で、困ったことに素直で気の良い王女殿下へと成って仕舞った。
我がクランベル家では、戦死や早逝する以外では初代と二代目以外は、55歳~57歳で一生を終えている。
55歳まで後11年。
何処までコーデリア殿下にお仕え出来るか分からないが、チャーリーと息子のスティーブンとで仕えさせて頂くつもりでは或る。
スティーブンも無事に成人の儀も終わらせたし、晩餐会を終えたら改めてコーデリア殿下へクランベル家のモノとして話をしよう。
そして何時かチャーリーにも。
そう思い掛けて、私は頭を左右に振った。
チャーリーを悩ませてしまうような事を想ってしまうとは、私もどうかしているな。
腕や胸に残るチャーリーの暖かな感触が私を酔わせたままのようだ。
薄曇りの風景へ石造りの堅牢なウエストカタリナ宮殿や寺院を囲む城壁が見えて来た。
私は、気を取り直して何時もの自分へと戻っていく。
※※※※※※※※※※
【クランベル伯爵】
ウエストカタリナ宮殿に足を踏み入れ歩いて居ると秘書官のクロードが私に近付き、陛下は執務室で待たれていると告げた。
今日、陛下は寝室から出られたのか。
先日も陛下はベットで横に成られた侭の執務だったので、私は不思議に思って小首を傾げた。
陛下の病状は、それ程急に回復しないだろう。
第一、陛下は目が霞んで余り物が見えない筈なのだが。
現在は、貴族院議員達に開閉式の宣言だけをされて、議会堂を直ぐに退出していた。
陛下の左右には本来補佐官であるアッシュとバードが就き、安全を確保しつつロイヤルエリアに或るプライベート・ルーム迄、往復のエスコートをしているのだ。
無茶をされてないと良いがと思い、私は急ぎ足で陛下の執務室へと入って行った。
2人の貴族院議員が陛下と向かい合わせのソファーへと座って、訪問者が興奮した状態で話していた。
「陛下。御子息達を王にするとは誠ですか?」
「幾ら王領とは言え、勝手過ぎるのでは?」
ああ、チャーリーがこの間、話して居た事か。
「「実質は何も変わらないのだし、税も支払って呉れるって話だし。スタンプ税などの間接税は、地元の遣り方に任せるのが一番ですよ、クランベル伯爵。少なくとも王領植民地では、密貿易対策費は不要に成るから、意外とブレイス帝国も助かると思うんですよね。」」
楽しそうにチャーリーは、そう私へと話していた。
要は施策を行っている途中、本国から「任務が終わった。」との理由で、クランシーさまたちは総督を交代させられたくないそうだ。
あの、いい加減で我儘だった御子息たちが、変われば変わるモノだと私は感心した。
チャーリーは人を使う才に長けているようだ。
私は、陛下を助ける為にテーブルへと歩を進め、声を掛けてから礼をして、彼等の左向いに置かれていたソファーへ腰を掛けた。
「陛下、お待たせして済みません。えーと、彼らは?」
当然、彼等を私は知っているが、敢えて空気を変えるため、面倒だが名を聞いた。
確か、亡くなったアイスエッジ伯爵たちが、ウルダ人奴隷貿易のアシエントを得る為と東海バブルの後始末時に、貴族院へと取り立てた家の者達だったかな?
