4/24-②「Inou Club:6.0(+2.0)」
―引き続き異能部部室。教室に備え付けられた黒板を背にして長良井が立ち、そんな彼女と向かい合うように部員たちが席に着いていた。
長良井が軽く咳払いをして、
「それでは今から、新生異能部の結団式を執り行う」
そう宣言した。
どうやら、これから本格的に部活動に取り組む中での目的や規則を、古参新参問わず、広く共有しておくつもりらしい。長良井が進行を務めているからか、やけに厳かな空気が流れていた。強豪の運動部さながらの様相を呈している。
「―と、その前に」
不意に長良井が話題を転換した。同時に、目の前に座す宇治山に目配せをした。すると―
「え?どこ行くんですか、世恋先輩?」
長良井は突然、部室から立ち去り、
「え?何してるんですか、辰巳さん?」
宇治山は突然、どこからか取り出したソフトボールを床に放った。
「ああ、例の」「あの二人ね」
呆気にとられる一年生たちを横目に、岸波と藤原は何やら感づいていたようだった。
そして、ほぼ同時に彼らは現れた。
一人は、帰還した長良井に連れられて。
「どーも!!セレンおねえちゃんのでしで、まほうしょうじょ!花子ですっっ!」
一人は、宇治山の隣に現れて。
「ふはははっ!低次元の家畜ども!!僕に跪け!!」
この世のものではない、その幼児たちを迎えて騒がしい結団式が開幕した。
※※※
「紹介するわ」
長良井が手でそれぞれを指し示しながら、不気味で無邪気な招待客の紹介を始めた。
「彼女が私と契約している四次元存在の花子。そして、そいつが宇治山君の忠実なる下僕であるマセオよ」
「タマオだよ!」
名前を間違えられたのか、一方の男児が長良井へ非難の声を挙げた。
「あら、その名前はお気に召さなかったのではなくて?ついに自称するようにもなったの?」
「むっきぃぃぃぃぃ!おい、タツミ!こいつ一発殴らせろ」
涼しい顔で受け流し倍の殺傷力を纏わせて返す長良井に、いつもの如くやりこめられたタマオは、行動制御権を持つ宇治山に、情けなくも物理的暴力の許可を乞う。それを宇治山が苦笑しながら宥める。
「…なんか親近感湧きますねえ……」
そんなタマオを見て伊藤が感嘆の声を漏らした。
「ああ?お前、僕と自分を同等の存在だと思ってんのか!?」
それに気付いたタマオが怒りの矛先を変える。
「え、はい」
「ふぁあ??」
伊藤のあまりの即答に彼が動揺し、一瞬、えげつないほど肌が透けた。
「閣下に手も足も言葉も出ないんでしょう?」
「ひょえっ??」
「なんなら、めちゃくちゃ下に見てますよ?年下ですし」
「ほひゃっ????」
立て続けに投じられる伊藤の粗相、タマオが切れかかった蛍光灯のように明滅を始めた。
「あははっ!タマオくん、おもしろーい」
無邪気に花子が破顔する。
その後、彼女は何かに気付いたようで、ある人物に近づいていった。
「おにいちゃん、ぶじだったんだね!」
その人物とは―
「ん?おお!おかげで元気いっぱいだぜ!ありがとな!」
岸波であった。
あの櫻子との決戦の日、仮死状態の岸波を目撃して花子の怒髪は天を衝いた。そして、彼女が反撃の火蓋を切って落としたのだ。
「えへへ…どういたしましてっ!」
「おうっ!」
花子も岸波も、屈託のない笑みを浮かべ合った。
それを横目に、藤原もある者の元へ歩み寄っていた。
「あ、あの、タマオさん」
「……ん」
藤原の呼びかけから数秒の間を置いてタマオの明滅がストップし、彼女に意識を向けた。
「あなたが急所を作り出していなかったら、私はあの晩、長良井さんを助けられなかった。あなたがいなかったら、きっと全滅だった。だから、その、ありがとう」
藤原が深々と一礼し、上げた顔にぎこちなく微笑みを浮かべていた。
それを横で聞いていた長良井は、何やら葛藤を始めたのか、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「あり…がとう……か。ふはっ、ふははっ、ふはははははははっ!」
タマオがギアを徐々に引き上げ、完全に調子に乗ることに成功した。
「だよなぁ?そうだよなぁ?僕が最強だよなぁ?お前ら、僕がいなきゃ何もできないもんなぁ?」
「うわぁ……」
長良井が泥水を飲んだような顔をして嫌悪感を露わにする。
