ep3 ニューオーダー
世の中のクリスマス休暇も無視をしてアルバート4世の戴冠式が帝都ロドニアに或るウエストカタリナ寺院で12月の底冷えする中執り行われた。
その盛大な華燭の典は後々まで語られるであろう。
ロドニアに住む人々には大好評だったけどね。
序に妻であるアントニア皇后は締め出されて式典には参加させて貰えなかった。
慌てて滞在先のフロラル王国から帰国したアントニア皇后が不憫過ぎる。
そしてアルバート4世は、アントニアの名前をブレイス国教会の聖公会祈祷書から消すように命じた。
此れって、各国に駐在している大使や外務官たちへ、此の件で嫌味を言って来そうだよね。
遂、そちらに同情してしまう俺であった。
『大変ですな。(お宅のアホな皇帝は。)』
『ハハハ。(頷けるワケ無いだろう!)』
そんな寒い会話を脳内に思い浮かべて、思わず冷え込んでいる気がした居間で、焚かれている暖炉の火の具合を俺は確かめる。
アントニア皇后はノーヴァ公国と縁戚関係のあったツヴァイク公国の公女でアルバート4世とは従妹同士の間柄。
確か、アルバート2世のお后様もツヴァイク公国の公妃様だった筈だ。
国法的にも信仰的にも認められない息子と愛人の関係を心配したアルバート3世が、ツヴァイク公国のアントニアと婚姻しなければ、今後一切借金への援助はしないと、息子のアルバート4世を脅して婚姻だけはさせたんだけどね。
アルバート4世の悪評が高くて、限られた新教国では伴侶のなり手が見当たらなかったらしい。
逝去されたアルバート3世の心残りを広げたような灰色の曇天が明り取りの上窓から見えていた。
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さて、クリスマス休暇で帰って来ているカイル、ケビンたちも揃って、母やエルザ、デイジーとアランも嬉しそうだ。
ホントは、エルザも21歳と良い歳なので、母に伴って貰って父の友人や知人の屋敷にお邪魔して見合いとかもさせたいのだけど、何分レスタード家には持参金が無いんだよなー。
切ない。
エルザは俺に似た金の髪で、あっ、俺じゃ無く母のマリン似だな。
猫の目みたいな金色の丸い瞳で、兄の俺から見ても可成り可愛いと思うのだよ。
俺が「エルザの瞳は金色で可愛い」って言うと、弟のカイルが「エルザ姉さんの瞳は、金色じゃなくて透明な茶色だろ。黄色っぽい茶色?」と言う可愛くない言葉を返して来る。
全くカイルは。
俺が金色に見えるんだから、エルザの瞳は金色なのだよ。
実を言うと俺は、フリップ・ピバートにエルザを紹介したかったのだが、後継者で無いとは言えピバート伯爵家のご子息だし、それに我が家は持参金もないから矢張り無理が或るか、と想い諦めた。
エルザも父に似て生真面目な性格だから、フリップみたいな緩い奴との方が良いと思ったのだけどな。
有り金持って行方不明に成った叔父は、恐らく北カラメル南部にでも落ち伸びたのかな。
赤字に成った商会の穴埋めに投機と言うか投資をするなんて馬鹿だなって思うが、父を心配させない為、金を借りて俺達へ送金していたのかと思うと、叔父を責める気も起きない。
俺もまあ、言いたい事は一杯あるけど、一先ず叔父が無事でいて呉れる事を願っている。
取り敢えずは約3万ポンド近くまでは借金を圧縮し、不動産を売ったり商会で持っていた権利も売ったり、2週ごとに銀行へ報酬を振り込んだりして、借財人名義を父から俺へ変更した当初に交わした契約を今の所は、なんとか履行出来ていた。
