今度は君を幸せに
誤字報告ありがとうございます。
「リリア・ナイーゼよ。妹君への悪行の数々は聞き及んでいる。
……だが、それも今日までである。証拠は出揃った。
皇太子、カルロ・イル・アスベルトの名に於て、貴様との婚約を破棄し、貴様をナイーゼ家内の部屋に軟禁させてもらうこととする。
本来なら、身分剥奪の末、牢に入れる筈だった。が、被害者である妹君本人の激しい希望により自宅軟禁を望んだことである。
貴様の改心を願って、な。
妹君に感謝し、贖罪の機会を無駄にするな。以上だ」
華やかに飾られた皇宮の大広間。
大勢の貴族たちが見据える中、一人の公爵令嬢は皇太子カルロの方をじっと見ている。リリアである。
対して、カルロの後ろにはリリアの妹アナが控えており、横から顔を少し覗かせている。
その表情は曇っていて、不安げにも見える。
「私はアナを虐めてなどいません。
殿下、私と婚約破棄をしたいのでしたら・・・」
「白々しいな。何を言い出すかと思えば、第一に否定か。他に言うことがあるだろうに。
それに、ただ婚約破棄をしたいが為にこんな大掛かりな捏ち上げをする訳がなかろう?するだけなら幾らでもできる。
私はこのような残虐な行為を好かんのだ。実の妹に手を上げるなど‥‥!!」
リリアの弁明にカルロが途中で口を挟む。彼女の言い訳など聞きたくない、という意志の現れだ。
加えて、怒りでつい語気が強くなってしまった。カルロはハッとなって、冷酷な態度に取り繕い直す。
そんなことでいちいち感情を表に曝け出していたらきりがないし、他の貴族に侮られかねないのだ。
「‥‥いいえ、そのような事実はございません」
しかし、リリアは依然澄ました顔のまま、きっぱりと否定した。むしろ堂々としすぎて、本当に何もしていないかのようだった。
カルロもその気迫に一瞬たじろぐ。だが、話を止めるつもりは更々なかった。ここで終らせたらアナが報われない、と思ったのだ。
リリアに生半可な言い分は通じないと悟ったカルロは、証拠をその場で突きつけることにした。
ここぞとばかりに彼女の悪行を晒し、二度と社交の場に出られないようにする為に。
側に控えていたメイドに予め準備しておいた紙を用意させる。
勿論ただの紙じゃない。リリアがアナにした行為をまとめた証明書だ。証言もしっかりと取ってある。
加えて、複数の小瓶が入った籠も運ばせた。
「ならば、一つ一つ読み上げてやろうか?
……手始めに、妹君の頬を叩き、腹を蹴り、脚で躓かせた。次に、階段から突き落とし、学園内に彼女の悪い噂を蔓延させようとした。加えて、毒を仕込むだけでなく・・・・」
綴じられた複数枚の資料を読み上げ始める。そして、籠の中に入った小瓶を取り出そうとした。
その時、だった。
「もう、もう………お止めください!!」
続けようとする彼を止めたのは……、リリアの妹・アナだ。
震えながら前に進み出たかと思うと、何とか言葉を絞り出したかのように声を出した。
リリアと彼の間に立ち塞がるかのように佇んでいる。
その為に、カルロも話をやめる他なかった。
驚いたかのか声もださずにアナを凝視している。それは単にカルロだけではなく、他の貴族たちも同様だ。
「お姉様は、私に度を超えた悪戯を仕出かしました。
‥‥‥‥ですが、それだけなのです!
他の方にはそのようなことをしておりません!!