「おいおい!な、が、ら、い!何か言うことあるんじゃないか?えぇ?この女を見習ってさぁ!!」
身体を愉快そうにくねらせながら、タマオが長良井を挑発した。
長良井は、深呼吸の後、表情を引き締め、口を開く。
「恩に死ね。どうもくたばれ」
仁義を欠きたくない長良井とクソガキを躾けたい長良井とが混ざり合い、ここに新たな語彙が生まれた。
「……」
と、異能者や霊感持ちが四次元存在と戯れる中で、ただ一人滑らかに除外された女子がいた。
「……もう!みなさんズルいですよ!(伊藤は帰れ)私にも霊感分けてください!(伊藤は帰れ)」
長谷川清乃である。
「なんか、さりげなく悪口言ってますよねぇ!?」
耳聡い伊藤は希釈された悪意をしっかり察知していた。
長谷川はその抗議が聞こえていないかのように、自身の抗議を続ける。
「私も花子ちゃんと戯れたいです!長良井門下の姉弟子として!」
少し頬を膨らませた可愛げのある拗ね方で、長谷川は不平と戯言を垂れ流す。
「お前を弟子に取った覚えはない」
しかし、長良井は冷徹である。
「セレンおねえちゃん、このおねえちゃんは花子がみえてないの?」
話題に上がった花子は、長谷川の顔を間近でのぞき込んだり、小さく手を振ったりしている。
「そのようね。ヤツにどんな粗相をしてもバレることは無いわよ」
長良井は冗談なのか分からないトーンでそんなことを言った。
花子は何やら小考し、すぐに何かを思いついたようで、無邪気に顔を輝かせた。
「ねえねえ、セレンおねえちゃん」
「ん?痛い目にあわせる方法でも思いついた?」
「ふふんっ、そのぎゃくだよっ。あのおねえちゃんに、けーたいのカメラつけさせて」
非道な長良井にもかき消せない純真無垢さで、花子は自信満々に何かを始める。
「ああ、そういうこと」
すぐに花子の意図を理解した長良井は、長谷川にスマホのカメラを起動させる。
「…つけましたけど、これってどういう――え」
長谷川のスマホの画面内には、ただ光があった。
「これが……私の、妹弟子。いや、むしろ妹……」
太陽と形容するのさえおこがましい程の、淀みのない、純然たる、光。
「がわいいいいい!!やばあああああああい!!」
「えへへへ、てれるな…」
「てえてえ!!!!!天使!!!!大統領!!!!バロンドール!!!!!」
「ふへへへ…」
鼻息荒く褒めちぎる長谷川、その勢いに頬を赤らめる花子、長谷川、花子。このラリーが数回続き、オタクと推しの構図へと単純化された時、長谷川に肺活量の限界が訪れる。
「はあ……はあ……」
「これからよろしくね、キヨノおねえちゃんっ」
スマホを右手で構えながら肩で息をする長谷川に、元気が有り余る花子が手を差し伸べる。
「よろしく、花子たん……」
固い握手が交わされる横で、二人の男が長谷川に対して軽蔑の視線を向けていた。
「ヤバいな、あの女…」
「分かりますか、タマオ君…」
「ああ……。ありゃ、ナガライとは別のベクトルでヤバい」
「自覚がある閣下の方がまだマシですよ。もうヤツは救いようがありません…」
タマオと伊藤の間に謎の結束が生まれていた。
「まあ、あの女は見る目がある」
タマオが不意にそんなことを呟いた。彼自身、無意識に口をついて出た様子で、それに気付いた時、彼は頬を少し染め、伊藤に詰問されることを恐れ、身構えた。
「はっはっは。上手いことを言いなさる。霊感のないヤツへの皮肉ですか?」
それに対し、小悪党の取り巻きのようなセリフを芝居臭く伊藤が言った。
「え、まあ、うん」
「あれ?なんです?その目」
安心と同時に、興が醒めたタマオは伊藤に冷ややかな視線を向けていた。
「なんですか!その閣下のような目は!」
―異能部部室は賑やかである。性も次元も隔てない、少年少女たちの少し異常な日常を緩やかに反響させていく。
長良井世恋は、この部室の空気に身を委ね、少しだけ目を細めた。
※※※
「―注目」
長良井の声が室内に澄み、全員の注目を集めた。
「親睦を深めるのはそれくらいにして、本題に入ります」
異能部は結団式本来の目的に立ち返る。
「まず、一人ずつ改めて名乗りなさい。そして、この部での目的を述べなさい。では、一年生から」
