EP83 グロッグ
【クランベル伯爵】
ウエストカタリナ宮殿の或る陛下の私室で、私はアルバート5世陛下に付き合って多めの水で割った薄いグロッグを飲んでいた。
酒など厳禁だと叱っていたのだが、私がチャーリーの元へ帰った後でクロードに命じて強いウィスキーを寝酒にしていると聞き、遂小言を述べていると酒量を減らすので私にも付き合えと言うのだ。
相変わらずラム酒独特の匂いと雑味に、グロッグを口にした私は思わず眉間に皴を寄せていた。
「ふふ、クランベル伯爵のそんな顔が見れるとは流石にグロッグは良い酒だな。」
「全く陛下は。少し調子が戻られると直ぐコレですからね。」
「よせよせ、クランベル伯爵。叱られながら飲むと不味くなる。しかし、クランベル伯爵は本気なのか?ギルバート4世の息子をコーデリアの王配にするなどと。儂がノルディックの独立を認め、講和したことを不服として反発しているモノが多い中で、上手くいくとは思えないぞ?」
「色々と言われるでしょうが、同じ島に或るノルディック王国とは歩調を合わせて行くしかありません。間近に見えるクローバー州とは亀裂が決定的になって仕舞いましたからね。二つの敵を身の内に抱え込むのは危険です。それにノルディックを手助けした旧教徒国の3国と教皇は大き過ぎて、一度に敵に回して戦うのはブレイスの財政が持ちません。状況を把握しノルディックと休戦を下した陛下の判断は間違っていませんよ。」
「我々の性で一度手にした領土は、延々と自らのモノだと思い続けるからな。儂が妥協してノルディックの独立を認めたのは、ブレイス王国への継承権を公式に手放し、以前より縮小した領土でノルディック王国の復権をギルバート4世が提案して来たからなのだがな。儂は各国にギールバート家が正統な王位継承権を持つと言い掛かりを付けられなくなった事は、ブレイス帝国の安寧に繋がると判断したのだ。」
「ええ、分っております。コーデリア殿下に他国から余計な火の粉を掛けられないようにする為ですね、陛下。」
「それなのにクランベル伯爵は、フロラル王国のポルテ家と近しいギルバート4世の息子と婚姻させろと言うのか?あそこは出て行ったギルバート2世も、3世も、そして舞い戻って来たギルバート4世の正妃も全てフロラルの王女なんだぞ。」
「4度ほどノルディック王国に訪れましたが、あの方は誰かの傀儡には成らないでしょう。どちらかと言うとアルバート4世陛下の方が一方的にポルテ16世を慕って居ましたよね。」
「まっ、まあ兄上はフロラル王国の芸術を愛でていたからな。王太子時代にフロラル王国へ行ってからは、かの国の建築家などを招聘して好き放題していたと聞いた。其れは兎も角、ギルバート4世も飲まないのではないか?」
「ギルバート4世陛下は、孰れは何らかの形でブレイスから併合されるのは覚悟なさっているようですね。ただ、今までのように、ノルディック民をブレイスのモノたちから奴隷のように扱われるのは耐えられないし、自分達の土地を収奪されない為の努力は為さるそうですよ。それに頭の固いロマン教皇主義でもありませんでした。其処ら辺の考え方は、我ら国教徒と似ていましたね。」
私はそう話して、痩せて目の下や頬が弛んでしまった陛下を見つめた。
アルバート5世陛下は、体調が戻ると死出の旅路の準備をするかのように、遣り残していると思われた事を片付けられている。
衣服で隠されているが、下腹部は膨らんで時折り痛みに襲われても居た。
如何しても絶えられぬ痛みに襲われると、ワインに痛み止めを混ぜて服用されるが、それを飲むと頭が上手く働かなくなる為、ギリギリまで飲まずに秘書官のクロードや補佐をしているアッシュやバードに気付いたことを口述して、書き留めさせていた。
59歳で正式に王位継承第一位であると認められてから、愛した内縁の妻とも別れられアルバート5世陛下は、口に出せぬ苦しみを飲み干して来たのだろう。
その苦しみが固まり、老いたアルバート5世陛下の身体に痛みを与えているのかと思うと、私は遣り切れなさで静かに息を吐き出した。
「そうだ、クランベル伯爵に言って於かねば成らない。アデルが産んだ2人目の子サラは儂の娘ではない。」
「そうだとは思っていましたが、今更、何故それを私に仰るのですか、陛下は。」
「ふっ、コーデリアの婚姻相手に儂を悩ますような者を推薦した仕返しだ。お主の事だから知った所で、素知らぬ顔をして何処ぞへ嫁に出すのだろうがな。」
