ep56 ロドニア・ブルー・トパーズと小悪魔
三日前、此のブレイス帝国では珍しく雨が降った。
お陰で、フリップの住むテラスハウスが或るスクエアの芝生が活き活きと萌える様な緑を一斉に濃くして、ガーデンを臨む二階の窓からの景色を一層美しく見せていた。
今日も、クランベル伯爵邸では嫡男スティーブンを紹介する茶会が催されるとジーンの報告を聞いて、俺は急遽フリップの家へと逃げ出して来た。
フリップが居なければ実家のテラスハウスへ行く心算だったけど、先触れも出さずに訪ねてみたら、フリップは快く出迎えて呉れて、俺は安心して胸を撫で下ろした。
フリップは、目付きの悪い下三白眼だけど、俺と目を合わせる時は口角が二っと緩んで愛嬌の或る表情に為る。
いつもそう言う表情をしていれば、地獄のクラウン・クラブ以外の人でも、寄って来そうな気がするのだけども。
ガタイが良くて強面のフリップには、議員の時もそうだったけど、気安く人が寄って来ない。
気の良い奴なのに勿体ない話だ。
質の良いイラド綿で仕立てたクリームイエローシャツに、刺繍が見事な紺色の織りが細かいシルクのウエストコートを羽織ったフリップは、寛いだ様子でソファーに腰掛け長過ぎる足を組み、蹴られると痛そうな濃いブラウン色した革のブーツを履いていた。
フリップの足がデカ過ぎる。
「休みの日は軍服じゃないんだな、フリップ。」
「今更だな、チャーリー。流石に此の季節は暑いよ。チャーリーも着てみるか?」
「いいよ、フリップの上着じゃあ、ブカブカで服に着られている姿にしか成らないし。そういや大佐に昇進、改めておめでとう。」
「サンキュー。それで僕は王室騎兵連隊に選ばれたから、ホワイト宮殿に或る衛兵所に詰める事に成ったよ、チャーリー。ウエストカタリナ宮やローゼブル宮殿にも近いから、チャーリーと時間が合えばエールハウスにでも行こうぜ。」
「ええー、フリップが?マジか。近衛兵って貴族でイケメンしか選ばれない筈じゃあ?イテててっ、蹴るなよ、フリップ。その革靴マジで痛いから。」
「なに?チャーリーって僕がブ男だと言いたいワケか?」
「いや、不細工とか俺は言ってないだろ?ただフリップはイケメンのジャンルから外れてるってだけで、痛い痛いっ!冗談だよ、悪かった、フリップ。」
フリップは長い脚を伸ばして、テーブルの下に或る俺の向こう脛を、ゲシゲシと固い革のブーツの爪先で蹴って来る。
俺は大袈裟に両手を上げて降参だとフリップに詫びた。
フリップ邸の新しく入ったらしい従僕が白い陶器のカップに珈琲を淹れて運んで来た。
そう言えば、エルザに就いていたメイド達や乳母は居なくなっていた。
まあ、リリーは我が家と言っても、実家の方だけど旦那カールソンが居る向こうに戻ったし、乳母も含めてメイド達はカプリア地方のピバート伯爵家の領地へナディアたちと共に行ったのかも知れないな。
「まっ、僕もチャーリーの疑問も尤もだと思うよ。」
埒も無い事を俺が考えていると、フリップは珈琲を飲みながらポツリと言った。
「ああ、フリップそれか。皇帝陛下が4世から5世陛下に変わったからね。以前のキラキラしい美形集団はアルバート4世の趣味だったんだよ。今の陛下は真面目な人間を好むから、素行不良な人間を近衛から外したんだよ。其処で陛下の眼鏡に適った陸軍士官を引っ張って来たんだと思うよ。一応は賓客が来た時は陛下の傍に控えて歓迎しつつも、陛下をお守りしないといけないから。だからフリップも安心しろよ。選んだ人間の基準には達する容姿をしてるって事だよ。」
「褒めてないだろ。でもってチャーリーはそれを知っていて、僕を揶揄ったのか?、全く。でも理由を知れて良かったよ。近衛の制服を作って貰いに陸軍省へ挨拶に行ったら、随分と僕とはタイプの違う人間ばかりで少し面食らっていたんだ。何で僕が選ばれたのか?と自問自答していた有り様だったのさ、実はね。」
「なーんだ、俺の蹴られ損かよ。まあ、幾ら陛下でも好みじゃ無いからって、近衛兵を総入れ替え出来ないだろ?相性の合いそうな副官を上に見繕って貰いなよ、フリップ。でも俺的には良かったかな。フリップが戦いで国外へ行くよりも安心が出来るよ。」
「僕は、てっきりチャーリーが心配して、軍に話を通して近衛に捻じ込んだのかと思ってたよ。」
「はぁ?俺が出来る訳ないだろ?そんな事。」
「ふっ、風の噂じゃチャーリーは人事を意のままに操れるそうじゃ無いか。」
