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鎖町百景-百人の異能力者の群像劇-  作者: 読留
卯月・七不思議戦争
21/58

4/15-④「取材記録:美術教師」

「消えた肖像画、ね。私も話には聞くのだけど…」


 美術室。音楽室と同じ階層にありながら、全く真逆の音声環境。吹奏楽部の演奏は湖底(こてい)でなされているかのような音量とこもり具合で聴こえてくる。しかし、その室内を支配しているのはキャンバスと筆の摩擦音(まさつおん)である。数名の生徒がその眼をキャンバスとモチーフの間で忙しなく往還(おうかん)させ、その手指(しゅし)をキャンバス上に歩かせ、あるいは走らせている。


「どんな些細なことでもいいので、教えて下さい」


 宇治山君が頼み込んだ。

 私たちは室内へ通ずる扉の前で、美術部の女性顧問と言葉を交わしていた。扉は半分ほど開いており、室内の様子は容易に見える。


「そうは言ってもねえ…」


 美術室内に視線を向けると、壁に掛けられたある絵画がその視線を掴んで離さない。P100号(1620mm×1120mm)のキャンバスに刻まれているそれは、かの伏魔堂をモチーフとした油絵である。数年前に鎖倉高校へ寄贈(きぞう)されたものだが、匿名希望とのことで寄贈者あるいは作者の詳細は分かっていないらしい。この謎の絵画の寄贈は全国的に報道され、そのあまりの出来の良さに、美術評論家たちが作者の考察を始め、()(わきま)えない成金や美術商や鑑定士がこの高校へ問い合わせたり、押しかけてきたりとひと悶着(もんちゃく)あったようだ。

 

 しかし、それにしても素晴らしい出来である。あそこまでの騒動になるのも無理はない。伏魔堂を見たことのある者、見たことのない者、あるいは伏魔堂の腹の中に足を踏み入れたことのある者、その誰もがこの絵画を媒体としてリアリティを感じられるような作品になっている。リアリティが多様にあるというのも可笑しな表現かもしれないが、実際そうなのだから仕方ない。先日、伏魔堂に初めて足を踏み入れてからはこの絵画を目撃するのは今が初めてだが、まるで見え方が違う。彩色も構図もキャンバスのサイズも何もかもが違って見える。


 この作品の有力な作者として数名挙げられていたが、誰だったか。確か…


「…」


 ふと視線を感じて、それを少しばかり下にずらすと、一人の男子生徒と目が合った。その男は、慌てたように目を逸らしモチーフと己とキャンバスとの閉塞的コミュニティへと戻っていった。


「…そういえば、その絵の女性が生徒たちの間で『櫻子(さくらこ)さん』って呼ばれてたとか…うーん、違ったかしら。ごめんね、私にはこれくらいしか分からないわ」


 美術部顧問は申し訳なさそうに首を捻りながら言った。


「いえ、お時間を割いていただきありがとうございました」


 私は、社交辞令程度の浅いお辞儀をし、宇治山君と共にその場所を後にした。視界の端に先ほどの男が、私を目で追っている様が映った。その背後の伏魔堂の迫力が男を呑み込んでいた。


 ※※※


「凄く綺麗な人だったな……」


 伏魔堂の虚構(きょこう)(ふもと)で、その男は呟いた。その声は黒鉛や絵の具に擦り切られ、塗りつぶされた。美術室は、依然それらが支配していた。


「いつか描いてみたいな…」


 最早、美術室にいる誰もが男の声に、それどころか男の存在に興味を示していなかった。やはり、各々の手元とモチーフの間だけで、忙しないアイコンタクトを交わしていた。自身とモチーフ以外の一切の存在を廃した閉塞的コミュニケーション。


「よし、決めた」


 外界からの刺激や干渉にいちいち意識を絡めとられている男は、他の部員に比べると集中力が見劣りしてしまう。だが、だからといって彼が不真面目の烙印を押される訳ではないだろう。芸術とは、往々にして、外部からの刺激や干渉なしには産まれ得ないものなのだから。


「…けど、今はこっちだ」


 その男は、今手掛けるデッサンへと意識を帰還させ、目の前のモチーフを見つめた。ワインボトルがやけに透き通っている気がした。

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