「陛下は不貞を理由にアデル皇后と離婚なさりたい訳でも無いでしょうに、全く迷惑な話をなさる。サラさまの父親は、アデル皇后の懐妊中に自死されたオスカー伯爵ですか?」
「そうだ。儂が迫ったのだ。自分の命か子供の命どちらかを選べと。酷い事をしたとは思っているが、儂が死ぬまで待てなかった罰だ。未だオスカーもアデルも若いのだから、数年待てば良いだけであったのにな。」
「待てなかったのは、若いからでしょうね。陛下が亡くなられたら、アデル皇后には東に或る王領へ移って頂きましょう。」
「本人を目の前にして、亡くなった後の話をクランベル伯爵は良くするものだ。ははっ。」
陛下は軽く笑われて、銀のタンブラーに注がれていたグロッグを飲み干した。
陛下の悪化した蜜香病(糖尿病)の病状を知ってから、アデル皇后がサラ皇女を懐妊した時期は変だと考えていたのだが、一時期アデル皇后と噂に成ったオスカー伯爵が自死されたという話が私の耳に届き、妙な違和感を覚えたのを思い出したのだ。
今はオスカー家を弟が継承している。
クリイム教では自死は大罪なので公然の秘密では或るが。
陛下は愛する者と別れる苦痛を味わっているアデル皇后をこれ以上罰する気も無いという。
下手に動けば、火の或るところでは火事にしか成らない。
それに陛下自身も、20年以上共に連れ添ったあの方を想っていらっしゃるので、王族としての義務の為に嫁いできたアデル皇后へ負い目も或るようなのだ。
アデル皇后にはオスカー伯爵へ選択を迫った事を話して居ない、と陛下はポツリと呟いた。
私は、陛下が亡くなられてから静養の為に王領へ行かせ、その時に娘のサラ嬢を連れて行かせる事を陛下に提案し、了承して貰った。
サラ嬢がオスカー伯爵に似て居たら姦しい宮廷で揉める元を作るだけになって仕舞うからね。
折角オスカー伯爵が自分の命を賭けて守ったサラ嬢なのだから、せめて静かな場所でアデル皇后と平穏に暮らして欲しいと思う。
それにしても、サクセス公国係累の女性達は愛する人が出来ると、前後の見境が無くなってしまうのだろうか。
私は遂、サクセス=マイン公国のアデル皇后とアハルト=サクセス公国のノイザン公爵夫人を思い浮かべてしまった。
私は、当たり前だがアルバート5世陛下を悩ませたくて、此の縁を繋ごうとしている訳では無い。
クリイム歴1669年にギルバート2世の軍を鎮圧するという名目でノルディック王国に攻め込み、略奪後に土地や建物を占拠し住み着き、旧教徒の権利を剥奪して行った居直り強盗の末裔が、再度ブレイス軍の力を借りて攻め込みに行くのを防ぎたいと考えているのだ。
其れを遣られると、フロラル王国を始めとした旧教国がブレイス帝国へ介入する正当な口実を与えることに成る。
約束した事を反故にするのはブレイス帝国の得意技だが、此の休戦を一方的に反故にした場合のデメリットは余りにも大きい。
交易自体も儘ならなくなる。
ギルバート4世も隣国であるブレイスと争い合う事の不毛さを認識されていて、婚姻は大いに結構という事なのだ。
但し、5男で或るフランシス王子殿下の身の安全が保障されることが条件なのだ。
当然と言えば当然の話で、万が一暗殺などされたらノルディック王国の威信や臣民の感情を大いに傷付け、下手を打てば再び戦争待ったなしに成る。
自国本土での戦闘行為など国が荒廃するだけで何も得る処が無い。
ノルディック王国も海戦が得意で在るし、ブレイス帝国の弱点なども承知済みでも或る。
頭の不自由な欲ボケたちや軍人バカたちは本気で攻めれば勝てると思い込んでいて、議員達の尻を叩いて居たりして鬱陶しい限りだ。
そんな連中も黙らせなければ成らない事に、私の気は重くなっていく。
ああ、チャーリーの美しい姿を見たい。
それに私はコーデリア殿下の意に反してまで纏める気も無かった。
ある程度コーデリア殿下が好印象を持たれた相手で無ければ、アルバート4世陛下のような不幸過ぎる婚姻になり、結局は国同士迄も不和の種に成りかねない。
其処ら辺の感情の機微は私よりもチャーリーの方が得意だろう。
それにチャーリーにはジーンも就いて居る。
私は、陛下と話をして来年の叙勲式にはコーデリア殿下の傍に侍れるよう、ジーンへ騎士伯を叙して頂けるように願い出た。
それから、陛下にラムズ川へ3ヵ所から橋が掛かる事に成った事を伝えて、私はクロードを呼び陛下の私室を辞した。
後10日もすればクリスマス休暇に入る。
私は、底冷えのする広い通路で、足を速めてヒューイとウエストカタリナ宮殿に割り当てられている部屋へと向かった。