それに元はと言えば、私がいけないんです。
私が、考えなしに発言したから…………。
だから、どうかこれ以上の罰はお許し下さい……!!」
アナが今にも泣き出しそうな声で訴えた。
すっかり縮こまっていて、先程よりも明らかに震えている。その様は、見ていて痛々しい。
思い出すことさえ辛いだろうに、とカルロは気の毒に思った。
これ以上は見てられないので、彼女を近くのメイドに預ける。
メイドは会場外に出て介抱しようとするが、アナに掴まれてしまい、その場から動けない。すっかり困り顔だ。
(一介のメイドに抱きつくとは‥‥。余程、怖かったのだろうな。
姉はやはり牢屋に入れておくべきか‥‥。
しかし、そんなことをしては心優しき妹君が悲しむであろう)
カルロはその様子を横目に見た。泥沼化した貴族社会で何と思いやりのある娘だろうか、と心から敬服しながら。
周りで見ているだけだった貴族たちも似たような気持ちを抱いているようで、彼女の勇気に心動かされている者もいる。
自分に危害を加えた相手に普通ここまでするであろうか、と。
だからこそ、カルロはリリアのことをより嫌悪した。
何故、このような妹を持っていて悪に手を染めてしまうのか。
何故、悪事を働いておいてそんなにも平然としてられるのか。
‥‥疑問に思っても、彼には到底理解できなかった。否、しようともしなかった。
目の前に立つ女が変わってしまった。それは彼の心を酷く抉り取った。
詰まるところ、その事実から一刻でも早く目を背けたかったのである。
誰だって良かった思い出はそのままにしておきたい。それはカルロも同じだった。
原因を考えれば考えるほど、彼の中でリリアとの思い出が汚されていくかのように感じて嫌だった。
だから、理解することを諦めたのだ。そうしたら過去のことは汚されずに済んで、楽になれたから。
「‥‥‥よかろう。妹君に免じて、リリア・ナイーゼの件についてはこれにて終わりとする。異論はないな?
ただし、軟禁だけは免れん。今すぐ連れ帰れ」
言い聞かせるように聴衆に問い掛ける。リリアの方は見ない。
ヒソヒソと陰口を叩いていた者も皆黙りこくり、会場は一気に静まり返った。
皆の視線がカルロへ集中する。だがすぐに、それは本日の主役であるリリアへと向けられた。
「いやっ、‥‥‥!」
リリアが声を上げて抵抗しようとするも、控えていた女騎士たちに虚しく拘束された。わざわざ女騎士を呼びつけたのは、カルロなりの些細な優しさだった。
リリアは先ほどの落ち着きが嘘のように冷静さを欠いている。
何かに怯えきった様子で、視線はある一点に釘付けになっている。が、誰もそれには気が付かない。
群衆は良くも悪くも、彼女の醜態をただ眺めているだけだ。きっと今後、話の種にしばしば引っ張り出されることだろう。
大勢の悪意に晒される中、リリアは女騎士たちによって会場の外へと連れて行かれる。
彼女は最後まで諦めることなく、か細い声で必死にもがき続けた。何かを訴えているかのようだった。
「あの家にだけは、閉じ込めないでっっ…っ」
しかし、その声はカルロの耳へは届かない。無情にも扉の閉まる音に掻き消されてしまったのだ。
どこか釈然としない幕引きに、カルロの気持ちは終ぞ晴れることはなかった。
◆◇◆
事件は翌朝突然に起こった。
(………?何か硬いな)
背中に痛みを感じ、カルロがハッと目を覚ます。手に意識をやって、眠る所をそっと触れてみる。
(やはり、硬い……。眠っている間に床にでも落ちたか?
絨毯が敷かれていたはずだが、、、)
自分の間抜けさに呆れつつも、落ち着いて思考を巡らす。
一つの結論に達した時、遂にその目を開けた。すると、慣れぬ天井が視界に飛び込んで来た。
「…………は!?ここは何処だ!!」
思わず泡を食うように跳ね起きた。控えめに掛けてあった布団がヒラリと宙を舞う。
思わず眉を顰める。
(何だ、コレは‥‥‥‥?)
カルロが無造作にその布団を持ち上げた。いや、布団というよりかは薄汚い布の方が相応しい。
質の悪く、よれた布は皇太子であるカルロには到底釣り合わない程で、不愉快極まりなかった。
おまけに、硬くて粗末なベット。カルロはそんな所に眠っていたのだ。
(誘拐された、のか?)
そう考えても何ら可笑しくはない状況だった。辺りは窓さえなく、とても貴族が住むような所とは思えない。
薄暗く、小汚い。貧民が住むような、みすぼらしい部屋だ。
だが、ふと身体に違和感を覚える。いつもより気怠げで、カルロの思うように体が動かせない。
が、すぐにその原因は分かった。
「…………どういうことだ、?」
思わず呟く。見下ろすと、彼の胸部に膨らみが二つ。それだけでなく、女性らしさを感じられる丸みを帯びた肌が服の裾から顔を覗かせている。
そこから導き出せる結論は――――。
「お嬢様、起きてます?」
カルロが一つの考えに思い至ろうとした時、不意に扉が開いた。実にタイミングが悪い。
あろう事か、ノックさえもしていない。
パッと、音のした方を見やる。
使用人と思しき女だ。やけに素材の良いメイド服に身を包んでいる。
(この身体の給仕係か?こんな汚らしい部屋に?)
