4/21-②「凸凹金銀」
「おい、世恋。なんでここに峰バカがいるんだ?」
雲間さんが、隣の銀髪の男を嫌味たらしく指して、長良井さんに問うた。
「おい、ユメ。なんでここに小便漏らしがいるんだ?」
銀髪の男が、隣の雲間さんを憎たらしく指して、岸波君に問うた。
「あぁん?」「おぉん?」
ほぼ同時に発されたその問いを耳にした途端、両者は肉食獣の縄張り争いのように敵意を剥き出しにする。
「……」「……」
それぞれと面識がある二人の男女は、何故か状況を飲み込めていないように事態を傍観している。
ここは俺が仲裁役になるしかないらしい。そういえば、雲間さんと初めて会ったときにも彼と長良井さんの口論を仲裁しようとした。もしかすると、俺はこういう性分なのかもしれ――さっき、小便漏らしって言ってたよな…。
「雲間さん、あなたやっぱり…」
「いや、ちげーし!!こいつも勝手に言ってるだけだから!」
ほぼ個人的な疑問に近い俺の仲裁が功を奏し、雲間さんがダイナミックにこちらを向く。
「はっ、どうだか」
銀髪の男は、以前の長良井さんのように余裕の立ち居振る舞いである。
「ぶっ殺すぞ!おい!」
雲間さんは眼を引ん剝き、壁に穴を穿ちそうな勢いで唾を飛ばして、銀髪の男を非難する。
「おい、世恋。お前も何とか―」
断崖絶壁に追い込まれた雲間さんは、判断力が鈍っていたのか、この場で最もナンセンスな選択をした。
今まで戸惑っていた彼女はどこへやら、雲間さんに話を振られるや否や、確固たる自信に胸を張って、長良井さんは言った。
「お前は年中無休で失禁野郎でしょう?」
「俺はバカか!」
雲間さんが、自身の愚かさへの戒めとして、右拳で自身の顔面を殴り飛ばした。それと同時に、
『ゴールだーーーー!前半8分、ブラウ・グラナ、超絶ボレーで先制てーーーーん!シーズ、ますます後がなくなった!』
ベッド脇のテレビから無念さを感じさせながらも気迫とリスペクトのこもった実況が耳に飛び込んできた。金銀に頭髪を輝かせる二人に気を取られていた俺たちは、どうやら重要なシーンを見逃してしまったらしい。
「うわあ…マジかあ…」
そのうえ、喜ばしい内容ではないため余計に肩が落ちるのであった。岸波君が悔しそうに顔に手を当てていた。俺も心置きなく試合観戦をしたいが、とりあえず、今はこのお二方をどうにかしなければ。
「…とりあえず、どちら様ですか?」
銀髪の男に問うた。彼は自傷行為に走った雲間さんの様子を見て、腹を抱えて笑っていた。
「あっはっは…あー……ん?俺のことかい?少年」
「はい」
彼は、質問者の俺に向き直り、自慢のリーゼントをコームで丁寧に、愛用の一点物の食器でも磨くように整えた。そして、一つ咳ばらいをして、
「俺ぁ、峰川恋淵。しがないバイク乗りだ。んで、ユメの……なんだ?」
「ええ……まあ、恩人…とかじゃないですか?」
「はっはっは!そっかそっか!…ってことで、よろしく頼むぜ!」
岸波君の手も借りながら、その峰川さんは格好の割には締まらない自己紹介をして見せた。
「あ、岸波君と同じ部活の宇治山辰巳です。よろしくお願いします」
「同じく長良井世恋です。部長です」
俺も長良井さんも会釈程度に頭を下げた。しかし、気のせいか、長良井さんがどこか虫の居所が悪そうに見えた。
峰川さんは革製のライダース・ジャケットと革靴で、岸波君よりも二、三センチ程高い体躯を包んでいる。そんな恰好をしておいてバイクに乗っていなかったら彼の扱いに困ってしまうところである。
とりあえず、岸波君と彼の関係の概観は何となく掴めた。本当に「何となく」であるが。
「んで、そちらのお兄さんは?」
俺が雲間さんに自己紹介を促そうとする前に、タイミングよく岸波君が話題を転換してくれた。
「ん、俺か。俺は、雲間漏月っつーもんだ。そこの世恋の従兄を嫌々やらせてもらってる」
「はっ、こちらから願い下げだ」
雲間さんの皮肉たっぷりの自己紹介に、長良井さんが息の合った合の手を入れる。
「うっせえ。…いやあ、不出来な従妹だと思うがこれからもよろしくな。えーと…」
「岸波夢路っす。俺なんかじゃ長良井には敵いませんよ。とりあえず、よろしくお願いしやす」
ベッドに座りながらではあるが、岸波君は誠実に雲間さんに応えた。
「おう、よろしくな。ユメっち」
「きっしょ」
雲間さんは俺にしたように、岸波君にもあだ名をつけ、また、長良井さんも相変わらずの辛辣な合の手を挿入する。それに俺は苦笑しながら、次聞くべきことに焦点を当てる。残るは―
「それで…峰川さんと雲間さんはどういったご関係で?」
