4/12-②「不毛な開戦と昼寝男子」
「は?ふざけんなよ、長良井」
「ふざけていませんが」
校舎4階の人気のない空き教室。朝も昼も夕方も、陽が出ている時間帯であるのに何故か終始薄暗く陰気な部屋。そこが鎖倉高校オカルト研究部ことオカ研の活動場所である。その教室の入り口で、私と不毛な水掛け論を展開しているこの女がオカ研部長の……とりあえずオカ研の部長である。
松浦夕凪と別れた後、私と宇治山君は彼女とのこれからの接し方について軽く話し合い、そして今日のところは解散という運びになった。彼と共に帰途に着かずに私がこうして校舎に残っている理由。それは即ち、現在所属している部から足を洗うためである。
部活に所属することが義務のこの高校で私は、暇つぶしにでもなればと様々な部に所属していた。サイクリング部。クイズ研究部。文芸部。そして、このオカルト研究部である。一応、小中高と一貫して心掛けていることなのだが、その学校に存在する部活には一通り入るようにしている。そのうえで退屈な部活とまだマシな部活を選別して、所属する部活を決める。
結局、小中は全ての部活を退部したが、高校は既存の部のバラエティが多少富んでいたので、先程挙げた四つの部活に兼部という形で所属することになった。四つとも、運動部のようなこれといった大会は無い部であったので、1~2週間に一度顔を出せば良いだけなのだが、現在事情が大きく変わってしまった。少しの足踏みも許容できない。
よって、各部の部長、もしくは顧問に退部届を提出して回っている訳である。オカ研以外の三つは難なく去ることができた。余計に馴れ合わなかったおかげだろう。しかし、オカ研に関してはこの有様でかれこれ十数分、水を掛け合っている。それは何故か。
「だからさぁ、ウチにはもう3人しかいないわけ。お前を入れて」
「いえ、たった今私はこの部を辞めたはずです」
「話を聞け、バカ。それにまだお前の退部は了承してねえ」
一旦口を噤んでやる。
「いいか、長良井。数少ない部員の一人であるお前が辞めたらどうなる?同好会扱いのこの部は、もう廃部だ」
いかにも悲劇のヒロインという感じの下手くそな芝居で情に訴えかけようとしてくる。部長がこのようにつまらない人間のため、オカ研へ顔を出す頻度は所属する部で一番少なかった。
「だから何なんですか。部活動への入退部は自由の筈です。私が快適な学校生活を送ろうとするのを邪魔しないでください」
「はぁ?じゃあ私たちの学校生活は絶望の淵に叩き落されても良いってか?それになんだよ、異能部って。ウチと活動内容ほぼ同じじゃん」
薄い反論だ。面倒なので確実に逃げ道をなくしていく。冷静にゆったりと圧をかける。
「校則として、1つの概念に対して3人以上同じ志を持つ生徒が集まった時にだけ同好会等は結成できるという旨があるはずです。それを満たせなくなった以上、廃部になって然るべきです。この部を去る私に怒りの矛先を向けるより、私の志を保つことができなかった、もしくは一生徒ごときが辞めただけで瓦解するまでに同志が減ってしまったこの部の活動内容に問題意識を抱くのが賢明かと存じます。あと、異能部とこの部は全くの別物です。勘違いしないでください」
「くっ、言わせておけばぁ…。じゃ、じゃあ何が違うか言ってみろよ」
苦し紛れか。そんなの分かり切っているだろう。一呼吸おいて告げる。
「熱意、そして異能が扱えるかどうか」
「…はぁ?なんだよそれ。異能ってなんだよ」
「これですが」
教頭に見せたのと同じ空き缶を鞄から出し、先程のように実演する。
「…要は手品ってこ―」
「異能です」
教頭や松浦の時もそうだったが、あくまで手品と誤認させるのがこちらの目的なのでその反応は狙い通りなのだが、いささか腹が立つ。矛盾しているのは重々承知だが、こちらにもプライドがある。ひとこと言っておかねばならないのだ。
「…でも、今までは兼部を―」
「異能部の活動に集中したいです」
「籍を置いておくだけでも―」
「この学校は幽霊部員には厳しく最低でも二週間に一回は活動していることを顧問に証明しないといけません」
「それでもいいから―」
「異能部の活動に集中したいです」
「ぐあああ……ああもう分かった、分かったよ。異能部でもなんでも作ればいい」
部長はそれはそれは悔しそうに髪を搔きむしっている。やっと分かってくれたか。長い戦いだった。
「だがこちらにもプライドがある。ひとつ、勝負をしないか」
「……は?」
※※※
