4/28-③「籠めぐる龍たち」
―決勝戦。
体育館は静寂で満たされていた。嵐の前の静けさ、という程度のものではなく、天変地異の直前に訪れる時空の歪みとでも呼ぶべきものであった。
ここまでのスコアは30対30と、互角も互角。そして訪れる4Q、二頭の竜がコート内で睥睨し合っていた。その眼差しに含まれているのは、敵意ではなく、業火よりも熱い、互いへの熱意であった。
「宇治山。俺さ、バスケ部のヤツらの眼を醒まさせてやりたいんだ」
洗練された貫禄と感覚を研ぎ澄ました龍が、口を開く。
「そっか。それで?」
純真で溌剌とした生命力を発散させんとする辰が、それに応える。
「俺たちも、俺たちを見ている人も、全員がアツくなる試合にしようぜ」
龍の名は、和田龍狼。
「当然!」
辰の名は、宇治山辰巳。
これが、勝っても負けても最後の試合。色恋先輩との激戦を経て疲労困憊の私は、おそらくこの試合はサポートに徹するしか出来ない。敵クラスも、和田以外には目ぼしい選手はいない。
しかし、準決勝のときのようなダブルチームを和田に敢行するにしても、彼に付け焼刃の戦略は通用しない。いとも簡単に打破されるだろう。
ならば、どうするか。答えはシンプルだ。
かくして、今大会の画竜点睛は、二頭の竜に託された!
―4Q開始のブザーが鳴った。
二年八組のオフェンスが始まり、ボールはすぐさま和田に託され、宇治山君との一騎打ちに――え?
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
リングを叩きつける強烈な音の直後、会場中が歓声を上げた。それらを背後にして、宇治山君は茫然と立ち尽くしていた。余りにも獰猛で、鋭く閃くそのドライブが宇治山君にその姿勢を強制していた。
最初の竜どうしの衝突は、龍に容易く軍配が上がった。だが―
「宇治山君、大丈夫?」
「すげぇ……」
私の心配を他所に、辰の生命力は、より鮮烈にその輝きを増していた。それを見て私は思わず微笑んだ。
宇治山君には悪いが、かなりの実力差があるのは承知の内だった。だが、いいのだ。この試合での宇治山君の命題は、和田に勝つことではなく、立ち向かい続けることなのだから。
和田の鮮烈な先制点のあと、我々のオフェンスが始まった。相手陣地までボールを運び、私は宇治山君にパスを出した。またしても、宇治山君と和田の一騎打ちである。
宇治山君が右に鋭いドライブを繰り出すが、進行方向を和田に遮られて相殺される。そこから、ロールやクロスオーバーでの揺さぶりを試みるも、通用せず私にボールが還ってきた。結局、ゴール下での井上の強引なシュートでなんとか点を返した。
そして、以降も和田と宇治山君の一騎打ちは、終始、和田優勢で展開された。オフェンスでは、最低限の駆け引きしかせず、ドライブ一辺倒なのにも関わらず、全てを貫き通すようなその威力で宇治山君を置き去りにし、ディフェンスでは、城壁を幾層にも重ねたような堅牢さと圧迫感で宇治山君に仕事をさせなかった。
和田と宇治山君の幾度とない一騎打ちに牽引され、試合展開は徐々に速度を上げ、何度も攻守が変わった。だが、試合時間が半分を過ぎ、八組に七点差をつけられた頃には、流石の宇治山君の表情も徐々にくすんで――
「はぁ…はぁ……もう一本」
―いなかった。くすむどころか、より一層の純度と蒼さで光るその眼は、しっかりと和田を見据えていた。私はその眼に身震いさえした。
私たちのオフェンス。ボールが宇治山君に託された。彼はボールを持って腰を落とし、和田と向かい合う。
鬱蒼と茂る木々の奥深くの湖面のような静寂が注がれ満たされていた。
二頭の竜が互いに切らす息のみが、小さく波紋を立てるように会場の空気を揺らす。
会場中にある五感の全てが宇治山君が持つボールに注がれた時、その湖面に何者かが巨大な岩塊を投げ込んだ。
「タツミぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!!!!!!」
しかし、その幼い声に気付いたのはごく一部の者だけであった。
「崇高な四次元存在である僕に勝ったんだろ?だったら、ワダにくらい勝って見せろ!!」
背後から聞こえてきた、その可愛げのない男児の声に宇治山君は振り向かないまま微笑んだ。そして、和田も。
細く息を吐き、宇治山君がボールをつき出すと同時に、和田を抜きにかかった。だが、それはさっき通じな――ん?
