4/11-②「異能者の邂逅」
かくして私と宇治山は隣の席になったのだが、その握手以後、一言も言葉を交わさなかったし、目すら合わせなかった。暗黙のうちに互いが理解していた。話を切り出すタイミングというものを。
余談だが、あの自己紹介が効いたのか、それともその端正な顔立ちによるものなのか、数回ある休み時間のうちに、クラスのほとんどの者が宇治山の席に一度は集ってきた。他クラスの者も廊下から教室の中を覗くようにして通り過ぎていく。
しかし、あの所業を手品の一点張りで片付け、クラスメイトを納得させたのには少々驚いた。私との関係を訊ねられたりもしていたが、十何年前の幼馴染とかなんとか言って切り抜けていた。私も話しかけられはしたが、容易に予想できそうな質問と話の展開に辟易したので、無視して読書に耽ることにした。
そして、夕方まで退屈な時間が続いた。
※ ※ ※
「最近この辺りで引ったくりがあったからなー。気をつけて帰れよー」
担任の注意喚起と共に帰りのホームルームが終わった。それと同時に、示し合わせたように私と宇治山は一緒に教室から出た。教室の中から、噂をするような好奇の囁き声がしたのは言うまでもない。そして、私たちは何も言葉を交わさないまま玄関で外履きに履き替え、校門を通った。
どうやら帰る方向が同じらしいことを互いに確認し合い、そのまま帰途についた。住宅街を歩きながら、私から切り出した。
「まずは、私も自己紹介からするのが筋よね。長良井世恋。趣味はある人の話を聞くこと。特技は―」
ようやく誰にも邪魔されずに会話できると思ったのに、不意に聞こえた弱々しい叫び声で遮られる。
「引ったくりよ、捕まえてっ」
その助けを求める声が聞こえたと同時に、後方に激しい衝撃が走る。
「邪魔」
乱暴にそう吐き捨て、サングラスをかけた髭面の男が私たちを追い越して走り去ろうとする。見ると、男は小脇にいかにも高そうなボストンバッグを抱えている。状況から見てどうやらこいつは引ったくりらしい。無性に腹が立った。私の話を遮ったから、という傲慢な理由でもないし、私の背中にぶつかったから、という狭量な理由でもない。
この引ったくり野郎が退屈だからというだけだ。
「―凝縮」
すぐさま親指と人差し指以外を曲げる。
人差し指に意識と力を集中する。
50M先の野郎に人差し指を向ける。
立てた親指で照準を定める。
指先が青く発光する。
「―さすがね」
もう犯人の目の前に宇治山君がいる。バッグも取り返している。野郎は何が起こったか分かっていないらしい。
「―10%」
これくらいの威力なら命の危険はないだろう。大怪我になるかもしれないが、そこは勉強代だと思って欲しい。
「射出―あ」
眩い光の弾丸が背面から野郎の股間を射抜いた。
「ぎゃあああああああああ」
橙色の夕陽が射す住宅街に情けない叫び声を轟かせながら、野郎が地面に転がって悶え苦しむ。
一応家で練習してはいたのだけれど、実戦で使うのは初めてだったから、手元が狂った。謝る気はさらさら無いが、一応合掌だけしておく。ちなみに宇治山君はあまりの悲惨さに目を背けていた。
やはりこれだけ野郎が大声で悶えているので、周辺住民も家から出て外の状況を確認しようとする。私の能力が野郎を沈めてから、ものの数十秒で数人のギャラリーが出来上がろうとしていた。
「どこだ!引ったくり!おい!観念しろ!」
するとそこに、細身で偏屈そうな巡査が現れた。続いて、バッグを引ったくられたらしい和服の老婦人。目を血走らせていて、制服を着ている以外はどう見ても犯罪者にしか見えないような巡査だったが、まあ巡査がいるなら話は早い。老婦人も無事のようだし、ここは任せてすぐに立ち去ろう。面倒事はごめんだ。
と、思った矢先、私は見知らぬ細い路地に立っていた。肩に誰かの手が乗っている。誰かが後方に立っている。すぐさま振り返り臨戦態勢に―
「―宇治山君」
「ごめん、長良井さん。時を止めてる間に運ばせてもらったよ」
「ええ。でも、顔を見られてはいないかしら」
「多分大丈夫だ。みんな男と巡査に気を取られてたし、長良井さんが見えづらい所にいたから」
どうやら手近な物陰に身を隠したのが功を奏したらしい。
「そう。ありがとう、良い判断よ」