俄か貴族の所為なのか、陛下に詰め寄るとは全く礼儀が為っていない。
「ああ、ガロ男爵とキャンプ男爵だ。息子のクランシーたちが植民地を治めるというのを懸念して、午後一番に乗り込んで、厭、訪れたのだよ、クランベル伯爵。」
「ガロです。御挨拶を何度もしておりますの見知って頂けているモノと思っておりました、クランベル伯爵。以後、良しなに。」
「人が悪いですぞ、クランベル伯爵。娘を紹介した事の或る私まで知らない振りとは。」
「此れは失礼。余りにも陛下との話し合いが白熱していたモノで、冷静になって頂こうとお二人の虚を突いて仕舞いました。申し訳ない。」
「コホン、いえ、まあ此方も少し感情的に成っておりました。ただ幾ら庶子とは言え、陛下の御子息が新たな王に成ると聞いて、飛んでもないことだ想い熱が入っておりました。」
「ええ、私も。幾ら植民地とは言え陛下もいらっしゃるのに、王を名乗るなどと聞いて冷静でいられる筈もありません。クランベル伯爵。」
「ふふっ。お二人とも陛下の立場を慮っての事だったのですね。まあ、呼び方は人それぞれですが、北カラメル植民地に於けるそれぞれの地主と思って頂ければ良いと思います。王を名乗ったからと言って王に成れる訳で無し。ねっ、陛下。」
「勿論だ、クランベル伯爵。領主植民地や自治植民地の州総督と何ら変わることはない。最終的な権限はブレイス帝国に或る。」
「では他の植民地へ御子息たちの権限が及ぶことは無いのですね。」
「我が親族が持つ領地の利益は、此の侭なのですね。」
「ええ、自治植民地の持つ権限は議会が今までのように決めるでしょうし。御納得されましたら、陛下の体調の問題も御座いますから、今日はお引き取りを。」
私は冷たくガロ男爵とキャンプ男爵へ話し終えると、クロードが素早く2人を扉の外へと案内した。
「お疲れ様でした、陛下。でも、陛下も面談を断れば宜しかったでしょうに。」
「ちょうど、スタンプ税についてレベット首相たちと話し終えた時に、入って来てな。王権について重大な話があるというので儂も遂、通したのだ。」
「執務室だと貴族院の方々は入って来れますからね。陛下の体調は大丈夫ですか?お疲れのようでした私は失礼しますよ。」
痩せて顔色の優れない陛下を見て私は立ち上がろうとした。
すると陛下はそれを手で制して話を続けた。
「いや、大丈夫だ。大抵がこのようなモノなのだ。はあ、しかし皆は一律にスタンプ税を導入したがっているよ。公平な税に不平等感が出ると反論されたよ。」
「でも、ブレイスでは税収も上げたいのは有りましたが、基本は新聞やパンフレットへの言論統制ですからね。チャーリーの言っていた通り、北カラメルでスタンプ税は反感の割りに意味が在りませんね。それこそ印紙を使って売上に税を課した方がマシですよ。前のエンクロージャーも強引な手法を取らないようにチャーリーは忠告してくれたのですが、結果は御覧の通りです。」
「そうだな。しかし息子のクランシーたちの成長を喜べばいいのか。面倒事を起したことに怒れば良いのか。儂もよく判らんよ。」
「ふふっ、チャーリーなら、成長を喜んであげましょう、ってきっと言いますよ、陛下。それにきちんと領地経営についてクランシー様も考えられているようですしね。」
「どうせクランベル伯爵が誰かを就けているのだろう。クランシーの奴め。暫く大人しく静かにしていたと思って居たら騒ぎを起こしてくる。」
「でも再来月には、陛下のお見舞いに御子息たちがロドニアへ訪れるそうですから、その時にでも家族揃って話し合って見れば良いのでは無いですか?御息女たちも含めて久々でしょう。5年ぶりですか?陛下。」
「ああ、それ位だ。しかしクランベル伯爵。余計に儂の具合は悪くなりそうだよ。」
下瞼は隈で青黒く染まり、細かな皴で弛んだ瞼の奥で、薄く青い瞳を宙に向け困ったようにアルバート5世陛下は弱々しく溜息を吐いた。
毒見を済ませた薬湯の入った独特の香りがする青と白のマーブル模様のカップを持ち、陛下は口を付けた。
つい此の間まで、威風堂々としていた陛下の姿が私の脳裏を過った。
陛下はプライドの高い方だから、弱った姿は誰にも見せたくない事だろう。
しかし、陛下の立場が、それを許さないのだろうと私も分っているのだが、何とも迂遠な事だ。
陛下を此れ以上座らせて於くのも気が引けたので、私はコーデリア殿下の婚約に関して年が明ければ発表する事を陛下に告げて、今度こそ静かに席を立った。
