4/15-⑦「小休止:職員室」
「…さて、そろそろ11時になるわ。探索可能時間はあと4時間と言ったところかしら」
休日の校舎は15時には閉められてしまうためだ。
放送部から出て、幾らか歩いた廊下に私たちは立ち止まっていた。
「取材で集めた中でまだ残ってる目ぼしい七不思議と言えば、『伏魔堂』、『出られない階段』、『誰も知らない放送委員』、『消えた絵画』の四つくらいだけど……どうする?」
宇治山君が状況を分析し、情報を整理したうえで、私に次の目的地に関して意見を求めた。
「そうね……」
教頭が話していた伏魔堂に関する事件は、その規模感が未知数過ぎる。しかし、一方で階段や絵画、放送委員に関しては情報が少な過ぎる。いずれにしてもこれまでより一層、骨が折れることは間違いないだろう。
「ここまで来たら、私は伏魔堂の調査に取り掛かっても良いと思うわ。どれを調査するにしても所要時間があまり予測できないなら、私たちが一番調べたいことに時間を割くべきよ。私もあなたも、一番惹かれている七不思議は伏魔堂だとお見受けするけど……違う?」
テケテケ、そしてタマオ(笑)よりも遥かに見ゆる悍ましさと底知れなさと非日常と不可思議。私はそこに引き付けられざるを得ない。退屈を消し去るために設立した異能部には、お誂え向きのカードでは無かろうか。
この町に退屈しているだけだった私とは違い、様々なものに面白さを見出せる宇治山君のことだ。きっと、私以上に―。
「ははっ、バレてた?」
「モロバレよ」
宇治山君の眼には、やはり幼き夏休みの陽射しのような眩しさが棲んでいる。毎度、その清涼な暑気にあてられて年甲斐をなくしてしまいそうになる。
「それじゃ、職員室に鍵を取りに行きましょう。それと、その道中で出来る限り取材もするわよ。何かしらの手がかりを引き当てられるかもしれないし、新しい七不思議を得られるかもしれないわ」
「了解」
※※※
「うわ」
職員室前の廊下で思わず、そんなか細い呟きを漏らしてしまった。
「あ、二人とも。こんにちはっ」
道中の取材は悉く不作に終わったうえに、よりによって今一番遭遇したくない女と対峙してしまったからである。
「どうも」
「こんにちは」
私と宇治山君は、その女へ挨拶を返した。
「どう?部活は?」
その女とは、我らが異能部顧問・松浦夕凪。七不思議戦争の存在が彼女に漏れてしまったら、オカ研も異能部もおそらく面倒を被る。何せ、部の存続を賭けるという、学生にとっては恐らく不健全で不毛な争いをしているのだから。
また、彼女が変な気を起こして七不思議調査に随行するようなことが起きてしまったら、圧倒的非能力者の彼女は、もう天地を揺るがすほどの足手まといになってしまう。彼女に命の危険が生じたり、異能などを隠すために私たちが自由に身動きを取れなくなるというだけなら、先刻遭遇した長谷川が異能部に入った場合と同等の損害なのだが、松浦夕凪には職権という恐るべき力がある。異能部の活動が少しでも危険と判断したなら、即刻職員会議へ話を持ち込めるであろう代物だ。七不思議戦争が終結すれば、校外での活動がメインとなるであろうことから、いくらでも誤魔化しようはあるが、今は無理だ。校内、という教員のお膝元での活動なのだから。
何としても、来週の水曜までは松浦夕凪を遠ざけねばならぬ。
「お陰様で凄く充実しています」
「俺も同じく」
「そう、良かったわ」
松浦夕凪は、相変わらずどこかで見たような顔で微笑む。
「出来れば、私も一緒に活動したいんですけど―」
―来たか?
