4/15-⑤「調査結果:図書室」
この学校のあらゆる施設の開放時間とあらゆる部の活動時間を全て網羅する、鎖倉高校敏腕ツアーガイド・長良井さん。彼女が、美術室の次に指し示した行き先は、図書室。
「結局、新しく『櫻子さん』の謎が増えちゃったね」
図書室へ向かいながら、俺たちは七不思議戦争の戦況を分析する。
「そうね…。まあ、母数が多いことに越したことは無いわ」
長良井さんは冷静に述べる。そして、ちょうど図書室の扉が見えてきた。ついでに、ある女子生徒も。
「ゲッ…」
長良井さんがお手本のように嫌そうな表情をする。
「…あ」
同じく図書室へ行こうとしていたらしいその女子生徒は、逆方向から歩いてきた俺たちに気付いたようだ。そして、孤島にひとり漂着した絶望的状況下でやっと自分以外に人を見つけたかのように、目を輝かせ駆け寄ってきた。それはもちろん、俺ではなく、長良井さんに。
「世恋先輩!おはようございます」
朝の校舎に快活な女生徒の声が反響する。
「あなた、声が大きいわ…」
長良井さんは少し大袈裟に耳を押さえながら、後ずさった。
長谷川清乃、恐るべし。
※※※
「あ、一言紙乃先生の新作!」
図書室に入るやいなや、長谷川さんは入り口近くの新刊コーナーへ、およそ長良井さんにしたように駆け寄った。長谷川さんの言葉を聞いて長良井さんもそこへ歩を進めた。
「あなた、好きなの?一言紙乃」
長良井さんの表情はいつも通りの淡白なものだが、長谷川さんに自ら話を振ったことから察するに、彼女もその作家が好きなのであろう。
「はい!一語一語を丁寧に紡いでいく感じがすごく!物語の起伏自体は穏やか…?というか、緩やかなんですけど、それを綴る言葉たちが見たことないくらい、何というか…こう…生き生きしていて、うぅ…上手く言えてるか分かりませんが、はい!好きです!」
「言いたいことは伝わっているわ。…一番好きな作品は?」
「そうですね……うーん」
長谷川さんは腕を組み、目を瞑り、首を捻る。思いつかない、というより複数あって決めかねているといったような様相だ。
「ちなみに…世恋先輩は何が一番好きなんですか?」
引き続き長考しながら、片目を開けて長谷川さんは問うた。
「『言端羽葉』」
即答の長良井さん。
「解釈一致です!ありがとうございます!」
長谷川さんは空気を切り裂く勢いで全力でお辞儀をした。
「は…?」
困惑の長良井さん。
正直、俺も良く分かっていない。
「じゃあ、私もそれが好きです!…と言いたいところですが、私は『伝々記』かもです…」
「一番結末が理解できなかった作品だわ」
「ええ!?解釈一致です!ありがとうございます!手取り足取り教えます!」
二度目のフルパワーお辞儀。
「遠慮しておくわ」
もう慣れたらしい長良井さん。
「何でですか!ていうか、文芸部戻ってくださいよ~」
この二人、相性が良いのか、悪いのか……分からない。
「生憎、今は暇がないの…それで、あなたはこの新作を借りるの?」
「あ、世恋先輩がお先にどうぞ」
長谷川さんは少しも惜しむことなく新刊の借用権を譲る。
「そう。それじゃあ、遠慮なく」
流石、長良井さんだ。後輩にも妙な気遣いをせず、長谷川さんの話に乗った。俺であれば、「長谷川さんからどうぞ」と返してしまい、長谷川さんも再び「いえいえ、先輩からで良いですよ」と返し、果てしない謙譲のループへ陥るところであった。
「ふふ……」
しかし、何やら長谷川さんは悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「何?気持ち悪いわよ?」
長良井さんは、新刊を手に取り、罵倒しながら貸出カウンターへと向かった。
「クラスと番号は?」
カウンターを挟んで向こう側に座る司書の女性が言った。
「2年3組31番です」
長良井さんが学年とクラスを告げると、司書の先生は本人確認用のバーコードが保管されているファイルを取り出し、「長良井世恋」と記されたバーコードを探し出して、読み取り機で本と共に読み取った。
「はい」
「ありがとうございます」
手続きが終わるや否や、長谷川さんが口を開いた。
「世恋先輩、読み終わったら貸して下さいね!又貸しは厳禁なので、また一緒に図書館来ましょうね」
これが狙いだったのか。随分と強かな女の子だ。