まあ、保証人がクランベル伯爵とウィルソン・カステル議員って所で、債権側も素直に納得して呉れたけどさ。
俺が担当しているイラド植民地についての委員会へ商人や金融屋の陳情が多くて、それを聞いて纏めてるだけなのだけど、皆が袖の下を持って来てくれるので、俺的には美味しい部署だったりする。
頼まれた口利きは勿論するよ。
東イラド会社の人や8人の植民地委員たち、そしてトップのクランベル伯爵へ繋ぐだけだしね。
父が望んでいた息子像と大きく外れてしまった生き方に成って申し訳ないとも思うけど、背に腹は変えられないんだよ。
でも案外、此処にいたら、あの大きな負債も返却が出来そうな見通しも立って来ていた気もする。
出来れば蓄財もして置きたいし。
こんな感じで、俺は日々お金の計算ばかりして過ごしているけどね。
1年前、いや、もう2年近く前。
父が倒れて亡くなるまでの怒涛の日々から少し解放されて、俺は神ではなくクランベル伯爵へ感謝の祈りを捧げて、赤々と焚かれた暖炉の近くに集まっている家族たちの顔を眺めていた。
背凭れの或るウォールナットの椅子へ腰を掛け、胡桃色した髪を整えた弟カイルは、俺にボソボソと声変りが終わった声で話し掛けて来た。
「兄さん、僕は王立海軍士官学校へ通おうと思っているんだ。」
「はぁ?なんでまた。学費ならカイルが心配しなくても何とか成るし、勉強も俺よりは出来ているだろ?」
「でも医師に成るならアドミラルの士官学校からでも行けるし、優秀なら医療を実地で学べるから費用も掛からない。その分をエルザ姉さんや妹のデイジーの持参金の足しに出来るかも知れないだろ?」
「そうかも知れないけどさ、カイル。士官学校へ行ったらアドミラルへ入らないといけなくてだな、戦争へ行く事になるんだぞ?カイル。」
ブレイス帝国では軍人に士官以外は徴募制が取られていた。
有力者が行く陸軍と海軍の士官学校では、扱いが違うのだけどね。
志願兵には特典があり、負債をチャラに出来たり給金を前払いで貰えたりして、若い男たちが新たな人生を送る為のバックアップにも成っている。
後は、徒弟制度から一時離脱が出来たりもするし、妻に浮気がバレて、面倒に成って徴募に志願する奴もいるし。
まあさ、志願兵は良いのだけど、特にアドミラルでは欲しい人数に兵が達しないと徴募隊が出張って人攫い?いや、強制徴募に切り替える。
道を歩いてる男が年齢・体格共に兵に向いているって隊長が判断すると、徴募隊が候補者を捕獲し詰所へと連れ去っていくし、植民地では街に居る奴隷や商人を大量に捕獲して船に乗せて行ったりする。
使える水兵が欲しい時は、商船に船首をぶつけて進行を止め、海軍の船から飛び移って強制徴募を行う。
マジで無茶苦茶だから。
一応は、徴募期間を終えると安いが給金を纏めて支払われるけど、こう言う集め方されているから当然のように逃亡兵が出て来る。
それを防ぐ為に期間内は港でも陸地で休めず、乗船した侭、実質は無休状態。
なので偶に船でストライキと言う名の反乱も起きたりするんだよな。
序に戦地で集団脱走とかも起きる。
戦争へ行くより、行く迄が大変。
まあ、戦果を挙げている将校と共に行けば、その部隊で報奨金も出るので、著名な将軍が徴募を行うと現金にも直ぐ兵は集まって呉れるけど、有能な将校は数が少ない。
つまりは、俺の大事な弟カイルが、寝首を掛かれるような場所へ行くのは、お断りって話だ。
