ep1 取引
クロック大学3年を過ぎた頃、父が病で倒れ、叔父に任せていた商会は多くの負債を抱えて、叔父は行方不明に成り、体調を崩した父と5人の弟妹がいた嫡男の俺は四の五の言っていられなくなり、クランベル伯爵が差し出した藁しべに縋ることにした。
ソレが間違いだと言われても、同じ状況ならば俺は、きっと同じようにクランベル伯爵の差し出す手を取るんだろうなと、「イエス」と彼の藁しべに縋った当時を想い返していた。
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俺の父ジョン・レスタードは牧師の4男で初等教育を終えると、14歳でロドニアに或る商人の下で仕事を学び、17歳に成ると貿易商会から勧められ植民地であるイラド諸島に或るジマリカへ渡り、砂糖プランテーションの事務経理を務めた。
運と商才に恵まれた父はその後に輸入商会を立ち上げ、経営を財を安定させ財を成すと38歳でロドニアへと帰国し、知人の紹介で母と結ばれ、俺達が生れた。
結構な歳だった父は、イラド諸島のジマリカとブレイス帝国の帝都ロドニアを行き来しながら、16歳年下だった母のマリンと子作りを頑張ってみた。
俺、チャールズ・レスタードを筆頭に1歳年下の妹エルザ。
中々その次が出来なくて諦めかけて居ると6歳年下の弟カイルが生れて、7歳下のケビン、11歳下のデイジー、12歳年下のアランと父より16歳年下の母マリンに産ませた。
『根性だよなー』と俺は今更ながら密かに父を尊敬した。
父が根性を出して母と頑張ったのは、幼い俺が病弱だったせいも或るみたいだ。
確かに俺は直ぐ熱を出す子供だったから、親としてはヒヤヒヤだったのだろう。
お陰で俺は本来6歳から通うプレ・ブレッブ・スクール(小学校)の代わりに、厳しいチューターたちを就けられ、鞭&物理で絞られまくっていた気がするよ。
余りに厳して熱ばかりを出していた俺の記憶は朧だけどね。
考えるに俺が年少の頃に直ぐ寝込んで居たのは、元々気合の入らない肉体とあの厳しい教師たちの所為では?と思わないでもない。
俺が13歳に成ってウェートン校へ入学して暫くすると、父はイラド諸島のジマリカで衝撃的な事件に遭遇してウルダ人奴隷貿易廃止運動へ参加するようになった。
暴動を起こしたウルダ人奴隷たちを制圧する為にジマリカで駐留していた軍が一方的に粛清し、拷問していた様子を目の当たりにして、父は奴隷と言うモノの存在を考え始めたのだ。
色や見た目は確かに自分達ブレイス人とは明らかな違いがあるけど、流す血や涙や悲鳴は神が創り給うた我らと同じであると改めて気付かされて、活動を始めた。
そんな時に教会で知り合ったのがウィルソン・カステル庶民院議員だった。
ウィルソン・カステル議員は25歳の時に宗教的転換を齎す霊的な感覚を得、残りの人生を信仰の為に生きると決め、その活動の場を政治へと広げていく事にした。
ウィルソン・カステル議員は議員活動を続けて居る内、同じ福音主義の人達が取り組んでいる奴隷貿易廃止運動を行っているメンバーを、信仰的な指導者であるニューラン牧師から紹介され、話を聞いてウルダ人奴隷貿易廃止推進委員会に参加する事に成った。
『奴隷貿易は道徳的に非難されるべきであり、自然な正義の問題である。』
議会でそう話して「ウルダ人奴隷貿易廃止」を提議したが、多くの議員達に批難を浴び賛同を全く得られなかった。
その後もウィルソン・カステル議員とメンバーたちの活動は続けられた。
そんな折に顔見知りでもあったニューラン牧師の仲介で父とウィルソン・カステル議員が出会い、父もウルダ人奴隷貿易廃止運動に参加する事に成ったのだ
父は仕事の合間に、ウルダ人奴隷貿易の輸出入先情報取集やデーター整理を行い、俺も16歳に成る頃にはバカンスシーズンやクリスマス休暇で屋敷に戻る度に、奴隷貿易廃止の機関誌や議会対策、陳情の書類を手伝わされていた。
我が家には、同じ目的を持ったリベラルよりなトール党関係者や穏健なリバティ党関係者も、訪ねて来るように成っていた。
俺は、随分と後に気付いたけど、両党の関係者は大資産家の父を持つウィルソン・カステル議員からの選挙資金などの援助を期待していた人ばかりだった。
道理で学生の俺よりも作業が出来ない奴等が多かった筈だ。
だって本気でウルダ人奴隷貿易廃止活動をしていた訳では無かったのだから。
そして俺が19歳の頃、多忙に成った父は失業していた叔父へ商会を任せて、ウィルソン・カステル議員と共に奴隷貿易廃止法案を議会で通す為、賛成派を増やそうと社交の場にも頻繁に訪れるように成ったと、妹のエルザが俺へと伝えた。