「……」
俺はある男子生徒に興味をひかれていた。ここは鎖倉高校の校舎屋上。
松浦先生と別れた後、俺と長良井さんは彼女とのこれからの接し方について軽く話し合い、そして今日のところは解散という運びになった。長良井さんは、現在所属している部を全て辞めるための手続きに行くとのことだった。特に早く帰る理由も無かった俺は、昨日転校してきたこの高校を探索することにした。いくつかのフロアを見て回った後、この屋上に辿り着いたという訳だ。
屋内に射し込む古びたガラス越しの夕陽とは違い、この屋上を支配しているのは、より澄んだ橙赤色の陽光。今この場で誰かが死んでしまったような静かな寂しさと、それを吞み込み世界を進めようとするお天道様の厳かな迫力が混在していた。一人だったからそんなことを感じたのかもしれない。まあ、そこにいたのは俺一人ではなかったのだが。
「Zzz」
いびき以外の何物でもないお手本通りのいびきが頭上から聞こえてきた。こんな時間のこんな場所ということもあって、人がいるのを全く想定していなかったため、少し驚かされた。そのいびきは屋内と屋外を繋ぐ扉が取り付けられている、塔屋の上から聞こえる。側面に取り付けられた梯子を登り、そこを覗く。
「Zzz」
一人の男子生徒がそこにいた。背の高い男だ。俺より5,6センチは高いだろうか。体格も逞しく、よく鍛え抜かれているのが服越しでもわかる。黒い短髪で、サイドをより短く刈り込んでいる。人相はあまり良いとは言えない、いわゆる強面というような顔だが、寝顔を見る限りその表情の端々に柔和さも感じられる。
さて、どうしたものか。そろそろ完全下校の時刻だ。一応そういった旨の放送はこれから流れるだろうが、それで彼が目覚められるのかは俺にはわからない。まあ、このまま放っておいても見回りの警備員か教師が来て起こされはするだろうが。
「……起こすか」
教師らに起こされて注意されるより、俺に起こされたほうが全然いいだろう。こんなところにいたら見つからない可能性もある。
そして何より、彼に興味がわいた。長良井さんとはまた違う面白さを彼に感じた。無性に彼と話さなければいけない気がした。
「君、もう帰る時間だよ」
彼の肩をゆすりながらそう声をかけた。
「Zzz……はっ」
彼は目を覚まし、飛び起きた。
「おい、あんた。今何時?」
なにか予定でもあるのか、かなり焦っている様子だ。さっきまでいびきをかいていた人間と同一人物とは思えない。
「6時50分前後のはずだよ」
ここに来る直前に見た時計の時刻を伝える。
「ふぅ、危ねぇ。あと10分遅れてたらやばかったぜ」
彼は安心した様子でため息をつく。そしてようやく俺の存在に思い至る。
「あー、すまん。礼を言うのが遅れた。起こしてくれて助かったよ、恩に着る」
彼はあぐらをかきながら深々と頭を下げる。まるで武士だ。
「大したことないよ。それはそうと帰らなくていいの?予定あるんでしょ」
「あー、そうだった。あんた…えーと」
「宇治山辰巳っていうんだ、よろしく」
「3組の転校生か!名前だけ聞いてたんだよ。手品めっちゃ上手いって評判だったぜ」
「あー、うん。らしいね」
少し苦笑い気味に肯定する。
そこまで噂が広まっているのは少し想定外だ。同じ能力者を探すためだったとはいえ、目立ちすぎたか。反省だ。まあ、異能部は外面的にはオカルト奇術部としてやっていくつもりではあるので、その点は好都合だ。結果的に布石になった形だ。
すかさず彼も自己紹介を始める。
「俺は4組の岸波。下の名前は夢の路って書いて夢路だ。よろしくな」
「ああ、よろしく」
「おう。それはそうとお前もこれから帰りか?」
軽く握手を交わした後、岸波君はそんなことを聞いてきた。
「ああ、そのつもりだよ」
「よし。じゃあ、一緒に帰ろーぜ」
「……え?」
※※※
「うわ、すげぇな。マジでタネ分からねえわ。超能力じゃん」
「はは、どーも」
岸波君の拍手が住宅街に小さく響く。
あの屋上での邂逅から5分ほどで俺と岸波君は帰途に着き、途中まで帰り道が同じらしいことが分かったのでそこまで共に帰ることになった。校門から出てすぐに手品を見せて欲しい、と頼まれたので彼からスマホを預かり一瞬で彼のポケットに戻す、という芸当を今して見せたところである。
「ありがとな。手品まで見せてもらってよ」
「いや、これくらいなんでもないよ」
彼はとにかく礼儀が正しい。それとない気遣いも欠かさない。おそらく大勢の人間から幅広く好かれるタイプなんだろう。その性格が強面な容姿の中に柔和さを滲みださせている原因かもしれない。
