4/15-⑨「調査結果:女子トイレ及び―」
「……」
「ねえねえ、おねえちゃんっ!おなまえはなんてゆーの?」
その幼女は、今朝の体育館に出現した、皮を被ったマセガキのような台詞を吐く。可愛げのある、ふんわりとしたおかっぱ頭と赤いスカートを揺らして、裏の読めない無邪気さを引っ提げて―と、ここまでは私が思い描いていた通りの花子像なのだが、それ以外がかけ離れ過ぎていやしないか。
「長良井…世恋…」
「よろしくね!セレンおねえちゃん!」
いや、無邪気とは言っても無邪気すぎやしないだろうか。タマオのようにこちらを舐め腐って手玉に取ろうとするような様子が少しも無い。幼児なりの年上への興味や憧れに似た敬いをひしひしと感じることができる。「花子さん」というより「花子ちゃん」である。拍子抜けの勢い余って異能を解いてしまうほどには無邪気なのである。
そして、私の認識との相違はそれだけではない。
「…その格好は…何?」
「まほうしょうじょ!お姉ちゃんとまほうしょうじょごっこしたいなあとおもって!」
この辺りからはもう意味が分からない。
花子は、スカートはスカートでも、普段着では着用できない程のどえらい装飾のついたもので身を纏っている。メルヘンチックでありながら、スタイリッシュで可憐な装飾である。リボンやフリルを効果的に使用する、女児向けアニメ内のコスチュームの典型のようだ。
それにしても、完成度がかなり高い。というか、近年の花子さんはこういう衣装で出現するものなのだろうか。怪異性が少しも無いのだが。こんなもの、ただトイレで遊んでいる少し物好きな女児であろう。
「……そう。…あなた、ここから出られたりする?」
「え?うん、でれるよ!このがっこうからでるのはむずかしいけど」
「良かったわ。じゃあ、少し付き合ってくれる?」
「あそびにいくの!?」
「……まあ、そんなところよ」
とりあえず、宇治山君の助太刀を要請することも兼ねて女子トイレから出ることにした。
※※※
「花子さん……花子…ハナコ…。うーん……」
「ハナコ」という文字列を怪談とは関係ないどこかで聞いた覚えがある。一時期、毎日のように頻繁に聞いていた気もするが…思い出せない。俺の過去に何か関係があるのだろうか。
「…うーん」
そうやって女子トイレの前で痒いところに手が届かないような面持ちで首を捻っていると、
「宇治山君」
「……」
「宇治山君?」
いつの間にか隣に長良井さんがいた。
「あ、長良井さん。花子さんは出てこなかったの?」
「はいはいはーーーーいっ!花子、ここにいまーーす!」
「―はい?」
女子トイレから出てきた長良井さんの背後に隠れるようにしていたその女の子は、俺が花子さんの話題を出すと同時に、長良井さんへの呼び掛けすら横取りして、最早長良井さんに成り代わりそうな勢いで、元気一杯に身体を動かして自身の存在を主張する。
「え……姪っ子とか?」
「私、一人っ子よ」
半信半疑の半疑が一瞬でかき消され、全信にならざるを得なくなった今この瞬間も、俺は何を見せられているのか良く分かっていない。
「……君が花子さん―いや、花子ちゃん…?なの……かな?」
「うんっ!おにいちゃんはなんてゆーの?」
「え…宇治山……辰巳」
「よろしくね、タツミおにいちゃん!じゃあ、おにいちゃんはあくのそしきのかんぶやって!」
「え……幹部?」
状況を咀嚼させてもらえずに喉の奥に押し込まれ、刹那的に交わされた自己紹介の最中―
「いくよ、セレンおねえちゃんっ!」
「ええ」
俺は、長良井さんと敵対させられていた。
「うぉしゅれっと・ぶらすとっ!」「Toilet Smash」
勢い任せの舌足らずなえいごと、それを嘲笑うかのように冷徹で流暢なEnglishが、俺こと悪の組織の幹部を一網打尽にする。
「う…うわああぁぁぁ―え?」
長良井さんと同じく、花子ちゃんのごっこ遊びに付き合おうと目一杯のやられ役を演じようとしたのも束の間、ほぼ反射反応に突き動かされて異能を使用し、俺は長良井さんの後方に回った。
それは何故か。
「あれ?おにいちゃんがいなくなった…」
前方に殺人未遂水流弾とでも言うべき威力の、水のビームを放ったその女の子は、相手を殺しきれなかったことへの悔しさや相手が訳の分からない能力を使ってきたことへの焦燥を抱いている様子は無く、純粋に悪気が無さそうにしており、遊び相手が突然消えたことへの戸惑いと寂しさしか感じられない。彼女が放った水流は、ある程度の距離を進むと昨日のテケテケの血液のように霧散したようだ。