俺は知らなかったけど、此の1年父の体調は優れなかったようで、それでも確実にウィルソン・カステル議員や父の意見が世に広がり始めていた気がしたので、父は活動を控えなかったと言う。
軈て父が倒れた後、叔父から連絡が取れなくなり執事のカールソンを商会へ向かわせると、叔父の姿が消え、書類等を確かめると赤字経営が続いていて銀行に多くの借入が残っていた。
それを聞いた父がまた動こうとして再度倒れた所へ、俺がクロック大学地区から戻って来たのだ。
クリイム歴1749年。
父が倒れて仕舞った俺には問題が山積みだった。
実は商売に不向きだった叔父がヤケクソみたいに積み上げた3万ポンドの負債と、未だ嫁入り先が決まっていない19歳の妹エルザ。
プライベート・スクール(寄宿学校)に通っている14歳の弟カイル同じく13歳のケビン。
未だチューターから初等教育を受けている9歳の弟アランとカヴァネンスから学んでいる10歳の妹デイジーも居る。
如何する?俺。
ヤバい、金がない。
俺は急いで事務弁護士の人と共に、債権者へ支払いの猶予や分割方法を話し合い、売れるモノは売り払い身軽にしてから、ウィルソン・カステル議員へ現状の相談をし、住める場所の確保と俺の仕事先を紹介して貰った。
それにしても法外な利息の高さよ。
此れって俺が身売りしても返せる気がしない。
債権者たちには、俺も調子こいてヘラヘラと話して居たけども。
父がウィルソン・カステル議員からのキャッシュでの資金援助は断固として断るので、俺としては面倒な事この上なかった。
今はプリメラ大陸に保護したウルダ人を住まわせて教育する為に入手したシエラ地域を整える為にウィルソン・カステル議員の私財を投入している所為もあって父も気を使っているのだろう。
そんな訳で、ウィルソン・カステル議員から紹介されたクランベル伯爵と会う為、彼のタウンハウスへ訪ねて行った。
俺は、色とりどりの薔薇の蕾が開いた庭を抜けて、瀟洒なロココ様式玄関ホールからポーターに案内されて、クランベル伯爵の待つゲストルームへと入って行き、その時、悪魔と取引をしたのだった。
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そして1年後。
ペイズリー柄を織り込んだ臙脂色したウィングチェアーに腰を深く卸して長い脚を持て余すように組み、俺の姿を捉えた明るい翠色の瞳を細めて、クランベル伯爵は端整な顔を綻ばせた。
「やあ、久し振り、チャーリー。父上の葬儀は終わったのかい?」
「はい、クランベル伯爵。お気遣いありがとうございます。ウィルソン・カステル議員から貸していただいている部屋にも引っ越しが済み、片付けも無事終わりました。それと植民地卿就任おめでとうございます。」
「ふふ、有難う。そう、じゃあチャーリーはイラド植民地経営についての委員会に参加出来そうなんだね?」
「ええ、明日14時からですよね?場所はウエストカタリナ寺院ですか?」
「ああ、チャーリーには、迎いを遣るから準備をして置いてくれ。」
「はい。」
俺はクランベル伯爵に頷いて、用意されていた白い磁器のカップを取り紅茶に口を付けた。
此の悪魔は、、、
基、クランベル伯爵は父親が亡くなり伯爵と貴族院の議席を継ぎ、自分の望む法案を通す為、保守系で或るトール党の庶民院議員を欲していた。
クランベル伯爵は、俺が債権者たちを上手く丸め込んだことをウィルソン・カステル議員から聞き、そして父を手伝って書いた機関誌の記事を読み、俺を使えると判断したようだった。
俺が議員に成ることの交換条件で弟たちの学費援助を申し出て呉れたのだ。
亡くなった父は嫌がるだろうが、弟たちが将来何に成るとしてもブレイス国教会の運営するクロック・カレッジへ通って居れば、此のブレイス帝国で生きて行きやすいだろうと思ったのだ。
そして其処で知り合った教授や学生達との繋がりは弟達の人生に必要だろうと俺も実感していたので、父が居なく為った今は是非とも入学させたかった。
クランベル伯爵の金銭を恵んで貰う訳ではなく、俺の働きをバーターとして提供するので、父の嫌う施しには成らない筈だと、俺は自分自身に言い聞かせて納得させた。
全く父は自分で善意を施す癖に、施されるのは嫌だと言う困った性格なのだ。
そんな父の遺言を破れない俺も仕様がない性格だけどさ。
何よりも俺は怖い母さんに逆らえない。
資産家でも或るウィルソン・カステル議員を頼れないのは、父が彼を信仰の師として仰ぎ敬愛していて、「くれぐれも迷惑を掛けるな。」と、倒れる前に俺と母に遺していた手紙に幾度も念押しして綴っていたからで或る。
