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ep7 ジャム・ティー




 妹のデイジーと何を約束していたか思い出せないでいると、翌日に弟のアランが俺の部屋へ訪ねて来て、モヤモヤしていた気持ちを解消して呉れた。


 「チャーリー兄さんの友達が持っている別荘へシーズン中、家族を連れて言って呉れるって話していただろ?」


 「、、、あー、うん。」



 完全に忘れていた俺をアランは呆れた表情で観て、軽く溜息を吐いていた。

 11歳の弟に溜息を吐かせてしまう俺は23歳。

 

 しかし、日々バタバタしていて本当に忘れていた。

 クランベル伯爵邸で暮らしつつ、俺は提議する議題を纏めたり、質問して来る庶民院の議員達に説明したり、とウエストカタリナ寺院に或る聖ヨーゼフ聖堂を右往左往していたのである。

 此れもソレも全てクランベル伯爵案件であった。


 お陰で昨年ピバート家の別邸へ誘ってくれていたフリップとゆっくり語り合う暇も無かったし。


 俺は思い出させてくれた弟のアランに礼を言って、下男のコーリーへフリップの住む部屋に先触れを頼み、淡い黄色の薄いコートを羽織ってブラウンのフェルト帽を被りステッキを持ち、夏の日差しに変わった6月の表通りへと真鍮のフェンスを開いて出て行った。



 昨年の12月にフリップの家で、ワインを飲みながら余り表に出る事のない妹エルザの話をしたら、領地に或る別邸の話をして、家族揃って招待すると言って呉れたのだ。

 フリップは何処まで本気だったか分らないけれど。

 俺は酔って気持ち良くなり、帰宅した時にパーラー(居間)で、クリスマス休暇で集まっていた皆に此の話をしたのだった。


 デイジーは、俺が一度だけの話を覚えていて、楽しみにしていた何て思いもしなかった。


 上の妹エルザは、父母に伴われてロドニア商工ギルドで行われていた16歳の社交デビューもし、一応は華やかな場にも出た事もあるけど、デイジーは未だだものなあ。

 こっちに越してからは新たなドレスの生地も買わずにカヴァネンスも断り、母やエルザやサンドラに勉強やマナーを学んでいるだけだし、外交的なデイジーには物足りないかも知れない。

 デイジーの二重瞼の奥で煌めく丸いペールグレーの瞳を想い出して俺は申し訳なく思った。


 

 表通りで拾った馬車に乗りそんな事を考えているとホワイト通りに或るフリップの住むタウンハウスが見えて来た。

 マロンブラウンのアーチ形の窓が通りに面して並び、チャコールグレーの煉瓦と3階建ての直方体の建物には、二枚のコバルトブルーの真鍮の扉が行儀良く配されていた。

 俺は通りから階段を上がりコバルトブルーの扉に着いたノッカーを鳴らした。


 歳若いポーターに出迎えられ、ホールから左隣の扉を開いてドローイングルーム(応接室)へとフリップの待つ案内された。


  磨かれたマホガニーの紅褐色のテーブルの上には俺の来る頃を見計らって用意していた白い陶器の丸い平皿には焼き菓子とガラスの器にはイチゴやラズベリーが盛られ、ティーポットと緻密な花柄のティーセットが置かれていた。


 フリップは、イラドの白い質の高いコットンで造られたソファーに腰を深く沈めて、ブラウンの瞳を細めて笑顔で俺を迎え入れた。


 「突然済まない、フリップ。シーズンオフに何処かへ出掛けて無くて良かったよ。」


 「まあ、2~3参加しないと行けない集まりがあってね。8月に成ったら、グロリアやグリシア諸島へ地獄のクラウン・クラブの奴等と旅行する心算だよ。どうかしたのか?チャーリー。」


 「うーん、忙しそうだな。実は、ほら、フリップが昨年にシーズンオフはビバート領の別邸で家族で過ごさないかと誘って呉れただろ?俺はそれを妹たちにも話して居て、妹のデイジーが楽しみにしていたみたいなんだよ。本当はフリップに前もって話して於けば良かったんだけどさ。」


 「あはっ、チャーリーの事だから忘れていたんだろう。」



 動き安そうなシンプルな萌黄色のドレスを纏ったメイドが注いだ紅茶をフリップは口にして、悪戯っぽく片目を瞑った。

 フリップは、従僕たちよりも若いメイドにお茶を入れて貰うのを好むので、客を出迎えるポーターや従者以外は女性の使用人を雇っている。


 「メイドは安いから良いよ。」


 メイドをフリップは俺に薦めてくる。


 俺は独り暮らしなら茶や珈琲は自分で淹れるし、コックとベーカーだけ居れば良い、と思っている人間なので、安くても此れ以上は使用人は不要で在ったりする。

 支払う賃金だけの問題でなくて。


 母や妹たちを1人で外出させる訳にもいかないので、借金返済まで現状維持が精一杯だ。

 はい。矢張り、賃金の問題ですよ。


 それに父が生きている時と同じ賃金を支払えているのは、カールソンだけだもんな。


 辞めて行った偉そうな執事の下に就いて居たカールソンは、父の仕事の事も承知していたので、俺や母が疑問を持ったことに応えて呉れるレスタード家に必要不可欠な人材なのだ。

