求婚する騎士〈異世界・恋愛〉
私は目の前に跪いている男を椅子に座って見下ろしていた。この国でも指折りの有名人の若き騎士のつむじを見下ろせる者などそう多くはないだろう。
若くして武功を次々と挙げた美貌の騎士は、憧れと羨望を一身に集めていた。
身分はそこまで高くないものの、貴族の長子という血統。自らを顧みずに前線へ出てゆく勇敢な精神。強靭な肉体。芸術的であるとすら称えられる剣技。与えられた以上に義務を果たそうとする責任感。人望。
ありとあらゆるものを持っていながら、この男にはただ一つ欠点とでも言うべきものがあった。
そしてそれが輝かしいはずのこの男の人生に染みを落とそうとしている。
私はため息を吐いた。
ーー女性の趣味が、決定的に悪いのよね。
この騎士は今日、この国の王女たる私に求婚の許可をもらうためにこうして跪いている。
年増で、美しくもない、大した取り柄もないどころか国中に悪名がとどろいているような女への求婚の許可を得るために、この気高い人が膝を折っているのである。
「ねえ、何度も言っているけど、許可する気はないわ。貴方は少し頭を冷やすべきだと思う。私なら、貴方にもっと相応しい女性を紹介できるのよ。アリトニア国のサリー王女でしょ、ルーク公爵家のクレア嬢、そうそう、ハイルベリー伯爵令嬢は騎士団長の親戚にあたるのじゃなかったかしら」
私は頭の中で、名だたる未婚の令嬢を思い浮かべる。三国一の美姫と名高い隣国の第3王女。公爵家の長女は賢いと評判だ。武人を輩出することで知られる伯爵家の娘は、全てにおいてよくわかっている。騎士の相手としては申し分ないだろう。
いずれも引く手あまたの令嬢たちである。そして、全員、この騎士との縁談を持ちかけたらふたつ返事で承諾するだろうことは予想がついた。
「いえ、過分な話とは存じますが、私の心はすでに決まっております。どうかノーラ・アカルディ嬢への求婚の許可を今日こそ頂きたく」
表情ひとつ変えずに言ってのけるこの男の頑固さに私は天を仰ぐ。
でも、ここで折れるわけにはいかない。この人は国の宝だ。変な女とくっつけてしまっては、それこそ我が国の損失になる。
「評判の悪い人と結婚して、貴方まで汚名を被るつもり? テイリー・ダーマー卿」
「彼女の世間一般の評判などは存じませんが、そんなものは私の武功ひとつで吹き飛ばせましょう」
はいはい自信家。
「知らないということは幸せなことね、ダーマー卿。せっかくだから教えて差し上げるわ。卑しい生まれのくせに、まんまと高貴な者たちに取り入ることに成功した恥知らずな女。金色の瞳を持つ魔女。おおかた、怪しげな術でも使って城の者たちを惑わせているか、それとも色仕掛けで」
「もう結構」
初めてダーマー卿が声わずかにを荒げた。顔を上げてこちらを睨んでいる。まだ序の口なのに。
まあ、私の耳に入るくらいだから、市井ではもっと聞くに耐えない言葉で語られているのは想像にかたくない。
「くだらない噂話を貴女に吹き込む者の名前を教えて頂けたら、私が斬り捨てて参りましょう。侮辱は許さない。たとえ貴女であってもだ」
物凄い目で見られたけど、怖くはない。この国の武人である彼は、王族たる私に害はなせないし、何かあっても、この謁見室にいる衛兵たちがあっという間に丸腰の彼を取り押さえてくれるだろう。
「怖いこと。貴方がそんな脅しをするのなら、私も頑張って『説得』しなくてはいけないわね。あまり、口さがない庶民のような真似をするのは憚られるのだけど」
だから、わざわざ私の気持ちとは裏腹なことを言うのは、周りの兵士たちに聞かせるためだ。そろそろ退出を望んでいることを暗に告げる。これ以上この茶番を続ける気なら、いくらでもダーマー卿を逆撫でする言葉を紡ぐ気でいた。
「わかった」
ダーマー卿は諦めたように息を吐いて無造作に立ち上がった。
「貴女に許しを乞うのは諦める」
私もほっとして気を緩めた。
「わかればいいのよ」
私の許しなく立ち上がるのは本当は無礼なのだけど、この際だから見逃してあげよう。
やっとこの息苦しさから解放される。その安堵感の方が勝ってしまった。
そのまま退室するのかと思いきや、なんとダーマー卿はこちらへ向かって来るではないか。私と彼の間にあった段差も、気負いもなく上ってくる。
「なっ」
思わず立ち上がって後ずさろうとして椅子にぶつかってしまう。王女たる私が無様な姿を晒すわけにはいかないと体勢を立て直したところで手首を捕まえられた。
「無礼よ、離しなさい」
うろたえているのがわからないように努めて平静な声を出したつもりだったが、目の前の男には通用しなかったようだ。くっと喉を鳴らしたのが聞こえる。
衛兵!衛兵は何をやっているの!?
この謁見の間に控えている近衛兵たちを見回すけれど、彼らは動く素振りを見せない。お前たち、役立たずか!
手袋の上から軽く捕まれているだけの手首に全神経が集中してしまう。
「無駄だ。貴女の言葉では兵は動かない。そう上から命令が出ている」
何を言われているのかわからなくて、呆然とダーマー卿を見上げた。そう、もはや彼は私の眼下で跪いてはいない。目の前に立っている彼を、私は見上げなくてはならない。
上からの命令とは?
