4/15-⑥「取材記録:放送部」
「すみません。少しお話よろしいでしょうか」
我々異能部は、今、放送部部室の内と外の境界にいる。外開きの鉄製の扉を、後方で宇治山君が抑え、その目と鼻の先で私が話している。
室内には十数人の生徒がいた。以前、私が所属していた時期と同様、女生徒の割合が圧倒的に多い。全部員の視線が、我々に静寂なる集中砲火を浴びせた。
「長良井さんじゃないですか」
その視線のほとぼりを優雅に涼めるかのごとき、耳触りの良い声が私の左の耳朶を打った。
「ご無沙汰しています」
「どうしたんですか?」
彼女は、放送部部長の、下の名は知らないが、確か、名字は三原である。当部の部長兼エースといった立ち位置の3学年で、毎年、県大会のアナウンス部門で優勝争いを繰り広げるほどの実力者である。去年は確か、全国大会に出場していたか。
「もしかして、部に復帰するんですか?」
三原は一重瞼の細い眼を、期待に輝かせてそう言った。
「いえ、申し訳ないのですが、別件で」
「そうですか…綺麗な声お持ちなのに…」
三原は、少し悔しそうに、僅かに口を尖らせて呟いた。三原の、この高校生らしからぬ、後輩にも敬語を使うような大人びた口調と、春の小川のせせらぎのような声質は、彼女の部活動に大いに役立っている。
緩やかな、さざ波のような主張の強すぎない癖毛も、彼女の醸し出す淑やかな雰囲気を視覚的に補強している。
「それで…話ってのは?」
部室のほぼ中心に備え付けられた長机。その机を挟んで私の正面に座している、同学年の女子部員が、私に対して本来の目的への回帰を促す。前髪を下ろしたボーイッシュな短髪と、学級内で一二度は話題に出される程度には可愛げのある顔を持つその女生徒は、アンニュイな声色と表情をしながらも、その言葉には微細な期待がこもっているようであった。
放送部時代に見た顔だとは思うが、言葉を交わしたことが一度も無いので名前は知らない。
「はい。数か月前に、この部で怪現象が起こったと聞いたのですが」
数人が幾分か身震いしたように見えた。
「ああ、そうなんですよ……」
三原が困ったような表情をして肯定する。
「3か月ほど前の出来事ですが、未だ恐怖心が消えない部員もおり、それだけ根深い問題のようです。今日ほどの大人数での活動時は支障はないとのことですが、平日は人数も時間もバラつきがあり、少人数の活動日にはこの部屋に入れないという部員もいるようです。いよいよ大会に向けて本格的に動き出すとのことで、全体的に集中と結束を高めていきたいところですが、こればかりは時間が傷を癒すのを待つしかないようです。加えて―」
まるで、S高校放送部のドキュメンタリーを、女性アナウンサーかナレーションが読み上げるかのように、淡々としつつも微かに演技がかったような口調で、三原は自身の意見を述べた。
「部長、癖出てる」
先程の2年生女子が、軽薄にたしなめるように三原に声をかける。
「ごめん、部長は『魂』がアナウンサーなんだ。許してやって」
彼女は、こちらへのフォローも忘れず、上司のたった今の所業の説明責任を立派に果たす。
「ちょっと、柳楽ちゃん?今の、私なりのジョークなんですが!?私、いつもこういう喋り方じゃありませんが!?」
三原は慌てたように、細い眼をカッと見開いて、必死で訂正する。しかし、声質は依然として、春ののどかな清流であり、焦燥感に駆られたとて決して濁流に呑まれない三原なのであった。
「すみません。あの日、私が遅刻してしまったばっかりに……」
三原とはまた違ったベクトルでの特徴的な声が私の右の耳朶を打った。
「いや、何で!?奈央さん、私、そういう空気にしたくなかったから人身御供しましたのに!」