「……っ。分かったわよ」
良く通る舌打ちをした後、渋々長良井さんは了承した。
「やった!!」
長谷川さんは可愛らしくガッツポーズをして見せる。だが、その勢いはインターハイ決勝で逆転の一点をもぎ取ったかの如し。
「はぁ……あの、つかぬことをお聞きしますが」
ため息を一つ吐いた後、長良井さんはすぐさま本来の目的を思い出して司書の先生に例の話を振る。
「……という訳なのですが、何か心当たりはありますか?」
「あー、それは…」
長良井さんと司書の先生が話す後ろで、長谷川さんが俺の横に忍び寄ってきた。
「ところで…」
彼女は長良井さんに聞かれてはならぬといったように、背伸びをして俺の耳元でひそひそと話しかけてきた。
「ん、なに?」
流れで俺も耳を彼女へ少し寄せる。
「宇治山先輩は世恋先輩の何ですか?」
なるほど。彼女も他の生徒と同じように、しっかりそこに興味があるようだ。長良井さんに尋ねては怒らせてしまうと思ったのだろう。その読みは正しい。
「友達だよ」
出来るだけにこやかに答えた。
「あ、やっぱりそうですよね!世恋先輩が恋愛なんてする訳ないですよね!解釈一致です!」
その快活な生命力を内に止めておけずに、長谷川さんは勢い余ってそれを爆散させてしまう。
長良井さんがこちらを振り向いて、長谷川さんを凍るような眼差しで睨みつけ、見下した。
「ぁ…」
流石の長谷川さんもこれには怯んだと見え、押し黙ってしまった。しかし、何故か頬を赤らめ遠い目をしている。具合でも悪いのだろうか。
「はぁ…行くわよ、宇治山君」
長良井さんは目を閉じ、呆れ気味に、少し前に傾けた頭を左右に振る。そして、ハードカバー製の例の新刊を片手に出口の方へ歩き出した。
「あ、うん。それで、七不思議はどうだった?」
彼女の横に並んで、成果を聞く。
「この学校の図書室ではなく、市立図書館での噂らしいわ」
「なるほど…尾ひれがついてこの学校まで流れ着いてしまった訳だ」
「そのようね。あの司書が言うにはこの学校でそれが噂される以前から、既に市立図書館の噂は存在していたらしいわ。あの司書が嘘を吐く理由も見当たらないし、信じても良さそうね。もうこれは終戦後に調査すべき案件ね」
「そうだね」
図書室から出て、廊下を歩き出そうとしたところ、
「ちょっと待ってくださいよ!お二人とも」
長谷川さんが駆け寄ってきた。
「一体、昨日から何をしてるんですか?休日まで学校に来て…もしかして、世恋先輩が文芸部辞めたことと関係あるんですか?」
確かに、傍から見ればとんだ好事家だ。長谷川さん及び他の生徒は異能部の存在を知らないので、放課後や休日に部活もせず、勉強もせず、帰宅もせず、遊びもせず、奇妙な取材をして回っている不気味な男女二人組にしか見えないであろう。
しかし、これはマズい状況かもしれない。彼女に異能部の存在が知られれば、長良井さん目当てで何も事情を知らずに入部してくる可能性がある。彼女の事は嫌いではないが、この町を調査するうえで、身動きが取りづらくなるうえ、彼女が危険に晒される可能性もある。長良井さん風に言うなら「足手まとい」、いや、そんな在り来たりな語彙では済まないかもしれない。考えただけでも恐ろしい。互いのためにも、この状況を打開する方法は…
「文芸部を辞めたのは単なる気まぐれよ。昨日からしているのは、宇治山君への学校案内よ」
と、俺がどう誤魔化そうかと逡巡しているうちに長良井さんが口を開いた。どうやら、長良井さんも思いは同じらしい。
「え…それと七不思議に何の関係が?」
確かにそうだ。どうするつもりだ、長良井さん。
「好きなのよ、彼」
どれ程しなやかに懐疑を受け流し、どれ程鋭く信憑を射止めるか、半ば期待のようなものを含みながら耳を傾けていた俺は一瞬、耳を疑った。あと一歩で、世界一間抜けな「あ」を口から漏らしていただろう。
「え?は?え?」
長谷川さんは、三半規管の機能を失しかけていた。
「怪談が。だから、案内がてら聞き回ってるの」
危なかった。長良井さんの策を台無しにするところだった。
「あ、そ、そうなんですね…」
長谷川さんは、三半規管を虚空から奪取した。
「で、でも必ずしも世恋先輩が案内することなくないですか!?こういうの進んでやる人では無いはずです!それは解釈不一致かもです…」
