閑話「鎖倉高校の秘密結社」
鎖倉高校オカルト研究部部長とは、私の仮の姿である。私の本職であり、天職は、昭和四十八年から連綿と受け継がれてきた鎖倉高校レジスタンスの四十六代目指導者なのである。
我が組織は昭和四十八年から施行されたある校則のために、初代指導者・稲瀬葦麻呂によって設立された。その校則とは、鎖倉高校校則第三十二条に規定されている「全生徒への部活動の強制」。やがて、「生徒の生徒による生徒のための自由な青春」という崇高なスローガンが掲げられ、レジスタンスは現代に至るまで秘密裏に抵抗活動を続けている。
やりたい事など別にない。汗水を流したくない。他者と馴れ合いたくない。そんな気高い生徒たちに対して、権力を不当に行使し、彼らの貴い意志を抑圧し、踏み躙り、青春に泥を塗る。このような暴挙に目を瞑っていてはならぬ。しかし、生徒の味方であるべき生徒会は所詮、学校に手懐けられた飼い犬だ。歴代最高と名高い、当代の生徒会長・色恋忍にしてみたって、いつまでも例の校則を撤廃しようとしない小物である。我らは、そんな行き場のない生徒を手厚く保護し、組織の息のかかった幾つかの部活の一つに所属させ、忌まわしき部活動ガン無視の自由なスクールライフを送らせているのだ。
約700人の全校生徒のうち、100人ほどがレジスタンスとして活動、あるいはレジスタンスの恩恵に与っている。職員にも数名、協力者がおり、今代は生徒会会計のポジションに工作員を送り込むことにも成功している。この盤石な体制を維持したまま、私は秋頃の引継ぎ式まで悠々自適な青春を送らせてもらおう。そう思っていたのに――
「今日限りで退部させて頂きます」
迂闊に触れた者を皆駆逐するという点では最強の矛、一切の領土侵犯を許さないという点では最強の盾。本来とは違った意味で「矛盾」の異名を欲しいままにする女生徒、長良井世恋。「やりたい事など別にない。汗水を流したくない。他者と馴れ合いたくない」と顔に描かれているような我々の同類。
だと思えば、この高校にある全ての部活を網羅しているという逸話もある。更に深く掘り進んでいくと、小中においてもそれを達成していたというのだから呆れ果てて言葉も出ない。奇行というか、愚行というか、偉業というか、なんというか。何を考えているのか全く分からない女だった。だが大半の部をすぐ辞める彼女が、何故かオカ研には長期的に籍を置いていたから、レジスタンスに仇名さない限りはこちらからは何も干渉せず、オカ研という隠れ蓑の存続のための人畜無害な部員として惰性的に放置していた。
それが甘かった。レジスタンスに打撃を与えようとしたのか、はたまた異能部とかいう胡散臭い部活動に本当に熱意を持っていたのか、彼女は突然動き出したのだ。
「だがこちらにもプライドがある。ひとつ、勝負をしないか」
四月という繁忙期の影響でオカ研の人員調節が少々上手くいっていないこのタイミングでの、長良井の退部届。このままでは、レジスタンス傘下の貴重な部が一つ失われてしまう。流石の私も、焦りに焦った。その場のテンションで「七不思議戦争」なんていう不毛な争いを勃発させてしまうくらいには焦っていた。冷静に考えて長良井はこの戦いを受けて立つ必要は無かったのだが、彼女は妙に活力を漲らせた表情で了承した。
正直に言って「七不思議戦争」以外にも部を存続させる手段はあった。しかし、試してみたくなった。屈服させてみたくなった。活力や行動力を持った奴を。学生生活に意義や希望を見出している奴を。長良井世恋を。
勝算はあった。しかも、あちらが必死こいて校内を駆けずり回っている中、こちらは快適な部室でくつろいでいるだけで勝てるというような、この戦争での私の目的に見事に合致する策があった。
私は、これまで形成してきた校内各方面への裏の人脈を駆使し、小型カメラや小型マイクをかき集めた。詳しい入手元は言えないが、生徒会会計の位置にいる例の工作員やレジスタンス発足からこれまでの諜報活動などが関係している、とだけ言っておく。私と藤原(レジスタンスがオカ研で保護している女生徒で、今では諜報活動にも一役買っている)は、その機材を校内の至る所に仕掛けた。それらの映像や音声をオカ研の部室内に設営した簡易的なモニタールームに繋ぎ、くつろぎながら異能部が垂れ流す甘い蜜を啜る。