「それは何処の風だよ。俺さ、トール党寄りの新聞からもリバティ党寄りの新聞からも碌な事を書かれてないんだぜ。ない事ない事を記事にされてもね。いや、少しは或るけど。金貨貰ったり砂糖を貰ったり。あっ、砂糖かっ!それで甘い思いをしているって書かれるのか。」
「そんな事で新聞に書かれるとか、普通は無いからな?チャーリー。僕は議会政治の方とは距離を取っているから、今は分らないけど、そんな事で書かれるなら内閣に居る全員を記事にしないと。チャーリーって新聞社へ圧力を与えないから、良い気に為って好き勝手に書いているのだろう。貴族議員として少しは脅して怖がらせていた方が良いぞ。」
「良いよ。まあ、理由は分っているんだよね、フリップ。金融業者に貸出金利を下げる法案を今、大蔵省に頼んで纏めて貰っているから、その所為だと思うんだよな。新たな商売を始めようとしても今は貸出金利が高いから、新しい商人が参入し辛いだろ?株式もバブルの後の規制法で手持ちに資金が無いと発行し辛いし、資金が欲しいから市場から金を集めたいのにさ。で、俺が動くと美味い話が消えていくと言う噂のお陰で、金融市場が荒れ地に為るって思われていて、両者から動くなと言う牽制だと思うんだよ。」
「ははっ、確かにチャーリーが動くとムーアが広がって行くように見えるだろうな。確かに役得を考えている人間からすると。それで金融関係へチャーリーは手を出すな!って威圧か。ふっあはは。」
「笑い事でも無いけどな、フリップ。俺だって動きたかねーよ。面倒な。」
「なに?」
「いいや、何でも無いよ、フリップ。」
「議員を辞めたいって言ってる割に、チャーリーは良く働いてるよな。」
「まあな。チャリンチャリンと金貨は頂いてるんでね。仕方なしだよ。フリップ。」
なんだかんだ言っても、クランベル伯爵のお陰で俺は綺麗な躰に為れた訳で。
借金を返せたから、「じゃっ!!」つうて、何一つ返さないで、クランベル伯爵の前から立ち去るって、俺には出来ないしなあ。
それにジュリアとの離婚もキチンと片してから出ないと、不義理が過ぎるしな。
何より、可愛い盛りで或る娘のソフィアとシャロンと離れ難し。
俺の中で、北カラメルの大地が遠のいていく。
頭の中で、地図でしか見たことの無い北カラメルの大地が、ヒラヒラヒラとロドニア・ブルー・トパーズ色の空へ高く舞い上がって去って行った、、、気がした。
暫しの間さらば、北カラメルよ。
それから、俺は気分を変えて、レイチェル・コレッジの院長レイチェル様から頂いた有難いローズティーをフリップに頼んで淹れて貰う事にした。
レイチェル様もワチャワチャと楽しくロイヤルパークの修道院(仮)で過ごせている様で何よりである。
国教会も5つの街へ修道院、、、では無かった女学院(花嫁学校)を創ったそうで、シーズン明けの9月から開校だそうだ。
なんとも手回しの良い。
流石に国王の次に偉いカタベル大教主が号令を掛けただけの事は在る。
とは言っても此のカタベル大主教、実はアルバート2世の息子の家系の1人なので或る。
詰りアルバート3世の甥っ子に成り弟の息子で現在59歳。
当たり前だけど、神に身を捧げているので独身。
(ムカつくカタベル大主教を誰も清く正しい童貞とは言って居ない。)
アルバート5世陛下やアルバート4世とは又従弟の関係に為るのかな。
そしてカタベル大主教の兄メリー公(メリー州に或る領地を治めている公爵)が居る。
折角、王家の男子で生れて来たのに、コーデリア殿下へ継承権が移るのも可哀想な気がするけどもアルバート3世が後継者になった以上、その後は3世の血で跡を継いで行く事に成ってしまうのだ。
俺からすれば、コーデリア殿下に皇帝の座を継がせるより、オッサンたちが継いだ方が良いと思うのだけども、それを言い出すと血みどろの歴史を繰り返すことに成りかねないので、現在の王国法を厳守しているそうだ。
国教会で良かったと思えるのは国王が女性でも認められるって所かな。
オーニアス帝国ではエレノーラは皇帝では無く夫シャルルが神聖ロマン帝国の皇帝で、エレノーラはあくまでオーニアス帝国=神聖ロマン帝国の皇后であるのだ。
夫のシャルル皇帝が遊び人のプー太郎で、実質はエラノーラ皇后がバリバリ2国を治めていたとしても、旧教では皇帝には成れないのだ。
まあ、エレノーラ皇后も皇帝と呼ばれるよりも、皇后と呼ばれる方が好ましいと仰っているので、善きかな善きかな?