違いない。長谷川さんの言う通り、「長良井世恋」という人間が見ず知らずの転校生の案内を買って出るなど、天地が翻ってもあり得ない。
「私を分かった気にならないことね、長谷川清乃。私はオカ研にも入部している程の怪談好きよ。彼と意気投合したから今に至っているのよ。恋愛関係などではないから無粋な想像はしないことね…って聞いてるの?」
多少、強引に真実も嘘も織り交ぜて、長良井さんは説得の締めにかかった。実際、長谷川さんに今の話を否定し得る根拠はない。これは勝った。
が、当の長谷川さんはどこか夢見心地な表情をし、完全に上の空である。
「い、今、名前…はわわわ」
またもや三半規管を放り出してしまったようだ。今度は呂律も一緒らしい。
「はぁ…もう行きましょう。宇治山君。次は放送部をあたるわよ」
長谷川さんを相手取るときの長良井さんは、定期的に呆れている気がする。
「あ、ああ」
俺は首肯して、長良井さんの後に続く。
顔中を赤らめ、両頬に両手を当て、自分の精神世界へと没入してしまった長谷川さんを残して、俺たちは七不思議戦争へと舞い戻っていった。
ショートヘア―を左右に小さく揺らす「長谷川清乃」という女生徒は、どうやらかなり面白い女の子のようだ。
※※※
「はッ…」
私は、図書室前の廊下でふと我に帰った。
「え?」
世恋先輩と宇治山先輩の姿が見当たらない。消えた?いや、もしや、彼らは欲求不満の私が創り出した淡い幻影だった?
「あぁ…」
いや、思い出した。世恋先輩に不意に名前を呼ばれたことで、無防備な顎先にアッパーカットを入れられたように、遥か彼方に意識が飛んでいったのだった。
そんな私を置いて二人は何処かへ去ってしまったらしい。
すみません、少し拗ねてもいいですか?
いや、しかし、気を取り直してもう一度考えてみると、あの二人は一体どういった関係なのだろうか。本当に、ただの怪談好きの同志?まだ世恋先輩の上辺しか知らない私には、何も言えはしないのだけど。
「うーん…。やっぱりあの二人、何かあるよね…」
世恋先輩には、きっと何か考えがあるのだ。宇治山先輩と行動しなければいけない何かが。私の解釈レーダーがそう言っている。
「…考えすぎかなぁ?」
私は、一旦思考を停止して、そう呟きながら図書室へと戻った。本を借りに来たのを忘れていた。
さて、何を借りようか。
※※※
先程の3人組の内の一人で、一番年下らしき女生徒が独りでここに戻って来た。どういう関係性なのだろう。一体、外で何を話していたのだろうか。図書室に再び入って来た瞬間は、何やら考え事をしているような顔つきであったが、今はもう本棚に並ぶ背表紙の数々に目移りしている。
開館して30分程経った図書室には、まだ司書教諭である私と、件の女子生徒しかいない。女子生徒が向こうで棚から本を取り出す音、ぱらぱらと紙を捲る音の一つ一つが、静寂の水面に波紋を残していく。
そういえば、先程彼らは一言紙乃談義に花を咲かせていたようだった。率直に言って、高校生でかの作家に手を出しているのはかなり渋い。もしくは、拗らせているかのどちらかであろう。話を聞いていた感じ、本気で好きなようだったが。
「……」
この仕事もかれこれ30年以上になる。そろそろ定年退職が近づいている。
「渋い」というので思い出したが、私がまだここの学生だった頃、よく図書室で読書に耽っている他学年の女生徒がいた。ここを訪れるたびに見かけた気がする。梶井基次郎や太宰治を好んで読んでいた、渋い趣向の文学少女。今でも、どこかで本を読んでいるのだろうか。案外、私のように司書なんかをやりながら悠々自適に暮らしているのかもしれない。
「貸出お願いします」
気づけば、例の女生徒が目の前にいた。5冊ほど本を抱えている。文庫本、新書、ハードカバー製本など種々雑多な組み合わせであった。
「クラスと番号は?」
「1年1組30番です」
本人確認用のバーコードが網羅されたファイルを開き、所定のフォルダを確認する。
長谷川清乃、か。
先程の女生徒は確か、長良井世恋。どちらも綺麗な名前だな、と下手な感想を抱いてみる。
私は、読み取り機で長谷川清乃のバーコードを読み取った。小気味よい機械音が、文字たちが鎮座する室内にほんの一瞬、穴を空けた。