ep5 胃薬
本来ロドニアと呼ばれる場所は、遥か昔にロマン帝国が作った壁を元に14世紀頃、約2,9平方kmの城壁で囲んだ地区だった。
ラムズ川に掛けられたロドニア橋はブレイス帝国南部の比較的海に近い場所で海船も出入が出来、商売がし易い立地で栄えていたが、マックス8世が宗教改革の折り、旧教の荘園や建物を手に入れてからはロドニア橋近くのキングスタワーから離れて、壁の外の西側へ移って行った。
完全にホワイト宮殿へと移ったのは、ギルバート2世以降からだった。
クリイム歴1660年にロドニア大火災が起き、8割の住居や建築物が消失し、議会と対立し捲くっていたギルバート2世が市街を再建する時に、「ロドニア市街建築法」を制定し、『木造住宅の禁止・建物の階数、階数の高さ』など通りに寄り4種類に分けられた。
そこで、ホワイト宮殿やウエストカタリナ寺院から西部一帯の広大なエステート『地所』を持つ7公爵と7伯爵たちが投機で利益を得る為、エステート開発を行い始めた。
焼け出された人たちの為と言いたいけど、ロドニア市はロドニア市議会の自治が在るしって事で、既に政治の中心に成りつつあったウエストカタリナ地区で、おシャンティで豪華なタウンハウスやテラスハウスを作り始めたのだ。
最初に着手したポットフォード伯爵は自らの屋敷を建築した後、四角形のグロリア風の広場を囲んで、2辺には、古典的なファサードを持ち、アーケードのある住宅建築を造り、残りの2辺には広場に通ずる2本の主要道路からよく見えるように、それぞれ教会とポットフォード邸の庭園が配置された。
建築基準に合うような連棟型の都市邸宅が方形の広場を囲み、独立した住環境を形成する住宅地の構成手法は、ロドニアに住む支配階層に受けて、これ以降は皆、競って広場を造り。それを囲み通りに面した場所へファサードを造り、連棟型集合住宅が街を構成していったのだ。
でもって今は、その広場には中央にプラタナスなどの樹木や芝を植え、都市部で田園風景を楽しむのがロドニアに住む人々の憩いにも成っている。
と、言うのが高級住宅街に住む人々の意識だったりするのだけど、俺がこんな分かり切った事を、頭に思い浮かべるのは、クランベル伯爵家のタウンハウスへウィング城から戻って来て、相変わらず通りから見える美しい邸宅と広いクランベル・スクエアが見えて来たからだ。
繊細な百合を模った真鍮で造られた柵でグルリと広場を囲み、スクエアガーデンは居住している人達のプライベートガーデンに成っている。
クランベル伯爵は、幾ら父親の代で設計図を任されたからと、未だに地所の開発を続けているのだから凄いと思う。
クリイム歴1715年から現在1752年だよ?気が長いよね。
他にも公爵家や王家が所有している大きなスクエアなどもある。
ロドニア内のウエストエンドなどの環境の良い場所は大抵が王侯貴族の持ち物で、建設業者に建設地貸をしている。
俺達の住んでいる所はウィルソン・カステル議員から借りていた連棟住宅で裕福な中産階級用だったりするんだけど、カステル家も中産階級に含まれるって言うから、中産階級のカデゴリーは幅広過ぎると思うな。
俺の所などは、クランベル伯爵の助けが無ければ、マジで最下層に成っているんじゃないかな?
