ep12 フリップ不足
母から逃げるようにクランベル伯爵邸に戻り、俺に用意されていた客間の扉をジーンが開いて、ホットミルクを頼み応接セットのアームチェアーに腰を降ろして、溜めていた息を吐き出した。
はあ、なんだか母との距離が遠いよ。
互いに歳を取った所為なのかね、そんな事を想いつつ、クランベル伯爵邸の客間で、俺は新たな年を迎えるのだった。
※※※※※※※
「好きな人でもいるの?」
そう母に聞かれたけど、そんな暇が或る訳ないだろ。
いや、甘酸っぱい想いではあるよ。
16歳の頃、入って来た下級生に。
男じゃん。
はい、男だよ。
仕方ないだろ?
発情期の思春期に周囲は男しか居ないんだから。
文句があるなら年頃の野郎共を寮で閉じ込めるようなシステムを作った奴に言って呉れ。
甘酸っぱい想い出は別にして、俺はウェートン校の思い出は固く封印して、墓場まで持って行く事にしてるんだから。
寮内ルールで外に漏らすべからずってあるしな。
まあ、あの頃の俺が出来た事は、6歳以上歳下の弟たちには、プライベート・スクールへの入学を父に強く勧めて、ブレイス国教会のパブリックスクールへ行かせない事くらい。
俺が割り切るのが得意に成ったのは、偏にパブリック・スクールのお陰かな。
決して感謝はしてないけどな。
もしや男が好きなのかと聞かれたら「ノー」だと俺は言える。
あの甘酸っぱい思い出は、男しか居なかった特殊な環境下だから、脳が誤判断したんだと思う。
思い出の相手より美形なクランベル伯爵邸と接していてもトキメキは無いものな。
それに万が一、好きに成りそうでも無理矢理にでも友情にする自信もあるよ。
此の国って男色に対するペナルティが高過ぎる。
国教会の判断では禁固刑や国外追放も在るし、法律でも当然禁じられている。
公職に就けないだけなら未だしも、本人や身内への世間の風当たりも強いから、恋愛ごとで其処まで犠牲になんて出来ないよ。
こんな此の国の状況だから、母も噂を消そうと俺の婚姻話に躍起に成るのだろうが、それはそれ、此れは此れなのである。
それに俺が色ごと等に思い煩うのは、未だ未だ先の話。
エルザは一先ず片付いてフリップと幸せそうだし、フリップはエルザと婚姻したし、頑張って別家を立てたいって話していた。
今回、参戦するのも軍人として出世したいと思っているのかも知れない。
「僕は余り人に好かれないから議員に向いて無いんだよな。」
って、フリップは苦笑していたけど『地獄のクラウン・クラブ』で集うメンバーたちと話すみたいに議員の集まりでも話せば、人が寄ってくると思うのだけどな。
まあ、俺が馬上で槍や剣を扱うのが苦手なように、誰でも得手不得手があるから、フリップの得意な分野は武術系って奴なのかもな。
エルザに子供も生まれるのだしフリップは無事に戻って来て欲しいよ。
カイルは俺よりも優秀だし要領が良いから、健康さえ気を付ければ何も心配は要らないと思っていたのに、軍人なんかに成ってさ。
ケビン迄が士官学校に受かって居るのは可笑しいと思ってクランベル伯爵に尋ねたら、「ちょっと知り合いに頼んでおいた。」って答えるんだから。
全く何を遣って呉れているんだか。
今回の巡回が試験みたいなモノだって言ってたから、如何なるやら。
38歳に成る前に大佐に成れなかったら退官させられる成るそうだ。
まあ、大佐以上に成ると秘密保持の為、退官させて貰えないらしいけどね。
「士官はソコソコ年金が出るから、歳を取っても安泰だよ」とは、クランベル伯爵の弁。
上官に気に入られると嫁の紹介もあるらしいけど、出来るならカイルもケビンも、自分が好きな相手と婚姻して欲しい。
デイジーには商工ギルドホールでの社交パーティでデビューの予定だったのに、クランベル伯爵がアルバート4世へと俺の妹の事を話し、王宮からウエストカタリナ宮殿での社交デビューの招待状が届いたから、母も身重のエルザも大忙し。
俺がエスコートする心算だったのに却下され、カイルかフリップが帰国したらフリップにエスコートを頼むらしい。
カイルは、兎も角もフリップがエスコートするのは可笑しいと、俺が言うと義兄だから良いのだとか。
クソ、此れも貧乏が、、、。
違うな、あのアホな噂の所為で。
デイジーが何となく俺を疑惑の目で見るのだけども、止めて欲しい。
俺の事を判って呉れるのは、末弟のアランくらいだ。
「チャーリー兄さんは要領が悪いから。」
そうアランに俺は慰められた。
俺とエルザとアランが母親似の金髪で、カイルとケビンとデイジーが父親似の胡桃色の髪をしていて、器用に母も産み分けたなって思って居るのは秘密だ。