それさえなければ、俺は遠慮なく思い切り頼ったのになあ。
でも思うに、過労の原因はウィルソン・カステル議員の『ウルダ人奴隷貿易廃止促進委員会』を手伝って居た所為も或るのだから、助けて呉れると言う彼を頼っても罰は当たらないと俺は考えて居たのだけど、母は父の言葉には逆らわない人なので、父からの最期の手紙を読み、その意思を大切にして欲しいと強く請われてしまっていた。
俺は母の願いを聞き入れ、此れからの苦労を想い、溜息を飲み込んでいた。
父が神の御許へと旅立って逝ってから、俺は妹のエルザと執事のカールソンに手伝って貰いながら、父の葬儀を済ませ、細々とした雑事を片付けた。
そしてウィルソン・カステル議員から、「使用していないテラスハウスが在るから」と、格安で貸して呉れた家へ家族で慌しく引っ越し、買い手のついた今まで住んでいた広い屋敷を後にした。
それから、皇帝アルバート3世陛下が逝去された事で選挙が始まり、クランベル伯爵が管理しているラーンと言う小さな選挙区から立候補し、何の問題も無くすんなりと当選して、俺は21歳で保守系トール党の1年生議員となった。
皇帝アルバート3世陛下が亡くなることを見越していたようなクランベル伯爵の準備の良さに、俺はこっそりとビビっていた。
クランベル伯爵は次男だったが嫡男が亡くなり、その後父親が病死した為、28歳で貴族院の議席も受け継ぎ現在の立場に或るのだが、アイスエッジ元首相の弟とクロック・カレッジ時代から交流のあった彼は、その縁で党派が違うウィルソン・カステル議員とも知り合い、交流を深めたらしい。
保守系なトール党の中でも、クランベル伯爵はニュートラルな人だとして知られていて、穏健なリバティ党の人達とも付き合い、議会での影響力を広げていた。
革新的な自由思想のリバティ党議員とは相容れないらしいけど。
アイスエッジ元首相(リバティ党)の9番目の弟アダム・レント氏にも、選挙区を与えて保守系トール党の議席を増やした。
『あるモノは有効活用しないとね』
そう言って、クランベル伯爵は俺へ優雅に笑みを浮かべて見せるのだが、何か良からぬ事を企んでいるような、ただただ胡散臭い感じしかしない。
第一、クランベル伯爵はウィルソン・カステル議員が精魂を傾けている『ウルダ人奴隷貿易廃止法案』も余り真剣には考えていなかったのだ。
俺はてっきり奴隷貿易廃止法案の賛成票要員だと思って、議員になれたことの挨拶をし、それらの議会準備に取り掛かろうとして提案すると、クランベル伯爵は静かな声で俺に告げた。
「ああ、それは会期末に出す議題だから、チャーリーは私が頼む委員会へと参加してくれ。チャーリーも資金が必要だろう。議員なんて報酬はないのだから、稼げる活動をしておかないと借金だけ背負って議員生活が終わるよ?」
「でも、クランベル伯爵はウィルソン・カステル議員の奴隷貿易廃止法案の考えに、賛同していたのでは?早めに法案を提出しないと貴族院で審議する時期に間に合わないのでは無いのですか?」
「勿論、賛同しているよ。だけど、庶民院で碌な審議もされず否決されるのは分っているからね。植民地を得て豊かになっている議員関係者が多い中で、奴隷制廃止になるかも知れない法案を通す訳ないだろ。でも毎回議会に法案を提出しているという事実は大切だから提出させるけどね。どの道、今期は国王も変わり政権もアイスエッジ元首相が増やしていた奴隷賛成派の議員が多い今は難しいよ。チャーリーは一先ず官僚達と話を詰めて置いてくれ。御父上が頑張られていたのは承知しているから、機会が来れば君達に任せるよ。」
てな事を白々とした表情でクランベル伯爵は俺に話した。
確かにクランベル伯爵の話は最もなんだろうけど。
俺に金が必要なのもその通りで合理的なんだと思うけど、呑み込めない異物が喉の奥に引っ掛かったような納得出来ない何かを感じてしまうのは、生真面目な父とウィルソン・カステル議員の厳しい表情が、瞼の裏に浮かんで来ているからなんだろうな。
ウィルソン・カステル議員が純粋な空色の目をして「心の広い良い方だよ。」と俺にクランベル伯爵を紹介して呉れた時の事を想い出した。
ウィルソン・カステル議員と話している時のクランベル伯爵は人の良い笑顔を浮かべていたけど、俺と2人で会話している時は、結構意地の悪い表情をするんだよな。
まあ、それでも俺としては、取引事を違えず履行して呉れているので、クランベル伯爵に何の不服もないけどね。
、、、、ってコトにして、俺は馬車に揺られて秋が訪れる気配を感じながら、ロドニアの街を家路に向かって走っていた。