 辞められでもしたら、俺の呼吸が止まってしまうだろう。

 いや、今残って呉れている使用人の皆が不可欠だけどね。


 ただ賃金を2割カットしても残って呉れている今の使用人たちの皆には、絶対に借金返済の暁には特別手当てを支給させて貰い、直ぐに賃金を元に戻す予定なのだ。



 「うん、フリップの言う通り、図星だよ。その所為でデイジーの機嫌が悪くてさ。でもフリップも忙しそうだから今年は無理そうだね。」


 「うーん。あっ、そうだ。僕はずっとは居れないけど、それで良いのなら招待するよ。領地の別荘はそれ程サーヴァントを置いて無いけどね。ロドニアから7時間位掛かるから、ウチの馬車も出すよ。チャーリーのサーヴァントも含めた人数を教えてよ。」


 「なんか悪いな。でも助かるよ、フリップ。行ける日を教えてくれるか?」

 「ああ、チャーリー、勿論だよ。それにしても兄は大変だな。」


 そう言ってフリップは、フロラル生地の淡い青系のシャツを纏った長い腕を伸ばして、日に焼けた手でベリーを抓んで口へと放り込んだ。

 鍛えた長身のフリップの身体は、何を着ていても軍人に見えてしまう。

 俺は、自分の頼りない身体を軽く確認して、休暇中に乗馬でもしようと思い乍ら、フリップが述べる都合の良い日を記憶していった。


 ロドニアの北西部に或るカブリア地方にビバート伯爵領は或る。

 大小様々な湖が街道を往来する時に見えると言う。

 東に或る湿地帯は穀物畑にする為、現在、埋め立てられている最中らしい。

 後を継ぐ者が居なくて、アルバート3世に返されていた領地をビバート伯爵領として、下賜されたものだと言う話だ。

 ビバート伯爵領が或るカブリアから西へ12時間ほど馬車を走らせると奴隷貿易で繁栄して賑わうブリトアの港湾都市が在ったりするのだけど、憂鬱になるので俺は考えるのを止めた。



 「そう言えばチャーリーの妹達は、もう社交を始めているのか?確か上の妹さんは、チャーリーと余り歳が変わらないと聞いた気がするけど。」


 「無理っすなあ、フリップ。と言っても、我が家は上流階級じゃないから、フリップ達が参加するような社交ではないけどね。上の妹エルザは16歳の時に、ロドニア商工ギルドの主催するパーティーで顔見せは済ませたけどね。あの頃、何件か婚約の話が来てたらしいけど、未だ早いって、父が断ったらしいよ。今から思えば、その時にエルザの相手を決めていて欲しかったよ。」


 「チャーリーは妹の玉の輿を狙ったりしないのかい?」

 「ははっ、ないない。大体、持参金も用意出来ない俺の家で玉の輿は狙えないよ、フリップ。」


 「新たなジェントリに成った息子達なら紹介出来るよ、チャーリー。官僚に成っている奴等はステップアップを狙っているから妻の資産も当てにしているけど、専門職に就いて居る奴等は相性が合えば婚姻すると思うぞ。チャーリーは、クランベル伯爵10世と仲が良いから、妹の婚姻先は貴族家の次男辺りを狙ってるのかと思ったよ。」


 「いやー、パブリック・スクールで彼等こそ、新たな家を作ろうとしていたのを知っているから、そっちは端から考えて無かったよ。って言っても、フリップは伯爵家の次男なのに、出世欲が他の議員より薄いから、ピバート伯爵家の次男て忘れてたりするけどな。」


 「僕の家だって、成り上がりの俄か貴族だしな。父が軍人として名を挙げたから、伯爵に列せられただけだし。でもその口振りだと、もしかしてチャーリーは僕に妹さんを紹介しようと思った?」


 「はぁー、フリップは、そうやって俺の考えを当てるのを止めて呉れよ。」

 「あははっ、そうだったのか、チャーリー。チャーリーは読み易いんだよ。」

 「もう、フリップは。ハイハイ、つう訳でその話は忘れてよ、フリップ。」

 「でもチャーリーと義兄弟に成るってのは、魅力的だな、日々が楽しそうだ。」


 「別に共に暮らす訳じゃ無いから、日々は変わらないよ、フリップ。」

 「そりゃそうか。いや、僕が2~3度参加しないといけないモノが或るって言っただろ?その内の1つは兄夫妻から、もう1つは姉からの見合いなんだよ。考えただけでも面倒でさ。一層の事、もうチャーリーの妹さんと婚約しようかと真面目に考えたよ。」