父の生真面目な性格はエルザが、商人の外交的な性格はカイルとデイジーが継いでいて、俺とケビンとアランは、抜けている所が似ていると思っている。
弟妹6人で少しづつ、父を分けて受け継いでいると思うと、俺の心が緩やかに綻んでくる。
そして母は父が亡くなって、やっと自ら動くように成ったのかな。
父より16歳も年下だった母は、決断を全て父に委ねている所が合って、父を失ってから俺も心配していたのだけど、ウィルソン・カステル議員やカールソン、サンドラやリリーの助けも合って、変な言い方だけど、母は自分の人生を生き始めた感じがする。
その所為か俺との相性が今1つに成ってしまったけど、此れも仕方がないと、俺は割り切っているけどね。
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二月も終わり、陽射しと共に庭木や芝生にも若い色が付き始めて、春の訪れを感じながら、グリンジット・ハウスへジーンと共に訪れた。
アルバート4世に俺と話がしたいとコーデリア王女からリクエストがあり、俺はポーターに招き入れられ恐る恐る屋敷へと入って行った。
17世紀に建てられた此の屋敷は石と煉瓦と漆喰で造られていた為に、大火災を免れたらしい。
教会や宮殿も古い建物が残って居たのだけど、改装大好きなアルバート4世の発案に寄り、ロドニアの西よりの中心地は教会以外、素敵にリニューアルをした。
このグリンジット・ハウスを改築しなかった理由は1つ、予算が足りなかったってだけ。
いや、良いんじゃ無いかな。
一軒くらいロドニアの中心街に、古式ゆかしいオールドクラッシックな建築物が在っても。
それにコーデリア王女達もずっと此処に住むわけじゃ無いしね。
今改築中のローゼブル宮殿が完成すると其方へ引っ越し予定だし、アルバート4世も一緒に。
ホールからポーターに案内される儘、コーデリア王女の待つ客間へと俺はジーンと共に入って行き、春らしい桃色に繊細なバラの花のレースをあしらったドレスを纏い、傍に立つふくよかで品の或るグレース侯爵夫人と共に俺とジーンを招き入れた。
俺はコーデリア王女達に挨拶をし、促されて美しい刺繍を施した深いグリーンのソファーへと静かに腰を降ろした。
「態々、呼び立てて御免なさい、チャールズ男爵。」
「いえ、コーデリア王女殿下の用がどのようなモノか分らず、少し緊張していますが。俺でコーデリア王女殿下のお役に立てるなら、何時でも喜んで参りますよ。」
俺はコーデリア王女にそう答えて、室内に母親のノイザン公爵夫人と家令のギボンズが居ないことを確認して安堵していた。
3人の侍女らしき女性が室内に待機はしていたけども。
アルバート4世の傍には男ばかりだし、コーデリア王女の傍には女性ばかりだし、俺は少しシャッフルすれば良いのにと思ってしまう。
磨かれた赤褐色の滑らかな木目に細かい彫りと黄金をあしらった重厚な扉は、俺が入って来た時同様に開かれた侭だった。
此の所、俺は室内の扉を閉めていた状況に慣れていたので、気分が何処か落ち着かない。
用意されていた紅茶の爽やかな香りが、丸いテーブルの上に置かれた薔薇を彩った緋色のカップから、室内へと立ち昇っていた。
「あのぉ、エレノーラ1世陛下が恋愛結婚だったと言うお話は本当なのでしょうか?今、戦って居るバンエル王国やロイセン王国との婚姻を断り、アルザ公家のシャルル様を選んだのだとグレースから聞いたのですけど。」
「ええ、本当ですよ。俺がクランベル伯爵から聞いた話だと、エレノーラ1世陛下が5歳でシャルル公が16歳の頃に出会って、一目で恋に落ちたそうですよ。ヴォルフ6世がエレノーラ皇女を溺愛していたので、他からの縁談を断り、娘の想いを叶えたとか。」
「まあ、5歳。私より幼い頃に恋を。エレノーラ1世陛下は大変大人びた少女だったのですね。」
「そうですね。16歳で婚姻されましたから11年間も思い続けていたんでしょうね。シャルル公も彼女と婚姻の許可をフロラル国王から得る為、アルザ公国を手放されるほどエレノーラ1世を大切に思って居られたのでしょう。」
アルザ公の所領アルザス地方一帯は、フロラル王国とオーニアス帝国との係争地でもあったから、戦も無く平和的に領土問題が解決したと思えば、領民に取っては幸いなのかな。
俺からすれば、バンエルのヘンリク2世と婚姻して居れば、今回の戦争は起きてもロイセン王国を抑えるだけで良かった気もするから、ヴォルフ6世の気持ちは余り理解出来ないけどな。
ロイセンのフリード2世は、女性嫌いの男色なので結婚に向かない性癖だからと断るのは分るけども。
世間一般に知られてない事とは言え、皇女の婚姻相手に勧めるなら隣国だし性癖くらい調べるよな?