長良井が淡々と式次第を進行していく。一方で、この改めての自己紹介が重要な手順であることを全員が理解していた。長良井と宇治山以外の部員にとって、流れに身を任せて交流を持っていた「異能部」の存在意義が鮮明になる機会であるからだ。
部として何を目指すのか、各人は何へ進むのかということが、ここで共有される。
「じゃあ、私から。一年一組の長谷川清乃です!」
ボブの黒髪を揺らすその少女は、小柄で小動物のような可愛らしさがあるが、目力が強く、言動も溌剌としている。
「文芸部と兼部している状態ですが、ゆくゆくはこちら一本に絞るつもりです。えっと…みなさんお察しの通り、この部には世恋先輩とお近づきになるために入部させて頂きましたっ。不純な動機であることは重々承知しており、まして私にはこれっぽちも霊感がありません。ですが、私の世恋先輩への想いは至って真剣です!無霊感という身の程を弁えながらも精力的に活動に邁進していく所存です!どうぞよろしくお願いします!」
内容はともかく、聴き手の心を掴む握力が充分に込められた演説であった。勢いの良い一礼も見てて気持ちが良い。他の部員たちは内容に呆れながらも、力強い拍手を贈った。特に花子と藤原が力強かった。
長良井と伊藤とタマオは怪訝そうな顔で、ぺちっ、と一度だけ手を叩いた。
「ええ、じゃあ、私の紹介をば。一年八組の伊藤南無太で御座います」
その眼鏡をかけた少年の髪は荒れ狂う龍のように乱れ、目の下には野球選手の着けるアイブラックかと見紛う程濃い隈がある。
「そうですねえ…私と閣下たちとの出会いは十日前に遡ります。あれは晴れても曇ってもいないようなもどかしい天気の日でした…。その前日、凶悪な半身の怪異、テケテケから命からがら逃げ延びていた私は、ちょうど七不思議の取材をしていた閣下たちに出会い―」
彼は卑屈そうな声色で不要不急の早口とエピソードトークを紡いでいく。だが、
「冗長だわ。目的や意気込みだけを簡潔に述べろ」
「イエス、マム!」
いつもの如く、長良井が彼の悪癖に釘を刺し、彼は姿勢を正す。
「ええ…まあ、私の目的は簡潔に述べれば、守ってもらうことで御座います……。先程の長谷川如きとは異なり、有り余る霊感を持て余している私は、年々、被害の程度がエスカレートしてきており、命の危機を感じることも珍しくありません。テケテケの一件が良い例でしょう」
揶揄された長谷川は唸って彼を威嚇する。それを隣に立つ藤原が宥めている。
「あとは……そうですね……」
伊藤は何やら言いにくそうにしていたが、表情を引き締めて言葉を紡いだ。
「…なんというか、仲間が欲しかったんだと思います。これまで家族以外に霊感を信じてもらえず、私に近づいて来る霊感持ちも、一人残らず自称しているだけの中二病でしたから……なんというか、皆さんといると息がしやすいんです。それに、アニメみたいな非日常の連続でワクワクしますし……という感じです、かね。…私も非力な身の程を弁えながら励みますので、何卒っ!」
ぎこちないながらも、伊藤も長谷川のように一礼をした。そして、拍手が室内を包む。
宇治山はいつもの如く、優しく伊藤を見つめていた。珍しく、長良井の視線もどこか温かかった。
「次は二年生だね。ええと、私は藤原恵美です。二年四組です」
セミロングの黒髪を白いカチューシャで押さえたその少女は、一歩間違えればサディスティックにもマゾヒスティックにもなりそうな陰気さを纏っている。
「先の部間戦争で敗北し、虜囚として異能部に籍を置いています…」
「異議あり」
藤原の妙に質感のある湿っぽいジョークを、長良井が軽快に捌く。
「ふふふ、冗談。…ええと、私の目的も清乃ちゃんとほぼ同じです。…そうです。長良井さんです」
「はぁ…」
藤原の蕩けた声色と視線が、長良井にため息をつかせる。
「瑠里子先輩も好きだけど、先輩は新しい道に進んじゃったし、あまり手伝えることも無さそうだったから、長良井さんについて行くことにしたの。もともと、近頃の長良井さんの動向には興味があったし。…ということで、よろしくお願いします。私もあまり戦力にはなれないと思うけれど」
藤原は淑やかに一礼し、拍手が室内を包んだ。長谷川と花子は必要以上に強力な拍手をしていた。
長良井は、先程から長谷川と藤原が妙に親しそうにしていたのに納得し、同時に額をおさえた。それを見た宇治山と岸波は、過激な愛情を引き寄せる長良井の体質に苦笑した。