カルロが小首をかしげた。まだ、何が起こるか予測不能である。
大人しく女の様子を観察する。こんなことで下手な行動は取る訳にはいかないのだ。
やがて、侍女がゆっくりと近付いて来た。その手には桶が抱えられている。チャプチャプという音が辺りに鳴り響く。
顔でも清めてくれるのか。カルロがそう考えた時だった。
「………………!?!?」
前触れもなく、突然カルロは肌寒くなった。ポタポタと、彼の毛先から水滴が滴り落ちる。
薄い生地の服も湿り、透けて見えている。
頭から桶の水を掛けられたのだと、漸くカルロの理解が追い付いた。
「な、貴様、何をする……!」
カルロが怒気を孕んだ声を女に向ける。目の前で嗤う女を、濡れた顔のまま睨みつける。
「何を………って、決まってるじゃないですか。今のお嬢様に相応しい姿にして差し上げたのですよ?
とーーってもお似合いです!!………!と、言うか、」
女はクスクスと笑いながら、カルロの長い髪を力任せに持ち上げた。
「何ですか?その、生意気な態度は!?
貴方ごときが反抗的な態度を取るなど、到底許される行為ではありません!!ご当主様方に報告されたいのですか!??」
先程の様子から一変し、女は怒鳴り散らした。彼には何を言っているのかが、まるで理解できなかった。
苦痛で顔を歪める。
「ハッ、いい気味ね」
女が嘲るように笑った。
カルロはようやく痛みから解放された。女が手を離したのだ。水溜りの出来た地べたへと無造作に転がる。
辺りは臭く、カルロは鼻が曲がりそうな気分になった。掛けられたのは単に水でなく汚水だったのだ。
女が濡れた手を払う。「汚らしい」と呟いて。
それから、やっと満足した様子の女が踵を返した。部屋から足早に出て行こうとする。
が、カルロはそれを見ていることしか出来ない。
あっという間に女が部屋の外へと出る。カルロを闇の中へと放り込むかのように、扉は無情にも閉ざされた。
(嗚呼、静かだ)
漸く訪れた静寂の中、カルロは昔のことをしみじみと思い出していた。家族のこと、使用人のこと、友人のこと、それから―――初恋の人のこと。
それは過去に遡る。
カルロがまだ幼い頃、勉強が嫌になって、何度も何度も隙を見つけては王宮から抜け出していた時期があった。
ひたすら知識を詰め込んで実践しては、事ある毎に注意される毎日。取るに足らない灰色の世界。
そんな窮屈な場所から逃げ出したくなったのだ。
皇宮から出さえすれば、少しの間だけでも自由になれた。街に降りれば、殆ど誰も皇太子など気付かない。
その時だけは自分に翼が生えたかのような気分になれた。何処へでも行けそうな、そんな気持ち。
両親だけでなく、使用人からも手に負えなかったと今では自覚している。
カルロが真剣に勉強を取り組むようになったのは、些細な事がきっかけだった。
ある日、皇宮から抜け出したカルロは、何を思ったのかいつもより遠くの街へと向かった。
その先で出会ったのがリリアだった。
初めて行く街で土地勘のないカルロ。そんな彼に、無邪気な笑顔を浮かべて「街を案内してあげる」とリリアは言った。彼の手を優しく引いて。
少女に流されるがままに街の中を歩き回った。肩書など関係なく、まるで友人のように。
感情を惜しみなく全面に出し、明るく、心優しい彼女。
彼女が貴族の令嬢だと知ったときは大層驚いたものだ。
同時に、何故彼女が一人なのか疑問に思った。
その時は聞けなかったが、時々見せる彼女の物憂げな表情には心が締め付けられた。
