ep36 おとぎの国
準備の出来たアルバート5世をなんとか気品あふれるアデル皇后と馬車へと放り込み、俺はウエストカタリナ宮殿を出て、今は亡きアルバート4世の遺児達の住むアルビー・プリンス地区にある館に向かうのであった。
アルバート4世の愛称であるアルビーの名を冠した通りと区画は皇太子時代に造らせたもの。
父親のアルバート3世が存命中だったので、「質素になった。」と、アルバート4世はボヤいていたけども、手の込んだ白漆喰壁にダークブラウンの木材とタイルを張り付けオフホワイトの煉瓦で組み上げたロウハウスやロドニア煉瓦と呼ばれているイエロー・クレイで舗装された広い通りは、現在高級住宅地に成っていて、王家の優良な資産としてアルバート4世の負債を減らしていた。
そして皇帝に即位してから遣りたい放題で、アルバート・ストリートは手間暇、金をかけた瀟洒な作りに成っていた。
留まる事の知らないアルバート4世の街作りの野望は、亡くなった今も田園風な広い庭園を現在着々と職人たちの手によって造られている。
亡くなった後でもアルバート4世は、ロドニアの人々へ新たな美と憩いの場を提供して居ると思うと、俺は胸が熱くなって目頭が自然と潤んで来た。
「無茶しやがって。」
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さて今回、ローゼブル宮殿に訪れているオルハン=トルゴン帝国は、インナー・シー(中海)を囲むように東南ヨーアン一帯のハイモス半島とプリメラ大陸北部を領土に持つ巨大な帝国である。
一時、リーラム教徒国がヨーアン大陸全土を占領するのではないかと、クリイム教国やクリイム教信徒たちから恐れられた異教の強国オルハン=トルゴン帝国で或った。
現在、オルハン帝国は、ヨーアン諸国と宥和政策を取り始め、進んだ西ヨーアン諸国の知識や技術を取り入れ、親睦を深めようと外交政策にも力を入れ始めた。
西側に或る異教徒の俺らブレイス帝国がオーニアス=神聖ロマン帝国の継承戦後、ヨーアン諸国との争いを小休止している隙を狙って、オルハン帝国は北にあるオーニアス=神聖ロマン帝国との戦った。
しかしその戦いで、技術の遅れを実感したのかも知れない。
オルハン帝国は敗戦してしまい、領土であったハンリー王国をオーニアス=神聖ロマンへ割譲し、新たな国境線を決めて不戦協定を結び、暫しの安寧期を過ごすことにした。
一方、オーニアス=神聖ロマンは、懲りずにシュレン地方争奪戦をロイセン王国と再び争っている最中だけどね。
ブレイス帝国を含めてさ。
ブレイス帝国にとって、オルハン帝国はイラド行きやプリメラ大陸の植民地化政策に地理的にも必要だし、隙あらばインナー・シー海路の権益を分捕りたいと狙っている大切な賓客である。
アルバート5世陛下には是非ともオルハン帝国皇弟ハリル殿下を堂々と出迎えて欲しいと願っている。
ローゼブル宮殿では、新皇帝となったアルバート5世陛下を鵜の目鷹の目で興味津々で見ている奴等が多いから、俺としては威厳ある所を見せつけて欲しいのだ。
アルバート5世陛下は、タッパもあってデカいから立っているだけで、威風堂々とした王者の風格があるからね。
悠然と立っているだけで充分だと思う。
接待して持て成す役目は商務の役人達もいるし、日頃はオルハン帝国で外交官の役目も負っているレバント会社の人間が遣って呉れるしね。
レバント会社ってのは、オルハン帝国スルタン(皇帝)から出された特許状「関税を払えば、外国商人も自由な貿易を認められた許可証」を処女王エリザベス1世から独占的に与えられた会社。
東イラド会社のオルハン帝国版って所かな。