二人の間の虚空に「不仲」「腐れ縁」といった文字がはっきりと形を帯びて積みあがっているのを、嫌というほど理解しながら、恐る恐る問うた。
「同級生。以上」「同級生。それ以上でも以下でも…いや、以下があるなら以下でいいわ」
互いが互い特有の毒気と鋭利さを駆使し、殴らずして互いを殴り合った。直後、彼らは唸りながら睨み合う。
「てか、お前はいつまでその髪型をしてんだよ。時代は令和だぞ?いまどき、リーゼントなんて―」
雲間さんがそう言うが早いか、峰川さんの顔つきが変わり、眼光も表情も切れ味を増した。
「リーゼントじゃねえよ。元々、『リーゼント』っつー言葉が指すのは『ダックテイル』だけだって何回言えば分かんだよ!ああん?俺のは、『ダックテイル』と『ポンパドール』つってんだろーがよ!それか、エルヴィスヘアーって言えや!おい!令和上等だよ、こら。エルヴィス舐めてんのか、こら」
彼は余程こだわりがあるのか、俺は聞いたことすらない語彙を饒舌に並べ、雲間さんを口数だけで圧殺せんとまくしたてた。
「うわあ、めんどくせえ」
雲間さんはその気勢をものともせず、左右の人差し指で両耳を塞ぐジェスチャーを取りながら、慣れた顔つきで適当にいなす。
「「……」」
長良井さんも岸波君も呆れたような表情で峰川さんを見つめていた。すると、不意に、
「―てか、違う違う。俺はお前としょうもねえプロレスしに来たんじゃねえ」
雲間さんが我に帰って、本来の目的を思い出す。患者の俺たち三人も失念しかけていた「お見舞い」という行為を。
「―っつーことで、俺は世恋とタッちゃんの見舞いに来たわけだが…」
「うむ。俺はユメの見舞いに来たわけだが…」
二人は咳ばらいを一つシンクロさせ、まさに阿吽の呼吸で同時に息を吸い、
「「アホか、お前ら」」
周囲の迷惑にならない程度の、しかし、こちらを委縮させるには十分な威圧感で俺たちを叱責した。
「すんませんでした!」「申し訳ないです…」「面目ないわ」
三者三様に謝罪の言葉を述べ、三者三様に頭を下げた。岸波君は前屈でもする勢いで頭を膝に擦り付け、俺は立ちあがって上半身と下半身をちょうど直角にし、長良井さんは座ったまま軽くお辞儀をするに留めた。
「はあ…タッちゃんはどうせ世恋に巻き込まれたんだろ…」
呆れたようにため息をつき、雲間さんは俺を咎めることはしなかった。その弛緩ぶりから、此処から徐々に緩やかにボルテージを下げていくものと思っていた。
しかし、ここからが本番だった。
「おい、世恋。お前、昨日マジで大変だったからな!トリオさんのお前への激怒を電話越しに受け止める羽目になるし、学校行ってめちゃくちゃ頭下げたし、その後見舞いに来たら、面会時間終わってるし、提出昨日までだったレポート終わらなかったし、今日はその件で教授にめちゃくちゃ頭下げたし、あいつハゲてるし、ここ来る途中で車擦るしよっ!マジで今回ばかりは許さ―」
後半のいくつかは長良井さんは関係ない気がしたが、雲間さんの剣幕は凄まじいものだった。左右に生えた八重歯で身体中を噛みちぎられでもするのではないか、と思わず身構えてしまった。
だが、その非難の荒波でも長良井さんは乗りこなすのだろう。そして、華麗な切り返しに次ぐ切り返しで果てしの無いデスゲームが始まるのだ。俺は、そう思っていた。だが―
「本当にごめんなさい」
彼女は怒涛の荒波を全てその身に受け止めたのだった。先程までの余裕綽々ぶりからは想像もできない程、清らかでしなやかな謝罪であった。
雲間さんの眼を真正面で捉え、そして、床へと視線を落とした。
「―え?」
雲間さんは、一瞬、目の前で何が起こっているか分からず、静止した。その拍子の抜けぶりは、彼の立つ床だけが一階まで全て抜けてしまったかのようであった。
『ああっ!吉野のロングシュートはゴールの上を掠めていくぅっ!』
その沈黙の隙に、そんな実況が耳に飛び込んできた。
「……え、まあ、うん」
二度目の「え」で再び動き出したは良いものの、雲間さんはどこかたどたどしかった。
「…はあ。とにかく気をつけろ。お前と十年は一緒にいるから、お前の気持ちも分かる。けど、トリオさんの気持ちも分かってやれ」
「……」
彼はぎこちなさをため息ですべて吐き出し、長良井さんを柔らかく諭した。しかし、彼女は頷きも同意もせず、じっと床を見つめていた。
「でもまあ、この一週間、お前に何があったかは知らねえが、何かがあったのは分かる。そりゃあ、異能部のおかげなんだろうな。異能部は既にお前にとって無くちゃならねえものになってる訳だ」
