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鎖町百景-百人の異能力者の群像劇-  作者: 読留
卯月・七不思議戦争
44/58

閑話「村雨先生の晩酌相談室」

 午後21時。一軒目。


「だーかーらー…!」

「はい……」


 電鉄鎖町市(くさりまちし)駅の北側を走るガーデン通り。その脇にある路地へ入ると、居酒屋やスナックなど夜の飲食店が立ち並んでいる。その中の一つ、旬の魚介を駆使したつまみを提供することで有名な、その店のカウンター席に二人の教師が座っていた。


「そんなに夕凪が責任感じなくて良いんだって!」

「そうでしょうか……」


 その二人が勤めるのは、県立鎖倉高校。

 今朝の当校は、混沌(こんとん)の様相を呈していた。雷雨の昨夜が明け、教員としていつも通り当校へ出勤した松浦夕凪は、いつも通りではない当校に目を剥いた。鎖倉高校にあるはずの建物が無かったからだ。いや、あるにはあったが、原形を留めていなかった。高校敷地内に占める面積は矮小(わいしょう)なものだが、確固たる存在感で敷地内の空気を(よど)ませているような建物―伏魔堂。使い古した備品の保管庫と、松浦が顧問を務める部の部室も兼ねるそれが、土台と僅かな壁面を残して、清々しいほどに崩壊していた。幼児が、遊び飽きた積み木やジェンガを崩したように。


「アタシが思うにな?……すまん。長くなるけど、良いか?」

「はいっ、構いませんよ」


 そして、そのすぐ近くの地に()せていた五人の内の三人が、何を隠そう、松浦が顧問を務める異能部の面々なのであった。状況を飲み込むが早いか、彼女は119へ即、救急を要請。それからものの三分で、騒ぎを聞きつけた生徒や教員が(たか)りだし、前代未聞の事態に対する期待や興奮、微かな不安は帰りのホームルームまで尾を引き、それどころか放課後や部活動にまでそれに対する考察や憶測が持ち込まれた。

 職員室でもそれは例外ではなく、そうなればなるほど、異能部顧問の松浦夕凪の表情は、トーンを落としていくのであった。教員たちは彼女に責任があるなどと微塵も感じていなかったが、それ故、表情を曇らせる彼女に気付かなかった。


 そう。今、彼女と酒の席を同じくする、ただ一人の武蔵(むさし)を除いて。


生徒指導(こんなやく)してたら分かるけどよ。アタシら教師は、生徒が何かしでかすのを全て未然に防げる訳じゃねえんだよ。生徒数と教員の数が圧倒的に違うもんで、それは仕方ねえ。アタシが思うに、一番大事なのは、ちゃんと叱ってやることだ。真っ向から、対等な立場で、逃げずに叱る。目の前の面倒から逃げてえのは叱られる側だけじゃねんだ。叱る側も同じだ。そこでブレちまうから、芯を空ぶって、生徒にカスを溜めちまう。それが溜まりに溜まって、ふと気づいたらもう取返しがつかない所まで来てる。だから、これからお前がすべきことはちゃんと叱ってやることだ」


 酔いの助力も受けながら、村雨は舌を回した。普段の辻斬(つじぎ)り侍のような立ち居振る舞いからは想像もできないような言葉を贈った。


「……真希先生って、やっぱり、ちゃんと先生してますよね」

「はっ、よせやい。アタシもまだ分からないことだらけだよ…」


 午後23時。二軒目。


「っぷはああああああああ!」

「真希先生…飲み過ぎじゃないですか…?」


 一軒目の村雨真希はどこへやら、豪放磊落(ごうほうらいらく)な剣豪のように彼女は酒を浴びていた。松浦夕凪の心中は、五歩くらい後退る勢いであった。

 ちなみに本日は木曜日である。明日も当然出勤日である。


 午前1時。三軒目。


「ゆうなぁぁ……あらしはなぁぁ…ぐすっ…ゆうなぁぁ……」

「本当に…大丈夫ですか………?」


 二軒目の村雨真希はどこへやら、泣き上戸の手本のように彼女は酒を(あお)っていた。松浦夕凪は五つほど席を空けて村雨から距離を置いていた。

 ちなみに本日は木曜日である。明日も当然出勤日である。加えて、よりによって彼女たちは教員である。


「だぁかぁらぁ………ぐぅぅ…ぐがぁぁぁぁぁ」

「あ、寝た」


 村雨は、松浦を連れ回すだけ連れ回して、好きなだけ飲んだくれ、挙句(あげく)の果てに就寝した。彼女のいびきは、この店を地盤から揺るがすように空気を震わせた。閉店間際だったため、迷惑をかける客が少なかったことに松浦は安心し、同時に村雨の飲みっぷりに呆れ、ため息を吐いた。


「随分と豪快な女だね」


 突然、松浦たちが座るカウンターの向こうから声がした。甘い煙草の匂いを(はら)み、奥底から微かに香り立ってくるような妖艶さを纏った声だった。松浦がそちらに視線を向けると、煙草を(くゆ)らせる中年の店主がいた。