 「いやいや、ソレは駄目だろう。フリップの兄上ピバート伯爵達は、真剣にフリップを心配して居て世話をしてくれているのだろうし。」


 「僕は、兄や姉と違ってピバート家の名前に箔つけしようとか、余り考えられないんだよね。だからと言って、兄や姉を嫌いじゃ無いんだよ?ピントがズレているって感じる事は侭或るけどな。まっ、優しいしね。」


 


 俺はフリップの言葉に頷いて、同意を示した。

 フリップは、艶の或る明るいマロン色の髪を動きの邪魔に成らないように短く整え、俺と話している時は緩んで見えるブラウンの瞳を瞬かせ、ベージュのパンタロンを穿いた筋肉質な脚を組み直した。


 気が付けば、テーブルの上に置いてあった硝子の器に盛られた苺とラズベリーは、半分ほどフリップの胃へと消えていた。


 フリップの母親は後妻で兄や姉とは異母兄弟に成るらしいのだが、兄は父親より父親らしくフリップの教育の面倒を見ていたそうだ。

 『ただ、残念な事に僕は学問の関心が全く湧かなくてね、兄に良く叱られていた。』

 自然にいつも兄上の事をフリップは話すので、その事を俺も気に止めなくなっていた。


 でも、フリップの話を聞いていると、プライベートスクールの教育内容の方が難しいと感じた。


 俺は、ひたすら聖書の原典をグリシア語やロマン語と古代ロマン語で13歳から18歳まで暗唱が出来るように学ばされ、後は身体を鍛える為の色々なスポーツを遣っていただけだったけど、フリップはフロラル語やゲルン語、数学や科学とその他の多様な学問を学んでいたのだ。


 各家の方針があるので何とも言えないけど、きっとパブリックスクールへ入って居れば、フリップなら楽勝だったと思う。

 スクールでのメインはスポーツだしね。

 難点を言えば、パブリックスクールは変な趣味に目覚めてしまう所かも。


 父が俺に勧めたパブリックスクールは、国教会が資金を出して運営している学校宿舎なので、ヤバいコトが多くて、何事にも秘密厳守が原則なのは仕方ないコトかもな。

 今の時代は無いと思うけど、秘密の中身は少し前まで死刑案件ばかりだし。



  それにしても、フリップも見合いをするのか。

 俺より3つ年上って言ったら、そろそろ婚姻年齢だよな。

 でも、ブレイス帝国は他のヨーアン諸国より婚姻年齢が高いから、比較的男は30歳近くまで独身の奴も居るんだよな。

 其の侭、一生独身の嫡男とかも出てきたりして、後継問題で焦っている親族からの相談も、偶に貴族院議員へ持ち込まれている。


  フリップは、紹介して呉れた人の屋敷へ伺って見合い相手と顔を会わせ、皆と軽い食事をして親族や紹介者を通して、会話をするのだと面倒臭そうに話した。

 

  俺は、真面目に振舞って見せるフリップを想像して思わず笑いを零してしまった。

 うへっ、フリップに似合わない。


 

 「何?チャーリー。」

 「いや、三白眼のフリップが真面目な顔をすると、初対面の淑女は怖がるだろうなって思ってさ。」

 「はぁ?」


 俺がそう言うと、フリップは座っていたソファーから少し腰を浮かせて、長い腕を伸ばし大きな右手で俺の頭を軽く押さえて、左手で髪をワサワサと掻き混ぜ始めた。


 「ちょい、フリップ。髪が滅茶苦茶に成ったじゃん。」

 「もしかしたら将来、義兄に成るかも知れない僕にチャーリーが生意気言うからだ。」

 「だから、その話は忘れてよ、フリップ。全く。」


 つうか、妹エルザの夫ならフリップが弟だぞ?

 俺のボヤキを聴いてフリップは押えていた頭から両手を離し、淡い青系のシャツを纏った長い腕を元へ戻して、笑顔でソファーへと座り直した。


 ホントにフリップは何か或ると直ぐ(つい)でみたいに、俺の髪を乱しに来やがって。

 俺は文句を言いつつ左手で髪を撫で整え、ティーカップを持って、人肌まで(ぬる)く冷めた紅茶を口にした。

 冷めても林檎の薫りがする紅茶は、俺の好きなジャムが溶かしてあった。

 紅茶はミルクティーが定番だけど、ミルクよりリンゴやアプリコットのジャムを入れて良く溶かした、「邪道」と呼ばれる飲み方が俺は好きだった。



 「相変わらずチャーリーは美味そうにジャム・ティーを飲むな。」

 「うん、美味いよ。」

 「だろ?チャーリーのジャム・ティーの林檎ジャムは、僕が愛を込めて入れて掻き混ぜたからね。」

 「うへぇー、フリップのその台詞を聞かなければ、もっと美味しかったのに。でも有難う、フリップ。」

 「ああ。」


 フリップは溢れる笑顔を零して、ブラウンの瞳を俺に向けた。


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