4/28-①「(新入生歓迎)球技大会」
「おーい、お二人さん。そろそろ時間だぜー」
三人しかいない体育館のがらんどうに声が響いた。それは、先程まで隣のコートで練習していた和田のもの。窓の外はすっかり闇に包まれている。
「はあ…はあ…りょーかい」
私と宇治山君は、練習の手を止め、肩で息をしながらその呼びかけに応じた。
「まったくよくやるよなぁ。言っちゃなんだが、たかが球技大会だぜ?」
そう。明日、4月28日は毎年恒例の新入生歓迎球技大会があるのだ。種目は毎年異なり、新生活に慣れ始め不安が薄らいでくる時期の新入生を完膚なきまでに叩きのめし濃厚な絶望を与えるもよし、狩る側だと思い込んでいる上級生の首を刈り取り天下分け目の下剋上を試みるもよし、という全学年必見の好行事である。
去年の種目はサッカーで、私も奮戦し決勝トーナメントまで勝ち進んだが一回戦で敗退してしまった。あの時の悔しさたるや……しかし、あの頃の私は「チームプレイ」なるものに疎く、それが敗戦の一因―いや、全因だと言っていい。
だが、今年の私は一味違う。異能部での活動を経て、「チームプレイ」というものが板についてきた…はずである。そして、今年の種目はバスケ。人並み以上の技術は持っていると自負している。つまり、今年の私にほぼ死角は、無い。
「え、ごめん。明日、球技大会だよな?インターハイとかでは無いよな?え、怖いんだけど」
明日に思いを馳せる私の顔を見て、何故か和田が不安げな表情をする。
「あはははっ、ウチの部長は負けず嫌いでさ。行事だろうがなんだろうが全力投球だよ」
汗ばんだ顔で爽やかに笑い、宇治山君が私を茶化す。非常に心外である。何故なら、
「それはあなたもでしょう?」
「ははっ、バレてた?」
またしても爽やかに汗を煌めかせ、宇治山君が笑う。
まあ、部停にでもなっていなければここまで時間を割くこともないが。ちなみに、もうすっかり異能部の顔になりつつある岸波君だが、現在はボラ部の活動に注力している。他の三人は、なんか癪に障るので声をかけていない。
「他の奴らもお前らみたいだったら助かるんだけどなぁ」
三人で片づけをしていると、不意に和田がそんなことを呟いた。表情こそ曇ってはいないが溜まりに溜まっていたものがつい漏れてしまったような様子であった。
「ん?バスケ部のこと?」
それを耳に入れた宇治山君が自然に話を広げた。
「まあ、そゆとこ」
これ以上語る気は無いらしく、和田も自然に話を逸らしモップ掛けに集中し始めた。集中しきる前に宇治山君が体育館に声を響かせた。
「和田君!明日、もし当たったら負けないからね」
「おう。コテンパンにしてやるとも」
望むところだ、和田よ。
※※※
「さあ、今年もやんぞ!球技たいかぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!」
昨夜とは打って変わって、体操着姿の全校生徒で溢れ返る体育館に、名物体育委員長・新條の声が響き渡る。それに呼応するならず者たちが放つ怒声に似た何かが、波濤のように体育館中に打ち付けた。百を迎えても減退しないエコーと、数百の生暖かい視線に包まれながら、再び壇上の新條が口を開く。
「さて、今回の種目は……」
新條は皆が分かり切っている事実を言うだけのことを溜めに溜め、そして放った。
「バスケだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!おらぁぁぁぁぁぁぁ!!」
それに呼応するならず者たちが―以下略。
やっと昂ぶりが落ち着いて来たらしく、新條はけろりとルール説明を始めた。
「はい、ルール説明ね。いつも通り、各学年の姉妹学級に同じリーグで総当たり戦をしてもらって、最も勝ち点が高いチームが決勝トーナメントに進めます」
この新條は、私と同じ学級に所属するやたらと声も行動も派手な男である。サッカー部に所属し、悪友と猥談に花を咲かせ、何処においても気づけば中心に陣取っているような奴である。
「各学年8クラスずつなので、決勝トーナメントは8クラスで戦うことになります」
何をどうしたかは知らないが、一年の頃から上級生を差し置いて体育委員長の座についており、現在に至るまで壇上でデカい声を出し続けている。
「一試合7分×4クウォーター制で、3クウォーター終了までにクラスの35人を各自二分以上出場させなければいけません。最後の4クウォーターはこれまでに出場してない五人が7分フルで出ます。ベストメンバーと言ったところですね、はい。ちなみに、バスケ経験者の方の得点は1点減点で換算しますのでご注意あそばせ」