 ―スナックさざなみ。


 電鉄鎖町市駅に垂直に走るおろち通りから、ガーデン通りへ入り、右手にある三つ目の路地へ入る。そこを少し進むと、スナックと高級料亭の間に、幅1メートルほどの石造りのアーチがひっそりと穴を空けている。その先には、双方を白い壁で囲まれ、双方から照明を当てられた茶色がかった階段がある。


 それを登り切った先で、木製の扉と、welcomeと織られたカーペットが、迷いし飲んだくれを出迎えてくれる。厚生労働省やら暴力団追放やらの張り紙で上方がごちゃついているその扉を開ければ、ライトアップされた酒棚を背に、カウンターを前にした名物ママが、二度目の出迎えをしてくれる。

 

 松浦と村雨が入った三軒目の店は、そのスナックであった。


 その女性店主は、それほど華美(かび)ではない衣服を身に纏っっていた。薄く繊細な黒のレースを要所にあしらった、シックなワンピースであった。それが彼女の年相応の沈着さと、洗練された色気を丁度良く引き出していた。また、明るすぎない茶髪に、全体的に緩くかかったパーマが親しみやすさも演出してくれている。


「いつもはキリっとしててかっこいいんですけどね…。こういうところは、玉に瑕ですね……ははは」

「自分をさらけ出すのも悪いことじゃないさ」


 松浦の苦笑に対し、微笑みながら女店主は言った。彼女の人生経験から来る、余裕のある視座(しざ)も感じられたが、どこか自虐的にも見えた。


「ところで…あんた、この店に来るのは初めてかい?」

「え?…まあ、はい…」

「そうか…私の勘違いだね」

「ははは……」


 松浦は質問の意図に思い至り、自身の中庸(ちゅうよう)さを(あざけ)って、乾いたように笑った。


「…ところで、さっき伏魔堂がどうのとか言ってたが、あんたたち鎖倉高校の教師かい?」

「あ、はい。ご存知なんですね」

「あそこのOGなものでね…」


 女店主は懐かしむように煙を吐いた。


「…壊れたのかい?」


 女店主の眼や声色には、若干の期待と不安とが(せめ)ぎ合っているようだった。


「はい、そうなんです…。昨晩の雷が原因らしいんですが……」

「…そう。生徒たちは無事だったかい?」

「ああ…幸い死者は出ていないんですが、悪ふざけで怪我した生徒が何人か…」

「……それは―」


 女店主の瞳が揺らぎ、不安の色が微かに濃くなった。彼女は何かを言いかけたが、目の前の扉が開き、一人の女が入ってきた。


「ナミさん、お疲れー。二人、起きてこなかった?」


 どこかの国の王女が迷い込んできたのかと錯覚した。松浦はともかく、親交の深い女店主でも一瞬そう見紛ってしまうほどの美貌。


「…お疲れ様、ツキノ。大丈夫よ、ぐっすり寝てるわ」

「そっか。今日もありがとね」


 セミロングの金髪を揺らす彼女に、女店主―もといナミは、灰皿に煙草を擦り付けながら応じた。


「ん?なに?」


 その王女は、ある視線に気づいた。自身の右側のカウンター席から、こちらを見上げるような視線に。


「いえ、綺麗な方だなと思って…」


 松浦夕凪は、あまりの美貌に吐息した。特徴が無さすぎることくらいが特徴である、味気ない自身を痛烈に認識していたことも相まったのだろう。


 毛髪は空気に溶け込んだように流麗に揺れ、それでいて一本一本が繊細に煌めいている。


 顔を構成するパーツは一つ一つが豪奢(ごうしゃ)な存在感を有しているが、一つ一つが漏れなく抜きんでているために勢力争いが起こらず、和平協定どころか友好条約を結び、淑やかで奥ゆかしげな印象も(かも)し出している。


 肌は言うまでもなく透明感があったが、それは雪肌(ゆきはだ)というよりは月肌(つきはだ)であった。うすぼんやりとした輝きをまとっているようだった。しずしずとした、風情(ふぜい)のある輝きは、眩い光を纏うよりも一層、彼女の美貌を引き立てた。


 凹凸がはっきりした肢体は、純白のタイトなワンピースで包まれ、太ももの中辺りから下は大胆に露出されている。しかし、その上品な白色と彼女の月肌が相まって、色っぽさよりも美しさの方がまず先に飛び込んでくる。