「…あなた、ちゃんと強いのね」
長良井さんも外見や言動に気を取られ、不意を突かれてしまったようで驚愕と畏怖の念が表出している。
「むぅ…あたりまえだよっ!じゃなきゃ、みんなをたすけるまほうしょうじょなんてつとまらないもん…」
花子ちゃんは、頬を膨らませて拗ねたように長良井さんを見上げている。そして、どこか悲しそうな表情をしていた。
「…そう。…怪我はない?宇治山君」
「え?あ、おにいちゃん!うしろにいたんだね」
「……うん。ははは…」
先ほどの凶弾を目の当たりにした直後だと、「うしろにいたんだね」というただの無邪気な台詞がサイコホラーの色合いを帯びてしまう。一瞬、腰が引けてしまった。
「今のどうやったの!?もしかして、おにいちゃんもまほうつかいなのっ!?」
俺が突然視界から消失し、自身の死角に現れるという現象を、自身が使う魔法のようなものだと花子ちゃんは考えているようだ。
「まあ、一応…?」
「やった!じゃあ、タツミおにいちゃんはあくのまほうつかいってことにしよう!」
俺はどう足掻いても何かしらの悪になってしまうらしい。女の子が好きな「戦う美少女」作品では、どうしても大人の異性はヴィランのイメージが付き纏いがちなので仕方がないのかもしれない。いや、しかし、なぜ物怪である花子ちゃんが世間一般のまともな少女感覚を持っているのか。謎は深まるばかりである。
「セレンおねえちゃんのまほう、なまえもいいかたもこえもぜんぶかっこよくてきれいで、すき!!でも、さっき花子にはみえなかったからもういっかいやってっ。おねがい!」
長良井さんの流暢な横文字の詠唱に骨抜きにされた様子の花子ちゃんは、もう俺なんかには目もくれず長良井さんに憧憬を注ぎ、興味津々である。長良井さんは先程、ごっこ遊びと言っても攻撃対象が俺だったので、異能は微塵も使っていなかったが、花子ちゃんはそれを自身の実力不足で視認できなかったという都合の良い解釈をしてくれたらしい。
「……」
長良井さんの表情を窺ってみると、何やら思案している様子だった。そして、直後、俺に目配せをし口を開いた。
「いいわ。特別にもう一度見せてあげる」
「やったーっ!」
花子ちゃんは大はしゃぎである。そして、長良井さんの狙いはおそらく―
「……Toilet Smash」
長良井さんは、十八番のエネルギー弾を右手の人差し指から前方へ放った。いつにも増してエネルギーが煌めいてみえ、放たれた光線は廊下の突き当たりの壁を少々抉った。
「きらきらしてるーっ!かっこいい!!!!」
もう花子ちゃんは長良井さんにゾッコンである。
「今ので10%ほどの威力よ。これ以上は危険だから辞めておくわ」
長良井さんは、西部劇に出てくるようなガンマンのように涼しい表情で人差し指から薄く立ち上る硝煙のようなものを、軽く吹いた。
「セレンおねえちゃんっ…いいえ、師匠っ!花子もそのまほうがつかえるようになりますか?」
これは、想像以上にスムーズに事が運んでいるかもしれない。
「そうね。この境地に至るまでに10年はかかるかしら」
「じゅっ、10ねん……。そ、それでも!花子を弟子にしてくださいっ!」
「…覚悟はできているの?」
「はいっ!」
「そう。なら良いわ。でも、これだけは約束して」
「なに?」
「さっきのように、むやみやたらに魔法を使わないこと。真の強者は安易に力をひけらかすような事はしないのよ」
「なるほど…。花子わかった!」
長良井さんはどこかノリノリである。しっかりと花子ちゃんの目線に立って、役に徹している。
「その意気よ、花子。それじゃあ…念のため師弟の契約を結んでおきましょうか。修行の時は私から呼び出すから、常に準備を怠らないようにね」
「いえっさーっ!じゃあ、はい!」
花子ちゃんは、俺とタマオ君との契約の時のように小指を差し出す。長良井さんも小指を差し出し、両者の結ばれた指が淡く発光する。
「これからよろしくねっ!セレンおねえちゃんっ!あ、タツミおにいちゃんもっ!」
「ええ、よろしく」「こちらこそ」
俺のことは、長良井さんの付属品程度にしか考えていなさそうな反応だ。少し悲しい。だが、俺にはタマオ君がいる。