コーデリア殿下はエラノーラ皇后とシャルル皇帝の大恋愛を心底羨ましがっていたのだけども、継承戦争が落ち着いて蓋を開けてみれば、シャルル皇帝の多過ぎる女性遍歴の話を聴いて、ゴッソリと顔から表情を消したからね。
俺は怖かったよ。
あの感じは、、、そうそう、ジュリアが俺との話し合いで『無』に成った時と同じ怖さだったわ。
女の人を怒らせると怖いのは、うん、年齢は関係ないね。
クランベル伯爵が担当の外務官から聞いた話では、エレノーラ皇后は怒らずに悠然として公務を熟しているそうだ。
『本当かな?』
女性の怖さを知ってる俺は、その外交官に疑義を呈したい所だよ。
意外に濃い薔薇の薫りと蜂蜜の湯割りの味しかしないローズティーを飲みつつ、今度薔薇の花びらを食べてみて、ローズティーの是非を下そうと俺は思い至った。
ちらりとフリップを見て見れば、ニマニマと笑みを浮かべて俺の様子を窺っていた。
「相変わらず、チャーリーの百面相は面白いな。」
「ううー、悪趣味だな、フリップは。俺を見てないで、話し掛けて呉れても良いじゃん。」
「やだよ、勿体ない。此の所こうやってチャーリーの表情を堪能出来る機会が減っていたからなあ。前はもっと一緒に過ごせていただろ?」
「堪能は別にしなくてもいいよ、フリップ。アルバート4世と5世の問題児を片付けたら少しは暇になると思ったんだけど、俺も色々言われつつも、クラブに参加する事が増えたから時間がなあ。」
「でもチャーリーは議会工作とかせずとも良いんだろ?議会には別に参加しないと言っていたし。」
「そうだけど、イザと言う時に、色んなジャンルに詳しい人と知り合いに成って居ると手助けして貰えるしね。今とかは天体好きなクラブへ天文学に興味の或る4世の長男と参加して、天体に詳しい作曲家から観測に必要な知識を色々と学んでいる所。入会に少し時間が掛ったよ。」
「ふっ、結局は未だにアルバート4世陛下の子守をしてるじゃ無いか、チャーリーは。」
「うっ、でも馬好きな4男は、馬術や競技のルール作りの為に、先日競馬クラブを作り終えて、後は43歳の長男だけ何だよ。もう、此処まで遣っちゃうと俺も残り1人をきっちり道筋を付けたくてさ。」
「でもさ、チャーリー。下にも子供が居るんだろ?4世陛下の方は17歳から下が4人で、陛下には2人だっけ?」
「くそっ、忘れている事にしたかったのに、フリップめ。」
「ははっ、チャーリー。僕を睨んでも。」
俺は溜息を吐いて、温くなった薔薇の薫りがする蜂蜜湯を口に含んで、フリップを睨むと、照れたように笑ってからフリップは立ち上がり、俺の隣に在ったソファーに腰を下ろして、ゆっくりと大きな手の平で柔らかく俺の頭を撫でた。
薔薇の薫りがする蜂蜜湯をコクリと俺は飲み込み下唇に着いた蜂蜜湯をペロリと舌で舐め取り、右隣りに座ったフリップを見ると、思わぬ近さまで顔を寄せているフリップの明るいブラウンの瞳と目が合った。
「ホントにチャーリーはしょーがない奴だよ。」
そう言って、俺の首に右腕を回して、フリップは自分の固い胸に俺の顔を押し付け、左腕と手で頭を抑え込みグリグリと締め付けて来た。
つうか、痛い、苦しい。
此の儘だと又フリップに意識を落とされる。
くそぉー、ジーンも同じ室内に居るんだから、主人の俺を助けろよ。
あっ、違った。
ジーンの主人は、クランベル伯爵だった。
俺は、ドクドクと早鐘のように鳴るフリップの胸の鼓動を聴きながら、スッと気持ち良く意識を手放した。
『此の小悪魔っ!』
ジーンが呆れた目で俺を見ながら、そんな事を呟いてる事など知る由もない。