「次は俺だな。藤原と同じく、二年四組の岸波夢路だ」
その少年はこの部で最も背が高い。体格も逞しく、よく鍛え抜かれているのが服越しでもわかる。黒い短髪で、サイドをより短く刈り込んでいる。強面ではあるが、その表情の端々には柔和さが感じられる。
「俺はボラ部と兼部してて、元々そっちを優先するつもりだったんだけど…まあ、つい最近、どうやら異能者らしいということが分かってよ。だから、自然とこっちに顔出すことが多くなると思う」
彼の声はどこか包容力を感じさせる。口調は荒いが、落ち着きを与えるような声色をしている。
「…未だに自分も立ち位置も上手く掴めてねえような、不出来な人間だから大層な目的は持ってないけど―」
そして、彼は一呼吸、間を置き、部員の顔を一通り見渡してから―
「俺は、とにかくこの部の盾になるつもりだ。……だから、大船に乗ったつもりでいてくれ」
拳で胸を一つ叩き、鉄のように表情を引き締めて、堂々と宣言した。
拍手が室内を包んだ。大半の部員は、彼に安心感を抱いているような表情をしていたが、長良井と宇治山だけは、何故か彼を案じるように眉を顰めた。
「…よし。じゃあ、俺の番。二年三組の宇治山辰巳です。副部長をさせてもらいます」
スタイリッシュな短髪の少年が口を開いた。彼は一重で鋭い眼光を放っているが、意志の強そうな綺麗な瞳を持っている。
「率直に言います。俺は異能者であると同時に、ここに転校してくるまでの記憶が曖昧です。というか、ほぼありません」
「「「「「―え?」」」」」
長良井と岸波以外のメンバーが一斉に呆気にとられる。知らなかったのなら無理もない反応である。余りにも突拍子のない話なのだから。
宇治山は、その記憶の欠落のせいか、以前まではぼんやりと虚無感を纏っているように感じられた。しかし、今となっては―
「はははっ、そうなっちゃうよね。でも、あまり気にしすぎないでよ。俺の目的として、記憶にうっすら残ってたこの町を手掛かりに自分探しをする、ってのはもちろんあるけど……」
彼の表情は幸福と好奇心で満たされている。まるで―
「今は、ここにいるみんなで部活を楽しむことも大事に思ってる。というか、今この瞬間もみんなといれて楽しいんだ」
夏休みの小学生のように。心地良い暑気と澄んだ小川を想起させる瞳が、ひたすらに眩しい。
「―という訳なので、これからよろしくお願いします!」
この日、最も澄んだ拍手が室内を包んだ。
この日、宇治山だけが全員から漏れなく微笑みや憧憬を注がれていた。
拍手が鳴りやんだ頃、彼女に視線が集中する。
「二年三組、長良井世恋。この部の部長を務めます」
髪も容姿も姿勢も美しく清楚で可憐な佇まいを見せる少女は、淀みなく語りだした。
「私も先程の二人と同じく異能者ですが、はっきり言って、つい十日前まで空疎な日々を過ごしてきました。そして、同じ異能者である宇治山君の転校を転機に、私は退屈を淘汰することを目的にこれまで励んできました」
彼女の話を聞く伊藤は必要以上に強張り、タマオは終始表情を歪めている。長谷川と藤原と花子は最早彼女以外見えておらず、岸波と宇治山は微笑みながら見守っている。
長良井は、以前までいつも何の面白味もない表情をしていることで学内でも有名だった。今もそれはさほど変わっていない。だが―
「しかし、先の七不思議戦争などを経て、少し見るべき場所が変わったのだと思います。まだ、退屈を振り払うという行動理念は変わっていませんが、私にとっての『退屈』ないし『生き方』を追求することがこの部での目的になりました」
生命力や活気が彼女には迸り始めている。いずれ溢れ出さんとするそれらが徐々に泡立ち始めている。
そして、今、彼女の周囲にはかつてないほどの人がいる。それを友と呼ぶか、仲間と呼ぶかは彼女次第だが、彼女には自身の前後左右を歩こうとしてくれる人がいる。
「部長として、いち部員として、これからよろしくお願いします」
美しい一礼と共に、これまでで最も盛大な拍手が響いた。
長谷川と藤原と花子は、一発一発に無量の愛をこめて一心不乱に手を鳴らしていた。タマオだけがブーイングをしていた。
長良井が長い一礼から直ると同時に拍手は引いていった。
彼女の上がった顔には、青く脈打つ決意があった。その眼差しは、蒼く澄んでいた。