ep16 亥の刻の内緒話
アルバート4世とクランベル伯爵と共に、俺はウィンダムハウス地下の一室で、展示さているエルメール画伯が描いた7点の作品を観ていた。
舞踏会が開かれる時は真鍮の扉が全て折り畳まれ大広間へ変貌するのだけど、今回は3部屋のみ開いて、それでもなお広々とした展示会場を造っていた。
画家エルメール氏は面倒な人で、お子さんを次々と亡くし10年前に妻アドラを亡くされてから自堕落な生活になり、飲む打つ買うの三拍子揃えて投機にも手を出し、挙句の果てに屋敷も工房も手放し超ヤバイ人生に成った。
7人いた子供の内、生存している娘ジュリアが父と4歳下の弟レミーの面倒を見ていた、と言う話をクランベル伯爵から聞いて、俺は思わずジュリア嬢の苦労を想って涙ぐみそうになった。
遂ね、自分の人生がフラッシュバックしたんだ。
俺の場合は、執事のカールソンたちがいたから、家事などの苦労とかをしたことも無いけど、ジュリア嬢はメイドの1人も雇えずに、間借りしていた屋敷で全て自分で熟したそうだ。
そんな話を聞いたら、少しは手助けをしたくなってしまうのが、長男として生まれた男の矜持。
俺は、ジュリアの肖像画を見つつ、アルバート4世が呉れた宝飾品の1つをクランベル伯爵へ売り払って、父親のエルメール氏じゃなく娘のジュリア嬢へダイレクトに渡そう、と覚悟を決めた。
決して、肖像画のジュリアが楚々とした美少女なのに、目が奪われる程に豊かなバストラインを示し、折れそうな細い腰が俺の何かをムクムクと目覚めさせられそうになったからでは無い。
光と混じり合った朱く長い髪に対比する様なエメラルドグリーンの瞳に惑わされたからでも無い。
俺に邪な気持ちは1ミリもない、断じて。
それに、これらはあくまでも肖像画なのである。
俺の表情を見て、アルバート4世がニヤニヤとエロそうな笑みを浮かべているけど、止めて欲しい。
展示された7枚の等身大サイズのジュリアの肖像画を見終えて、重厚な扉を開いてスクリーンを置いた室内に入って行くと、顔色の悪い痩せたギョロ目のオッサンとシンプルな若草色のドレスを纏った清楚なジュリア嬢が立ち上がって、俺達を出迎え丁寧な挨拶をした。
アルバート4世は、鷹揚に挨拶に応えて豪奢な特別仕様のウインザーチェアーへゆったりと腰を降ろし、俺達や顔色の悪いギョロ目の痩せたオッサンとジュリア嬢にも座る様にと命じた。
矢張り痩せたオッサンが画家のエルメール氏だった。
同じ赤毛でもエルメール氏とジュリア嬢は全く違って見えた。
エルメール氏の赤毛は、クルクルとカールしたパサパサとしたトウモロコシの髭で、ジュリア嬢は生命力溢れる艶やかな朱い髪で非常に魅力的だった。
顔色の悪さと言い、エルメール氏は体調が悪いのかも知れない。
クランベル伯爵は色々と気を使ってエルメール氏へ話し掛けているのだけど、何故か爛々と輝かせた薄いグリーンの瞳で俺をジッと注視しているのだ。
何?
ヤダ、怖ェーよ。
俺はジュリア嬢に邪な想いを全く、金輪際抱いて居ませんよ?
俺は、全力でエルメール氏のギョロ目を回避しようと、室内に飾って在る調度品や絵画へ視線を逃していた。
実物のジュリア嬢のバストラインにも腰の括れにも、俺は視線を遣ってませんよ。
此れってさ、娘との見合いじゃなくて父親と俺の見合いだよな。
永遠にも感じられた長い10分間の面談を終え、エルメール親子が室内から退出して行くと、俺の身体からゴッソリと気力が削り取られ、俺はソファーに座ったまま脱力していった。
「どうだったかな?中々に綺麗な女性だっただろう?チャールズ。」
「リアルなジュリア嬢は見て居ませんが、肖像画のジュリア嬢は楚々としていましたね。」
「あははっ!」
「ふふ、エルメール氏は、新たなモデルに目が釘付けだったからね。」
「クランベル伯爵、それって俺のことですか?嫌ですよ、絵のモデルなんて。それに俺はエルメール氏の目が怖くて傍に寄りたくありません。」
「だが、良い絵だったろう。私は一昨年トリアソン侯爵から、彼の絵を見せて貰い、気に入って紹介して貰ったのだ。私も肖像画を描いて貰い、素晴らしい出来に感心した。エルメールは困窮して居ると申すので宮廷画家に任命しようと思っているのだ。なので娘のジュリアと婚姻してもエルメールの負債の事は心配せずとも良いぞ、チャールズ。」
「今はエルメール氏は貴族では無いですが、既に彼の評判は高いので、陛下は直ぐに叙爵されるみたいだよ。チャーリー。」
「いえ、俺は相手に爵位の有無を求めて居ないので。俺も陛下の温情で叙爵されただけなので。そう言う事では無くてですね。婚姻は俺の一存で決めれる問題では無いでしょう。エルメール氏やジュリア嬢の気持ちの確認も必要でしょう?」
「如何でしょうか?陛下、其処ら辺は。」
「ふむ、先ずは大丈夫だと思うぞ、チャールズ。チャールズが気にしているようなので、一応は念の為にエルメールたちへ訊いてみよう。」