右往左往する三原は、声の清流の透明度を極限まで引き上げて立ち向かう腹積もりのようだ。柔らかい高音とでも言えばいいのだろうか。彼女の優雅な声質の体幹は微動だにせず、ゆえに、どれだけその声を張り上げても不快感がしない。
「でも……」
長机のこちら側、私から見て右側に座っている女子が、先程から申し訳なさそうに身体を縮こまらせている。彼女も放送部時代に見た顔で、同学年の女子だ。名はおそらく今初めて聞いたか、忘却されていたかだ。
「誰にでも失敗はありますし、それに、例の声に関しては奈央さんには何の責任も無いですよ。本当に」
三原が、後輩を導く部長として真摯な慰めの言葉を告げる。
「そうですよね…すいません」
「そうだよ、奈央。奈央のおかげでラジオのネタが出来て助かったんだよ、アタシは」
「やっぱり私が原因なんだ…」
柳楽の一言で、奈央の精神城が再び音を立てて崩れ落ちる。
「ははは。おい、ネガティブ大権現。アタシが得したんだから気にするなってことだよ」
柳楽は、そのアンニュイな声色に見合った最低限のエネルギー消費で笑ったが、不思議と冷めたようには感じず、愉快な気持ちが確かな熱を持って伝わってくるような、どこか艶っぽい言動をする。
「かおりん…」
奈央は、柳楽の言に感じ入るように、柳楽のあだ名らしきものを呟いた。三原の声が純然たる自然の河川そのものであれば、彼女の声は、例えるならボトリングされた天然水のようである。三原は普遍的な美しさで、彼女はより特徴的で個別的な美しさというか可愛らしさがある。声の奥の方で鼻にかかったような、本当に微かなぎこちなさを感じさせるが、それが彼女の紡ぐ声、言葉に、三原とはまた違った耳心地の良さを付与している。
「しかし、春日の遅刻癖はあれ以来、うっそみてえに鳴りを潜めてやがるよね」
私から見て柳楽の左隣に座る、これまた2年生の男子が、何も考えていないような適当な口調で彼女たちの会話に入る。薄い顎髭を生やした、丸眼鏡をかけた男である。
「ははは。確かにね」
柳楽が、同意して艶っぽく笑う。たった一度のやり取りであったが、何故か、この男と柳楽の会話のテンポ感とテンション感は、「深夜」の静寂と浮揚感と予測不能性とでこの部屋の空気を満たしているような気がした。
「うう…部長、ラジオ組がグサグサしてきます…」
春日奈央は、三原に助けを求める。だが、その言葉には既に悲壮感はなく、柳楽らのような軽口の気を漂わせていた。
「はいはい、組同士で対立しないでね」
三原も三原で、3人の連携攻撃を軽くいなした。
他の高校の事は与り知るところではないが、鎖倉高校放送部はアナ朗(アナウンス・朗読)組、ラジオ組、制作組に部内で組み分けされており、各組が独自の活動をしながらも積極的に協働していく、という活動方針なのである。
……あれ。ラジオ組なんてあったか。
「あの……突然なんですけど、話を聞く感じ、昼休みのラジオってそこのお三方がやってるんですか?」
宇治山君が突拍子もなく、そんな質問をした。
「え、はい。そうですが……」
三原が答える。
「早速アタシらのファンになってくれたのか?転校生」
「お、やるな。二枚目」
柳楽と男が口々に調子に乗る。
「ああ、凄く楽しませてもらってるよ」
宇治山君は爽やかに肯定する。しかし、私はというと何もピンと来ていない。
「昼休みにラジオなんてやってたかしら?」
つい、そんなことを口走ってしまった。
「おいおい。手厳しいな、世恋嬢」
つい心無い発言をしてしまったが、当の男は飄々と私を茶化す。
「アンタ、昼休み、家で飯食ってんのか?」
少し毒性を含みながらも、柳楽も余裕のある返しをする。
「ははは。長良井さんはいつも開始5分で食べ終わって、後はずっと読書とか自分の作業に没頭してるからね。長良井さんの集中力なら無理もないよ」