彼は腕を組み、片目を瞑りながら淡々と言う。
「そう…かもしれないわね……」
依然、彼女は床を見つめていたが、歯切れ悪くも彼の推論を半ば肯定する。
「命懸けろ、とまでは死んでも言わねえが、まあ、頑張れ。トリオさんにはどうにか言っておく」
雲間さんは悪戯っぽく八重歯を覗かせた。
「……感謝しておくわ」
長良井さんは彼と普段接するときのような尊大さを取り戻していた。
そんな二人を見て、俺は思わず微笑んでいた。彼らの新しい一面を垣間見た気がした。
だが、その興味深いひと時も束の間。
「お前ら…なかなかイかしてるじゃねえか……。俺のエルヴィスヘアーが疼くぜ」
峰川さんが場違いなまでにどっしりとした仁王立ちで茶々を入れた。彼は、両の側頭部を両手でそれぞれ後ろへ撫でつけた。一見すると飄々として道化じみているが、彼の言動には包容感というか、安心感というか、そういったものが脈々と流れている。この分かり易い二面性が、どことなく岸波君と似ているように思う。
俺は彼の言動に思わず顔を綻ばされていた。
「うっせえ。そんな設定ねーだろ」
雲間さんはどこか鬱陶しそうにしつつも、その指摘に冷たさは感じられなかった。
この二人、案外仲は良いのかもしれない。
「そうだっけか?あっはっは……で、ぶっちゃけ異能部って何よ?」
峰川さんは表情をころころ変える。計算とか演技とかではなく、リアルタイムで表情が変わる。たった今も、笑っていたかと思えば、不意に疑問を思い出し、困惑したような表情をしている。
「ん?あー、そっか。おい、お前ら。このリーゼント野郎も異能者だぜ」
「は?」「え?」「マジすか?」「そうなの?」
唐突の情報開示に俺たち三人が呆気にとられるのと同時に、流れに乗るように峰川さんも呆気にとられた。
「てめえはピンと来とけや」
雲間さんが彼の臀部を軽く蹴飛ばした。
「はっはっは、冗談だ。異能部ってそういうことか。……え!?じゃあ、ユメも異能者ってことか?…ってか、リーゼントじゃねえよ!」
「あー、うるせえ。リアクションはどれか一つを選べ」
様々なことに思い至ってしまった峰川さんは、情報の濁流に弄ばれ、雲間さんがそれを宥める。
「オーケー。『……え!?じゃあ、ユメも異能者ってことか?』」
「そうみたいなんすよ…」
文字通りリアクションを一つ選んだ峰川さんに、岸波君が曖昧な答えを返した。
「ん?そうみたい?」
「あ、はい。実は、昨日初めて自分の力に気付きまして……」
「なるほどな。……そんで、お前の目的は果たせたのか?」
峰川さんは不意に深々とした眼差しを向け、問うた。岸波君の臓腑の奥のまた奥に染みわたらせるように。
外見は「触らぬ神に祟りなし」という風で、言動は飄々。しかし、サッカースタジアム並みの許容がその奥に広がり、リーゼント並みの頑強な芯がそこに屹立している。そのうえ、見知った者でもたじろいでしまう程に場を研ぎ澄ますこともできるようだ。二面性、というか重層性というか、彼はいやはや味わい深い。
「は、はい。死にかけはしたけど、みんなを助けられたと思います!まだ何か掴めないものもあるけど…」
岸波君は、末尾の一言こそ自嘲的ではあったが、堂々と自身の功績をここに宣言した。
「そっか。お前、やっぱ最高にイかしてるな」
峰川さんは、ふと空気を弛緩させ呑気に微笑んだ。
「…けど、無茶はすんな。お前が倒れたら、俺も立ち上がれなくなる。俺ぁ、お前ほど打たれ強くは無いからよ」
しかし、その微笑は弱々しくも見えた。
「え?それってどういう―」
「おい、峰バカぁ。てめえ、もしかして未だに『人を助けろ』とか抜かしてるんじゃねえだろうな?」
「あぁん?だったら、何だってんだ。小便野郎が。おめえもずっとタマが小せえままだな?」
問いかけようとした岸波君を、血気盛んな虎狼の小競り合いが遮った。
やはり、仲は悪いらしい。
「よぉし、やってやる。表出ろや」
「おうよ、やるとも。何があろうと表に出てやるよ」
青筋を立て、何故か顎をしゃくらせながら、彼らは威嚇し合う。
「「じゃあな、おめえら」」
そして、そのまま並んで歩きながら、二人は病室を出ていった。三人の間にしばしの沈黙が流れた。
「……さ、サッカー見るか」
口論と見舞いを目の前で繰り返され、その温度差で風邪でもひきそうになりながら、岸波君は言った。
『ここで前半終了です』
「「「……」」」
三人の間にしばしの沈黙が流れた。
『さあ、1-0で折り返し。徐々に吉野の本領が発揮されてきています!後半、吉野が何かしでかしてくれるやもしれません…』