これまでこいつには、これといった関心もなかったので名字すらうろ覚えだったのだが、現在は名字だけならばはっきりと覚えている。その理由は、我々、二年三組のメンバー編成に大きな理由があるのだが―
「―ということで、野郎ども!準備は良いかぁぁぁぁぁ!!!!」
またしても阿呆ハウリングの時間が始まった。
「よっしゃぁぁぁぁぁぁ!!!!じゃあ、さっそく初戦行ってみよぉぉぉぉぉ!!!!」
※※※
―リーグ1組。
大会の火蓋を切ったのはこのリーグと、もう片面のコートで行われた2組のリーグであった。初戦ということもあり、そこそこ盛り上がってはいたが、試合内容としては特に語るべきところはなかった。ただ、特定の人物についてならば毛ほどは語れる。一年一組に、我が異能部の「姦しい」担当・長谷川が所属しているのだ。ヤツはちょこまかとお転婆に動き回り相手を撹乱するが、ひとたびボールを持たせたら目も当てられない程のプレーで味方すらかき乱す。その繰り返しである。
「空手だったらなぁ…」
どこかの整列のタイミングで、うなだれる彼女の唇がそんな風に動いた気がした。彼女はその身一つで鎬を削り合う方が向いているらしい。
※※※
―リーグ3組。
いよいよ、私と宇治山君の出番である。我々の初戦の相手は、三年三組。そして、かのクラスには―
「久しぶりだな、なが―いや、世恋」
「先輩……」
不敵に笑う宿敵・岡本瑠里子の姿があった。
「先輩もつくづく運が悪いですね。よりによって、また私たちと戦う羽目になるなんて」
私はありったけの対抗心とリスペクトをもって、嗜虐的に笑ってみせた。
「ほざけ。…おい、宇治山よ。貴様も覚悟しとれよ。負けんぞ」
私は終始、先輩の表情に眼が眩みそうになってしまっている。今思えば七不思議戦争の時から、この人の表情や眼差しは急激に澄んでいく。蒼く、暑く、透き通っていく。
「お手柔らかに頼みますよ、先輩」
夏休みの少年の風味が漂う、この宇治山君にも勝る勢いで先輩は走っていく。
こんなやり取りを挟んで試合は始まった。
この大会のルールにおいての定石は、戦力の分散と集中である。4Qは同一選手のフル出場が許される唯一の場面であるため、そこにクラス最強のメンバーを集めるのは当然として、残りの21分を疎かにしていると確実な勝利は手に入らない。一人二分以上コートに立てばよく、それを五人並行で消費できるので、概算で最短14分でボーダーは越えられる。そこで生まれる余剰の7分をベストメンバーに次ぐ実力者数名に投下し、安定性を補強していくのが大抵のチームの策であろう。
だが、緻密に時間を配分すればするほど、生徒の不完全燃焼を招くうえ、あまり楽しくない。あくまでこれは行事なのだから、楽しまなければ意味がないではないか。故に、我々のクラスは積極的に参加したい生徒はバスケの巧拙を問わず幅広く受容して、時にはルーズに時にはアクティブに選手の入れ替えを行う。
その代わり、クラスの総意を託された我々ベストメンバーは―
「23対30。私たちが7点を追いかける形…。あなたたち覚悟はできてる?」
「もちろん」「がんばろっ」「愚問やろ」「さあ、行こうかぁぁぁぁっ」
死んでも勝ち切る。
「来いよ、異能コンビ」
ディフェンス配置についた岡本先輩が言った。
「「言われなくとも」」
開始の笛が鳴った。
一応、経験者である私のボール運びとパスワークを軸に、機動力のあるサッカー部の新條、速力のある陸上部の佐々木、高さのあるバレー部の井上、総合力の高い宇治山君たちの強みを最大限引き出す。そして、全体的に高いスタミナを活かした7分間、目一杯のラン&ガン。それが、我々の基本理念。
相手に男バスと女バスが一人ずついたが、我々の我武者羅速攻は上手く刺さった。時間を経るごとに点差は縮まっていった。
しかし、岡本先輩は、これがろくに二年間部活をしてこなかった者の気迫なのかと思うほどに、一人でもなんとか食らいつこうとしてくる。彼女の顔を伝う汗の輝きがこちらを眩惑してきたのか、時間を経るごとに速攻の成功率は下落していった。
そして、残り30秒。32対32。我々のボール。
慎重に時間を使って、何としてでも確実に1ゴールを捥ぎ取り反撃の隙を与えてはいけない場面。
私は、迷わず岡本先輩との1on1を選択。この方が確実だと思った訳じゃない。これはおそらく、最も困難で最も爽快な道。
「ははっ、楽しいなぁ」
「まったくその通りです」
右へのフェイクから左。からの右へのロール…に反応されるのは承知。
ここで、更にレッグスルーでステップバック。そして、スリーポイ――いや、アクセルべた踏みで抜き去る!