そう。私の策とは、労力をかけず、汗水を垂らさず、異能部と同じだけの結果を提示する、言わば相討ちを狙うこと。この策が成った時、活力や行動力を持った、学生生活に意義や希望を見出している者を、そうではない私が踏み躙ったということが出来るのだ。「両部の得点が同一だった場合、両部の協議のもと定められた新たな対決で再度競うこととする」というルールを盛り込んだのもそのためである。私は、敗北さえしなければいい。そう思っていたのに――
「なんだよ、これ……」
またもや、長良井世恋が私を揺らがせた。テケテケ。タマオ。花子さん。そして、異能。危険に次ぐ危険。命懸けに次ぐ命懸け。死地に次ぐ死地。正直、私は相当やばいものに首を突っ込んでしまったのだと思った。だが、それ以上に自分が惨めに思えてきた。
「こいつらの顔……」
気のせいなのかもしれない。だが、私の目にはそう映ってしまったのだから仕方がない。
「綺麗だ」
容姿端麗だとかそういう意味ではない。彼らの顔が妙に、晴れやかで、輝いて見えた。
「敗北さえしなければいい……だって?」
私は、自分に辟易した。今の方法で異能部と相討ちに持ち込めたとして、相討ちなんて図々しいことを言えたものか。異能部が死ぬ気で得た一点には、オカ研が惰性で得た十点とは比べ物にならないほどの重みがある。
ここで真っ向から勝負しなきゃ、ここで真に勝たなきゃ、私の人生に鮮やかさが宿ることはない。
「藤原、明日は下校時刻ギリギリに校門前に来てくれ」
土曜日の夜、藤原に電話で伝えた。
「先輩、なんだか…声が変わった気が…。本物の先輩をどこにやったんですか?」
「いや、私が本物だよ!」
藤原は、180度の戦略転換にも嫌な顔一つせず、むしろ嬉しそうに付いてきてくれた。この戦いが終わったら、引くくらい奢ってやろうと思った。
「それにしても、何故こんな時間に?お寝坊でもしましたか?」
「いや、忘れ物だよ。色々と忘れてきたんだ。あの校舎に」
長良井世恋に気付かされた忘れ物を取り戻すために、私と藤原は記録用のビデオカメラを持って夜の学校に潜入した。日曜日から水曜日まで毎日潜入した。例の人脈を駆使して、学校に潜入することや人感センサーを切ることは難なく行えた。問題は、勝利するために異能部が把握していない、解決していない七不思議を重点的に調査する必要があったことだ。だが、その問題も藤原のおかげで解決した。何故かこの学校の七不思議を異能部以上に網羅しており、霊感も持っていた彼女は、異能を持たない我々にも扱えそうな危険度の低い七不思議を選定してくれた。ときたま、選定を見誤り命の危機に瀕することもあったが、何とか生還した。
私は危険に身を投じたことを後悔することもあったが、今まで抜け落ちていた何かが満ちていく感覚も確かにあった。藤原と駆け抜けた闇夜の学校は、確かな色彩を帯びていた。
―そして、最終日。私と藤原は、確実な勝利を求めて、そして好奇心に従って、伏魔堂の扉を開けた。
危険なことは分かっていた。だが、もう私たちは止まれなかった。今まで失ってきた時間を取り戻そうと必死になっていた。高揚していた。
「くさい……」
霊感のある藤原が、入るなり顔を歪めながらそんなことを訴えてきた。これまでの七不思議とは格が違うことを悟った。それでも、止まらなかった。藤原が、特に臭いの強い部屋を指し示した。入口から見て左奥の部屋である。
「うっ……」
「大丈夫か?お前は外出てても良いんだぞ?」
悪臭に苦しむ藤原を気遣いながら、積み重なる学校の備品をかき分けて探索していた。
「―ん?これ、なんだ?」
一枚の油絵が出てきた。
「美人だなあ……」
「ですねえ……」
美しい。それ以外に相応しい言葉が見つからない女性の肖像画だった。藤原も悪臭を忘れるほどに魅入られていた。だが、次の瞬間―
「―え?」
その絵画が桃色に発光した。尋常ではない強さの光であった。
「かはっ」
視界が覚束ない中、何かに首を絞められた。木の枝のような肌触りで、それでいて弾力があるような気味の悪い、何か。
「きゃあああああああああああああああああああ」
震えて縮こまりながら、恐ろしそうにこちらを見上げて叫び出す藤原が、足元に見えた。
「やかましいのう。……しっかし、この狩り場は久しいのう。あの二匹の小娘さえ逃さなければ、余の腹は今頃もっと膨れておったのに。貴様らもそうは思わぬか?……ん?もう一人来たのう。なあんじゃ、男か。あまり味は好かんのじゃが……まあ、邪魔じゃから殺すか」
私にはあまり霊感が無いので、何を言っているのかは分からなかった。
ただ、心臓が凍てつくような美しい声が聞こえた。