ep48 パンドラの箱
ウエストカタリナ宮殿で戦勝を祝っての感謝と慰労の式典を終え、俺はクランベル伯爵と広く長い通路を歩いて、用意されていた控えの間へと向かっている。
千数百の部屋が在る宮殿はポーターが居ないと俺は迷える自信は或る。
アルバート5世が住む宮殿で、郵政局と議事堂という俺の職場があるのにね。
って言うか、此の迎賓エリアとか忘れた頃にしか訪れる予定無いからな。
クランベル伯爵は迷いなくスタスタと歩いてるけどね。
式典も終わり、次はポール・ルームでのパーティーなので、その前にクランベル伯爵へ用意されている控え室で、軽食や飲み物を抓んで於こうと言う算段なのだ。
つうか、パーティー嫌いなアルバート5世は、此の区切りを利用して退出しちゃってるんだけども。
扇形交差ヴォールトの高い天井は大聖堂の荘厳さを思わせ、立体的に造られた白雲石の壁と流麗なロココ調の窓との調和は何時も見る度に感動はするけど、掃除や維持管理費に俺なら速攻で売却してるな、と大建築家のオーガスタ―・ビジュー氏へ失礼な事を想っている、
ポーターたちに案内され、広い室内へ入ると暗褐色のダイニングテーブルの中央には、この寒い季節に何処から分捕って来たのか色鮮やかなオレンジやピンクのマムの花々と、大きなアーチを描いた窓の近く置かれたキャビネットの上にクリスマスローズのオサレな鉢植えが飾ってあった。
冬場って、庭園の枯れ枝を堪能する季節じゃ無かったのか!
そう言う新鮮な驚きに俺は胸を躍らせながら、クランベル伯爵の手招きに誘導され、ゆったりとしたクッション性が良いモスグリーンの梳き毛織りカバーで覆ったソファーの左隣へ腰を下ろした。
暫くするとウエストカタリナ宮殿に勤めているメイド達が、クランベル伯爵と俺にティーポットセットとサンドイッチ、焼き菓子を運んでサイドテーブルへ置きドタバタと去って行った。
「なんでしょうか?宮殿に相応しく無いような使用人たちですね、クランベル伯爵。」
「ああ、普段はウエストカタリナ宮殿でパーティーなどしないから、人手が足りなくて近隣の貴族のタウンハウスから急遽、借りたのだろう。アルバート4世陛下も改築されるだけされて、ローゼブル宮殿と同様に此の宮殿も使用して居なかったから、必要最小限でしか雇って居ないのだよ。新たに雇うとしたら陛下は不要だと言われてね。必要な時に必要な人数を雇えば良いと言われるので、今回みたいな大人数が集まる式典だと困るのだよね。」
「陛下の居城なのに不用心ですよね。でも、クランベル伯爵。俺は、ローゼブル宮殿で使用人が少ないとか宮殿に合わないとか感じなかったですけど。」
「ローゼブル宮殿は正式な式典の場でもあるし、将来コーデリア殿下が入られるだろ?だから、必要なサーヴァントは確りと雇っているのだよ。下働き迄は管理は難しいけどね。まあ、それでも此の宮殿で、陛下や皇后へ見知らぬ人間が気楽に近寄れるようには為って無いから、チャーリーも安心しなさい。」
「はい。ええ、分っています、クランベル伯爵。しかし、今回の戦争での叙勲は年が明けての3月ですよね。勝ちと言うには微妙な結果ですし、今回の祝賀会は不要なのでは?」
「結果が微妙だからこそ勝ちましたよと宣言会みたいなモノだよ、チャーリー。今回は有産階級にも課税してるからね。帆船を増産する事も決まったし、暫くは土地税などを課してしまうから有権者への不平逸らしをクレム・ベルフ首相達は頑張っているのだろう。」