レバント会社の方が先に出来ていて、東イラド会社はエリザベス一世が真似っこして作ったモノだったりする。
ブレイス帝国の金融屋を置く事は、オルハン帝国で未だ許可されていないから、此方の方の外交交渉も熱を帯びるだろう。
つうて、ブレイス帝国はオルハン帝国に儲けの話の事しか考えて無かったわ、俺も含めて。
オルハン=トルゴン帝国って大らかな国だから、リーラム信徒のプライドさえ傷つけなければ、商売っ気オンリーでも赦して呉れそうなんだよね。
併呑した国々の人々が異教徒や言語が違っても税金さえ払えば「オッケー」つう国で、此れと言った公用語もないらしい。
オマケに国名って言っても「最も崇高で高貴な国」ってあるだけなので、便宜上王族名のオルハン姓に帝国をつけて呼んでいたりする。
オルハン帝国って、なんだかお伽話のような国である。
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夜、クランベル伯爵邸の書斎で、朱いベロアの3人掛け用ソファーで、左隣に座っている俺に綺麗な翠の瞳を向けて、クランベル伯爵は静かに話し始めた。
「はあぁ、コーデリア殿下の所へロマン語を教えに行ったら、ノイザン公夫人から新たな司祭が来るからと言って、私の来訪を拒否されたよ、チャーリー。」
「ええーっ!折角、俺がロマン語でクランベル伯爵の渡して呉れていた哲学書でテキストを作ったのに。もしかしてバレたんですかね?ノイザン公夫人やギボンズに。」
「恐らくバレてはいないよ。クレム・ベルフ内閣で、コーデリア殿下へ新たに用意されていた者が音楽と絵画、刺繍・宮廷マナー、神学だけだったから、少しは議会の内容が理解出来るようにとチャーリーにロマン語で作らせ、こっそり私がロマン語で教えていたのにね。腹の立つことに、母親のノイザン公夫人が言うには、独身の私がコーデリア殿下の私的空間に入るのは醜聞になると言うんだよ。2人きりになる訳でもあるまいに。」
「ええっ!?醜聞と言うなら、ノイザン公夫人とギボンズの噂でしょう。もっと母親の自覚をノイザン公夫人には持って欲しいですよ。コーデリア殿下には、聞かせたくない下衆な噂が流れていて、俺も嫌になりますよ。」
「ああ、コーデリア殿下の父親はギボンズって奴か。ふふっ、あり得ないでしょうに。」
「ですよね、クランベル伯爵。あの金の髪にブルーの瞳はノーヴァ家のモノで間違いないと、俺は思って居るのですけどね。しかし、いずれコーデリア殿下も貴族院で閣僚たちが提出した法案の審議を聴くことに成るのですから、クランベル伯爵が教えていた学問を学んでいた方が良いと思うのだけど。」
「女王に小難しい事を言わせたく無いのかもね。だって、チャーリー。愚かであれば議会が主導する政が出来るだろ。」
「うっ、俺は、なんか腹が立って来ました。皆はコーデリア殿下を何だと思っているのだろうって。ギボンズ達にしろリバティ党の閣僚達にしろ。全くいい歳をしたオジさん達が姑息な手を使ってコーデリア殿下の学ぶ機会を奪うとかさ。自分達の息子には幼い頃から質の高い教師を与える癖に。」
俺が、愚かな真似をするエロくエリートな議員達にブチブチ文句を言っていると、クランベル伯爵は翠の瞳を細めて面白そうに微笑み、用意されていた珈琲を味わいながら飲み始めた。
今までクランベル伯爵は比較的気楽に歴代の陛下たちともコーデリア殿下とも過ごせていたけど、与党がリバティ党へ変わってから、理由をつけられグリンジット・ハウスなどコーデリア殿下の近くへクランベル伯爵が立ち入るを抑制してくるようになった。
古くから続くオールド・ノーブルと呼ばれている貴族の人達からは、相変わらずクランベル伯爵に一目置いて居たけども、実の所、東海バブル破綻の影響が大きくて上流階級層が約3割強入れ替わっていたりもして、何やら色々と騒がしいそうだ。