「そう言う訳で、俺は賛成出来ないぞ?カイル。」
「でも今までエスニア帝国やフロラル王国、それにイラド方面でも戦って勝っているよね。チャールズ兄さんの言うような反乱ばかり起きていたら、そもそもブレイス帝国は戦争にも成らず負けっぱなしだろ?それにアドミラルの士官学校は、俺達みたいな市民は入るのも難しいから、先ず其処からだよね。チャールズ兄さんに一応は報告だけして置こうと思って話したんだ。」
そう言って、テーブルに置いてあったシンプルな陶器のカップをカイルは手にして、温く成っている紅茶を口にした。
近くで同じテーブルを囲んでいた母もエルザもカイルの希望を知っていたのか、驚く素振りも見せずに、母は解いたオリーブ色の毛糸で編み物を始め、エルザは教会で習ったパッチワークをする手を休める事はなかった。
母のマリンは、俺が父の遺言を無視して、ウィルソン・カステル議員を頼ったと断じてからは、態度が酷く余所余所しくなった。
別に金銭的に頼った訳では無く、ブルームプラム地区に在った前の自宅を売却出来そうだったから、ウィルソン・カステル議員の言葉に甘えて、ハーマー地区に或る此のテラスハウスを借りただけだと説明しても、今一つ母は納得して呉れない。
そして、エルザも母の味方だし、その2人がカイルの肩を持つ。
なんだか報われない気がするよ、俺。
でも、弟カイルの言う通り名も無い庶民が入るには、アドミラルの士官学校は狭き門では或る。
勿論、徴募兵として雑用係や水兵としてならば、大歓迎されるだろうけどね。
士官学校は元々、貴族階級の子弟や由緒あるジェントリの子弟達が、砲兵や歩兵などの一般兵士を指揮する為に作られた場所で、がっちりヒエラルキーを強化していくシステムでも或るので、誰でもウェルカムでは無い。
でも、軍で活躍するのが立身出世の早道なので、建前的には無爵位の人材も募集しているので、ジェントルマン層の子弟からの入学志願者が多い。
特に陸軍は昔から上流階級で士官がぎっりちり決まっているので、貴族やジェントリの嫡男以外の子弟がアドミラルの士官学校へ行ったりしている。
でもアドミラルで士官に成るには、上の人達からの引きも必要なので入るのも難しいし、入ってからも難しいのだ。
と言っても士官学校が創設されたのは、アルバート2世の頃でクリイム歴1702年、今から50年前くらい。
建前的に海軍て呼ぶけど、ブレイス帝国の議会は皇帝が独裁に成ることを恐れて、常設軍を保持する事に今でも慎重で「アドミラルティ」と言う部局を作るに留まっていた。
アドミラルの事務局みたいな形で紛争処理目的で設置したけど、ヨーアン諸国は植民地支配政策で儲けていたし、商船もドンドンと海へ出て行くし。
其処でブレイス帝国議会も植民地政策に乗り出し始めると、矢張り海軍は必要だと気が付いた。
いつも思うけど、行動してから結果的に気付く事が多いよな、ブレイス帝国って。
でっ、哲学者なども交えて紆余曲折あり、アドミラルティ(海軍本部)を置いて、手酷い失敗を重ねつつ、エルドラドを探し七つの海を目指している所かな。
そうなると当然に海や陸地でも争いが始まって、偶に現れる天才将軍頼りの軍て、実は弱い事に気が付き、やっと士官を育てようと思い立ち、アルバート2世がアドミラル士官学校を創設したのだ。
建前で、常備軍は陸海共に相変わらず置いて居ないのだけどね。
今でもアドミラルティの侭だけど、まあ戦時大臣を置くように成っただけでも進歩なのかな?
