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m_001_記念すべき至福の朝

 AIに人の感情を理解させることはできるが、獲得させることは不可能である――





「おはよう、RBCH-41387。よく眠れた?」

「ん~……おはよ、ディアナ。充分寝たよ、この顔見ればわかるでしょ」

「ふふ、そうね、お寝坊さん」


 四方をつるりとした壁に囲われた、殺風景な部屋で彼は目覚める。

 壁面に埋め込み式のディスプレイがあるほかは、ベッドとテーブルがあるばかり。調度品や壁に天井、彼自身の寝巻も含めて、全てが白色で統一されていた。

 枕元に寄り添う女性の服の鮮やかな赤だけが、この空間を彩っている。


 ディアナは少し前に配属された世話係だ。彼の黒髪についた寝癖を優しく撫でつけて、朝食にしましょうと彼女は言った。

 RBCH-41387は頷いてベッドから立ち上がり、ディアナが支度をしている間に、顔を洗って服を替える。やはり白い服である。


 トーストに半熟のベーコンエッグ、グリーンサラダ、フルーツジュース、ヨーグルト。

 テーブルに彩り鮮やかに並んだ朝食を、二人で向かい合って食べる。いつもと同じ一日の始まりだ。


「ねえディアナ、僕の名前だけどさ」


 彼はトーストの上にサラダと卵を載せてオープンサンドを合成し、それを大口で貪りながら、もごもごした声で言った。


「前から言ってるけどやっぱり変だよ。英数字の羅列なんて過去に例がない」

「そうね。登録情報は変更できないから、代わりに愛称(ニックネーム)を用意したわ」

「お? いいね、呼んでみて」

「フォテス」

「……何語? 聞いたことないな。何かの借用だとしたら、出典元は無名の(マイナー)作品?」

「私が考えた暗号よ。気に入らない?」


 少し寂しげな微笑みを浮かべたディアナに、彼はふるふると首を振る。


「まさか。当分はその解読法を探すって目標ができたよ。ありがとうディアナ、今日は名前記念日だ」


 フォテスは満面の笑みでグラスを掲げた。ディアナも合わせて自分のそれを持ち上げ、強化プラスチックの縁同士をコツンとぶつけ合う。

 震動でオレンジ色の液体がたぷんと揺れて、甘い香りを放った。


 ――しゃく、しゃく、しゃく。

 新鮮なレタスを咀嚼する軽やかな音が、室内に響く。



 二人の生活には緩やかなスケジュールが設けられているが、ある程度は変更が可能で、かなり自由だと言っていい。

 しかし朝食のあとの散歩は絶対だ。これは決まりというより、フォテスの主義(マイルール)で。

 居室を出て、廊下の突き当りから庭に行く。


 丸く切り取られた青空の下、花々が美しく咲き乱れる中を、二人は横に並んでのんびりと歩いた。日によっては図鑑を持ち込んで、気に入った植物や見かけた昆虫の名前を調べたりもする。

 フォテスは時々悩ましく思うのだが、庭の花を摘み取ることは許されていない。

 この白くて丸い花弁や、蔓に並んだ藤色の花序の群れは、きっとディアナによく似合うのに。いつだったか蔵書で読んだ、茎の長いものを使って円形に編んだ装飾――花冠というのを、実際に作って彼女のブロンドに被せてみたい。


 まさに今。

 ふいに歩みを止めたフォテスに気づき、少し前を歩いていた彼女が振り返る。(こみち)の左右に爛漫の花屏風を従えたディアナは、その名前は月の女神に由来するけれども、この絵画の如き光景はむしろ美の化身(ヴィーナス)の主題だ。


「……残念だ、僕に絵心がないのが悔やまれる」

「何の話?」

「なんでもない。そろそろ戻ろう」


 以前一度だけ胸の情熱を紙面上にしたためようと試みたが、己は壊滅的に絵が下手くそである、という厳粛な事実に直面しただけだった。

 あまりにひどい出来だったのでディアナには見せずに捨てた。

 代わりにカメラを申請したが、まだ許可が下りていなかった。緊急度の低い要望は叶うのに時間がかかる。


 ディアナの手を引くと、彼女は少し戸惑うような表情を見せた。それは微かに、けれども確かにフォテスの内奥を抉って、小さなひっかき傷を作ったように思う。

 しかし彼女はすぐに手を握り直してにっこり笑ったので、痛みはすぐに消えた。



------------


 ID RBCH-30898

 年齢:17歳

 性別:女性

 状態:良好

 経過:02 進行中

 備考:‐



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