エレノーラ1世へフリード2世を勧めたと言う宰相は、幾ら何でも良識を疑ってしまう。
まあ、こんなトップシークレットな情報を知っているクランベル伯爵が、特別なのかも知れないけども。
9歳のコーデリア王女には、素敵な恋話に思えるのかも知れない。
臣下貴賎婚は無理だけど、国教以外を信仰している人でなければ、コーデリア王女も恋愛して婚姻出来るから頑張れ、と、俺は応援をして置こう。
もう直ぐコーデリア王女には、アルバート4世から王位継承について説明され、彼女の少女時代は終わりを告げてしまうのだ。
グレース侯爵夫人に、コーデリア王女は頬を赤く上気させ、澄んだアクアブルーの瞳を輝かせて、嬉しそうにエレノーラ1世とシャルル公の物語を語っていた。
それから暫く経つと、オーニアス=神聖ロマン帝国の継承戦争の行方を、コーデリア王女は不安気に尋ねて来た。
俺はコーデリア王女に話して良い事を掻い摘んで説明した。
「ロイセン王国はシュレン地域を占領し、バンエル選帝侯のヘンリク2世は、神聖ロマン帝国の選帝侯達に認められ、ロマン帝国の皇帝に成りました。今は参戦した諸国が話し合っている所です、コーデリア王女殿下。」
「まあっ、ではエレノーラ1世陛下は国を追われたんですか?」
「いえ、オーニアス帝国は元々がマインツベルク家の諸邦なので、其処を全て奪われない限りは大丈夫でしょう。神聖ロマン帝国でのマインツベルク家の血脈は、この度のことで一度閉じてしまいましたが。」
「そうですか。矢張り女性が跡を継ぐと言うのは難しいモノなのですね。」
コーデリア王女は明るい黄色の髪を揺らして、表情を曇らせ、小さな溜息を吐いた。
実は、この最中にエレノーラ1世は、早産であったが2人目の子を出産した。
残念な事に又、女児であったけども。
いやそれは兎も角も、何時、シャルル公とエレノーラ1世はHをしているのだろうか。
あのヨーアン大陸中央地域を大移動したり、各国と折衝したりしているのだよ?
睦事をする暇があった事に驚きだよ。
「凄いよね。」って、あのクランベル伯爵も言葉をなくしていたなんて、よっぽどだよ。
しかし、此れでフリップも帰国して、エルザの元に戻ることに成り、俺は嬉しかった。
俺の息抜きには、フリップの家へ邪魔させて貰うのが一番だしな。
雑談しても、フリップなら議会に諮られる前の事を愚痴っても問題に成らないので、俺も気が楽なんだよな。
今は王宮(議会)から出す手紙の為に6本の道路が舗装されていたが、クランベル伯爵はもっと便利に早くしたいと考え、俺にそのアイデアを出せと冗談みたいな事を宣うのだ。
それとかフラットにする道路税が商店主から評判が悪いから何とかしようって話したり、農地の囲い込みを始めた地域で土地を奪われた人々が請願を出してきたりと、フリップに話したい事が結構、俺も溜まって来ているのだよな。
大きなアーチ形の窓から入って来る春先の柔らかな日差しが、幼い9歳のコーデリア王女の細い金色の長い髪に降り注ぎ、キラキラと反射させ、天使の輪っかを作り出していた。
そして俺の瞳を覗き込むように、コーデリア王女はソファーに座る身体を前に倒して、透明なアクアブルーの瞳を合わせて来ていた。
やばいやばい。
フリップ不足で、俺の愚痴が飽和して、思考が迷走して行っている。
黙り込んでしまった俺をコーデリア王女に心配させてしまったみたいだ。
俺は慌てて咳払いをしてコーデリア王女へと話し掛けた。
俺の迷走を止める為に、フリップは早く戻って来い。
そんな事を俺は春先の日差しの中で願った。