「そうですね。チャーリーも、すっかり他人へ気遣いが出来るように成ったのだね。ふふっ。」
「いえ、その、俺には婚姻は荷が重い、、、。」
「さて、此れから忙しくなりそうですね、陛下。」
「うむ、チャールズとジュリアの婚姻式が楽しみではあるな。」
俺の意見を全く聞く気のないアルバート4世とクランベル伯爵との邪気の無い談笑は続いて行く。
まあね。
アルバート4世とクランベル伯爵が薦める婚姻話を俺が断れる可能性は限りなくゼロなのだけどさ。
負債も未だ残って居るし、クランベル伯爵やアルバート4世から見捨てられるのは困るし。
出来るなら、俺は綺麗なカラダになって、嫁を貰いたかったけどなあ。
ジュリア嬢には苦労をさせたく無いけど、婚約する事が決まったら、此れからの事もあるし、一度ゆっくり話し合って於きたいな。
取り敢えずは、父親のエルメール氏を除いて。
、、、あっ、俺の見合い話を用意していた母さんにも、報告して置かないと。
※※※※※※※※
草木も眠る丑三つ時。
では無く、午後22時過ぎ。
アルバート4世の寝室の奥に或る秘密の小部屋で、2人の男はブランデーを揺らしながら、ヒソヒソと話していた。
濃紺の夜着にシルクのガウンを羽織ったアルバート4世が、刺繍をふんだんに施した幾つかのクッションへ身体を預けて、のんびりと寝椅子に座って、右手にブランデーグラスを持ち、琥珀の液体を揺らしていた。
「お疲れだったな、クランベル伯爵。」
「いえ、私は別に。陛下も骨折り、お疲れ様でした。」
クランベル伯爵はブランデーグラスを広げた綺麗な右手で持ち、中指と人差し指の間に硝子の足を挟み、曲げた肘を僅かに伸ばして空中で乾杯をした。
それに誘われたようにアルバート4世も腕を少し伸ばしてブランデーグラスを掲げ、乾杯のジェスチャーをして、クランベル伯爵と目を合わせて微笑んだ。
「コーデリアには悪いが臣下との恋は諦めて貰おう。」
「全く陛下に言われるとは、コーデリア王女も堪りませんね。彼女と婚姻出来なければ死んでしまう、と駄々を捏ねて亡くなったアイスエッジ首相を困らせた方のセリフとは思えませんよ。婚姻歴も或る身分もない旧教徒の女性と婚姻をしたいだなんて。私は父から、その話を聞いた時は呆れて言葉も出ませんでした。」
「若い頃の思い出だよ、クランベル伯爵。まあ、それはそれ、此れは此れだ。チャールズは、画家のエルメールも思わず凝視してしまう程の美しい容姿だ。コーデリアが上せるのも分かるが、今なら幼い恋心と14~16歳に成る頃には思える様に成るだろう。」
「一層、コーデリア王女がチャーリーと接する事が出来ないようすれば良いモノを。敢えてチャーリーと会える場所に置くとは、陛下も人が悪い。」
「あそこ迄、惚れ込むとは思わなかったのだ、クランベル伯爵。グレースの報告で知って、私も慌てたのだ。会わせないようにするのは簡単だが、幼いコーデリアの周囲は敵ばかりなのだ。実の母親を含めてな。せめてもう少し大人に成り判断が出来るようになるまで損得抜きでコーデリアと接して呉れる人間を近くに置いて於きたいのだ。クランベル伯爵が、目付け役でコーデリアの側に就いて呉れると、私も助かるのだけどな。」
「流石に陛下を放って、私がコーデリア王女へ就くと何かと騒がしくなるでしょう。我がクランベル家のモットーを知っているでしょ?陛下。『危険は最小に』ですよ。」
「あぁ、そうだった。しかし、チャールズが婚姻話を断らないと言うクランベル伯爵の判断は正しかったな。エルメールの行動にはヒヤヒヤさせられたが、押し切って話すと何とかなるモノだな。」
「そうですね。まあチャーリーは私に恩義を感じているし、負債を抱えている間は、此方を立ててくれるでしょう。弟たちや下の妹が嫁に行く迄は嫡男として面倒を見る心算みたいですし。」
「それで、私がチャールズの負債を何とかして遣ろう、としたら止めたのか。」
「ええ、そうですよ。ですから陛下は余りチャーリーにモノを与えないで下さいね。チャーリーは小心者だったので陛下から賜ったモノを私が預かっているのですよ。私も一応は計算して仕事を与えているのですから。」
「済まん済まん。ついチャールズが可哀想でな。」
「でもまあ、婚姻の話は丁度良かったですよ。例の噂を消そうとチャーリーの母親が、小うるさそうな人たちから、チャーリーの縁談話を貰って来てましたから。」
「全く、私の何処を見て、同性愛者だなどと思えるのか。なあ、クランベル伯爵。」
「ええ、ホントに。陛下の女性関係の多さを知れば、ウンザリすると思うのですけどね。」
「おい、クランベル伯爵。言い過ぎだ。」
「ふふ、失礼しました。」
更け行く夜の時計の針が動く音を聴きながら、アルバート4世とクランベル伯爵は困った顔をしているチャールズの話を肴に、熟成された香しい葡萄の薫りを愉しむのだった。