アルバート4世も話されて居たけども、本当に悲惨だったらしい。
クリイム歴1720年から始まった東海会社株の暴落で、莫大な負債に苦しむ貴族層は自殺者が相次ぎ、或いは陛下に頼んで北カラメルやイラドへの官職に就けて貰ったり、領地をアルバート3世へ返還したり、郷紳達も土地を売ったりなどしていた。
ガゼット(官報)には日々破産した人名がびっしりと並んでいたとか。
しかし、沈む者が有れば、浮かぶ者も或る。
再興で来た方々は良いけども、没落した侭の上流階級たちも多い。
窮した国庫を補填する為、クリイム歴1609年以降にアン女王たちが増やした上流階級(貴族や郷紳)の人々がガッツリ減り、其れを補う心算で創設した俺みたいな新興貴族や新たな郷紳、なんかが増えていた。
まあ法案通したり、短期での儲けを出す為のアホな裏技の所為で、増えた新興の上流階級の人々たちから何かと歴代の国王から特別扱いなクランベル伯爵に『焼き餅』状態で敵視されていた。
敵の敵は味方理論でギボンズやベルフ内閣に賛同し、トール党で或るクランベル伯爵を宮廷から外そうと蠢いている感じだ。
このように何が起きるか判らないから、安易な裏技の多用は危険なのだ。
俺を男爵にした時は、単にアルバート4世の宮殿改築費の捻出と負債の為に金が欲しかった、言うセコイ理由で貴族家と新たなマーセナリーと言う階級を作り、47名も創出してるし。
俺を男爵にした時は資金の為だけではなく、貴族院で増え過ぎたリバティ党議員と少なくなったトール党議員の両党のバランスを取る為だってクランベル伯爵は言っていたけど、嘘くさい。
借金生活を送っている俺は、金を支払って無いので、何とも言えないのだけども。
だけど俺もクランベル伯爵が此処まで王家から重用されている理由を知らないから、新たに貴族に成った貴族院議員達が不服に思う気持ちも分からんでもない。
席次が圧倒的に高いクランベル伯爵は、幾つか持っている公爵家の爵位をやはり名乗った方が良い、と俺は思うのだけどなあ。
でもまあクランベル伯爵は、俺からすれば天文学的な負債を背負ったアルバート4世にとって、凄く有用な人だったと思うのだけどさ。
次々と金を産み出すスキルは、まるで錬金術師。
法的にはギリギリ?
うーん、やっぱりアウトなモノも多いけどね。
俺も命じられた通りにクランベル伯爵の片棒を担いだかと思うと胃がキリキリする時も或る。
複雑な思いでクランベル伯爵を見ると、明るい翠の瞳を揺らし左手を延ばし俺の髪を撫で、整った顔の相好を崩して、クランベル伯爵はフワリと俺に笑みを浮かべた。
俺は、クランベル伯爵の暖かな手で優しく頭を撫でられていると、『コレって可愛がられてるんだよな?』って僅かな疑問が湧いて来る。
いい歳をした俺の頭を撫で廻すクランベル伯爵の意図は判らないけども。
「勿論チャーリーを可愛がっているんだよ。」
心の問いにクランベル伯爵から楽し気に答えられて、俺は思わずジッと見詰めている翠の瞳を凝視してしまう。
怖いっす。
クランベル伯爵。
暫く互いに睨めっこをしていたけど、プッとクランベル伯爵が噴き出して、上体を前に折り右手を自分の腹部に当て、珍しく声で出して笑い始めた。
そしてクランベル伯爵の左手から俺の頭も解放され、アールが持って来て呉れていたマイセンの珈琲カップの温かな縁に俺も口を付けた。
サクセス選帝侯でも或るポーラン国王が華龍帝国と同種の純白の磁器を製造したくて、錬金術師ヨハンを幽閉し作らせクリイム歴1709年に完成した。
ポーラン国王は出来上がった白磁の茶碗に大満足っ!