やはり、宇治山君は中々の実力者だ。状況判断に優れていて、すぐさま適切な行動を起こせる。能力の使用にも慣れてるらしい。
「礼には及ばないよ。あの引ったくりを倒せたのは君のおかげだし……あれが君の特技?」
微笑を湛えながら、宇治山君は私の自己紹介の続きを言ってみせた。
「ええ、そうよ。…とりあえず歩きましょうか」
宇治山君の質問に首肯し、私は歩き出した。
「長良井さんはやっぱり町の地理には詳しいの?」
途端に、彼がそんな質問をしてきたので、立ち止まって彼の方を振り返る。
「一応ね。ずっとこの町で暮らしてるもの。でも、なぜそんなことを聞くの?」
「随分遠くまで逃げたし、それに、急に路地に立たされてここがどこの路地なのか判別するのって難しいと思うんだ。それなのに、躊躇いなく歩き出したから気になってね」
「ああ、なるほど」
自分にはあまりにも普通のことすぎてそこまで考えが至らなかった。
「物心ついた時から退屈だったから、この町は歩き尽くしたのよ。隅々まで」
「それはつまり―」
「ええ。町にある道は全て覚えてる」
宇治山君は声をあげて笑いながら、私の横に並んだ。
「やっぱり長良井さんは面白いね」
と、そう言われた。
「私もこの町もずっと退屈よ」
そう返して、再び歩き出した。
※※※
「―で、あなたはその能力をいつ、どこで手に入れたの?」
既に街灯が点きだし、陽の当たらなくなってきた舗装の荒い道を歩きながら、そう切り出した。
「12年前、この町で。長良井さんも?」
「ええ。やはりね」
思った通りだ。能力を得るとしたらあの時、この地で無いと有り得ない。自分以外にもいたのだ。アレに遭遇した者が。
「でも、宇治山君は何故この町にいたの?」
「それが…覚えてないんだ。旅行に来てたのか。それとも、この町に住んでたのか。少しも覚えてないんだ」
「え?」
私にはそんな追加事項はないのだが。
「そうなんだ。というか、昔の記憶が随分曖昧で、必要最低限の事柄しか記憶にないんだ。気づいたら小学校に入学してたし、気づいたら小学校を卒業してた。気づいたら中学校に入学してたし、気づいたら中学校を卒業してた。そして、気づいたら高校に入学してた」
表情ひとつ変えず淡々と彼は述べた。
「記憶喪失みたいなもの?」
何やら彼は異常だ。もちろん、能力を扱える者は異常に違いないのだが、それとはかなり方向性が違う。
「いや、それとは違う気がする。もっと根本的に何かが欠落してるような」
「じゃあ、何故この町に再び来たの?」
いまいち判然としない彼に、そう問うた。
「自分が一体何者なのか、知りに来た」
私たちは頻繁に車が往来する騒がしい通りまで出ていた。空は既に闇に包まれ、地上の無数の光源と月が世界を照らしている。車のエンジン音に掻き消されない程度の声で、彼は再び切り出す。淡々と。
「12年前の微かな記憶を頼りに、向こうでの高校1年間はずっとこの町を探してた。何故か不意に、そうしなければ自分の存在が無くなるような気がして。来る日も来る日も探してようやく見つけたんだ。そして、進級するタイミングで転校した」
「……」
「今日早速俺と同じような能力を持つ君と出会えた。あまりにもとんとん拍子で正直怖いよ」
相変わらず彼は淡々と冷静だが、表情が少しだけ緩んでくる。まるで初めて飛行機に乗る少年のように。
「嬉しそうね」
「ああ。ようやく宇治山辰巳として生きられる気がするよ。この――鎖町で」
私と違い、彼はこの町に退屈ではない何かを見出している。羨ましい。と同時に、
「やっぱり、宇治山君は面白いわ」
さっき彼が言ったように私もそう言った。
―トザイトウザイ。異能ヲ携ヱシ二人ガ出会ヒ、コレヨリ始マルハ『鎖町百景』ト云フ噺。世界ノ呪ヒ、或ヒハ人ノ呪ヒニ侵サレタ者ドモノ噺―
「じゃ、私は家ここだから」
大通りからほんの少しだけ外れ、見慣れた自分の家の前で立ち止まり、そう彼に告げた。
「え?俺、この隣のアパートなんだけど…」
「……こんなベタな展開あるのね」
今日という日は私の人生史上稀に見る、退屈することが少ない日だ。それはきっと、明日からも。
何かが動き出す気がしてならない。退屈なこの町の歯車が回り始める気がして。
「それじゃ、また明日」
私は、初めて明日を受け入れた。