 やはり、舞踏会から抜け出してきた王女のようであった。ティアラをつけていても違和感はないであろう。

 しかし、王女と呼ぶには些か、影が感じられた。月の背後に広がる夜空のような、寒々とした暗さがどこかに漂っていた。


「ははっ、ありがと。……あれ?私、あなたとどこかで会ってる?」


 彼女は、もう散々言われてきて慣れ切っているであろう賛辞にも、誠実に美しく微笑み、感謝した。そして、先程のナミと同じ趣旨の質問を松浦へぶつけた。


「ははは…そういう顔なんです」


 松浦は、もう散々言われてきて慣れ切っているであろう言葉に、深く傷ついた。だが、


「あははっ、確かにそれは否めないけど……あなたも綺麗だよ」


 彼女は、松浦が今まで言われそうで言われなかった言葉を贈った。


「そ、そうですかね?」


 お世辞だとしても、松浦の胸は幾分か躍った。


「ええ、もちろん。名前はなんていうの?」

「あ、松浦夕凪と申します。高校で教師をしています」

「へー、先生なんだ…。凄いね」

「いえいえ、滅相もない」


 松浦に興味を持ったらしい彼女は、彼女の隣の席に座り、ナミから受け取ったワインを飲み始めた。


「はははっ、私には出来ないことだから、凄いよ。私は雲隠月乃(くもがくれつきの)。この辺りのクラブでホステスをやってる女」


 王女は、心地よさそうに酔い、妖艶に微笑みながら名乗った。


「ええ…かっこいい……。絶対に私には出来ないことです…」


 松浦は、雲隠の(まばゆ)さに身を隠したくなる思いだった。


「いやあ、夕凪ちゃんも綺麗だってば。私はあなたのこと好きだけどなあ。私なんかよりよっぽど強く生きてそうだから」


 悪戯っぽく微笑みながら、雲隠は言った。しかし、その言葉には実体のある羨望(せんぼう)が籠っていた。


「あわわ…そういうこと言わないでください。慣れてないので、照れます」

「ははは、ごめんね」


 松浦は危うく、彼女に惚れてしまいそうになり、正気を取り戻すためワインを胃へ注ぎ込んだ。


 ちなみに、村雨の醜態(しゅうたい)で霞んでいるが、松浦も彼女とほぼ同量のアルコールを摂取している。それなのに、松浦夕凪は、どこで磨いたのか、あるいは元から持っていたのか、大酒豪とでも言うべきアルコールへの耐性と強靭な精神力で、顔をほんのりと赤くするのみに留まっている。


 村雨が弱いのではない。松浦が強いのである。


「…ところで、お二人はどういったご関係で?」


 松浦は、これ以上の羞恥を避けるためなのか、話題を逸らした。


「ん?…ああ、私ここの常連なの」


 いつの間にか雲隠も、ナミのように煙草を燻らせ始めていた。


「さっき(おっしゃ)っていた『二人』というのは、お子さんですか?」

「そうそう。ホントは(めい)(おい)なんだけどね。あの子の母親―要は私の姉が亡くなっちゃったから、私が引き取って育ててるの。んで、ナミさんは私が仕事ある日に子どもたちを預かってくれてるの。家で一人にするわけにも行かないしね」


 雲隠は煙を吐きながら、様々な地点へ次々に思いを馳せるような遠い目をしていた。


「結婚は……」

「いや、してない。…前まで男はいたんだけどねー。捨てられちゃった」


 雲隠は煙草を噛み、歯茎を見せながら笑った。遠い目はそのままに。


『なんやお前。日本の女全員の顔足して、その分で割ったみたいな顔しとるの』

『えー……』

『せやけど……あんたの笑顔に一番元気もろたわ。おおきに』


 松浦は何故かそんなことを思い出していた。腹立たしくも、暖かい記憶。そして、もう手に入ることはない幸福。


「あー、やめやめ!楽しく飲もうよ、夕凪センセ」


 自身の憂鬱を振り払おうとしたのか、松浦の表情に何かを感じたのか、雲隠は煙草を灰皿に押し付けながらワイングラスを松浦の方へ掲げた。


「……そうですね。じゃあ、最後に一杯だけ」


 スナックさざなみに、乾いた音が鳴った。


 ※※※


「うぅぅん……」

「はいはい、しゃんと…して……ください。……真希先生」


 二人の教師は夜の鎖町を歩いていた。筋肉質のため、女性と言えどそこそこ重量のある村雨に肩を貸し―というより、ほぼ引きずるような形で松浦は歩いた。彼女は苦悶の表情を浮かべ、額には汗が滲んでていた。

 タクシーを拾うため、大通りへ向かって歩いた。春の夜風は生暖かく、火照る身体を心地良く吹き抜けた。その心地良さのせいで、村雨の眠気がより一層深くなり、重量が増した。


「もう!…真希先生!」

「ぐがあああああ…」

「はあ…」


 路上で大の字に寝そべる村雨を見下ろしながら、松浦は頭を抱えてため息を吐く。彼女は相変わらず頬が少し赤くなっているのみで、鮮明に正気を保っている。


「そんなに酔えて羨ましいです…」


 ―酒で酔えなくなったのはいつからだろう。


 松浦夕凪は、村雨に羨望の眼差しを向けながら、どこか儚い笑みを浮かべた。夕焼けのような寂しさを真夜中に溶かして。

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