―決着。そして、歓声。
「整列!礼!33対32で二年三組の勝利!」
「いやあ、負けちまったわ」
先輩は爽やかに負けを認める。岡本瑠里子という人物の急浮上に、スクールカーストの上位層が目をつけているのではないかと無粋な勘繰りをしてしまう程の変わりようである。本当にこの人は変わった。
「対戦ありがとうございました、先輩」
「おう。絶対、優勝しろよ」
軽く会釈する私の肩を、先輩が軽く小突く。
「誰に言ってるんですか」
「ははっ、舐めた口ぶりは健在かよ」
私の無礼極まりない言動は笑い飛ばされる。
「…結局、今は何をしてるんですか?」
県立病院で言っていた「やりたいこと」とは、実際、何なのだろうか。
「ん?ああ……前途ある若者の激励…とか?」
斜め上を見上げ、苦心しながら先輩は言葉を絞り出した。
「何言ってるんですか?」
「自分でも良く分かってねえんだよ。ま、見てろって」
得心のいかない私に苦笑しながら、先輩は言った。
「じゃっ、異能部も頑張れよ。お二人さん」
そう私と宇治山君を激励し、先輩はクラスメイトの元へ走っていく。
「はい。瑠里子先輩も」
私は少し大きな声で言った。
それに振り向いた先輩は何かに少し驚いたような顔をして、その後に眩しくはにかんだ。
「…おうっ!」
視線を隣にやると、宇治山君も微笑んでいた。先輩を見ながら。そして、私を見ながら。
―二年三組、決勝トーナメント進出。
※※※
―リーグ4組。
我が異能部どころか我が校の大黒柱・岸波君の所属する二年四組。
史上最高の生徒会長・色恋と曲者揃いの放送部を牛耳る令嬢・三原の所属する三年四組。
この二クラスの激突が、予選におけるベストバウトとなった。
―42対37で迎えた最終ピリオド。二年四組は、見事、上級生相手に5点のリードを保持していた。
そして、来るベストメンバー。ボランティア部のエースと敏腕生徒会長が熱く滾る視線を真正面からぶつけ合う。
「岸波君、敗北のボランティアは専門外かしら?」
「残念ながら。まあ、強いて言うなら、二年四組を勝利へ導くボランティアと言ったところっすね」
「あら、言うようになったじゃない」
親愛の籠った皮肉を交わし合いながら、彼らの火蓋は切られた!
三年四組のオフェンスが始まった。司令塔は、もちろん生徒会ちょ――え、三原?