しかし、錬金術師ヨハンは完成しても解放される事はなく、幽閉された侭、染付の複製を命じられ37歳で亡くなった。
此の時、茶のカップに取っ手が作られ、熱いウーロン茶をソーサーからでなくカップから飲めるようにもなったのだけども。
そんな悲しき錬金術師ヨハンのお話を聞いても、俺の手にした白磁のカップの美しさは、珈琲の薫りと旨味に+されちまうのだから、ホント人間って業が深いよな。
俺は心穏やかに美味しく味わうために白磁の値段は敢えて聞かないけどね。
俺が珈琲を味わって居ると笑いが落ち着いたらしいクランベル伯爵は、息を整えてから執事のキースに書類を持って来させて、俺に手渡して呉れた。
まあ、そんな白磁の事など関係なく、、、。
如何やらヒット大佐は、ルドラの義勇兵が撤退したのを確認後、クローバー国の北部の州兵たちと共に鎮圧部隊を侵攻させたようだ。
クローバー北部に住んでいる者の多くは、クローム将軍による宗教革命で旧教徒から国教徒へと改宗したり、ブレイス本国から移り住んだ商人など破落戸が多く、南部に住む旧教徒たちから搾取している側だったりする。
ブレイス帝国議会が選んだ人たちが、クローバー島内の貴族や地主達になり南部を支配していた。
そしてクローバー国の有産階級の多くは、ロドニア等に屋敷を持ち、其方で暮らしている。
クローバー国の貴族や議員などは、ブレイス帝国で公人として認められない為、ブレイス帝国で軍人などになり、皇帝から認めて貰いブレイス帝国で領地と共に貴族や郷紳へ叙して貰う事を目指すのだ。
北カラメルに植民地を得るまでは、クローバー国北部に住む有産階級たちを単なる成り上がりと見て、ブレイス帝国の上流階級の人々は卑しい身分の者たちと蔑んでいたらしい。
まあ、今もだけども。
つう訳で、クローバー島国内で皆一丸となってブレイス帝国と戦うぞって事が出来ない。
だってクローバー国北部の住民は独立など望んでいないのだから。
ブレイス帝国軍は船でクローバー島へ渡り、先ず約5千人の部隊を送り込み、その後約1万人の兵を順次増員して行くと言う。
ヒット大佐から死傷者已む無しの命令が出されたそうだけど、夏場は美しい緑に彩られたサファイアグリーン・ランドと呼ばれていたクローバー島が、凍てつく冬景色の中で赤い血で彩られるのかと思うと、俺は息が苦しくなってしまうのだ。
俺は、報告書を目で追うのを止めて瞼を閉じた。
そして現在、滞在しているオルハン帝国の皇弟の存在を想った。
異教徒であっても各教徒は納税を条件に慣習と自治を認められ、多民族・多文化・多宗教の調和社会が一定程度築かれていると聞く。
リーラム教の寛容性とでも言うのだろうか?
『ズインミー』って言う、貢納の義務と引き換えに自治を認めて庇護を与える制度が在り、オルハン帝国では、ミレット制と呼ぶ。
もしかすると実は、旧教徒や国教徒等と言う信仰の違いで圧力を加えていたのではなく、ブレイス帝国は併合と言うよりも、土地付きの隷属する奴隷が欲しいだけなのかも知れないな。
再度、クローバー国のクロル語使用を禁じさせると言う報告書を読み、オルハン帝国では商用語ではグリシア語、リーラム教ではアラバ語が、クリイム教ではそれぞれのグリシア語・アルニア語・アッリア語、文化教養語ではペルシア語が使われるらしい。
それはそれで面倒そうだけど、国が言語を強制しないと言う考え方は面白かった。
つうか、国と言う考え方も無いと言うから、ブレイス帝国で言う所の緩い同君連合みたいなモノなのだろうか?
クローバー国への残酷な鎮圧の報告書を思い巡らすと、オルハン=トルゴン帝国はおとぎの国に思えて来るのだった。
そんな俺の強張った背中をクランベル伯爵は、暖かい手の平で静かに撫でて呉れるのだ。