いつかリリアを迎えに行こう。その気持ちは、まだ年端も行かない彼にやる気を与えるには十分だったのだ。
あの頃のリリアは純粋で、優しく、天真爛漫な女の子だった。
それが、あんな―――――。
嫌なことを思い出しそうになり、カルロは過去を振り返るのを一旦止めることにした。
兎に角、今はこの状況を把握する必要がある。
そんなことを考えていると、偶然にも濁った水溜りへと目が行った。
薄暗い中、自分の姿が水面に浮かぶ。見たことのある顔つきだ。
「‥‥‥‥!?」
再び衝撃が走った。見たことがあるどころではない。
愕然として声が出なくなる。なぜならば水面に映る女性は‥‥‥‥、
――――カルロのよく知るリリアだった。
汚水の臭いなども気にせず、水溜りに顔を近づける。
それから顔を触ってみたり、湿り気のある髪をつまみ上げてみたりした。
(やはり、リリアだ。間違いない)
そう確信した途端、嫌な予感がカルロに押し寄せた。冷や汗が頬を伝う。
が、これまでの行動を考えれば当然の仕打ちだ、と自分を納得させた。自身の判断が間違っていたことなど考えたくもなかったのだ。
むしろ、リリアが本当に悪女であって欲しかった。そうであれば、彼の行き場のない気持ちもすっかり消えてなくなってくれるだろうから。
(何故、私がこんな目に‥‥‥)
情けなさと、やるせなさでどうにかなりそうになる。
カルロは座り込んで、答えが出る訳もないことを延々と考え続けた。
そうしていると、再び扉が開く音がした。カルロがそちらをちらりと見る。
その人物にはよく見覚えがあった。彼女は俯いていて表情が見えない。
「アナ・ナイーゼ嬢!」
思わずカルロが叫んだ。目の前に立つ彼女はリリアの妹アナだったのだ。
ふらつく身体で立ち上がり、近付こうと試みる。彼は、アナに仔細の説明を求めたかったのだ。
が、様々な感情がごちゃまぜになっているカルロが、いつもとは違うアナの様子に気が付く筈もない。
「‥‥‥‥のよ」
アナがボソリと呟く。耳を澄ませばやっと聞こえるくらいの声量だ。
が、カルロははっきりと聞こえてしまった。
「今、何と?」
思わず聞き返す。聞き間違えだと思いたかった。いや、そうでなくてはいけないのだ。
彼女の次の言葉を待って、カルロはアナを凝視した。
それから、暫く黙り込んでいたアナが遂に顔を上げる。
薄暗い部屋からでも分かるほど、その顔は歪みに歪んでいた。
その瞬間、カルロは何かを察してしまった。
が、アナはそんなこと知るはずがない。
「なぁに、貴女なんかが、私の名前を軽々しく呼んでんのよって言ってんの!!汚らわしい!!」
口を開けたと思えば、暴言が飛び回った。
そこにカルロの知るアナなどいない。
「‥‥‥‥何故、だ…………」
カルロが思わず言葉を漏らす。
信じて疑わなかった決断が間違っていたという事実に、頭の中が真っ白になった。
自分の手でリリアを傷つけ、裏切ってしまった。
どうしてこんなことになってしまったのか。自責の念に駆られて堪らなくなる。
溢れんばかりの後悔がカルロに押し寄せてきて、今にも呑み込まれてしまいそうだ。
カルロは呆然と、その場に立ち尽くした。ぐちゃぐちゃの感情を整理しようとしているのか。
が、アナがそれを呑気に待ってくれる筈がない。
カルロの言葉の意味を勘違いしたアナは、畳み掛けるようにしてカルロの心の傷をえぐり込む。
「決まってるじゃない。軟禁された貴女を笑いに来たのよ!