住んでいる家は、カステル家の家長が狭いからと、隣り合った二つの住宅の壁を除いて、一軒にしていたモノ。
因みに俺達が住んでいる所の広場は三日月に成って居る。
悲劇が多かったと言われる東海会社バブル破綻事件だけど、カステル家では有利に働いたようでロドニアの不動産を入手出来る機会に恵まれたそうだ。
元は貴族家しかロドニアの中心地の土地を持って居なかったらしいので。
クランベル伯爵家のテラスハウスは、貴族やジェントリ達が借りて、ロドニアでのセカンド・タウンハウスにしている。
連結はしているけど、玄関つうかファザードは別だし、上下に他の家族が住む訳でもないのでプレイベートエリアは守られている。
煉瓦と石で造られたクランベル伯爵邸を正面に配し、左右対称なテラスハウスは巨大な宮殿にも見えて、通りから見ても中々の迫力が或る。
ちゃんと裏道から厩舎へ直接行けるし、馬車にも乗れるし、超便利。
まあ、こうして貴族同士の友好がロドニアに居ると深まって行くんだろうな。
そんな事を考えていると、クランベル伯爵は気軽に話しかけてきて、俺もそれに頷いて彼の背を追って、後ろからついて歩いて行く。
紹介して呉れたウィルソン・カステル議員のお陰なのかも知れないけど、有難い事にクランベル伯爵は、貧しい庶民の俺にとても気安い。
他国に比べると支配階級の人達との付き合いは緩く思えるのは、貴族階級とミドル階級との間にジェントリの存在が有ったり、議会が有ったりするブレイスって国柄の所為かな?
いや勿論、見えない壁とかは在るけどさ。
そもそも13歳から通っていた寄宿学校には、貴族や地主階級の子等が同期生でいたし、碌でも無い先輩もそれなりに居たけど、直ぐに会話するように成ったし、勉強よりもクリケットやフットボールがメイン活動だったから、余り畏まっていた記憶もない。
学校に合わない華奢な子や運動が苦手な子達は、ある程度経つと辞めたり、早めに卒業して大学へ行ったりしていたけどさ。
でも高位貴族の嫡男たちは屋敷で自主学習して、其の侭大学へ行く人もいるって言う噂だ。
うん、格が違うって所。
でも、後継者では無い奴等とは、プライベートな所では気楽に付き合えていた。
そんなこともあって俺は余り階級とか考えずに生きて来たけど、唐突に男爵に成れるってクランベル伯爵に言われても、「無理だろ。」って思った。
特権と言えば特権もあるけども。
貴族とその従者は逮捕されない不逮捕権、貴族院内における言論の自由、王への拝謁権、貴族院内の自治権、貴族院や議員の特権の侵害、貴族院への侮辱に対しての可罰権。
つうのが在る。
かと言って遣りたい放題が出来る訳でも無いんだよ。
中には偶にハッチャけている人もいるけどね。
まあ、そう言う人は著しく院を貶めたとして軟禁されてしまうので、程々に。
俺がハッチャけてもワインをブランデーに変えて、煙草を吸うってレベルだし。
お偉い貴族様たちに囲まれたら俺は借りて来た猫に成る自信は或る。
やっぱり、考えると胃が重くなるよな。
余り使用人もうろつかないと言うクランベル伯爵の執務室で、クランベル伯爵はウィッグとオーバーコートを脱いで、幾重にも楓の葉が重なるデザインで織られたモスグリーンのベルベット地のゆったりとしたアームチェアーに腰を掛け、ペイジボーイのジーンへ珈琲を頼み、俺とアルバート4世について朗らかな声で、話し始めた。
そこで俺はクランベル伯爵へ疑問に思っていたことを訊ねた。
「クランベル伯爵、俺が爵位を頂けるのは本当にテキストの出来が良かったと言う理由なのですか?」
「ふふっ、、、。そう思っていた方が互いに気楽だよ?」
明るい翠色の瞳を細めて、俺に向き直ってクランベル伯爵は楽しそうに話を続けた。
クランベル伯爵が俺を貴族に推した本音は、まあ俺のブレイス語のテキストの出来が良いと言うのは3割くらい、俺を取り敢えず貴族にして枢密顧問にしたかったのが6割、残りの1割は、中々に亡くなった父がしていた活動の後押しを出来ない事に対する詫びだそうだ。
まー、そんな所だとは思って居たけどね、俺も。
どうもアルバート4世とトール党のテール枢密院議長と意思の疎通が巧くいかない為、その仲立ちが必要なのだとか。