「結局はシュレン地方をロイセン王国の領土に組み込み、オーニアス帝国側の国境を取り決めた事で決着したんですよね。ルドア帝国は、折角手に入れて居た領地をロイセン王国へそっくり帰しましたし、文句を言って来た血の気の多いエーデン王国の軍を蹴散らしたし、途中から参戦しいた神聖ロマン帝国の選帝侯たちも腕力で説得したし。味方に成ると最強のボディーガードですよね、ルドア帝国って。」
「ふふっ、ロイセン王国も強かったしね、チャーリー。ブレイス帝国は終盤、申し訳程度にノーヴァ公国からと南のインナー・シー側から参戦したけど、ブレイス帝国からの援助金でスロン王国の傭兵を雇ったとは言え、ほぼロイセン王国一国で、フロラル王国とオーニアス=神聖ロマン帝国とエカテリーナ女王が亡くなるまではルドア帝国からも攻められて、敗走しても再度攻め直して、なんとかシュレン地方を守ったモノね。ロイセン王国は侵攻していたフロラル王国軍を国境まで押し戻したしね。」
「しかし、ロイセン王国の兵数は多いし、練度も高いみたいですね。ロイセン王国は、確か七千数百家くらいでヨーアン諸国の中で貴族家数が少ない方なのに。まあブレイス帝国の少なさには及びませんけども。」
「ロイセンは、父親の初代フリードの時代から軍改革をしていたからね。わが国ではヨーマンと呼んでいる自主農家や小作人もロイセン王国の軍では、出世が出来て軍務に就いて居る場合は軍務が優先され、領主からの賦役免除や婚姻も上官に届ければ認められる。そして領主の命令を断れるそうなんだ。その所為か強制徴募をせずとも、兵も集まるし士気も高い。農家の2男、3男でも上に行けると言うのは、インセンティブが働くようだよ。そう言う意味では、他国より身分制度が緩やかなブレイスも軍を強化出来そうだけどね。でもブレイスの場合は、何処と戦うにしても船に乗り海に出ないとならないだろ?軍艦に乗るのは、キツイ上に航海病の恐れもあるからね。」
「しかし折角、北カラメルでエスニア帝国に勝っていたのにインナー・シーに入る手前の海峡で待ち伏せされて負けちゃうから、14州獲得出来ていたのにイーストフリーダム州を返還して13州に成りました。まあ北部のノバポルテ州と南部のクード州も得ての東部海岸沿い地域の植民地確定が出来ましたけど。」
「ふふ、ベルフ首相も祝勝会の演説で言っていただろ?チャーリー。此の戦争の真の目的で或る北カラメル東海岸地域全てをブレイス帝国が植民地化することに成功したと。クローバーも国から州へと戻せたし、ノルディックとは、領土の防衛や軍事では協力できることになったし、結果的に勝ちは勝ちだよ。ふふ。」
白磁にアーシアの伝統の藍色で植物を描いたティー・カップを右手で持ち、クランベル伯爵はカップをそっと口元へ運んだ。
明るい翠の瞳で俺を宥める様に見て、立ち昇る湯気を気にせず、クランベル伯爵は左手でソーサーを添えて優雅にミルクティーを味わう。
俺はクランベル伯爵が気にせずとも、別に不機嫌な訳じゃない。
ただアルバート5世が気に成っているだけ。
戦勝祝賀会って名目なのに、兵士達とかを招いて無かったから、アルバート5世の機嫌は悪く成って居るだろうな、と懸念しているだけで。
軍人マニアな陛下は、いや、違う。
軍人の侭でいたかったアルバート5世は、下士官や兵士たちの事を、とても気に掛けていた。
軍隊の事は良く判らない俺に彼等が居ないと戦いに成らないと説明して、国庫の許す範囲で装備品とかを良いモノに整えるべく陸海両軍の主計卿へ命じていたりする。
パーティー嫌いなアルバート5世へ「兵たちの為の戦勝会です。」ショコラ枢密院議長はそう言って説得し、今回はアルバート5世の出席を賜ったのに、、。会場には名の知られた将校たちの他は、リバティ党寄りな上流階級の議員たち関係者やブルジョアたち等々ばかりで、アルバート5世が慰労したかった人達は招かれていなかった。