単独で何処でも恫喝していく東イラド会社って、ある意味で軍事力がヤバいよな。
だけど、そんな東イラド会社って勅許状を与えた皇帝が一番のスポンサーなのだけどもね。
俺の溜息など無縁で、楽し気に下の妹デイジーと末弟のアランはウッドドールで遊んでいて、下の弟ケビンは俺の部屋から持ち出して来た少しだけエロい読み物を熱心に読んでいた。
その本は、クランベル伯爵から借りた奴だからな。
男同士のラブストーリーは、俺の趣味じゃないぞ、ケビン。
家族が揃っている居間で、そう言いたい衝動をなんとか抑えて、上品な母の横顔をそっと覗き見た。
父が亡くなっても泣き言を言わずに、執事のカールソンやメイド長のサンドラと慣れない家計を遣り繰りして呉れている母には申し訳なく思う。
偏に財布を握っていた父が悪いと思うけども。
案外と母や執事のカールソンに任せて於けば、叔父の経営不振も気付けたかも知れないと、終わってしまって如何にもならないことを考えてしまう。
まあ年棒の値下げを切り出したら、辞めて行った家令も叔父の件は気付いて無かったようだしなあ。
今更な話だけどね。
そして俺のたどたどしい説得で、一応はカイルも納得してくれたはずだ。
中庭や街路樹のプラタナスの葉も落ちて外は凍える寒さの12月。
パチパチと燃える暖炉からの温もりと皆が集まっている居間では、その寒さが遮断され長閑に流れる時間の中で、それでも俺は家族と集い合える幸せを想った。
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アルバート4世の戴冠式も無事に終わり、年が明けるとアントニア皇后が病死され、「皇帝がxxした。」等と色々な黒い噂も流れたけど、アントニア皇后の名は消されることなくブレイス国教会で皇后として刻まれる事に成り、概ね穏当な一月も過ぎた頃、クランベル伯爵から呼び出しを受け、大きなタウンハウスへと訪問した。
糞寒いのに面倒な。
とか、俺は全然思っていないよ?多分。
相変わらず趣味の良い調度品に溢れた部屋で、座り心地の良い此のバロック様式の椅子に俺は感心していると、クランベル伯爵が古紫のベルベットで作られたコートを羽織り、純白のクラバットを巻いて優雅な足取りで歩いて来た。
「寒い中、態々すまないね、チャーリー。」
「いえ、いつもクランベル伯爵にはお世話に成っていますので。それで今日は?」
「ああ、そうだった。チャーリーが作っていた提案書は中々に良かったよ。ペルガル地方を入手する為に親ブレイス派を作り、親フロラル派の現太守を追放すると言うのは。」
「ええ、前回のペルガル地方へ仕掛けた内紛でも、フロラル王国との信頼がペルガル太守との間にあったから勝てなかったみたいですし。ブレイス帝国の東イラド会社は余り利益を出せないのでしたよね、アレで?俺から見れば香辛料やイラド綿の輸入で充分な利益が出ていると思うのですけど。そっちの方は俺は専門外なので、言いませんけど。」
「ふっ、言ってるじゃないか、チャーリー。まあ人の欲望には際限がないからね。フロラルの会社が無ければ、もっと利益が大きいと言う結論を出したのだろう。今はプリメラ大陸の方でも同じような会社を作ったから其方にも東イラド会社からの人員を割いているからね。彼等もペルガル地方で思うように動けないんだよ。」
「はあ、ウルダ人を武器と交換して買うんですね。ちっとも減りませんね、ウルダ人奴隷は。」
「簡単に稼げるからね。売って来るのは取引してる国の国王だしね。今はプリメラ大陸で探検家と言う名の採掘師や地質学者を連れて行って、金融機関からの投資を受けて新たな植民地と一緒に鉱山も探しているから、中々に奴隷業と縁を切るのは難しいよ。チャーリーには申し訳ないけど。」
「またクランベル伯爵は思っても無い事を。」
「いや、ちゃんと思ってるよ、チャーリー。そう悪い方へ考えない様に。そうそうチャーリーの考えて呉れたブレイス語や文法のテキストは使い易そうだから、印刷してイラドでのテキストにする事にしたからね。その分の報酬はキチンと支払われるよ。」
「あっ、そうですか。有難う御座います。助かります、クランベル伯爵。」
「ふっ、相変わらず現金だな、チャーリーは。それと今度は枢密顧問官の補佐、詰りは私の補佐をチャーリーにして貰うよ。頼むね。」
「ええー、ソレは、、、。俺は貴族でないから無理では?」
「まあ私の補佐だし大丈夫だよ。一応は陛下に許可を頂いているしね。イザと成ったら裏技も或るからチャーリーは気にしないでいいよ。イラド植民地委員の閑職は、其の侭で名を残して置くからね。」
「え、ええ。」
話は一区切りついたとばかりに、クランベル伯爵は傍に着いていた従者へ珈琲を持って来るように命じて、明るい翠色の瞳を俺に向け、悪戯っぽく微笑んだ。
クランベル伯爵から俺へのニューオーダーである。
俺は右手で額を抑えながら、顧問官の補佐としての仕事の内容と諸注意を、クランベル伯爵へ溜息を幾度も飲み込み尋ねるのだった。