うけるわぁ。頼みの綱のカルロ様さえ気付かないなんてね!!笑い堪えるのに必死だったわ」
「騙したのか・・・?」
依然として、彼女はあからさまにクツクツと嗤っている。
カルロの疑問には答えない。否、今の彼女には聞こえてさえいない。
「俺を騙したのか、って言っているんだ!!」
カルロが怒鳴り声を上げる。体を震わせ、拳を強く握りしめながら。靭やかな掌に爪の跡が出来そうなほどに。
アナへの敵意と殺気が剥き出しだ。
あまりの迫力にアナが一瞬たじろいだ。が、見る見るうちに憤怒に顔が燃えた。
遂には、こちらへズンズンと向かってきた。
「‥‥‥‥‥ッガ!?」
この身体では反応する暇もなく、突然腹部に激痛が走った。
――――蹴られたのだ。
思わぬ痛みに悲痛な声を漏らす。
痛みに腹を押さえ、地面にうずくまりながらカルロはアナを見上げた。対するアナは見下すかのような視線でリリアを眺めている。
そこに優しさなどはなく、冷ややかな怒りの感情のみが見て取れた。
「何なのその態度、気に入らないわ」
吐き捨てるように冷たく言い放った。すっかり衝動も冷めたようで、彼女は踵を返して部屋から出て行った。
バンッと、勢い良く扉が閉まる音が部屋に響き渡る。
が、既にそこには静寂しか残っていない。
「ハ‥‥ハハ‥‥、ハハハハハハ‥‥」
誰もいなくなった部屋でカルロが一人笑い出した。
笑いしか出てこなかった。何かが崩れ落ちていく音がする。
‥‥‥全て、偽りだった。上辺だけを信じて、自身の愛する人を信じてやれなかった。
(何が、皇太子だ‥‥‥‥。愛する人ひとりも守れずに)
気がつけば、一筋の涙がリリアの頬を伝っていた。そこに皇太子の姿など見る影もない。
アナが軟禁を願ったのは決して同情心からではなかった。リリアという玩具で遊ぶため――――。
(嗚呼、もう何もかもが馬鹿馬鹿しい)
全てを諦めかけたその時、扉がまた開いた。が、カルロは全く気が付かない。たとえ気が付いたとしても、抵抗する気力もないだろう。
大人しげなメイドは周囲を見渡しながら、コソコソとした様子で部屋の中へと入り、扉を閉めた。
リリアへと近付いてくる。
「お嬢様‥‥っ、大丈夫ですか?」
尋常でない様子のリリアに横から話しかける。カルロは笑うのを止め、メイドへと目を向けた。
眺めるだけで返事はしない。
リリアの様子を確認するなり、メイドは彼の傷口に何かを塗りつける。塗り薬だろうか。
「今日はいつもよりましで良かったです‥‥。
昨夜のことで溜飲が下がっているのでしょうか」
「だれ、だ、貴様、は」
メイドの言葉に、やっとカルロが反応した。
「お嬢様‥‥‥‥。やはりショックを受けてらっしゃるのですね。ずっと信じていらっしゃった皇太子殿下にまで捨てられたのですもの。無理もありません」
「‥‥‥‥‥」
いきなり図星を突かれ、カルロは再び黙り込んだ。他人に言われることは、自分で思うよりも遥かに堪えた。
心臓を貫かれたような気持ちになる。が、
「ですが、私だけはあなたの味方です」
突然のことだった。手が汚れることも厭わず、彼女はリリアの手を包み込んだ。その瞳に一切の淀みはない。
(良い、味方を側に持ったのだな)
染み染みと思う。自分のような愚か者でなく、心から信頼できる人間に。
自然と頬が緩んだ。糸が切れたかのように安らかな表情になる。
彼女は何も言わずにリリアを介抱した。涙を堪えているようで、表情が強張っている。
「‥‥‥名前は?」
ふと、そんなことを尋ねる。これまでリリアを支えてくれた恩人のことを知りたくなったのだ。
「『アリー』です」
何も聞かずに答えてくれる。リリアのことを考えて、気持ちを汲んでいるのだろう。
「アリー、か。いい名前だな‥‥。ありがとう」
穏やかに微笑んだ。
アリーも優しく微笑み返してくれた。
◆◇◆
(リリアは、幼い頃から虐待を受けていた‥‥)
アリーが部屋から去った後で、カルロはひとり考えていた。ギリッと歯軋りする。
アリーの話によると、リリアは政略結婚で生まれた子供で、親から無関心な状態で育った。
寂しい気持ちを紛らわす為に、リリアはよく外に出てひとりで遊んでいた。
アリーはそんなリリアをいつも側で見守っていたのだ。誰にも気取られないように。
が、その後、リリアの実母が事故死したことで歯車が狂い始めた。リリアの実父は待ちに待っていたように新しい妻と義妹を連れてきたのだ。