長良井さんの狙いは、彼女―花子ちゃんとの契約だった。おそらく、俺と長良井さんのそれぞれが一体ずつ怪異と契約を交わしていた方が後々都合が良いと考えたのだろう。それは俺も同感だ。この先、異能部の活動がどのような状況になるか予測がつかなすぎる。こちら側に引き込める怪異は引き込めるだけ引き込んでいた方が良い。情報源にもなるうえ、先のテケテケ戦のような有事の際に戦力としても見込める。そして、そういった打算抜きにしても、何より彼らは面白い。友人としての関係も築いていけたなら俺にとってはこの上ない幸いだ。
「ところで、花子。あなたに聞いておきたいことがあるのだけど」
長良井さんは、今朝タマオにも見せた例の七不思議調査リストを取り出した。いつ見ても上手くまとめらているなと感心するが、彼女が言うには新聞部時代に培われたノウハウを使用しているらしい。
「この中のどれかに見覚えはない?」
伏魔堂にも肩透かしを食らい、ちょうど行き詰まっていたところだ。花子ちゃんの存在はテケテケやタマオ君の時のように証人がいないので、七不思議戦争の戦況には影響しないだろうが、彼女の情報から何か手がかりを得られる可能性は十分にある。長良井さんもそれを加味して突然、三番目の個室の儀式を始めたのだろう。
「う~~ん」
花子ちゃんは小首を傾げて、可愛げのある悩ましさを漂わせている。
「……あ!」
リストの中段辺りに視線を移動させた彼女は、瞬間、何か重大なことに気付いたような、少々恥じらいも含んだような上ずった声を上げた。
「これ、花子のことだ…えへへ」
照れたように笑う花子ちゃんが指し示した位置には―
『強いて言うなら、少し幼い声だった気がします』
「存在しない放送部員…あなただったのね」
長良井さんは拍子抜けしたように、少し肩の力を抜き、安心したような呆れたようなため息を吐いた。
何かしら手がかりを得られる可能性があるとは思ったが、解答が転がり込んでくるとは。
「はははっ、トイレのお化けが放送室に出没するなんてね。盲点だよ」
膠着状態だった戦況がまた一歩進んだことに安心したのと、予想外過ぎる結末に俺は笑いが込み上げてしまう。
「はあ…何故こんなことをしたの?」
「だって…」
熟年教師がお転婆少女を呆れ気味に叱るような構図になった。花子ちゃんは俯き気味に頬を膨らませている。
「さいきんのにんげんさんたちは、花子をよびだしてくれなくなったからさみしくて…。あそんでほしくて…。あと、花子がっこうすきだからついいろいろやっちゃうの…」
「花子ちゃん…」
彼女が「花子さん」より「花子ちゃん」という呼称が似合う理由が分かった気がする。
「…もしかして、この辺りのトイレがやたら綺麗なのもあなたのせい…いや、あなたのおかげなの?」
長良井さんの発言を受けて、すぐ横にある女子トイレをちらりと見てみる。
「……」
なるほど。この辺りは校舎の中でも一二を争うほど人気が無く、トイレの手入れが行き届いていなくてもおかしくない。それなのにも関わらず築1年以内のようにタイル張りの床が輝いており、洗面所の鏡も心さえ映し出してしまいそうなほどに透き通っている。
「う、うんっ」
「陰の用務員とでも呼べばいいのかしら。あなたの支えでスムーズな学校運営が実現できている場面も無数にあるのでしょうね…」
「うんっ!」
長良井さんの遠回しの称賛に花子ちゃんは嬉しくなったのか、顔を綻ばせる。俺にも微笑が伝染する。
「…しかし、よ。これから目立った行動は避けてもらえる?トイレの件はまだ良いとして、放送室の件は怖がっている生徒もいるの」
「長良井さん、それはちょっと…」
少し辛辣ではないだろうか。花子ちゃんも悪気があったわけではないのだ。あくまで、普段通りの学校生活を守ろうとして、存在しない放送部員となったのだ。
「で、でも…」
花子ちゃんは、今度こそ落ち込んでしまって今にも泣きそうに―
「確かに孤独はあなたの身体を蝕むわ。けれど、もう私たちがいるでしょう?遊び相手を探すことも無いし、学校を支えるのは目立たないところでもできるでしょう?」
長良井さんは、照れ隠しなのか片目を瞑って涼し気な顔で、淡々と花子ちゃんを慰めた。
「…うんっ!」
花子ちゃんの顔は一挙に晴れ渡り、長良井さんに抱き着いた。
「んふふ」
花子ちゃんは安心したように、長良井さんの腰に顔をうずめてとろけた笑顔を浮かべる。長良井さんは少し煙たそうにしていたが、引き剝がそうとはしなかった。
「優しいね、長良井さん」
俺は長良井さんの耳元でそっと囁いた。
「いくら宇治山君でも撃つわよ」
閃光を灯す人差し指を掲げて、彼女は俺を脅した。