折角、アルバート5世が許可を出し、普段は使用しないウエストカタリナ宮殿で催した式典なのに。
質素過ぎると陰口を叩かれているアルバート5世だけども、皇帝であることに変わりなく社交の場に集まる人々は、少しでもアルバート5世と触れ合いたい人ばかりなので、ベルフ内閣主催の式典へ陛下に列席して貰えると格も上がるし、ベルフ内閣に対して有権者たちの評価も上がるのだ。
きっと今頃は、秘書官クロード相手に文句を言い、アルバート5世は絶対拗ねている筈だ。
全くもって面倒くさい。
頑張れ、クロード秘書官。
密かにクロード秘書官を応援して居るとクランベル伯爵が話しかけて来た。
「しかし列席されていたコーデリア殿下は見事に化けていたね、チャーリー。今日出席されていた皆の目を釘付けにしていただろ?」
「コーデリア殿下は化けて等いませんよ、失礼なっ!!クランベル伯爵。式典なので華やかなマンチュア・ドレスを召していただけで。日頃は、ピンクなどの赤系統で飾りが少ないドレスが多いけど、今日は珍しく青い絹タフタと銀糸での刺繍のドレスだったので大人びて見えましたね。アクアブルーの瞳と合って素敵でした。コーデリア殿下はアルバート家の血が強いのかアルバート4世陛下とも似て、容姿は元々整っていらっしゃるんですから、化けなくとも綺麗ですよ、クランベル伯爵。」
「ふふ、チャーリーはすっかりコーデリア殿下のファンに成っているね。年頃になったコーデリア殿下を見て、その気に成っては駄目だよ?チャーリー。」
「成りませんよ、クランベル伯爵。俺は健気にクランベル伯爵の教えを受けているコーデリア殿下を応援しているだけです。欲を言えば、もう少し身長が欲しいですね。コーデリア殿下自身が大変気になさっているので本人の前では言えませんけど。」
「そうだね、平均的な女性と並ぶとコーデリア殿下は皆を見上げる状態に成るからね。その所為で社交嫌いに成らないようにしないと。アルバート5世陛下に続いてコーデリア殿下と2代も社交嫌いが続かれると王族の意義が薄れてしまうからね。」
「其処ら辺は大丈夫でしょう。だって10歳の頃からクランベル伯爵に王族としての教育を受けているのですから。」
「私だって手探りだったよ、チャーリー。初代から綴られた書物の中で、王とはこうあるべきだと代を違えても重ねて記されたモノを現代でも通じる形で教えているだけだからね。でも受け止めるのも成すのも結局はコーデリア殿下自身であるからね。」
品よく平らげた軽食の白いプレートを、クランベル伯爵に就いていた従者のアールや小姓のカークたちに下げさせ、新たに珈琲を持って来るように命じた。
その書物は俺も興味が尽きないけど、ヤバ気なパンドラの箱っぽいので、湧き上がる好奇心を胸の奥へ深く沈めた。
そして俺が肌寒そうに見えたのかジーンに隣室で預けていた黒い毛皮のコートを持って来させ、左隣に座っていたクランベル伯爵は、身体を寄せて手渡されたコートを俺の肩へと掛けて呉れた。
俺は寒くは無かったのだけど、クランベル伯爵からこうして甘やかされるのは心地が良いので、素直に甘えて於いた。
両親にも家庭教師からも厳しく育てられた俺は、年上で或るクランベル伯爵からの優しさで溶けそうになる此のような一時が癒しに成ってしまっていた。
クランベル伯爵と知り合った初期は、何か罠があるのでは?
等と、俺は思い煩っていた事もあったけども、俺を罠に嵌めて得るモノは弟妹たちと莫大な負債しか持たない事に気付いて、罠の線は早々と思考から消去した。
もしや俺の肉体目当てか?