宇治山君が和田を一瞬だけ抜き去っていた。しかし、すぐに追いつかれ、打とうとしたシュートを叩き落されてしまう。
和田はすぐに自陣までボールを運び、フリーでシュートを放とうとした。そのシュートは綺麗な弧を描いてリングに吸い込まれ――あれ?
宇治山君が和田に追いつき、放たれたボールに手を伸ばしていた。しかし、その手はわずかに届かず、得点が入ってしまう。
だが!
「宇治山君……?」
また和田に敵わなかった宇治山君だが、何かが違う。
そして、そこからタイマーが進むごとに、宇治山君が和田に追いつかれない時間が増え、和田が宇治山君に追いつかれる時間が増えた。本当に微かな、僅かな、増え方。
しかし、それは紛れもなく「成長」であった。
「はっはっは、宇治山!やべぇな、お前!!!」
「ははっ、君に言われたくないよ」
竜たちが笑った。
―残り二分。竜たちの祭典はここからが本番だった。
二頭の衝突は、コート上に竜巻を起こし、稲光をそこら中に走らせ、学校史上、類を見ない熱狂を勃発させた。絶対的膂力で王座に君臨した龍に、無我夢中で食らいつく新進気鋭の辰。二頭の爪牙の交錯の行方を、誰もが固唾をのんで見守った。
―残り二十秒。スコアは38対43。
ボールは、宇治山君。この短時間に最低でも2ゴール取らなければ逆転できない我々に対して、和田は今日一番の集中力と圧迫感のあるディフェンスを完成させていた。その何物でも貫けないであろう和田のディフェンスに対して、宇治山君は―
「は?」
温泉にでも浸かるようにリラックスして3ポイントを狙っていた。その余りの呆気なさに和田ですら、動揺していた。だが、すぐに龍の如く高く跳び、宇治山君のシュートを―
「マジかよ」
会場中の全員を一人も漏れなく騙した宇治山君は、すぐさまドライブでインサイドへ切り込み、力強いダンクを叩き込んだ。騙された観客は遅れてダンクに気付き、大歓声を上げた。
今でも空中に残像が見える程のシュートフェイクを宇治山君はして見せた。和田ですら欺いてみせる程に。
そして、八組の攻撃に移る。
「宇治山。やっぱお前、才能あるよ。だけど―」
―残り十秒。和田にボールが渡った。
「俺は誰にも負けない」
音速を越えたかと見紛う程の、和田の全身全霊のドライブに、宇治山君は何とか食らいつく。その風圧に吹き飛ばされそうになっても、宇治山君は食らいついた。そして、爽やかに笑った。
「あははっ。十年経っても追いつけそうにないや」
和田が宇治山君の上から天地を揺るがすほどのダンクを叩き込み、終了のブザーが鳴った。
「ごめん、みんな。繋いでくれたボール、結局、最後の一本しか決められなかったよ」
整列の際、宇治山君が我々にそんなことを言ってきた。しかし、彼の表情に暗さはなく、満足感と高揚感と清涼感で包まれていた。
「「「「「グッジョブ」」」」」
宇治山君以外の我々四人は、口を揃えて言った。不遜な男児の声が一つ混じっていた気がするが、まあ見逃してやろう。
整列後、宇治山君と和田は固い握手を交わし、互いを称え合っていた。そこに、一人の男子生徒がやって来た。
「和田……」
和田は不意の出来事に目を丸くしたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「なんすか?キャプテン」
「朝練って、何時からだっけ?」
その質問を投げかける足立の表情は、呆気にとられているような、憑き物が晴れたような様子だった。
「あの…先輩、お名前は?」
半ば放心状態の足立は、宇治山君の質問で鮮明な意識を取り戻した。
「ん、ああ、ウリュウ。足立ウリュウだ」
「どういう字を書くんですか?」
「烏に竜で、烏竜だ」
二頭の竜の決戦は、三頭目の竜を目覚めさせた。堕ちた竜が、再び羽ばたき始めた。
「良い名前ですね。俺は宇治山辰巳と言います」
「知っている。有名人だからな」
和田が見守りながら、宇治山と足立が握手を交わした。
三頭の龍の歯車が廻りだしていた。
―彼らはのちに、「鎖倉高のキングギドラ」と呼ばれるようになるのだが、それはまた別のお話である。