例え末端だろうと、一応私も王族の端くれだ。それを無視できる令を出せる人となると、限られてくる。
そもそも、兵たちが私の妨害をしようとする意味がわからない。いや、もしかすると、この男の邪魔をするなという命令なのかもしれなかったが。
「王女陛下ーーいや、ノーラ・アカルディ様。どうか私と結婚してくださいませんか」
目の前の彼は、いきなり片膝をつくと、私の手に唇を押し当ててそうのたまった。
アカルディというのは、私の生家の姓である。
「私は求婚の許可は出してないわよ!?」
今度こそみっともなく悲鳴のような声で抗議した私の手を取ったまま見上げるダーマー卿は涼しい顔をしている。
「何度お願いしても、お許しを頂けないので。やむを得ず許可を得ずに求婚させて頂きました」
ぬけぬけとよく言う。
「どうか、少しでも哀れだと思うのなら、慈悲をかけていただけませんか。……それとも、俺のことはもう、好きじゃない?」
「テイリー」
私はずいぶんと久しぶりに彼のファーストネームを呼んだ。
そう、昔は、私がこの人と結婚するんだと思っていた。
彼がまだ地方の騎士見習いで、私も王家の血をひいているなんて知らずに、田舎貴族の気ままな令嬢だった頃。
この国の王族に何十年かに一度生まれるかどうかという、金色の瞳は、今の王朝の始祖と同じで、革命の象徴らしい。
だから隠されるように育ったけれど、私の存在を嗅ぎつけた王の政敵が反乱に利用しようとかどわかしに来るのも時間の問題だと、いっそ王宮で守られていた方が安全だし周りに迷惑もかけないと。
王の使者にそう告げられ、生まれ育った故郷を離れて王宮に来る決心をした、あの夜。
もうこの人に一生会うことはあるまいと思ったのに、程なくして彼も王都に来た。そして国王軍に取り立てられると、みるみる頭角を現し、あっという間に国内最強と謳われるまでになってしまった。
私は逆に、この瞳を忌むべき魔女の再来だと信じているある組織から弾劾されたり、田舎上がりの娘が労せずしてまんまと末席とは言え王族に名を連ねることになったのを面白く思わない一派から誹謗中傷を流されたりと、中々面倒な立場になっていた。
「返事は?」
「……私、貴方には、幸せになって欲しいのよ」
力なく呟いた声は、テイリーの言葉を否定するものではなかった。好きじゃない、と言えなかった私の弱さに目の前の男が満足そうに笑う。
「だから、こうして何度も求婚の許しを得ようとしてきた」
「私と結婚しても、貴方は幸せになれないわ。私にまとわりつく暗い噂は、貴方の栄光を翳らせてしまう」
「君がどうしてそんなことを気にするのかわからない。俺は構わないと言っているのに」
不思議そうに私を見てくる顔は逞しくなったものの昔の私が好きだった少年の面影を残していて、この人を変などろどろしたものに巻き込みたくないなあと心底思った。
「やっぱり、駄目だわ。どうしても、貴方の隣には何も陰りのない人にいて欲しい。これは、私の我がままね。ごめんなさい」
顔を見ていられなくて頭を下げる。本当は、私の立場で騎士に頭を下げるなんてしてはいけないのだけど。このぐらいは、衛兵たちも目をつぶってくれるだろう。
目の前の男が溜め息を吐いたのが分かった。
「子供の頃からその頑固さは折り紙つきだな、本当に」
「ごめんなさい」
「謝られてもね。無理強いはできないので、今日のところは失礼しますよ。ああそうだ」
ふと思い出したというように彼が言った。
「先の闘いで、ささやかですが成果を挙げることができましてね」
「聞いています。私たちの国を護ってくれたこと、感謝してもしきれないわ。どうもありがとう」
ささやかなんてものではない。国境が一時戦場になったのだ。それを鎮圧したのが彼が指揮する一個連隊だと聞いている。正直、戦況が厳しい三日間は生きた心地がしなかった。本当にこの人騎士なんてさっさとやめてほしい。もちろんそんなことは言えないけど。
「当たり前のことをしたまででございます。それで、勿体無くも王から褒賞を頂戴することになっておりまして」
「そうね。せいぜいふっかけておやりなさい」
それこそ、優雅な人生を3回ぐらいおくれるような褒賞金をもらって田舎に帰るのもありだと思う。まあ、爵位を継げば、一生食べるには困らないだけの収入は保障されるだろうけど。
「そうするつもりです。ーーこの王宮の至宝を願おうかと」
そう言ってレイリーは何やら意味ありげにこちらを見てくる。王宮の至宝って、まさか王冠? それはちょっと無理じゃないかしら。私もまだ、見たことがないもの。
そこで私ははっとした。
待って。まさか、王冠が欲しいってことは、まさか王位の簒奪を考えてるの!?
それは駄目だ。どれだけ国に貢献した騎士といえども、簒奪者は処刑されるしかない。
「そんな……そんなことお父様が許すはず……」
一気に顔色をなくした私に笑いかける。何笑ってるんだ。
「実は前触れで王太子殿下に打診しておりまして。どうやら色良い返事が頂けそうな感触。その時を楽しみにしております」
ええーっ、お兄様もグルだっていう事!? あの優しいお兄様が? そんな素振り見せた事はないわ。仮にも第一継承権を持つ人が一介の騎士の反乱に手を貸すなんて……ん?
さすがにこの辺でおかしいことに気がついた。
「待って。あの、王家の至宝っていうのは?」
レイリーは私の眼をじっと見つめる。
「それはもちろん……」
そしてそのまま辞去の礼をとって出て行ってしまった。
何なの、あの含みのある感じは。嫌な予感しかしないんだけど。
後には呆然とする私と、何故か訳知り顔をしている役立たずの(一生根に持つからな)近衛兵たちが残されたのだった。