その結果、リリアが虐められるのに時間はかからなかった。義母からいびられ、義妹からも虐められた。父は何もせず、ただ見ているだけ。
そうしていると、ある日から、表情が表に出ないよう、訓練とは名ばかりの過酷な仕打ちを受けるようになった。
反対したメイドたちは皆揃って義母たちに執拗な暴力を受け、最後には精神を病んでしまった。
が、アリーだけは、どんなに辛くとも従順なフリをし続けた。自分まで居なくなったら他にリリアを支える人間は居ない、そう思ったから。
王家から皇太子との婚約の打診があった時、最初は怯えていたリリアは、顔合わせをして初めて喜んでいた。
しかし、ある日突然、アナが自分のほうが相応しい、と言い出したのだ。父も流石に宥めていた。が、義妹と義母で計画を立てた。噂を流したり、他の人の前でけしかけるなど、姑息な手段でリリアを悪女に仕立て上げたのだ。
そして、見事にカルロは騙された。
リリアの口癖は「殿下が信じてくださるから、私は大丈夫」だそうだ。
最後まで信じてくれた相手を裏切った。
確かに、よく考えてみたらヒントはいくつも散りばめられていた。
たまに見せる怪我に、リリアの訴えるような視線。家のことを一切話さなかったり、「信じてください」という言葉の意味。
が、彼女を始めから疑ってきちんと見ていなかった。
(私が今からすることは、罪滅ぼし、になるのか?)
カルロはひとり考えた。全てを諦めて自暴自棄になっている場合ではない、と。
「私が、全てを暴いてやる」
それが彼女への償いになるのなら、今世だろうが来世だろうがやってやる。そう思った。
◆◇◆
リリアの朝は布団を取り上げられて始まった。
「朝から寝坊ですか!?お嬢様〜〜!」
疲れ切って死んだように眠るリリアの耳を引っ張って、無理やり起こされる。
そもそも、疲弊の原因はショックもあったが、メイドたちの嫌がらせにもよる。
何度も訪れては暴行を加えた。
汚水のままでは部屋が臭う、ということで汚い雑巾を投げつけられた。
風呂に行くことを懇願すると、目の前に桶いっぱいの冷水を置かれた。
おまけに、食事も酷かった。最低限は与えられるものの、残飯のようなものばかりだ。
軟禁されるまでは平民の食事程度で済まされていたらしいが、何せ外に出られないのを良い事に扱いが更に酷くなったようだ。
しかし、カルロは甘んじて受け入れた。抵抗せずに、ひたすら耐え続けた。
それが自身への天罰だと思ったから。
結局はリリアの身体が限界だったのか、気付いた頃には眠っていた。
なけなしの布団を掛けてくれたのもアリーだろう。
が、そのままやられる訳にはいかないなかった。
カルロは用意を着実に進めるつもりなのだ。リリアの為にも。
そんな中、アリーがリリアの元に訪れてきた。
「上手く、いきましたか?」
カルロが尋ねる。
実は昨日、アリーに頼み事をしたのだ。便箋とペンを持ってきてくれ、と。
それから受け取った紙に手紙を書いた。宛先はカルロの側近のブレイン・スラストだ。
加えて、街のとある所まで持っていくようお願いした。裏郵便局だ。
裏郵便局を簡単に言うと、多額な金銭さえ出せば、どんな場所でも届けてくれる所である。何度かカルロも依頼した。
本来、アリーには金銭の支払い不可だが、カルロという伝がある。合言葉とカルロの所持品さえ見せれば聞き入れてくれるだろう。
請求が後日カルロにいく形だ。
幸いにも、リリアの部屋にはカルロが過去に渡した指輪が隠されるように置かれていたのだ。リリアの瞳になぞらえたピンクダイヤの宝石が埋め込まれた指輪。
アリーが頷く。無事に成功したようだ。
取り敢えずはブレインからの返事が来るのを待つ他にない。コレは賭けだ。
信じるか否か、それによってカルロの運命は決まる。
カルロの書いた手紙の内容は、自身がここにいることと、リリアが冤罪だったことについてだ。
証拠としてカルロとブレインの間で取り決めた合言葉も記している。
それで彼は信じてくれる、カルロはそう確信していた。
◆◇◆
今日も一日が始まろうとしていた。なんの変哲もないリリアの日常だ。
が、朝早くから屋敷内は大騒ぎだ。
「〜〜〜なのよ!」
カルロが目を覚ます。メイドたちがバタバタと騒がしい。この声はアナの声で間違いないようだ。
(‥‥‥何だ?)