「お礼と言っちゃなんだけどよ、俺に出来ることがあったらなんでも言ってくれ」
こんなことまで言ってきた。
「少し…大袈裟じゃないかな」
微笑みながらそう告げる。すると、彼は反省したように苦笑しながら、
「あー、すまねぇ。人助けが趣味だからよ。普段からついつい言っちまうんだよな」
「人助けが趣味……」
やはり俺には無いものを彼は持っている気がする。より興味が湧いてくる。
あくまで俺の目的は「自分が何者か知ること」であり、異能を持つ者を渇望し、その者に興味を抱くのはごく当たり前のことである。だが、記憶が曖昧な反動か、あからさまに俺に無いものを持つ者にも興味が湧く。岸波君はこれに当たるだろう。しかし、長良井さんへの場合は、この二種類の興味のどちらも俺は抱いていると言って良い。
「おう、だから全然気軽に言ってくれ」
あるいは岸波君もそうなるかもしれないが。
「分かったよ。その時が来たらよろしく。…それで話は変わるんだけど、なんであんなとこで寝てたんだい?」
とりあえず話題を変え、純粋に疑問に思っていたことを問うた。
「へ?別に意味なんてねぇけど…屋上ってなんか眠くなんじゃん」
「じゃあ、なんで屋上にいたの?」
「屋上から見る景色…っつーか、何でもてっぺんから見る景色が好きでよ。学校だと屋上が一番高ぇだろ?だから放課後はよくあそこ行くんだよな」
今はもう落ちてしまった夕陽のように目を輝かせて彼は言う。
「あはは、それでつい眠ってしまったんだ」
彼が眩いほどに純粋で、つい吹き出してしまった。
「ははっ、そういうことだな」
歯茎が見えるくらいの満面の笑みで彼は笑い返す。
「それで、予定の方は大丈夫?」
「ん、ああ。お前が起こしてくれたからな。このままいけば時間通りに着くだろうよ」
「それは君の家に?」
「あー、一応家には着替えに寄るけど、目的地は学校近くの公園だ」
「誰かと待ち合わせ?」
「おう、先輩とな。優しい人だけど、やっぱ遅刻は失礼だからな。マジで助かったぜ」
平日の公園、しかもこの時間帯に先輩と待ち合わせ、か。よく分からないが、彼女とかだろうか。まあ、これ以上詮索する話でもないだろう。
「あ、俺の家こっちだからよ。そんじゃ―」
十字路のあたりに来たところで岸波君は俺とは別の方向に行こうとする。
長良井さんに相談せずに事を運ぶのは申し訳ないが、俺は彼をものすごく面白いと思う。長良井さんとはまた異質のものだが、同じくらいに彼は面白い。
「ごめん、最後にいくつか聞いていいかな?」
そう言って彼を引き止めた。
「ん、おう」
「岸波君は何部?」
「ボランティア部だ」
想像通り過ぎて思わず笑ってしまう。
「ははっ、岸波君らしいね」
「そうだろ?結構評判良いんだぜ?」
彼はいかにも誇らしげな笑みを、冗談っぽく浮かべる。
「やっぱりその部って毎日忙しいかな」
「うーん、まあ大体な。一応休日はあるぜ。……でも、どうしてだ?あ、もしかしてまだ部活決めてないとかか?ウチ、どうよ?」
思いがけず勧誘されてしまった。まあ、彼といると退屈はしなさそうだが、その部に入るのは俺の本意ではない。俺は異能部で残りの高校生活を過ごすと既に決めた。とすると、彼にこちらから申し出る内容は一つ。
「いや、実は新しく部活を作ろうと思ってるんだ」
「あー、そういうこと。つまり俺が入れば設立に必要な頭数が揃う、みたいな感じか?」
「そうなんだ。異能部と言うんだけど、都市伝せ―」
「良いぞ」
息を吐くように彼は了承した。しかし、そこに軽薄さは断固として含まれていない。あくまで真摯な了承なのだ。これはもう笑うしかない。ここまで来ると狂人の域だ。
「あははっ、マジ?」
「おう、もちろん。明日またじっくり話そうぜ。んじゃっ」
彼はあっけらかんとした顔でそう言って少し早足で帰途についた。そして、こちらを振り返らずに、別れの挨拶とばかりに掲げた右手だけを振りながら彼は去って行った。その背中は男の背中と呼ぶに相応しかった。
「かっけぇ…」
あまりの衝撃にそう呟いた。
彼のあの性質は融通の効く頑なさ、とでも言えば良いのだろうか。そのうえ、あの男は柔和な強面ときている。相反する二項を併せ持つオクシモロン的な男、岸波夢路。あの男、やはりどこまでも面白い。
―と思いつつも、長良井さんが彼を異能部に受け入れてくれるか、明日の心配をしながら俺も帰途に着いた。