芸術と大衆娯楽について
定義は色々だと思うので自分なりの整理を。
芸術ってなんぞやと言われると答えるのが難しい。調べてみても定義は色々で、これだと断言できるものがなかったので、自分なりに考えてみた。芸術一本で考えるとピッタリとした答えが出ないので、芸術と対局にあるものと思われる大衆娯楽との比較をしてみる。
絵画、音楽、映画、文学などは芸術的と呼ばれるものと、大衆娯楽と呼ばれるものが混在している。両者を分けるものは何か。真っ先に考えついたのが、芸術には答えがないが、大衆娯楽には分かりやすい答えが用意されているという違い。なんだかよく分からないけど心に残るものが芸術、わかりやすい答えですぐに満足できるのが大衆娯楽。重い荷物を受け止めて、その荷物のことでずっと悩むのが芸術、すぐに飲み込んで消費してしまうのが大衆娯楽。自分の印象はこんな感じ。
では、その違いはどこから生まれてくるのか。それは芸術と大衆娯楽の出発点の違い、あるいは目指すものの違いから生まれてくるのだと考える。芸術というのは、作り手が心の奥底から感じた、人生における喜び、苦しみ、悩みなどから生み出されているが、大衆娯楽というのはより表層的なところから生み出されているのではないか。露骨に言ってしまえば、芸術は人生に向き合い、自分の生きる意味を探求するために生み出されるが、大衆娯楽はより多くの人に受け入れられ、より多く消費されること=お金儲けを目的としているというのが最大の違いと思われる。無論、芸術だけに価値があり、大衆娯楽は消え去るべきなんて過激なことを言うつもりはない。どちらも存在するのが住み良い社会だと思う。
ただ、あまりに大衆娯楽が増え過ぎて、芸術的なものを忌避する風潮が生まれているのではないかという危機感はある。芸術的なものを生み出すのは難しい。そのためには人生に真剣に向き合うことが必要であり、人生に真剣に向き合うには、個人の素養以外に、相応しい環境も大切だと思う。しかし、現代社会というのは、何かに真剣に向き合うことには向かない環境だ。現代社会は資本主義というシステムが支配的で、そのシステムにおいては、くだらない商品に安易に飛びつく消費者が歓迎される。物事を真剣に考える人が増えると、安易な無駄使いが減ってしまい、資本主義というシステムには不都合であり、社会はシステム維持のために軽薄は風潮を流行させ、芸術を生み出す土壌はなかなか生まれないということになる。
楽しければそれで良い、人生を難しく考えたくないという人も多いと思うのだけれど、悩みのない人生を送る人なんてほとんどいないわけで、人生のどこかで、それは死ぬ間際かもしれないし、もっと早い段階かもしれないけれど、大きな壁にぶつかることになると思う。その時、自分の感性や、大衆娯楽の分かりやすい答えだけで、その壁を乗り越えることは出来ないのではないか。そういった場面で何よりも心強い味方になるが、真剣に人生に向き合った結果として生み出された芸術なのではないかと私は考える。だから、大衆娯楽にドップリハマっている人も、たまには芸術的なものに目を向けるのが良いのではなかろうか。
私は芸術的なものも、大衆娯楽も好きだけれど、特に好きなのが、芸術になることは出来なかったけれど、芸術的なものであろうと、もがいていることが伝わる作品だ。
上で述べたように、芸術を生み出すには真剣に人生に向き合う必要があるのだけれど、それは容易にできる事ではない。多くの人は芸術的なものを作ろうとしても、結果的に大衆娯楽を作り出すことになると思う。真剣に生きるというのは、それだけで稀有な才能なのだ。しかし、真剣に生きることが出来ない、人生を真剣に考えることができないという苦しみから生まれる作品は、芸術に限りなく近づいているものだと思う。そういった苦しみが伝わる作品に私は心惹かれる。何故なら、私自身も真剣に人生を生きることが出来ていないからだ。
具体的な例を挙げれば、「新世紀エヴァンゲリオン」の旧劇場版「THE END OF EVANGELION」に私は強く心を惹かれるが、「シンエヴァ」には何ら感銘を覚えないということ。庵野秀明監督の作風というのは、あくまでもパロディであり、既存の作品をアレンジして面白いものを作る才能がずば抜けていると思う。しかし、そのことに悩み、真剣にオリジナルを作ろうとしたのが旧劇場版であり、それはおそらく失敗に終わったのだけれど、その苦しみが伝わってくるというのが、自分の惹かれたポイント。嫌なことや汚いことを露骨に描き、それを観客に突きつけるというのは、作り手にとって大きな苦しみを伴うものだと思うけれど、そう言った覚悟が自分には好ましく思えた。
しかし、「シンエヴァ」はそう言った苦しみを手放して、誰にとっても気持ちの良い作品に仕立て上げてしまった。そこにあるのは消費される大衆娯楽への開き直りであり、作り手としての致命的な喪失である。芸術的なものになりうる道を自ら塞いだようなもので、大変勿体無いなと思った次第。
終わり