「陣形、三番!!…オフボールしっかり動いていきましょう!スクリーン、腰が落ちてないですよ!早く面とってください!!……はいっ、ブロックアウトしっかり!!セカンドチャンスものにして!」
三原はボールの所持不所持に関わらず、声とジェスチャーでチーム全体に的確な指示を与え続ける。チームメイトのプレーはそれを受けて引き締まり、相手の方はその統率に委縮しているのが見て取れる。三原のこの活躍を演出しているのは、言うまでもなく彼女が日々研磨している発声技術である。…もしかすると、放送部の個性豊かな面々を統率する手腕も役立っているのかもしれない。
司令塔の三原を軸とする豊富な戦略により相手の懐に入れ込んだボールを、絶対的エース・色恋が確実にリングへ沈める。この支配的な試合展開により、三分も経たないうちに三年四組は二年四組に追いつき、更に六点の差をつけた。
そして、このまま放送部長と生徒会長に蹂躙される他はないと思われた二年四組は、闘争心を燃え上がらせた岸波君の奮戦で息を吹き返す。
岸波君は、放たれたボールを破裂させんばかりに叩き落し、零れたボールを無我夢中で捥ぎ取り、ボールをつけば全てを置き去りにし、リングを伝って体育館をも震わせるほどのダンクを叩き込み、攻守仔細に至る満遍のない大活躍をして見せた。その姿は、まさに修羅であった。
―そして、残り二十秒。両者譲らず、二年四組が二点を追う形でオフェンスをしていた。
岸波君が自身のマークマンを抜き去ると、その展開と進路を予測していた色恋が潰しにかかる。それを見た岸波君はゴール下でノーマークだった生徒に、完璧なタイミングでパスを出した。
いや、出さされた。彼にはそのプレーしか出来なかった。色恋の完璧なポジショニングによって制約を受けたそのボールを、三原がカット。気づいた時には、色恋は全力で疾走し誰も追いつけない場所へ――あれ、そういえばコート上に9人しかいない。
「…え」
我が異能部の陰湿忍者を誰もが忘れていた。
「私は影だ」
頬を紅潮させた藤原が、色恋へののロングパスをインターセプトしていた。
藤原から受け取ったボールをきっちり沈めた岸波君に、体育館が崩れ去るほどの大歓声が注がれ、試合は残り三秒にしてイーブンとなった。
三年四組、最後の攻撃。三原がエンドラインから素早くボールを出し、色恋がハーフラインで受け取ることに成功する。しかし、岸波君がすぐさま堅牢な城壁のように進路を妨害する。
だが、色恋は既にボールを持っていなかった。そして、既に跳んでいた。
ブザーが鳴ると同時に、岸波君の背後でネットが揺れた。色恋のブザービターが試合を決していた。
乱暴に放っただけの「棚からぼたもち」ではなく、彼女は狙い澄まして流麗なフォームで放っていたのだから恐ろしい。
「参りました、色恋さん。あれ決められたらどうしようもないっすよ」
「偶然よ。それに、一対一であなたに勝てる気はしないわ」
試合後、鎖倉高校の二大巨頭が互いを称賛し合っていた。そこに、藤原が通りかかる。
「ん、あなたもお疲れ様。たしか、藤原恵美さんだったかしら?」
「あ、はい…」
色恋の呼びかけに、藤原は不意を突かれたのか、少々動揺しているようだった。
「あなたにはしてやられたわ」
「あ、ありがとうございます」
藤原が軽く会釈し、岸波君は嬉しそうに笑った。
「あなたも異能部に入ったらしいわね。岡本さんも変わってくれたみたいで嬉しい限りよ」
「そうですね…」
色恋は岸波君と藤原との会話を終え、手を振りながらクラスに戻っていった。
「じゃあ、二人とも部活頑張って」
―三年四組、決勝トーナメント進出。
※※※
―リーグ8組。
我が異能部の「喧しい」担当・伊藤が所属する一年八組は、男子バスケ部の宝刀・和田の所属する二年八組によって一刀両断されていた。それは、三年八組も同様である。
和田は、その鍛えに鍛え抜かれた基礎能力、百戦錬磨の戦略眼、どこまでも激烈な気迫とで、自他の戦況を自在にコントロールし、コート上を縦横無尽に統べていた。「たかが球技大会」と昨日は言っていた彼はどこへやらだ。あるいは、私と宇治山君が目覚めさせてしまったのかもしれないが。
余談であるが、伊藤は割と真剣にこのイベントに取り組んでいたらしかった。テケテケからの逃亡で鍛えられた(かはわからない)俊足で、速攻に積極的に参加していたが、長谷川同様、ドリブルやシュートはてんで駄目で、彼から放たれたボールは時空の彼方へ飛んでいった。
「左手は添えるだけ……ホントですかねぇ…」
どこかの整列のタイミングで、彼が自身の左手を見下ろしながら、疑念に満ちた顔でそんなことを呟いたように見えた。
―二年八組、決勝トーナメント進出。