当たり前のように、俺はクランベル伯爵に襲われる覚悟を決めていたのだけども、クランベル伯爵邸で暮らし始めて8年経ち、それが無駄な覚悟であった事を知る。
俺はパブリックスクールの頃、拒絶出来ない奴等と経験済なので、その手の覚悟は出来ていた。
日頃は、封印措置をしていて墓場まで持って行く予定で或る俺の腹立たしい黒歴史。
そう言う有難くない経験のお陰で、俺は思考や感情を切り分けるのが得意に成ってしまい、悩んで良い分水嶺みたいなものが勝手に出来て、先ずは遣るべき行動を熟してしまう性分になった。
生きていきやすい性分では或るけれども、こうなった要因に感謝はしていない。
当たり前だけどね。
でも、考えて見たらクランベル伯爵は婚姻もしてたし、15歳に成る立派な嫡男もいらっしゃったよ。
ソッチ系である筈は無いんだよな。
アルバート4世陛下の寵臣だと言われていた俺の所為で、クランベル伯爵も有難くない噂を立てられているし、申し訳なく思う。
そして今は、寵臣なら未だしも俺ってアルバート5世の愛人て言われてたもんなあ。
俺って若い女性の愛人もいるってコトに成ってるし。
ヤレヤレだと思う。
そこへ扉の方から従者のアールがメイドたちと一緒に入って来て、珈琲を淹れたポットや新たな食器類を運んで、手際よくクランベル伯爵と俺の前に並べて置いた。
蕾を模した白磁の珈琲カップへアールが銀色のポットから熱い珈琲を注ぎ入れると、室内に香ばしい珈琲の薫りが満ちた。
翠の瞳を嵌めた切れ長な目を俺に向けて、クランベル伯爵は満足そうに整った口元を緩めた。
「良い薫りがする。此れはアステア地方の豆だね、チャーリー。良く手に入ったなあ、流石は、陛下だ。クード州が入手できたから、此れから此の珈琲豆も輸入し易くなるね。そう言えばチャーリー、クード州は誰に任せるか決まっているのかい?」
「ええ、クインシー大尉ですよ。エスニア軍から解放されて、今は7女の姉夫妻とクード州の館に入っている筈です。エスニア帝国が立派な商館や港や屋敷を作っていてくれたので助かった、と報告が在りました。フロラル王国が作っていたノバポルテ州も立派な商館と港が整っていたそうですよ。」
「そう、後で知り合いの商会へクインシー大尉へ就任祝いを託けよう。でも、頭を悩ませていた陛下の御子息クインシー大尉が、確りと任務を熟せるように成って良かったよ。今回のインナーシーへ向かう戦闘でもクインシー大尉の不備はなく、任務通りの行動をしていただけだったからね。」
「まあ、今まで気儘にされていたのは遠慮して誰も指導していなかっただけみたいですから、クインシー大尉の義兄からの指導は当たりでしたね。クランベル伯爵。」
「ふふ、チャーリーは、目の付け所が良かったのだね。今までの御兄弟は誰も学校には来ず、名目だけ准尉に成っていたそうだ。初めて扱う陛下の御子息という存在に戸惑ったのだろうね。クインシー大尉は、庶子故に皇子として接しては駄目だったからね。余計に困っていたみたいだよ。」
「でも、クインシー大尉は一生懸命にアドミラルの士官学校で頑張られていたみたいですから、其処は陛下の血ですよね。陛下は立場を隠して一般人として入学されたのですから、凄いですけども。」
「ふっ、陛下の事だから王族だからと特別扱いされるのが嫌だったみたいだよ。父上が陛下を士官学校へ入学させる時に苦労したと書いていたから。まあブレイスにとってはアドミラルは特別だから憧れるのは分るよ。小さな島国だったブレイスが此れだけ豊かに成れたのは、海軍の力が大きいしね。」
クランベル伯爵はそう言って二杯目の珈琲を注いで貰いながら、クツクツと喉の奥で笑って息を整え俺に微笑を向けた。
「いや、少し思い出してね。陛下がアドミラル(=海軍に魅せられたのは、初めての海戦で乗船していた時に、敵の帆船に大砲の弾が当たって運良く沈んだそうなんだよ。その様を見て陛下は酷く感動したと話されていた。それから、より一層、戦いに身が入るように成ったそうだよ。」
「ああーー、ボンバー皇子っ!!、昔のクインシー大尉、其の侭じゃないですか。」
「そうそう、それを想い出したら可笑しくなってね。」
「はぁ、矢張り血だったんですね、クランベル伯爵。」
「ふふ、そうだね、チャーリー。」
クランベル伯爵と俺は、深く香ばしい薫りの温かな珈琲を飲み乍ら、アルバート5世への失礼な会話で笑い合っていた。
其処へ落ち着いた声でジーンがパーティーへ行く時間が近付いたことを俺達へと報せた。