カルロは部屋でひとり、不審に思った。自分は特に何もしていないにも関わらず、何かが起こっている。
そう考えていると、リリアの部屋が勢い良く開いた。アナが肩で息をしている。
怒りに顔を歪め、目は血走っている。
「あんた、何かしたの!?」
「はて、何の話ですか‥‥‥?」
内心何事かと困惑するカルロ。そんな様子を見て、アナが続けた。
「私たちのしたことが事細かにバレてるのよ!!どうしてくれるの!?」
「何を仰っているのか‥‥‥。
私はずっと、ここから出ておりませんが」
何が起こったのか本当に分からない。ブレインが何かしたのか?そう思った。
それでも、本当にカルロは何も知らなかった。疑われる言われはない。
「あんた以外に考えられないのよぉ!!でないと、あんたは無罪で、私たちが捕まる意味が分からないわ!!」
「ねぇ、被害妄想。止めてくださる‥‥?
自業自得ではないでしょうか??」
つい、本音が少し漏れてしまった。口を押さえてももう遅い。
アナが目を見開いて、肩をブルブルと震わせる。そして、遂に―――――
「ふざけるなああぁぁぁ!!」
何かが頭の中で切れたようだ。
絶叫にも怒号にも似た声で、勢い良くリリアの方へと突進してきた。
錯乱状態の人間など、行動パターンが読める。
リリアの身体でも避けられそうだ、とカルロは思った。すんでのところで躱そうとする。
が、その時、
「ガッ」
胸の辺りがやけに熱くなる。そこからジワジワと広がる痛み。
口元を手で押さえると、ドス黒く染まった赤い絵の具が掌にたっぷりと付着している。
(何が起こった!?!?)
慌てて胸元を見ると、異物がリリアの胸を深く深く貫いていた。
目を見開く。アナに刺されたのだ。否、アナはナイフなど持ってはいなかった。
が、そんなこと今はどうでも良かった。
嘘だ。カルロはそう思いたかった。
(まだ、私にはするべきことが‥‥‥‥)
視界がゆっくりとぼやけていく。痛みなど気にならなくなっていく。
そうして、リリア・ナイーゼの今世は幕を閉じた。
誰が何をしたのかも分からないままに。
◆◇◆
「はあっっっ!!」
息を吹き返したかのように、カルロは物凄い勢いで飛び起きた。思わず胸の辺りを押さえる。
が、痛くも何ともない。
「夢、か‥‥‥‥?」
呆然と呟く。しかし、夢だとは到底思えないほど現実味を帯びた出来事だった。
あの感覚がまだ脳裏にこびり付いて離れない。初めての死の感覚。
思い出すと、震えてどうにかなりそうになった。同時に、あのことが現実だと実感させられる。
やっとのことで、カルロは何とか恐怖を落ち着かせた。
漸く辺りを見回す。
そこは、馴染みのある自室だった。いつもカルロが寝起きしていた所だ。
が、置かれている物といい、何かがいつもと違う。
思わず頬をつねった。ぷにっとした感触だ。
訳が分からなくなり、近くの鏡を見た。すると、思わずベッドから転がり落ちそうになった。
何故ならば、カルロの姿は幼い子供のそれだったったのだ。しかも、年齢的に見れば八歳かそこらの年頃だ。
リリアとカルロが初めて出会ったのも、確かそのくらいだったと記憶している。
(と、時が戻った、のか‥‥‥?だとしたら‥‥)
息を呑む。
カルロにはやりたいことが幾つもあった。リリアの実母の死因の洗い出しに、ナイーゼ家の調査、あの日何が起こったのかの捜索だ。
そして‥‥‥‥‥‥、
―――――今度こそは、君を幸せにしてみせる。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
これより下方にある☆☆☆☆☆に色をつけて
応援して下されば今後の励みになります。
よろしくお願いしますm(_ _)m
こちらのリリア視点のお話もございますので
ご興味ありましたら合わせてご一読下されば幸いです。
話の内容がより深まるかと思います。
只今「ヒロインの座、奪われました」連載しております。
もし、興味を持っていただければ少しでも覗いていただけたら嬉しいです。