「―何かと忙しくて…」
よし。思わず拳を高らかに掲げてしまいそうになる。
「―あ、そういえば昨日の話なんですけど」
突然何かを思い出したように、松浦が話題を変える。
自ら話を逸らしてくれるとは、都合の良い女である。
「3階の廊下の窓ガラスが誰かに割られたらしくて…」
あ。
「そうなんですか」
出来るだけ自然な間を置いて相槌を打つ。
そうだった。そういえば、昨夕、テケテケを滅するために窓ガラスを一枚割ってしまったのだった。極度の疲労で後始末も何もしていない。
あのフロアに人気は皆無だったし、割ったガラス付近におよそ人影は見当たらなかったので、誰かに顔を見られた心配は無いはずだが。
「誰か…ってことは、まだ犯人は見つかってないんですか」
宇治山君は、単なる一生徒としての一抹の不安を宿した表情で、そんな白々しい質問をする。
「そうなのよ…。下校時刻ギリギリだったから目撃者もいないみたいで」
よし。再び、拳を高らかに掲げてしまいそうになる。
「あと、その近くの廊下とか中庭の土が所々抉れてたみたいで、ほんとに不明な点が多すぎるのよ…」
松浦は、途方に暮れたようにため息を吐いた。
彼女は確か、一年生の担任か。私とテケテケが対峙した場所はちょうどそのフロアなので、他の教員と共に彼女も何かしらの仕事を任されてしまったのだろう。
「先生。新任で多忙だとは思いますが、お仕事頑張ってくださいね。俺たちの顧問は色々と一段落ついてからで構わないので」
宇治山君が爽やかな笑顔で、松浦を励ます。
「ありがと~、宇治山君~」
松浦は宇治山君に泣きつきそうな勢いで感謝している。
「あなたたちも何か情報あったら教えてね」
「はい」
松浦の情報協力の要請に私は首肯した。だが、「はい、私が窓ガラスを割りました」と言えるわけもないので、私たちは何もできない。御免。
「ところで、あなたたちは今何をしてるの?」
「とりあえず、手始めにこの学校の七不思議を調査しています」
松浦の質問に一応、部分的に正直に答えた。私たちが七不思議を調査して回っているのは、校内の誰かしらに少し聞けば分かることだ。ここで嘘をついても仕方がない。
「へ~、楽しそうですね…。私も混ざりたい…」
虚ろな視線で、松浦は嘆く。
「先生は最終兵器です。来るべき時まで身体を暖めていて下さい」
面倒だが、ここは適当に煽てておこう。
「うう……そうですね。私はさっさと自分の仕事を片付けることにします!」
「何してんだ?夕凪」
松浦夕凪が活力を取り戻した所に、私たちの後方から女声が投げかけられる。よく通る真っ直ぐな声だ。通り過ぎるほどに。
「あ、こいつらが例の異能部か」
振り向くと、そこには上下ジャージに身を包んだ女性教師がいた。腰まである黒い長髪をポニーテールでまとめている。顔を顰めずとも、眉や目がそれぞれ逆八の字に険しく配置されている。少し柔和になった金剛力士像とでもいったような風体だ。その肢体は身体の隅々に至るまで、余分な力みの一切を廃している。田舎を練り歩く井の中のチンピラのように、ポケットに両手を突っ込み、背中を屈めるといった柄の悪い歩き方をしているが、その繊細微妙な格調高い猫背は、かの剣豪・宮本武蔵を連想させる…と思う。改めて彼女の歩法を眺めれば、田舎の有象無象などでは形容できないほど、練り上げられた厳かな闘気がひしひしと肌で感じる気がしないでもない。
確か、彼女は生徒指導で剣道部顧問の、名字が村雨の……
「あ、そうです。真希先生は剣道部帰りですか?」
「おう、そうだ」
村雨真希は、運動後の腕や肩を労わるようにほぐしながら、私たちのもとへ近づいてきた。
「……」
私と宇治山君を、無言で、その泣く子も黙るような眼で一瞥する。この眼力と眼光がデフォルトだというのだから恐ろしい。剣道部に所属していた時分、幾度となくこの眼差しに射抜かれてきたのを思い出す。
「部活、頑張れよ」
私たちから視線を外し、ぶっきらぼうにそう言って、彼女は職員室の扉を開けた。一瞬、彼女の口元が錆びた歯車のようにぎこちなく動いたように見えた。
「じゃ、夕凪。何か困ったことがあったらいつでも言えよー」
そして、職員室に入りながら松浦夕凪に、そう声をかけた。やはり、ぶっきらぼうに。
「はい!ありがとうございます」
松浦は笑顔で返答する。
「…私たち、そろそろ行きますね」
私は、そう切り出した。
「あ、そうね!ごめんなさい。貴重な活動時間を奪っちゃった」
全くその通りである。
「……はい、これ部室の鍵ね」
松浦に、職員室にあった伏魔堂の鍵を取ってもらった。
「よし、行こうか」
宇治山君が清涼感たっぷりに先導する。松浦には、ただ全力で部活動を、青い春を謳歌しに行く生徒二人にしか見えないであろう。
間違ってはいない。だが、宇治山君の、この眩く輝く瞳が見据える先には、それとは真逆の醜悪で恐ろしい怪異がおそらく潜んでいる。それを理解した上で、彼は瞳を輝かせている。或いは私も。
そう。部活や青春ではない。私たちにはもう、七不思議しか見えていないのだよ、松浦夕凪。
「それじゃ、引き続き楽しんで」
そう言い残して松浦は仕事に戻っていった。