※※※※※※※※※※
【コーデリア】
「良かったですね。コーデリア殿下。おめでとうございます。」
「お目出とうございます。婚約迄、もっと時間が掛ると思って居ました。」
「ふふっ。まだ早いわよ、グレイスもリアナも。婚約が決まるのは、来年の年が明けてからですもの。でも、有難う、嬉しいわ。」
そう二人に応えて、私は温かなカモミールティを口に含んだ。
先程まで、クランベル伯爵が此のドローイングルームに訪れていて、私へ婚約が決まった事だけを告げて、慌ただしく去って行った。
いつもは優雅な仕草で立ち去る方なのに、珍しい事も或るものだわ。
クランベル伯爵は時期を窺っていても、どうしても反対する人は出て来るので、アルバート5世伯父さまがいらっしゃる内に、婚約だけは決めて於きたいそうだ。
私は侍医たちの話で、恐らく来年に成るとアルバート5世伯父さまは、議会堂へ入るのも難しくなるだろう、と聞かされていた。
フランシス殿下と婚約出来るのは嬉しいけど、伯父さまの体調が悪くなる一方なのが、私の胸に重く圧し掛かる。
アルバート5世伯父さまは、余り喋る方では無いけど、いつも温かな瞳で私を見て下さっていた。
接する時間はそれ程もなかったけど、ギボンズの事で悩み袋小路に陥っていた私の背中を押して、そっと出口を教えて下さった方だった。
そして何より伯父さまの弟であった父の命を絶つ様に、ギボンズへと頼んだ母を助けて下さった。
見掛けは怖そうで無口だから、社交の場で誤解されていた伯父さまの噂を耳にするのは切なかった。
同じ王族である私へは、流石に伯父さまの陰口を告げる人はいなかったけど。
私は伯父さまの代わりで、王家が主催する集まりに参加するようになって、心細さも増して行った。
アデル皇后陛下は、参加しても挨拶を伯父さまが済ませたら、直ぐに独りで帰って行っていたから私が傍に居て心強いと話されて居たけど。
アルバート5世伯父さまは、元々社交の場が苦手なのよね。
「本当は宣言通り、儂は華やかな場へ参加したくなかったのだが、チャールズから国王の役目だと言われたからな。色々チャールズには無理な頼みばかりしておるから、あ奴の言葉は邪険に出来ぬ。」
そう言って苦笑されていた伯父さまの表情を思い出していた。
実直で真面目な伯父さまは、皮肉を紛れ込ませた洒脱なジョークを求められる宮廷の人々との会話が苦手なのよね。
チャーリーに其の話をすると「俺ってあーいう場所での話って聞いていないんだよね。」そう言って綺麗な瞳をして笑っていた。
チャーリー曰、基本はどうでも良い人達の話を聴かないって事にしているらしい。
それを言えるのは、チャーリー位だと思うわ。
伯父さまは実直な方だから話し掛けられると真摯に聴いて仕舞われるのよ。
だから、無分別と思えるジョークに腹を立て伯父さまは、その場を立ち去って仕舞われる。
短気でユーモアを解さないと言われているようだけど、アドミラルの同僚たちとは良く笑われているとクランベル伯爵は話して呉れた。
「儂は、王としての教育は受けて無いのだよ、コーデリア。強いて言えば、兄上が病床で亡くなる前に語って呉れた事ぐらいなのだ。誰も儂が王に成ることを期待して居なかったし、当然儂も望んでは居なかった。だからコーデリアに繋ぐまで負債と失敗は極力無くしていきたいのだが、中々に難しいな。」
そう言って、笑われたアルバート5世伯父さま。
「かと言って無理はするなよ。コーデリア。何としてもコーデリアが18歳の成人を迎えるまで、儂は生きているからな。」
アルバート5世伯父さま、大きな右手で私のヘアードレスを避けて、髪を静かに撫でて呉れた。
アルバート5世伯父さま。
年が明ければ、私は20歳に成るわ。
『有難う、伯父さま。』
そう胸の奥で呟くと、アルバート5世伯父さまの優しさを想い出して、私の涙が込み上げて来て、目が霞んしまっていた。
グレイスとリアナは、一瞬驚いた後いそいそと動いて、私の涙を軽くレースのハンカチーフで押さえて呉れた。
此れは嬉し涙では或るけれど、グレイスとリアナが期待しているようなフランシス殿下との婚約が決まる事の薔薇色の嬉し涙では無いの。
アルバート5世伯父さまへ心からの感謝で溢れ出した私の想い。
伯父さま、、、元気に成ってください。
そう願って私は、神へ祈りを捧げた。