宇治山君が、この場を丸く収めようとそんなことを言った。しかし、宇治山君のその言は純然たる事実である。入学してから約1年、ラジオ番組の存在など露ほども知らなかった。
「おい、ストイック星人。耳の穴掘削して、心して聴きなはれ」
男が意味不明の語彙で前口上を述べた。
「オレがラジオ組のトップで月曜と水曜の『くわばラジオ』のパーソナリティ、桑原栄治」
「アタシもラジオ組のトップで火曜と木曜の『やぎラジオ』のパーソナリティ、柳楽香織」
「え?わ、私はアナ朗組のトップでこの部の総部長、そして金曜の『みはラジオ』のパーソナリティ、三原由紀子」
「はわわ、え?え?わ、私は制作組のトップで…トップの春日奈央…です」
「ははは。奈央はせんでもよろしい」
「は、え?ごめん」
「あ、ちなみに月末の金曜日は『約みはラジオ』っつって、我々3人でパーソナリティする番組もありまーす」
私がいた時こんなんだったか、放送部。大丈夫なのか、放送部。いや、私が深く関わらなかっただけか。
「まあ……はい。覚えておくわ。出来る限りだけど……はい。……話戻しても良いかしら?互いに時間の食い合いしてるわよ」
「あ、本当ですね。えっと……でも、あの現象について言えることは、あまり無いですね……」
三原が、脳のありとあらゆる器官を駆使して記憶をひねり出すような表情をして、そう答えた。まあ、それもそうか。彼女らの手元にある情報がそもそも少ないのだろう。
「どんな些細なことでもいいのですが……」
「強いて言うなら、少し幼い声だった気がします」
三原が言い、何人かの部員が「確かに」と頷いた。
「当時の現場の状況はどうでしたか?」
刑事か探偵かといった具合に私はそんなことを聞く。
「うーん。確認したら、ちゃんと戸締りされてたし、職員室にある部室の鍵は、誰も持っていってなかったし……」
一番の当事者であろう春日が、その日の記憶を手繰る。
「いやあ、尚更怖えんだよな」
柳楽は我関せずで、あまり気にしていない様子だ。欠伸でもしそうな様子である。
「そうですか……ありがとうございました。部活中失礼しました。では、私たちはこれにて―」
私と宇治山君はほぼ同時に軽い会釈をして、放送部を後にしようとした。
「あ、ちょい待ち」
柳楽である。
「お二人さん、アタシのラジオにゲストで出ないか?アタシらのラジオ、ゲストとのトークも評判でさ。アンタらとのトーク凄くネタになりそうなんだが―」
柳楽はその眼光を目敏く迸らせた。
「丁重に断るわ」
「俺も、聴く分には楽しいんだけど、トークはちょっと自信ないかな…」
「ちぇっ、いけず」
柳楽は、その眼光刀を鞘に納め、両頬を膨らませて愚痴る。
「それでは」
我々は放送部を後にした。三原と春日がにこやかに手を振っていた。
※※※
「あいつら、昨日から何して回ってんだろうな」
桑原栄治が顎髭を撫でながら言った。
「アタシも気になるけど……まあ、こういうのは新聞部の仕事ですわ。それ抜きにしても世恋嬢のキャラクターはずるいわあ。一緒にお便り読みたいわあ」
柳楽香織が頬杖を突きながら言った。
「はいはい、切り替えましょう。とりあえず、話を戻しますが、今月の『約み』のゲストに侘原澪アナに来て頂くことになりました。心して臨みましょう」
三原由紀子が手を軽く叩きながら言った。
「頑張ってくださいね。制作組は大会に向けて制作頑張ります」
微笑みながら春日奈央は言った。
「そうですね。アナ朗組も頑張りましょう。侘原アナがラジオ外でも多少お時間を取ってくださるそうなので、みなさん励みましょうね」
「はい!」
多種多様の綺麗な声が、粒立ちながら息をそろえた。