※※※※※※※※※※
【従者ジーン】
暖炉から少し離れた場所に置いたウィングチェアーに腰を下ろして、チャールズさまはウエストカタリナ地区から届けられた報告書を読んでいた。
先程まで俺に子供みたいな文句を言っていた人には見えない落ち着きを取り戻し、美しく整った表情で、左手に書類を持ち俯き加減で文字を追っていた。
文句の中身は、、、。
「如何思うよ?ジーン。クリスマスに娘達に会いに行くって先触れを出したら、カードに来るなってケビンが書いて寄こしたんだよ。俺はソフィアとシャロンに会いたいだけなのに。」
陛下の個人的な後押しで教会からの離縁状もゲットして、仮免チャールズさまとジュリア様との夫婦関係は、無事に解消された。
きっと俺の真マスのクランベル伯爵さまが全面協力バックアップをしたのだろう。
別に離婚しても、クランベル伯爵さまと仮免チャールズさまが婚姻が出来るなんてことは有り得ないのだけどね。
それに来年には、タウンハウスで或るクランベル伯爵邸でソフィアさまとシャロンさまは、暮らされる事に成って居る。
ロリコン嫡男スティーブン様が、、、違った。
子供好きなスティーブン様が「是非クランベル伯爵邸に!」と、子供達と暮らす引っ越し先を探すチャールズさまへ命じたのであった。
流石はクランベル家の親子。
お気に入りは自分達のテリトリーへと確保する習性は同じであった。
ゴニョゴニョと断ろうとするチャールズさまへ、クランベル伯爵も嬉しそうに息子スティーブン様を後押しをし、逃れる道を封じられたのであった。
諦めが悪いと言うか懲りないと言うか、仮免チャールズさまの夢は、未だ北カラメルで農家に成る事だそうで、「こんなに甘やかされてたら北カラメルの大地で独りで生きていけない。」とほざいてた。
そもそもコーデリア殿下から呼ばれたら、直ぐに駆け付けられるようにと此の部屋を与えられているチャールズさまが、新たな屋敷を借りられたとしても娘達と頻繁に会う事は難しいだろうに。
どの道、子育ては乳母やカヴァネンス任せに成るのだから、クランベル伯爵邸で暮らしても同じ事である。
外野から、変な噂話を吹き込まれにくいクランベル伯爵邸の方が、ソフィアさまやシャロンさまの為に成る、と俺は思うけどね。
レスタード家の或るテラスハウスは裕福な中産階級の方々が暮らされているが、使用人達の質は其処まで良くないので、テラスハウスのプレイベート・ガーデンへ行き至らぬ会話を聞かされる方がソフィアさまたちにとって可哀想だと思う。
それにチャールズさまは自覚していないが、ソフィアさまもシャロンさまも貴族令嬢と見做されるように成るのだから、クランベル伯爵邸で確りと教育して貰った方が良い筈だ。
流石、子供好きなスティーブン様だ。
子供達の事をよく考えていらっしゃる。
「もうジュリアと離縁したのだから、ケビンが妬く理由ってないよな?それに俺は娘のソフィアとシャロンと過ごしたいだけなのに。」
「でもチャールズさま。クリスマスなのですから普通は家族で過ごされますよね?チャールズさまと2人のお嬢様とだけ祈りを捧げたり食事をされたりしますか?」
「それは、、、無理だね。でもケビンもカイルもアランも居るんだよ?別に俺とジュリアとソフィアたちとだけじゃ無いし。」
「其処でケビンさまは、愛するジュリア様の元夫であるチャールズさまと居るのを眺めるというのは、冷静で居られないのでは無いですか?来年からチャールズさまは、ソフィアさまたちと暮らせるのですから、我慢なさっては?ケビンさまへのクリスマス・プレゼントと思って。」
「クリスマスプレゼントかあ。でもソフィアたちの分は如何しよう。」
「エドに届けさせましょう。」
「くっ。喜ぶ顔が見たかったのに。」
離婚の話が3年前にジュリア様と纏まって以来、すっかりジュリア様とは友人同士の気分でいるチャールズさま。
ハーシェルさまにキャンディーを盗られた事以外は、過去を忘れて生きられているようで、ジュリア様が妻であった事も忘れられているのでは無いのだろうか。
俺がチャールズさまと知り合って11年。
この美しい容姿に裏切られた思いを抱く日々を俺は過ごして居る。
容姿が完璧だと言動も完璧だと思い込む俺の幻想を、今日もチャールズさまは盛大にブチ壊して呉れている。
「ゲーっ!!ルドアの皇帝が嫁に追い出されて退位させられてる。有り得ねーー!」
そう叫んでチャールズさまはウィングチェアーから勢い良く立ち上がった。