テール枢密院議長は、どさくさに紛れてブレイスが併合した北に在ったノルディック王国の貴族だったりする。
本来ならブレイス帝国に反感を持っても可笑しくないのだけども、故アルバート3世支持派なんだよね。
亡くなったアルバート3世から信頼され、枢密院顧問を務めていたけど、反リバティ議員である事は有名だった。
同君連合であるノルディック王国の貴族がブレイス帝国で議員に成るには、ブレイスで選挙を経て庶民議員に成るしかないので、初めはテール枢密卿も只の一介の下院議員だった。
でも議会での反リバティ党的な論戦の報告を聞いて、アルバート3世は気に入り、初めは寝所顧問、次に宮内庁出納官、そしてテール枢密卿に爵位を授け、枢密院議長に就任した。
リバティ政権下だった時、テール議員を庇う度にアルバート3世は議会へ譲歩し、取引をしたそうな。
幾度か内閣からテール議員を追い出そうとリバティ党も画策したけど、アルバート3世が亡くなるまで枢密院議長を続けていた。
一見枯れてるように見えて、やり手な人である。
現在60歳なんだけどさ。
王権の復興を望んでいる保守的なアルバート4世とテール枢密卿は、相性が合いそうなのに、クランベル伯爵によると美意識の相違らしい。
テール枢密卿は、帝国を安定させる為に、議会制よりも正しい王が親政を行うべきだ、って自論を持つ。
てな人なんだけどね。
その正しい王と言うのが、アルバート4世のお気に召さないらしい。
質素で真摯に政務を励み、信仰深き王で有るべきだと、アルバート4世へテール枢密卿は、切々と尤もな事を告げたのだとか。
それは、難しそうだよね、お互いに。
そんな忠告を聞く位なら、父親のアルバート3世からの箴言を真面に聞き入れているだろしなあ。
アルバート4世は、現在不貞腐れてウィング城で引き籠り、議会の状況をクランベル伯爵から聞いているそうだ。
だから、バックにアルバート4世の影を匂わせ、クランベル伯爵はある程度議会もコントロール出来ているのか。
「アルバート3世陛下が重用していた人間を罷免する訳にもいかなし、結構、顧問官を罷免して来たから余り続けて居ると陛下とトール党の協力関係も揺らぐだろう?」
「でもクランベル伯爵がいるわけですし、俺が就かなくても、良くないですか?」
「私も遣る事が多くてね。今の内に役職を増やしたり、徴募を見直したりとして於こうと思ってね。20年もリバティ党の政権が続いて、ヨーアン諸国も色々と変わっているのにブレイスは内戦後のツギハギ状態だから、戦争もしていない今の内に変えて於こうと考えているんだよ。陛下もチャーリーなら話し易そうだと仰っていたから、頼むよ。暫くは此処に住んで、キースからマナーや公式行事について学ぶと良いよ。敷地内に教会もあるから安心して。」
「ええー。」
説法は有難いけども、別に教会など無くても祈りは出来るので、そう言う心配を俺はしている訳じゃなく。
只でさえ緊張するクランベル伯爵邸に住む事を憂慮している訳で。
俺の精神と胃のために。
胃薬を準備せねば。
余りクランベル伯爵にはビビらなく成って来たけど、執事やハウスキーパーなど他の使用人達の俺への視線がピキピキ痛いのだよね。
偶に?チョクチョク?
パンピーの癖に何様なの?
みたいなね。
気にし過ぎの自意識過剰だと思い込もうとはしてるのだけど、俺が大切な彼等の主人を騙くらかそうとしているのでは?と言う疑惑の視線を感じてしまう。
いや、君達の主人のクランベル伯爵は、他人に騙されたりしないから。
反対なら割と有りそうだけど。
大体、俺なんかに騙されてくれる訳ないし。
それに、俺や家族達を救って呉れた恩人のクランベル伯爵を騙すなんて出来ないからね。
精々、偶にクランベル伯爵を「悪人だー!」とコッソリ思う位で、しかも大抵は俺も共犯だしさ。
珈琲を運んで来たペイジボーイのジーンはヘイズルの瞳を鋭くして、静かにクランベル伯爵と俺の前に瑠璃色の珈琲カップのセットを置いた。
ホントに勘弁して欲しい。
俺は此れからの事を想って胃が重たくなってくるのを、ジーンが運んで来た珈琲を飲み込んで誤魔化した。