4/19「一筋の光明」
『負けるのか?』
『―いいや。敗北なんて微塵も考えてない』
『はははっ、だよな!異能とか四次元とか、今は何のこっちゃ良く分からんが、とりあえず明日からの三日間は俺も出来るだけ協力するからよ。絶対勝とうぜ!』
そうだ。我々は何としてでも勝利を収めなければならぬ。残り三つの不可思議、絶対に解き明か―――
月曜日。曇り時々小雨。目立った成果なし。
火曜日。風雨。目立った成果なし。
そして、水曜日。雷雨。終戦を告げるには余りにも烈しく―。
※※※
後に聞いた話によると、我々は部室兼調査対象の伏魔堂の鍵を取りに訪れた職員室の前で、床に座り込み、あらぬ方向に視線を向け、1リットルほどの涎を垂らす勢いで口を半開し、魂の残飯のようなもので辛うじて意識を保っていたという。私たちの無防備な耳元で大声で呼びかけ、私たちを正気に戻した松浦夕凪の談である。
「君たち大丈夫?根詰めて部活し過ぎなんじゃないの?最近、階段で制服のまま、体育会系も顔負けのラントレーニングしてるって情報入ってきてますよ?もう…一体、何を目指してるんですか?」
予測不能の行動を取る我々に、多少呆れつつも彼女は儚い微笑みを浮かべている。
「はいはい。しゃんとして下さい、二人とも。そんなんじゃ、最後立ち上がれませんよ。最後の最後で好機も逃します」
松浦に鼓舞され、介助され、何とか私と宇治山君は立ち上がった。
「まあ、今の君たちはちゃーんと休んだ方が良いけどねっ。―あ。本当に、間違っても、絶対に、『夜の方が幽霊が出やすいんだ!』とか言いながら、血迷って夜の学校に侵入とかしないで下さいよ?なんか今の君たち、手段を選ばなさそうな眼をしてるけど、ぜっっっっったいに、やめてね!フリじゃないからね!ホントに!」
身体中に電流が走った。宇治山君の体内に走った電流も同時に感覚した。窓の外で唸る雷鳴よりも、疾く鋭く迸った。その電流で危うく焼死かショック死を遂げるところであった。
「「はい、流石に弁えています」」
「あ、そう?まあ、一応優等生二人組だし、そこら辺のラインは分かってるか!あはは、ごめんごめん。じゃあ、先生そろそろ行くから—って、あ。今、初めて一人称を『先生』にしたかも…。はあ、私も段々、教師が板に付いてきて―」
我々異能部の顧問、松浦夕凪…先生。ごめんなさい。先生の期待には添えません。先生の優しさを無下にし、想いを裏切る愚かな我々を許してください。
―とまでは言いませんが、我々の裏切りに、どうか気付かないでください。
『よるのおおおおお!がっこううううう!その手が、あったあああああああああああ!!!!一筋の、光明おおおおおおおおおお!!!!バイブスの、熱帯低気圧ううううううううううううう!!!!!いええええええええええい!!!!』
この魂の叫びは私か宇治山君か、あるいはその両方のモノローグである。
※※※
校内、某階段脇。
「…大丈夫?岸波君?」
岸波夢路は、床に座り込み、あらぬ方向に視線を向け、1リットルほどの涎を垂らす勢いで口を半開し、魂の残飯のようなもので辛うじて意識を保っていた。
今日の伏魔堂での嗅覚鍛錬も、校舎の階段での筋力・持久力鍛錬も、何のハプニングもなく無事終了した。いや、終了してしまった。日曜の帰路、この戦争の勝利をあそこまで固く誓い合った後に、この静寂の三日間だ。現実から目を背けて眼球に有給休暇を与えたくもなるだろう。実際、私と宇治山君もそうだった。先程までは、だが。
「…ふう。でも、日曜日からの四日間、この四人で誰ひとり欠けることなく懸命に頑張りましたよ。僕たち全員、表彰台には立てなくても、誰にも断てない絆…芽生えてるんじゃ、ないですか?」
伊藤は、爪が伸び放題の親指を立てて、下手くそ過ぎて両目を閉じてしまうという不細工なウインクをし、大して白くも輝いてもいない歯を剝き出しにしてむさ苦しい笑みを浮かべ、鼻につくユーモアで敗色濃厚なこの場を締めようとした。
「その親指、二度と立たなくしてやろうか?」
当事者ではないからと、いい気になりやがって。私や宇治山君、岸波君のようにこいつも虚脱状態になってしまえばいいのに。しかし、こいつの腐った舌鋒は虚脱状態になっても会話くらいは難なく出来そうだから鬱陶しい。
このように岸波君と伊藤は、もう敗戦を受け入れようとしているが、私と宇治山君にはまだ足掻きようがある。予測不能性と校則に対する違反性から、ここから先はもうこの二人を巻き込む訳にはいかない。
「岸波君、ついでに伊藤も、四日間の協力感謝するわ。あちらがどれだけの得点を持っているかまだ分からないから、こちらが勝利している可能性も十分あるわ。今はそこまで悲観せずに―」
「おまえらをたすけられなかったおれはそれいがいにそんざいかちなんてないのにおれはたすけられなかったどうせだれもたすけられないんだおれは―」
岸波君は、俯きながら念仏のように何かをぶつぶつと呟いていた。口元が良く見えず、声も小さかったため、何を言っているかは分からなかった。
「岸波君……?」
「―ん?あ、ああ。そうだよな!まだ負けてない。落ち込んでても仕方ないし、むしろ明日の結果発表を楽しみにしてようぜ!」
私の気のせいだったのだろうか。普段通りの、異能部の精神的支柱・岸波夢路がそこにはいた。
「そうだね。何だか勝てる気がしてきたよ」
岸波君とはおそらく別の意味だが、宇治山君も同調する。
「僕たちなら何だってできますよ!」
本当に何故か分からないが、伊藤の発言にいちいち腹が立つ。
「それじゃあ、今日は天気も悪いし、帰宅方法もそれぞれ違うでしょうから、ここで解散しましょうか」
私のその言葉を今日の締まりとし、私たちはそれぞれ歩き出した。
「今夜を有終の美で飾りましょう」
宇治山君の耳元で、強く、囁いた。
「ああ、もちろ―」
宇治山君も、強い意志の灯る瞳をこちらに向けて―
「長良井さん…?顔色悪いよ?」
身体中に、熱が迸っていた。